歯応えのある
シェフと
Vansのある
暮らし

大人気のマティー・マセソンが、カナダの自宅から炸裂トーク

  • 文: Sam Reiss
  • 写真: Aaron Wynia

遠目にも一目でわかるセレブ シェフのマティー・マセソン(Matty Matheson)だが、彼の全体像を把握するには、まだ多少の情報を追加する必要があるかもしれない。マセソンはYouTubeで料理をしてみせ、『Vice』の料理番組でハノイからサスカトゥーンまであらゆる場所に出没し、トロントで「Maker Pizza」と「Matty’s Patty’s」、フォートエリーで「Meat + Three」と3店のレストランを経営し、タトゥーで覆われた自分の両手をプリントしたオーブン用ミトンを販売している。マセソンの最初のレストランで2019年に閉店した「Parts & Labour」は、長らくトロントの人々に愛され、そのビストロ的な雰囲気は最初の料理本『Matty Matheson: A Cookbook』にも表れている。盛大に脇道に外れ、とぼけた話が長々と続く2冊目の料理本『Home Style Cookery』には、カナダ風ビーフ パイ、四川風タラ料理、メルゲーズ ソーセージ、ナン、と多国籍の料理が並ぶ。

しかしマセソンは、よくいる「タトゥーあり」のシェフをはるかに超える。彼のような人物はそう多くないし、ましてやカナダでははるかに珍しい。オンラインでミートローフを作っているときのマセソンは、誰よりもエネルギッシュで、得体のしれない男かもしれない。だが、騒々しい印象は上っ面に過ぎない。彼から発散するのは、実のところ、目まぐるしい厨房の管理されたカオスだ。荒っぽくて、躁的で、クレージーで、同時に容赦なく厳しい。そしてまったく邪気がない。「クソ意地の悪いサイコにならなくても、シーザー サラダ ドレッシングは作れるさ」と、マセソンは言う。

2020年12月現在、米国内では推定17%のレストランが閉店し、その数は日増しに増えつつある。業界が立ち直るには、創意と支援に加えて、自己認識の向上が必要だ。パンデミックになって、マセソンにはここ数か月でレストラン業界にも降りかかった「報い」を考える時間があった。彼が言うところの「苛酷でストレスだらけ」のシステムは、「大ダメージを受けた」今こそ、自らを見直す必要がある。一方で自粛生活は、自宅に試作用キッチンとスタジオを作り、妻のトリッシュ(Trish)、子供のマック(Mack)、リッツォ(Rizzo)、オジー(Ozzy)のために料理する時間も与えてくれた。

マセソンは、ゆくゆくカナダの切手に肖像が登場してもおかしくない勢いで驀進中だ。だが彼は、カナダ生まれではあっても、カナダの人間ではない。その違いは、間近に接すればおのずと明らかだ。僕たちは昨年12月の暮れ、味覚、食べ物、ファッション、レストラン文化などについて電話で話した。以下はそのときの対話を凝縮、編集したものである。VANSでスタイリングした家族の写真は、アーロン・ウィニア(Aaron Wynia)がフォートエリーの自宅で撮影した。

サム・レイス(Sam Reiss)

マティー・マセソン(Matty Matheson)

サム・レイス:オンタリオ州のフォートエリー育ちだよね。あそこの食生活はどんな感じだった? 君の新しい本に影響が表れてる?

マティー・マセソン:カナダ料理ってのは、すごく大人しいのよ。傾向と味はイギリス寄り。しょっちゅう言ってるけど、アメリカとカナダの料理の違いは、カナダには南部がないことだ。アフリカ系アメリカ人のソウルフード、あの歴史がカナダには全面的に欠如してるわけ。オレは、親父がビジネスをやってた関係で、しょっちゅう一緒にフロリダへ行ってたから、小さい頃にソウルフードを齧る機会があったんだ。大抵のカナダ人が知らない世界を体験した。それで、ちょっとばかし、アメリカの味覚がわかる舌が育ったんだな。ニューヨークでシェフをやってるアレックス・ステュパク(Alex Stupack)とは友達付き合いだけど、あいつに言わせると、アメリカの最大の味覚は歯応えだって。なるほど、と思うね。確かに食感も味覚のひとつだ。オレの最初の本は、間違いなく、料理のレンズを通して見たオレの人生。ニューブランズウィックで生まれて、その後ノバスコシアで暮らしたから、カナダの大西洋岸の色合いが強く出てる。

バンドのコンサートの設営クルーとして、アメリカやカナダのあちこちへ行っただろ。そのせいで、食べ物に対する見方は変わった?

オレはロック コンサート巡りで大きくなったようなもんだからな。エリー、ロチェスター、オールバニ、シラキュースあたりへよく行ってたし、ニューヨークなんか、もうしょっちゅう。それで覚えてるのが、メタルコア バンドの18 VisionsのCDについてた解説で、Del Tacoに感謝するって書いてあったのよ。時は2000年。びっくりしてさ、「なんだこりゃ! ファストフードの店に感謝? Del Tacoってのはよっぽど凄いんだろうな」と思って、初めてロスへ行ったときは、先ず最初にIn N’ Outへ行って、その後Del Tacoへ直行したもんね。

ファストフード大好き人間?

好きだね。アメリカのファストフードは全然違う。とにかくアメリカの食い物のカルチャーは凄い。どこでも、ものすごくうまいサンドウィッチやハンバーガーを食わせる。コツというか、やり方がわかってるんだな。ツアーについて回ったりコンサートに行ったりしたせいでシェフになろうと思ったわけじゃないが、外の世界を知ることにはなったんだ。やり過ぎの組み合わせもわかるようになったし、料理を考えるときは、カナダ料理の自制心でやり過ぎをコントロールする方法もわかってきた。

カナダ料理が控え目なのはどうして? レストラン業界の上のほうから、そういう押しつけがあるわけ?

そう、業界の上からのプレッシャー。カナダの大西洋沿いの州はアメリカの南部に似てるんだ。小さい町に地元の百姓が集まるような食堂があってさ、7ドルで魚とマッシュポテトとグレイビーが食える。スローで、慎ましい。カナダの象徴だとオレは思うね。

その点、都会は違う。モントリオールは今でも多分にフランス風だし、オタワはオタワでマジに凄い。トロントはとにかく色んな要素が入り混じって、きれいで、エスニック色が強い街だ。トロントの住民は自分の家を構えて、自分たちのコミュニティを作っていくんだ。何世代にもわたってそういう気質が浸み込んで、色んな料理になる。「どういうのがカナダ料理? 先住民の料理?」とか聞かれるけど、先住民の歴史はきれいさっぱり抹殺されてるんだから、何がカナダ料理なんだろうな? たいがいの白人は魚とマッシュポテトを食ってたんだし。

オレの仲間に言わせると、カナダ料理は茶色っぽくて華がない。茹でたカブやルタバガ、塩漬けのポーク。オレの親父はニューファンドランドで生まれて、あそこの伝統の煮込み料理で育った。伝統料理とは言うが、要は、材料を全部鍋に放り込んで茹でるだけ。付け合わせはマスタード入りのピクルス。

新型コロナウィルスのせいで、業界にはどんな影響があったと思う? 変えなきゃいけないところは?

業界全体がダメージを受けたし、そっから農業、供給、商売に関わってる全員に影響が及んでるさ。レストランをやるには想像以上に人手が要るんだ。すごい数の人間が関わってる。食い物にどれだけ金がかかってるか、みんなわかってないんだよな。全部をきっちりコントロールできても、利鞘はおそらく10%から12%止まりだぜ。それだって保証はないし、細かく軌道修正できた場合の話なんだから。

レストラン王のキース・マクナリー(Keith McNally)みたいに。

そういうこと。1日に何十万ドルも稼ぐんだったら話は別だ。とは言っても、稼ぎが大きくなったら、それだけ費用もかかる。コロナが終わったら商売を元通りに建て直さなきゃならんし、ちゃんとした額の給料を払って、色んな福利厚生を付けたら、当然値段に跳ね返る。客が喜んで金を払うと思うか? 「有名だったら高い金をとれる」と言うかもしらんが、「レストランをオープンした最初の日から、客が払った金はまともな給料と残業代と福利厚生に回る」のが実情だ。一体どうすりゃ、チーズバーガーを5ドルで売れる? 客は牛肉の仕入れなんか、知らんだろ。畜産業者の名前を言えるか? チーズバーガーを5ドルで食いたいんだったら、例のピエロのとこに行くんだな。別にピエロを侮辱するわけじゃないけどよ。

レストランをやってる者が正しい方法で大被害を受けたシステムを元に戻せるように、お客さんには進んで金を使ってほしいね。レストラン業界はガチで苛酷だし、ストレスが溜まる。男中心の縦社会で、ヒエラルキーがあるのも事実。軍隊そっくり。だが、レストランを成功させて、かつ善良な人間でいることもできる。なにも、ガミガミ怒鳴りつけたりけなしたりする必要はないし、そういうふうにスタッフを仕向ける必要もない。人間は恐がらせた方がよく働くと思うか? そりゃ一生懸命働いてもらわなくちゃ困るが、楽しくて、安全で、自分を歓迎してくれる環境でも人は一生懸命働ける、とオレは思うがね。

ではここらで、味覚に話を移そう。去年出版された新しい本で、フランス料理は「ゾッとする」と言ってるけど、本当はフランス料理も好きだろ。

ありゃ、言うなれば、運動場を平らにならそうとしただけだ。オレはキャビアも好きだし、Robo Martのタコスを食うのも好き。あ、Robo Martってのは、フォートエリーのガソリンスタンド兼コンビニね。4時間かけてゆっくり飯を食うのも大好きだし、酒もクスリも止めてクリーンになってからは、そういう機会がものすごく増えた。なんというか、新しい楽しみになったね。

自分で料理をするときは誰を喜ばせたい? 奥さんのトリッシュ? それとも子供たち?

いやいや、オレの子供もそこらの子供と一緒さ。2歳のリッツォ(Rizzo)は野菜でも何でも食う。料理の材料を小さく切ってやると齧ってる。マック(Mac)は鶏の胸肉の細切りにパン粉をつけて揚げたやつが好物で、茶色いもの以外は食いたがらん。子供がいると、このパンデミックは一苦労だぜ。オレのところなんか、子供が3人だから、3人分の食事を1日3回。いや、ほんっと大変。料理人のオレでさえそうなんだから、料理ができないやつはどうするんだ? ストレスで参ってる上に、1日3度の食事、どこもかしこもロックダウン、一日中皿洗い。時間もかかるし、元気もなくなる。みんな苦労してるよな。

では、スタイルについて話そう。家族ができてフォートエリーへ引っ越してから、おとなしいスタイルになった?

いや、フォートエリーへ越してから、もっと過激になった。

どういうふうに? ChanelのY2Kサングラス、かけてたじゃないか。

あれは、見せびらかしただけ。ロデオ ドライブにあるChanelのビンテージ ショップで買ったんだが、絶対高すぎだったな。まったくアホくさい見栄だ。オレみたいにデカイと、新しいものはなかなか思うように似合わなくてさ。ただジャケットとかカットを見てクールだと思ったら、それがインスピレーションにはなる。Wacko MariaとかNoon Goonsなんかにも、時々洒落てて新鮮な感じのがあるよな。Visvimもそう。「ヒョウ柄のカーディガンか、試してみようじゃないか」と思うわけ。『Vice』の仕事をしてた頃は、がんがんファッショナブルなものを着せられてさ、いきなり歩く広告塔に大変身したけど、今は、今持ってる服を持ってなかった頃へ戻ろうとしてんの。Levi’sとBlack FlagのTシャツだけでハッピーだった頃な。ボロボロになるまで着倒して、どうしようもなくなったら新しいのを買う。

ハードコアのライブに通ってたから、そういうセンスと言うか、そういうスタイル?

オレが最高だと思うのは、80年代後半のニューヨーク ハードコアのスタイル。あれを超えるスタイルはない。小粋にかぶった帽子、まくり上げたジーンズ、丈の短いトップス。トラックの運ちゃんとか試合以外のときのプロレスラーのスタイル、それがオレのスタイルよ。オレは大男だからな。体重は130kg以上ある。だから、オレに入る服を見つけてくれるネットワークがあってさ、「Carharttの売れ残り。サイズ48。買っとくか?」とか「Mack TrucksのクールなTシャツ、見つけたぜ。サイズは3XL」とか、連絡してくれる。

将来着こなしたい服、ある? 最近はスーツを着ることが増えてるみたいだけど。

スーツ、いいねえ。高級なのを誂えると高いけどな。果たしてオレはスーツ1着に3,000ドル出す気があるか? しかしだな、ゲームに参加しようと思ったら、それだけの投資は必要だ。第一、オレに会うサイズはそうそうないし。最初は「よし、いっちょ高級スーツでも買ってやろうじゃないか」くらいの気持ちだったんだ。ところがオレって人間は、とことん熱中する癖があって、度を超す。この点はちょっとどうにかしなきゃダメだな。今のままじゃ、まるきし、落ち着きのないジャック ラッセル テリアの子犬と同じで、要訓練だ!

典型的な1日は?

家にいるとき? そうだな、先ず子供らが起きるのが5時半頃で、それからオレらが寝てる部屋へ駆け込んでくる。赤ん坊もいて、家族全員大集合。オレが寝てるベッドの周りで子供らが1時間ほど飛び回って、朝メシを作り始めるのが7時。朝メシを食ったら、散歩へ行って、帰って来て、工作の時間。その後、子供らが『アナと雪の女王 2』を観てるあいだに、オレはiPadを眺めて昼メシを考える。昼メシの後は、マックを連れてドライブ。帰ったらまた子供らを遊ばせて、晩メシの時間。子供らを退屈させず、癇癪を起こさない。そのためには、毎日の習慣と計画が要る。いや、子供の反応ってのは面白いぜ。オレがAOQをかけるとスイッチが入って、ヘッドバンギングはやるわ、そこら中走り回るわ、ソファで飛び跳ねるわで、狂乱状態になるんだ。ともかくそういうふうにして、最後に風呂に入れて、お話を読み聞かせて、寝かせる。

次の日もその繰り返し。

オレもトリッシュもへとへとで、9時半にはバタンキュー。で、次の日もその繰り返し。

ブルックリン在住のSam Reissは、『GQ』でビンテージ アパレル、Inverse.comで重量挙げ、『GQ Style』や『ESPN』などで家具、デザイン、サッカー、その他のテーマに関する記事を執筆している。オタワ出身

  • 文: Sam Reiss
  • 写真: Aaron Wynia
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: March 10, 2021