傷跡を見せるアレックス・ザング・ホンタイ

ミュージシャンが、不変とデヴィッド・リンチのアドバイスを語る

  • インタビュー: Chris Blackmore
  • 写真: Rebecca Storm

以前ダーティー ビーチズ(Dirty Beaches)と名乗っていたアレックス・ザング・ホンタイ(Alex Zhang Hungtai)とモントリオールで会ったとき、彼は初めて会ったときに着ていたのと同じ、くたびれたレザー ジャケットを着ていた。あれは2年前、台北の豚の蒸し煮専門のレストランで、共通の友人たちと一緒に食事をしたときだった。そして最近、3シーズン目を迎えた「ツイン ピークス」で、デヴィッド・リンチ(David Lynch)の息子ライリー(Riley)と架空のR&Bバンド「トラブル」のメンバーに扮して姿を見せたときも、同じジャケット姿だった。時間と空間を超えて変わらない...漂いながらも常に安定している。そんなザングの本質的な性格を、あのジャケットはよく表している。

ザングは2000年代後半にモントリオールのアンダーグラウンドなミュージック のコミュニティに姿を現し、その後まもなく人気が出たグライムズ(Grimes)やMac DeMarco(マック デマルコ)のような仲間たちにまじって活動していた。しかし、彼のサウンドは当時のトレンドから外れていた。「僕はシーンの中にいないから、汚染されることも影響を受けることもなかった」と彼は言う。ダーティー ビーチズ時代のザングは、テープ録音を狂わせたローファイなバックトラックの上に過剰にリバーブをかけたクルーニングという唱法で、夢見心地と悪夢の瀬戸際でぐらつく50年代のR&B風サウンドだった。パフォーマンスでは、ぎりぎりの所にいる男の危険な雰囲気を発散した。

ダーティー ビーチズという別名を捨てたザングは、現在、催眠的音色を奏でるドローンを演奏するトリオ「Love Theme」に参加している。6月にA L T E R Recordsからリリースされたバンドと同名のデビュー アルバムは、行き場を失ったやるせないロマンティシズムが特徴だ。今秋、トリオは北米とヨーロッパへの長期ツアーへをスタートする。

仮面というのはツールであって、生き方を決定付けるものになっちゃいけない

クリス・ブラックモア(Chris Blackmore)

アレックス・ザング・ホンタイ(Alex Zhang Hungtai)

クリス・ブラックモア:どうしてダーティービーチズという名前を捨てたんですか? 思い切りをつけたきっかけは?

理由はたくさんあるよ。個人的なもの、芸術的なもの、感情的なもの、音楽的なもの。何度も何度も同じ曲を演奏したい奴なんていないだろ。ブルース・スプリングスティーンなんかは、ファンのために曲を演奏するっていう労働者階級的ロックンロールの哲学だよね。自分の歌じゃなくて、ファンの歌になるんだ。

ファンは定番の曲を聴くために来るわけです。

ファンはお決まりの曲に敬意を払って、それゆえにファンでいる。僕にはそういうのが合わない。ファンに期待される存在になったこと、ないから。僕は本当にどこにもはまらない人間なんだ。

面白いですね。ダーティー ビーチズという仮面を作り上げてきたけど、映画という接点ができたために、特定のファンたちに同化されてしまう可能性があった。そのまま続けて行くと、自滅するような気がしたのではないですか?

どんな仮面でも、いつかは息苦しくなるもんだ。仮面というのはツールであって、生き方を決定付けるものになっちゃいけない。みんな忘れてるみたいだけど、仮面の目的は隠すことなんだ。僕たちはいつも何かを隠してる。だけど、もう隠す必要がなくなったら、仮面なんて捨てりゃいいんだよ。

では、次の質問ですが…。

(インタビュー用のメモを指差しながら)そこに「ツイン ピークス」って書いてあるのがいいね(笑)。

じゃあ、何を尋ねたいか、分かりますね。

あれは金で雇われた殺し屋みたいなもんだったな。デヴィッドのサウンド エンジニアをやってるディーン・ハーリー(Dean Hurley)とライリーと僕でやったんだ。ディーンとはいっしょに仕事をしたことがあって、とても親しい。数年前初めてデヴィッドに会ったときから、ずっと連絡を取り合ってる。だから電話で、「今『ツイン ピークス』の曲を作ってるんだ。デヴィッドに送ってみるつもりだから、ちょっとこっちへ来て、サックスを録音してくれないかな?」って言ってきたんだ。その後ずっと連絡がなくて、今度は「番組に出てみないか?」って。本物のバンドじゃないから、「架空のバンドを組んでみないか?」って話になったんだ。

僕は、美意識なんていう、どこから出てくるのか分からないようなものなんか気にかけない

撮影現場はどんな感じでしたか? 奇妙な感じでしたか? それとも、割と普通でしたか?

デヴィッドに会うのは初めてじゃなかったら、普通といえば普通。初めて会ったときは、俗物みたいに聞こえると嫌なんだけど、実はカチコチに緊張したんだ。10代の頃からデヴィッドの映画をずっと見てたからね。憧れのスターに会って硬直した。

いつ頃の話ですか?

2011年だったと思う。デヴィッドがパリでやってるクラブ「Silencio」で会った。そこで演奏しないかって誘ってくれて、僕はすごく神経質になったんだ。どもっちゃっうほど。そしたら、「いつも自分がやってることを続けりゃいい。そうすれば扉は自ずと開く。やり続けるんだ」ってアドバイスしれくれた。僕はそれを肝に銘じた。デヴィッドは素晴らしいアーティストだけど、僕たちと同じ人間だ。彼のおかげで、スターに会っても硬直することはなくなったよ。誰に会っても構わない。

ダーティー ビーチズのスタイル、全体的な人格は、リンチやウォン・カーウァイ(Wong Kar-Wai)のような人たちに強く結びついていました。今でも影響を受けていると思いますか?

外面的に、ということ?

あるいは、美意識として、アートとしての考え方という点で。

今はない。僕は、美意識なんていう、どこから出てくるのか分からないようなものなんか気にかけない。自分の体の表面が一種の防護物か外骨格だとしたら、それは何かの理由があって形成されて、硬くなるんだ。もし左肩に火傷したら、傷跡ができる。傷跡は、何かの理由があって形になる。焼け焦げや偽物の傷跡をつけたTシャツを着てもしょうがない。無意味だと思う。外側が硬ければ硬いほど、特に男の場合、中身は脆いんだ。だから僕は、そういう不要な偽りの男らしさ、つまり、文学であれ、尊敬する人たちであれ、映画やテレビやメディアや何であれ、僕たちがずっと毒されて洗脳されてきた偽りの男らしさを、全部払い落とそうとしてる最中だ。

ある時期が来ると、新しいものを見たり、新しい文化を吸収したくなりますよね。例えば、ウォン・カーウァイの作品は非常に美意識が高くて素晴らしいけど、ある時期に他のものを探したくなる気持ちは、私にも分かります。

映画は現実の人生を映すべきだ。その逆はあってはならない。確か、ファスビンダー(Rainer Werner Fassbinder)の言葉だったと思う。

いかにもファスビンダーですね。

自己表現は自分の人生から生まれるべきだ。あの映画が好きだからとか、そういうもんじゃない。そういうのは、ティーンエージャーのためだ。

18歳や19歳の頃には、ヌーヴェル ヴァーグの映画にはまる。そういう時期がありますよね。

そうそうそう。別にそれを非難するつもりはないんだ。みんなやってきたことだから。

私もです。自然なことですよね。

だけど、僕はもう37歳だからね。今でも同じことをやってたらバカげてる。年齢のせいでもあるんだろうな。5年か10年前に同じことを聞かれたら、「ほっといてくれ。僕は好きな映画の主人公みたいな格好をしたいんだ!」って言ってただろうけど、今は「そんなことに、何の意味がある?」って思う。もっと深く自分を見たあとは、自分を認めるために外側へ目を向ける必要はない。

クリス・ブラックモアは、映画、現代政治、経済、歴史を専門とするライターである。モントリオールと北京を拠点に、LEAP 艺术界やJon Rafmanと共に活動する

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