ディクソン : オシー島で音楽に浸る
DJ兼レーベル マネージャーが語る、パーフェクトなパーティとドリス・ヴァン・ノッテン
- 文: Timo Feldhaus
- 写真: Christian Werner

オンライン音楽雑誌「Resident Advisor」の読者投票で4年連続「一番人気」に選ばれたエレクトロDJのディクソン(Dixon)は、1年に1ヶ月、沈黙を守る。音楽なし。テレビなし。インターネットなし。「安息」と呼ぶこの期間には、パンチャカルマを受けにインドへ行く。インドのどこかは具体的に明かさないが、ディクソンにとって欠かせないリセットだと言う。「パンチャカルマの考え方では、人間は生まれつき5つの要素で構成されている。そして、生活するうちに要素のひとつが過剰になる。僕の場合は、火の要素だ」
本名シュテファン・ベルカン(Steffan Berkhan)、41歳、ベルリン出身。本来機能によって定義されたジャンルに、高らかに鳴り響くストリングス、壮大なエモーション、映画的な装飾音を蘇らせるDJスタイルが特徴だ。2005年には、異文化を結びつけ、大規模な野外フェスティバルやクラブの果てしない夜で基調サウンドを提供するエレクトロ専門レーベル「Innervisions」を共同設立した。パンクで有名なベルリンのクロイツベルク区に設けた本部には、録音スタジオ、レコード店、流通施設があり、最近はアーティストの公演契約を請け負う代理業務も加わった。ダンス フロア全体を巻き込んで、まるで光が放散されるような効果を盛り上げながら、ターンテーブルの後ろでひときわ目を引くディクソンが、先頃、レーベルの広大なスペースを案内してくれた。1年に1度しかインタビューを受けないディクソンの、これが今年のインタビューだ。


ティモ・フェルトハウス(Timo Feldhaus)
ディクソン(Dixon)
ティモ・フェルトハウス:ディクソンは世界一のDJですね。
ディクソン:そんなこと、誰が言ったの?
エレクトロの世界的なプラットフォーム「Resident Advisor」で、4年連続、人気投票第1位ですから。
それは、ほとんどの場合、DJを区別するのが難しいからじゃないかな。自分のアイデンティティを築いてるDJなんて、ほとんどいないからね。
でも実のところ、僕が現在の位置にいるのはタイミングが大いに関係してる。ちょうどいい時期を捉えた、ってことだな。Âmeのクリスチャン・バイエル(Kristian Beyer)、フランク・ヴィーデマン(Frank Wiedemann)と共同で運営している「Innervisions」とも関係がある。僕たちが一緒に作り上げたスペシャルなコミュニティなんだ。
「Innervisions」という名前はどこから?
スティービー・ワンダーのレコードの名前から、僕が選んだ。「Innervisions」が僕たちの内面も表しているってことには、後から気が付いた。何か感じてるけど、すぐには言葉で説明できないことってあるだろ。どうして音楽性を少しずつ変えているのか、今は自分でもまだ分からない。だけど、1年後には分かるだろう。僕たちは1年に6枚しかレコードをリリースしないんだ。Âmeは、この2年間、全くリリースしてない。でも、リリースしたときには必ず画期的なものになるはずだ。

では、有名になりたい人にとって、資本主義は名声への扉を多少なりとも開けてくれるということでしょうか? 自分のエネルギーが他の接点と噛み合う瞬間、作品が何らかの流れや適切な理解と同調する瞬間。そういう決定的な瞬間と出会うには、何が必要なのでしょう?
持久力。誘惑に耐えること。DJは独特の技能だ。無理矢理何かを起こそうとしてもダメなんだ。自然の成り行きに任せる自信を持つことだな。キャリアを始めたとき、僕からDJをさせてくださいってクラブに頼んだことはない。ある時点で、自然に起こるんだよ。ラッキーならね。
DJになって何年になりますか?
25年。1度や2度は失敗を体験するくらい、十分に長い時間さ。良かったのは、ゆっくり、少しずつ、キャリアが軌道に乗ったことだと思う。たちまち3日間に5つの街で6回DJをやるようになったわけじゃない。今だったら、そういうこともありえるかもしれないけど...。2年前には1年で135回DJしたからね。今は、毎年10〜15回ずつ減らしてる。

嫌になった時期はありましたか?
もちろん。でも基本的に、自分の仕事をとても楽しんでる。肉体的にも精神的にも消耗するし、家族から離れてることも多いから、いつも再調整する必要があるけど。それを1月と2月にやるんだ。毎年インドへ行って、パンチャカルマを受ける。
何ですか、それは?
一種の体内浄化。3〜5週間で、全部の感覚がリセットされる。僕は同時に10のことをこなせるけど、ひとつのことに長時間集中できない。デトックスすると、全部の感覚がゼロに戻るんだ。何も見ないし、何も読まない。テレビもインターネットもないし、娯楽もない。これをしないと、僕は仕事も生活も続けられないね。その期間は音楽も聴かないんだ。そして3月に仕事を再開したら、安息期間の前にプレイしてた音楽は一切プレイしない。
“I didn’t stumble into clubs in the early 90s because I was so fascinated with techno. I was fascinated by the other people.”
現在のクラブでは、踊っている人全員がプロシューマーですよね。つまり、それぞれが、セミプロ的に、音楽をプロデュースしたりDJをやったり...。成功するDJとそれほど成功しないDJは、どこが違うのでしょうか?
DJの技能は、単に15曲選曲する以上のことをやるときから始まるんだ。6時間、8時間、9時間、とプレイを続けるときにね。ウォーミング アップ段階にどんな曲をかけるかを理解していること。クラブで6時間が経過した時点で、聴衆に浸透しているかもしれないアルコールとドラッグのレベルを理解していること。そういうこと全部を察して理解できるだけでなく、経験して精通していること。目の前で起きていることを理解するだけじゃなくて、5通りに対応できること。
完璧なミックスを作ることではないんですか?
もちろん、それは不可欠の基本だ。いちばん大切なのは音楽のセレクション。非常に主観的に自分を表現しなきゃいけない。聴衆を楽しませるエンターテイメントだということを忘れずに、かつ自分のステートメントを主張する方法を見付けることだ。ギャラリーなら絵画で人を刺激できるけど、ナイトクラブじゃそうはいかないからね。

では、あなたは自分をDJと考えている。ミュージシャンではなく?
たくさん音楽を送り出してはいるけど、自分が才能あるミュージシャンだとは思ってない。僕は非常に優秀なDJ。それだけ。
DJはサービス プロバイダーですか?
みんな、楽しみたいからクラブに来るんだ。音楽はクラブ体験の一部に過ぎない。全体としての体験は、空間とか居合わせる他の客とも関係する。僕が90年代初期にクラブに足を運ぶようになったのは、テクノに魅せられたからじゃないよ。そこに集まる人に惹き付けられたんだ。
クラブに集う人とか、過剰な部分とか、夜遊びとか?
色や服も。別世界に見えたし、その仲間に入りたかった。その後、ある時点では音楽にも意識が向いた。みんなセックスしたいんだ。それも全体の一部だ。ひとりの人間が音楽を使ってすべてを支配する、って考えは間違ってるよ。
“It’s hard to find your way back to something you’ve perfected in the past.”
パーフェクトなパーティには、何が必要なんでしょう?
その時に浸って、日常の自分が消えること。そのために、ここ数年、「ロスト イン モーメント」シリーズを開催して、古城や博物館やロンドンを離れた島でパーティを開いてるんだ。僕たちがやってることは場所に制限されない。最高に悪条件の環境でもできるんだ。オシー島でやったときは、みんな朝バスでやって来たんだけど、その後道が水没して全員が島に足止めになった。自分に望ましい状況でプレイしなきゃいけないからね。聴衆が少なければ少ないほど冒険できる。フェスでクレイジーな選曲でもしようものなら、みんな時計を見て「そう言えば、あのアーティストが今あっちでプレイしてるから見に行こうぜ」って言い出すけど、逃げ場のない島でプレイするんだったら、なんでも自由に試せるだろ。
世界中のクラブを股にかけて、25年の経験を積んだあなたにとって、今なおクラブという空間に意味がありますか? 現在のクラブは完全に商業化されていませんか?
ここ5年、面白い兆候が見えてるよ。僕たちがやってるエレクトロニック ダンス ミュージックの分野で、ベルリンは常に先端を行くんだ。ベルリンで起こることが、もっと後になって世界中で起こる。で、ここ数年、ベルリンにLCCの影響が現れていたけど、それが今はもっと大きく広がってるね。ニューヨークに行っても、見かけるのはニューヨーカーじゃなくて、シカゴやモントリオールやストックホルムから来てる旅行者だ。比較的低予算で、どこか他の場所で2日間を過ごす...音楽はそういう発想の一要素なんだ。実は、今あることを思い付いた。

何ですか?
さっきインタビューの始めに、僕のキャリアがどうやって始まったのか質問したよね。要するに、僕は腰が落ち着かなかったんだ。Sonar Kollektivってレーベルにいたけど、中心的な存在だったJazzanovaのメンバーじゃなかった。その前は、インダストリアル ノイズのAtari Teenage Riotっていうバンドに入ってた。荒々しいインダストリアルの中で僕はハウスをかけてて...。そんな特殊な状況でDJするのは、もちろんそれが最後だったよ。「WMF」っていうベルリンの有名なクラブでプレイし始めたときも、しっくり馴染まなかった。最近「Panorama Bar / Berghain」でプレイしてるのは本当に素晴らしいことなんだけど、僕が本当にそこの一員だとは誰も思わないはずだ。僕はずっと、はみ出し者みたいに感じてきたんだ、否定的な意味で。でもあるとき、それなら自分のやることをやるしかない、って思った。多分、それが自分の長所だって。それ以来、Innervisionsでやることすべてに、その考えを当てはめようとしてきた。自分たちのレーベル、自分たちのレコード ショップ、自分たちのブッキング エージェンシーを作ってね。僕はドリス・ヴァン・ノッテン(Dries van Noten)みたいにやりたかったんだ。ドリスは僕たちの模範だ。
どうしてドリス・ヴァン・ノッテンなんですか?
自主性。僕たちは、あの自主性を自分たちの分野で生かしてるんだ。

彼が今もアントワープにいるということですか? 一切広告を出さないということですか?
ヴァン・ノッテンのフル コレクションはオンラインに出てないんだ。オンラインに出してるのは、ほんの一部だけ。3つか4つのオンライン ストアだけで販売してる。自社店舗が2店あるけど、ベルギーで出してるコレクションとパリで買えるものは違う。わずかに違ってる。何年も同じスタッフと作り続けてる。自分のブランドを自分で所有している数少ないデザイナーでもある。それも、いろいろなものに流されない強さの理由だな。最初はデザインに魅せられたんだけど、そのうち、僕たちも同じことをやりたいって分かったんだ。最初は単なる感覚だったけど、じっくりと考えて確信に変わった。もちろん、僕たちも広告は一切出してないよ!
ドリスのシャツを初めて買ったのはいつだったか、覚えてますか?
12年か14年前。パリで。
ファッションの意味に気付いた瞬間はありましたか?
比較的早い段階だったな。16歳の頃、僕はレイブに入り浸って、ベルリンでも有名だった。いつでもどこかで見かけるヤツだったわけ。その当時も、金もないくせに金遣いは荒かった。とにかく学校では、派手な極楽鳥みたいに目立ってた。当時、オレンジとライトブルーのストライプ パンツなんて、着る人間はいなかったからね。

ドリス・ヴァン・ノッテンの他に、注目しているブランドは? 目をつけてるデザイナーは?
僕は、いつも、何にでも、目をつけてるさ。日本のブランドならComme des Garçons、Junya Watanabe、Yohji Yamamoto。たくさんは買わないけど、非常に尊敬してる。新しいところではGmbH、Andrea Crews、Heron Preston。だけど、Dries van Noten以外は、興味が続くのはせいぜい2シーズンだね。最近じゃ、2年間以上ブランドを保たせるヘッド デザイナーもいないみたいだし。
Raf Simonsは、色んなサイトでフォローできるんじゃないですか?
Raf Simonsファンは僕のまわりにもたくさんいるけど、僕はそれほどじゃないんだ。デザインがやや気まぐれに感じることがよくあるし、同じ基本の使いまわしが多過ぎる。ドリス・ヴァン・ノッテンは、そういうことを回避して、自分のブランドだけを意識してる。そこが特別なんだ。しっかりした連続性があって、同時に変化に富んでる。新しいものを作ろうとして失敗するミュージシャンは多い。新しいことに挑戦するのはアーティストにとってとても大切だけど、往々にして、作品は死んでしまう。過去に完成させたものへ戻る道を見付けるのは難しいことだ。ドリスはそれを何度もやり遂げてきた。新しいことを華々しく成功させるんじゃなく、何かを壊して、新しいバランスを見付けて、そこから教訓を得て、元いた場所へ戻る力を持つことが必要だ。
- 文: Timo Feldhaus
- 写真: Christian Werner
- スタイリング: Niki Pauls