体温のある
ポートレート
ナイマ・グリーンのアートと愛情から生まれたトランプ カード
- インタビュー: Madeleine Seidel
- 画像/写真提供: Naima Green

ナイマ・グリーン(Naima Green)は新しい世界の歴史を記録する。写真家として、アーティストとして、ニューヨーク シティからメキシコ シティまで、クィアな人々のポートレートを撮影し続ける。愛情を込めて細部まで写しとった作品の世界は、平凡でもあり気高くもある。これまでにニューヨークの国際写真センターやハーレム スタジオ美術館、マサチューセッツ現代美術館などで展示されているが、どのシリーズも日常を謳歌する視点を追求し、ともすれば見落とされる人との触れ合いとささやかな繋がりをすくいとる。グリーンの写真世界は、最近、アートからメディアへと広がりつつある。『New York Times』で2013年から現在まで続いている「Jewels From the Hinterland」シリーズ、今年の10月に『Harper’s Bazaar』の表紙を飾ったソランジュ・ノウルズ(Solange Knowles)の写真。グリーンのポートレート写真で際立つ被写体への心遣いと配慮は、どちらでも健在だ。
2018年、グリーンは『Pur·suit』と名付けたプロジェクトに着手した。カードの表側に、スペードやハードではなく、ブルックリンで暮らすLGBTQIA+の人々のポートレート写真を印刷したトランプ セットだ。キャサリン・オーピエ(Catherine Opie)の『Dyke Deck』(1995年)を見たときに、柔軟性を尊重し、活力に溢れ、頼りがいのあるブルックリンのクィア コミュニティを同じ方法で記録したいと思い立った。54枚のトランプに登場した『New York Times』ライターのジェナ・ウォーサム(Jenna Wortham)やアーティストのセーブル・エリス・スミス(Sable Elyse Smith)はグリーンの友人だが、その他は、それまで会ったことのない人々やYellow Jacket Collective、bklyn boihood、BUFUといったグループだ。第1波に続き第2波が到来しているパンデミックの現状で、グリーンのレンズがとらえた温かさは新たな意味を帯びる。仲間や触れ合いがはるか遠くに感じられる今、グリーンは喜びと心の安らぎに目を向ける。
今秋は、「Fotografiska New York」でグリーンの個展『Brief & Drenching』が開催されている。構成は『Pur·suit』およびそれ以後の新しいプロジェクト。新型コロナウィルスによるニューヨークの都市封鎖に伴って「Fotografiska New York」も長らく閉館を余儀なくされていたが、その後8月に開館に漕ぎつけた。グリーン自身とトビー・カウフマン(Toby Kaufmann)、グレース・ノ(Grace Noh)がキュレーションした『Brief & Drenching』は、生来のものであれ選びとったものであれ、家庭、家族、人の温かみを静かに放散して、今という時代の毒を消し去ってくれる。
グリーンと私は共にブルックリン在住だが、『Brief & Drenching』、セルフ ポートレートの実験、アーカイブの意義について、電話で話した。

ナイマ・グリーン『The intimacy of before』2020年 冒頭の画像:ナイマ・グリーン『Pur·suit』2019年。画像提供:Megan Madden
マデリン・シーデル(Madeleine Seidel)
ナイマ・グリーン(Naima Green)
マデリン・シーデル:2018年に『Pur·suit』の写真を撮り始めたときは、トランプのカードにするつもりだったのよね。展示会場の大きなポートレート写真とはずいぶん違うけど、個展で大きなサイズを展示する気になったのはどうして?
ナイマ・グリーン:みんなのポートレートを違うスケールで見ることが、すごく大切な気がして。それまではトランプの大きさやコンピュータのディスプレイでしか見たことがなかったから、展示会場の壁に掛けたときの存在感を考えたわ。ポートレートの背後にあるものが変わるかもしれないとも思った。ユニーク(Yunique)なんかは、まずポーズがいいし、とにかくエレガントだから、特に気に入ってる。スニーカーが本当に履き古されてて、すごく自然体。
6センチ×9センチのカードだと、そういう色々な要素に気付かないかもしれない。だけど、縦1メートルの大きさだったら、ディテールがもっと目につくし、見る人が被写体と一緒に過ごす時間も長くなる。ポートレートとそこに写ってる人が、きちんと自分の場所を占める。それが相応しいことだし、私の関心もそこだから。
『Pur·suit』が何よりも先ずオブジェとして展示されているところに、私はすごく興味を引かれるわ。「i like you」と自分のポートレートの組み合わせとか、展示にはオブジェのコンセプトがすごく一貫してるよね。作品が三次元へ発展していくときは、どういうふうにオブジェと写真を繋ぐの?
オブジェを作ることにはずっと前から興味があったんだけど、それを表現できたのは今回の展示が初めてかな。そもそも対象がないことには写真が撮れないんだから、ある意味大事なのは、最終的な絵を撮る方法をよく考えて、その絵を完成するために必要なものを理解することなんだ。「i like you」に自分の鏡を使ったのは、ポートレートを作る瞬間へ観客を招き入れるため。卒業制作展に出したときも大勢がセルフィーを撮る形で参加したから、今回の会場に持ち込むのはすごく楽しみだった。自分の鏡が違うふうに存在してるみたいだったし、私が毎日アパートで一緒に暮らしてるものと観客が関わってるのが、見ててすごく楽しかった。
ポートレートには、私が一緒にいた人、私が空間を共有した人が記録される。物理的に一緒ってこともあるし、頭の中で一緒ってこともあるけどね。今回のシリーズのポートレートを見ていくと、私の机がすごく散らかった状態で写ってるのがあって、その時期の私がよく表れてる。私が暮らす場所を観客に見せて、それ自体がポートレートになるんだってことを感じてほしい。

ナイマ・グリーン『Self-Portrait (I like you)』2017年
「i like you」は、オブジェや空間の要素だけじゃなくて、自分を見せるという意味でも、とても興味があるの。このシリーズのために、自分の写真を撮り始めたのはいつ?
長いあいだ私は自分を作品の中に入れなかったから、「i like you」のポートレートはかなり大きな変化だったね。以前は自分のポートレートを撮るなんて自惚れだと思ってたし、外見で有名になることにも興味はなかった。写真が私の声であって、写真で記憶に残してほしかった。2017年の私は、色んな意味で繋がりを持てなくて、麻痺したみたいだったの。大統領選の後で、恋人と別れた後で…、なんだか自分の体から遊離した感じだった。それで、人にどこかの場所で私と会ってもらう「Attraction Experiments」ってシリーズを始めたの。場所は結局街中にある証明写真ボックスに落ち着いたんだけど、そこでその人と一緒のポートレート写真を撮る。来る人には、撮影中に私に指示したいことを5つ考えてくるように頼んでおくの。つまり私は、自分の作品の中で、誰かの指示どおりに動くパフォーマーになる。かなり長いあいだ生きてる気がしなかったのが、この作品でようやく自分を感じられるようになった。
その後、歯の手術を受けて、しばらく家にいなきゃいけなかったの。それまでの仕事はほとんど外でやってたから、「誰にも来てもらわずに、私だけでできることは何だろう?」って考えて、そこから「i like you」のポートレートを撮り始めたのよ。週末のあいだ、服を着替える度に自分のポートレートを撮影したわ。最初は気取ったり、気分のいいときにやったりしてたけど、そのうち、自分自身とか、机のうえにあるモノとか、私が暮らす場所を共有した数少ない親しいひとたちを記録するために、色んなことを試すようになった。
セルフ ポートレートにも関連するんだけど、新しい媒体として、映像作品も作り始めてるよね。今回の展示では「the intimacy of before」って短編が上映される。写真から動画へ移行するのは、どんな感じだった? 創造が大きく飛躍した感じだった?
映像も動画も難しいわ、必要な技術がないのを自覚することが多くて。だけど、いろんな人とコラボレーションできる素晴らしい方法だと思う。これまでの写真でも動きのある作品はたくさんやったけど、今回は、呼吸するポートレートというか、動く人を動画で見せる方法を考えるいい機会だった。「the intimacy of before」のコンセプトはすごく辛かった時期に生まれて、そのとき、ビデオ スケッチを作ってたの。このアイデアに戻りたくなったのは、今、世界全体がとても苦しんでいるから。だから制作した動画には最初のビデオ スケッチの要素も入ってるけど、2020年という今現在がテーマでもある。人との触れ合いや、親しみや、喪失といったことを、 必ずしも悲しみとしてではなくて、受容と変遷という視点から考えてみたの。私のアパートで今年の7月に撮影したけど、本当は3月にスタートする予定がニューヨークの封鎖で延期になって。でも結果的には良かったと思ってるんだ。パンデミックのせいで、ニューヨークの雰囲気は変わったからね。
あなたの作品には、親しみがあって、力を抜いた日常の瞬間を捉えてるわ。それって、黒人とクィアの体験を優先するあなたにしては、すごく思い切ったことだと思うの。ああいう日常の場面を記録するのは、あなたにとってどんな意味があるのかな? 自分はアーカイブを作ってると考えてる?
どういうわけか、アーカイブという言葉と私自身を結びつけたことはなかったんだけど、ライターのジェシカ・リン(Jessica Lynne)が私のやってることはアーカイブだと言ったのよね。もしかしたらジェシカじゃなくて、キュレーターで写真に詳しいオルレミ・オナバンジョ(Oluremi Onabanjo)だったかな。その後、今年の初めに写真家のマリリン・ナンス(Marilyn Nance)とじっくり話す、素晴らしい機会があってね。彼女は「FESTAC 77」っていうものすごいアーカイブを持ってるから、「私もこういうアーカイブを作りたい」と言ったら、「もう持ってるじゃないの」って。
それで、私が作るべきもの、すでに持ってるのに忘れてたものに対する考え方が変わったわね。まさにそのとおり、私の作品はひとつのアーカイブだった。現代の記録や進化し続ける視覚イメージを作ることで、作品はいつまでも完成しないプロセスになる。そう思うと力が湧いてくるわ。だって、私の作品が生きた存在になれる空間が広がっていくんだもの。人間が進化するにつれて、世界が成長して物事が意味を増すにつれて、私の作品も進化する。だから、アーカイブ賛成、大賛成よ。
Madeleine Seidelは、ブルックリン在住のキュレーターでありライター。以前はホイットニー美術館およびアトランタ コンテンポラリーに勤務。映画、パフォーマンス、アメリカ南部のアートに関する記事を、『Art Papers』、『frieze』、『The Brooklyn Rail』、その他に寄稿している
- インタビュー: Madeleine Seidel
- 画像/写真提供: Naima Green
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: November 2, 2020