おいしい映画の
レシピ集
ターキッシュ ディライトからトッククまで、極上の夜は自宅ディナーで
- 文: Simran Hans、Mayukh Sen、Michael Koresky、Zeba Blay、Kristen Yoonsoo Kim、Spiral Theory Test Kitchen
- アートワーク: Alex Walker

映画館に出かけることがますます過去のものとなり、外食をめぐるジレンマがどこで何を食べるかよりも倫理にかかわる問題になるにつれ、私たちはみずからの体験を選ぶキュレーター、そしてシェフに変身する。ここでは5人のライターとひとつのフード プロジェクト集団が、とりわけ印象的な映画と食のマリアージュについて思いを巡らせる。ディナー テーブルを超越ずる、滋養に富み、満足感たっぷりの映画と食を堪能しよう。

ペンネ アラ ウォッカと『クレオパトラ』(1963年)
ナイジェラ・ローソン(Nigella Lawson)が2004年に出した料理本『Feast』に、ペンネ アラ ウォッカのレシピが載っている。彼女が「Supper Alla Romana For Ten(10人のためのローマの夕食)」と名付けたメニューのひとつだ。ナイジェラが空想した筋書は、ふと思い立って10人の仲間を「映画のあとの夕食に」招き、ウェスト ロンドンの自宅フラットへぞろぞろと連れていくというもの。土曜の晩で、たぶん雨が降っている。友人たちは少なくともほろ酔いだろうし、パスタも同じくお酒をきかせたとくれば、もてなすのに苦労はない。大きなボウルいっぱいのペンネリガーテを、ウォッカとバター、クリームたっぷりの「笑えるほどレトロな」トマトソースで和える。この料理のインスピレーションをくれたのは、今はシャッターを閉ざしたローマのトラットリア、かの壮大な歴史劇『クレオパトラ』撮影時にジョゼフ・L・マンキーウィッツ(Joseph L. Mankiewicz)監督のキャストやクルーの胃袋を満たした誇り高き店だ。80年代にローソンが訪れたとき、このレストランには、エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)を祀る神殿があった。
巨額の製作費をかけたこの大作映画は、オリジナル カット版の上映時間が5時間以上に及ぶ。だが、映画の過剰さを語るには、テイラーの65回もの衣装替えや40個あまりの特注ウィッグをおいては始まらない。なかでも最も記憶に刻まれ、そしておそらく最も物議をかもしたのが、黄金のビーズをおもりにしたブルネットの編み込みボブのウィッグだろう。これは2011年のオークションで1万6000ドルで落札された。そうそう、映画を撮影したTodd-AO方式のセルロイド フィルムは、その日の撮影分を毎日ローマからハリウッドへ、あるいはハリウッドからローマへと急送しなくてはならなかったし、8ヘクタールものセットには輸入されたヤシの木がそよぎ、特別に建造されたフォロ ロマーノは実物をしのぐ出来栄えだった。フォックス社はご機嫌斜めのテイラーがセットにもっと顔を出してくれることを期待して、撮影をローマに移したが、酒と鎮痛薬とクレオパトラたる彼女のアントニウス、新しい愛人リチャード・バートン(Richard Burton)への耽溺ぶりに変化はなかった。
ペンネ アラ ウォッカのルーツは、訊ねる相手に応じて70年代後半のボローニャかトスカーナのどちらかであり、人気が出たのは80年代のニューヨークだ。どぎついオレンジ色のソースは、なるほど滑稽なほど派手派手しい。よりローマ風の親戚といえば、トマトとグアンチャーレ、ペコリーノ ロマーノを使ったスパゲッティ アマトリチャーナだろうが、塩漬けのブタほほ肉と熟成された羊のチーズの素朴な農家風の味は、ペンネ アラ ウォッカのギラギラした魅力の足元にも及ばない。
ローソンのレシピは10人のパーティー向けというあり得ない分量だが、その半量なら4人分にぴったりだし、2人で食べて残りは翌日に回してもいい。ローソンもテイラー演じるクレオパトラも、つまるところ官能主義者であり、その黒髪と、強調された曲線と、艶めくシルクのナイトガウンは強烈に魅力的で尊大だ。晩餐は女神にふさわしく、ソファでボウルから食されねばならない。
『Feast』のレシピに少しばかりアレンジを加えた料理法を紹介しよう。大きな平鍋にオリーブ オイルをひき、大きめに角切りした玉ねぎを、もしあれば2片ほどのニンニクのみじん切りと一緒にじっくり炒める。プラムトマトの缶づめ2個分を手でつぶしながら加え、20分ぐつぐつ煮込んだら、たっぷりの生クリームを注ぎ入れ、混ぜ込む。鍋を火からおろしておく。塩を入れた湯を沸かしてペンネリガーテ1キロをアルデンテになるまで茹で、パスタの袋の表示よりも2、3分早くざるに上げる。ただし、茹で湯を少し残しておくこと。パスタを、半カップ (125ml) のウォッカと合え、非常識なくらい大きなバターの塊を足し、さらに先ほどのソースを加える。全体をよく混ぜて、好みに塩で味を調える。パスタがくっつくなら茹で湯でほぐす。温めておいた大きなボウルに盛り、取り分けたら削りたてのパルミジャーノをかけていただく。
Simran Hansはロンドン在住、『Observer』紙の記者兼映画評論家

ターキッシュ ディライトと『ルトガー・ハウアー 危険な愛』(1973年)
女の顔は青白い。かつての面影がないほどだ。髪をすべて失い、つるりとした頭にかつらをつけている。かつての恋人が彼女を病床に見舞う。女は脳腫瘍で入院しているのだ。彼女は彼に空腹を訴える。彼女が食べられるくらい柔らかな食べ物はひとつしかない。それがターキッシュ ディライトだ。
ポール・バーホーベン(Paul Verhoeven)監督による煽情的な映画『ルトガー・ハウアー 危険な愛』でモニク・ヴァン・デ・ヴェン(Monique van de Ven)演じるヒロイン、オルガが病にたおれることをお伝えしても、ネタばれにはならない。彼女の死がこの作品の額縁の役割を果たすからだ。映画は、ルトガー・ハウアー(Rutger Hauer)が演じる彼女の恋人でアーティストのエリックの目を通した長い回想の形をとっている。オランダが舞台の本作はオルガとエリックの破滅的な恋の物語だ。オルガがヒッチハイク中のエリックを拾ったことをきっかけに、若く衝動的なふたつの魂がめぐりあう。ふたりの結びつきは電撃的で、あからさまな毒をもち、観る者の目をとらえて離さない。ふたりはセックスし、喧嘩し、和解する。互いを責め立てる。結婚する。別離する。
オランダの作家ヤン・ヴォルカース(Jan Wolkers)が1969年に発表した小説『Turkish Delight』に基づく『ルトガー・ハウアー 危険な愛』は、バーホーベンの長編2作目にすぎないが、もうすでに、後に確立される巨匠の作風の片鱗をうかがわせ、ナラティブの展開ごとに衝撃を引き出してみせる。バーホーベンはこの作品で悪びれもなくグロテスクへと脱線し、しばしば食べ物を小道具に選ぶ。冒頭のとあるシーンでエリックが鍋の中身をトイレに流すのは、いかにも食欲を減退させる。その少し後で、セックスの相手がバナナをスプーンで食べていると、その口にエリックがバナナを無理やり押し込もうとする。食事中に、彼は馬の目玉を見つける。カメラが蛆虫の蠢く肉片を舐めるように映す。
こうした数々のシーンに、普通の鑑賞者は忍耐力を試されるだろうが、バーホーベンは打ちのめされるような終幕に向かってよろめき進んでいく。しばしの別離の後、ふたりの恋人たちはオルガの病状の悪化によって再会する。本作で最も胸を打つセリフもまた、食べ物をめぐるものだ―ターキッシュ ディライトを欲しがるオルガの切なる訴えは、映画の過激さを貫く光のようだ。バーホーベンを挑発者と呼ぶ者はいるだろう。だがその才能を存分に発揮したとき、彼は極限のなかから人間の真実を掘り起こす。オルガはものが言えなくなるまでこの柔らかく粘着するパステル色のキューブを口に押し込む。粉だらけになった指を拭いて、とエリックに差し出す。オルガは食べながら錯乱状態に近づいていくようだ。この作品はつらい絵に満ちている。だがターキッシュ ディライトを貪りながら、最も惨めな姿に堕ちていく哀れなオルガの姿こそ、呑みこむにはあまりにも苦い。
Mayukh Senはニューヨーク在住のライターである。食をテーマにした執筆でJames Beard賞を受賞。ニューヨーク大学でフード ジャーナリズムを教える
ラハト ロクム (ターキッシュ ディライト)のレシピ:
クローディア・ローデン(Claudia Roden)著『A Book of Middle Eastern Food』(1972年刊、Knoph)より
材料:
水あめ 450g
グラニュー糖 2500g
トウモロコシ粉 340g
レモン汁 1個分
マスティック ガムの粉 大さじ1
コチニールなど食用の着色料 数滴
オレンジ ブロッサム ウォーターまたはローズ ウォーター 大さじ3
刻んだアーモンドまたはピスタチオ 約100g
粉砂糖
作り方:
水あめとグラニュー糖、水カップ2を大きな浅めの鍋に入れ、よくかき混ぜながら煮立たせる。
別の大きな平鍋にトウモロコシ粉を入れ、水6カップを少しずつ加えながらよく混ぜる。弱火にかけ、かき混ぜながら煮立たせる。滑らかな白いクリーム状のペーストになったら、先ほどの熱い砂糖シロップにゆっくりと加え、ダマにならないようにしっかり混ぜる。
再度煮立たせて、蓋をせずに、木べらでなるべく頻繁に混ぜながら、一定の弱火で3時間煮詰める。ちなみに工場などでは撹拌機で混ぜ続けるという。火が強すぎると、底の部分がカラメル状になる。
このタネを煮詰めてちょうどよいねっとり加減にするのがポイントだ。所要時間はおよそ3時間で、レシピの成功はこれにかかっている。適度な固さかどうかを確かめるには、2本の指で少量をつまんでみる。指を離すときに指の腹がくっついてねばねばした糸を引けば出来上がり。そのタネは温かみのある金色に輝いているはずだ。
レモン汁と香料を加える。マスティック ガムを細かく粉状にするには、少量のグラニュー糖と合わせて挽く。お好みで着色料を加える。しっかりと混ぜ、さらに数分間煮る。刻んだナッツを加えてまんべんなく混ぜ込む。
深さ2.5㎝位のトレイに、くっつかないようにトウモロコシ粉をはたいておき、熱いうちにタネを流し入れる。ナイフで平らに整え、24時間以上おいて固める。よく切れるナイフでサイコロ状に切り分け、粉砂糖をまぶす。ロクムは容器に入れて長期保存できる。

過越しの祭のベーグルと『Crossing Delancey』(1988年)
たとえ神を信じなくとも、僕はユダヤ料理のクーゲルは信じている。マツァブレイも。それからサーモンの燻製とクリームチーズと刻んだレバーとラートケとクニッシュも信じているし、「過越祭のベーグル」という名の、母が昔作ってくれたこのふわふわなのにどっしりとした最高に美味いごちそうも信じている。もちろん、この祭日の習わしとして、イーストも小麦粉も使わないから、本当はベーグルとはいえない。でも、甘いものからしょっぱいものまで、ユダヤの美食の山のてっぺんに鎮座するこのベーグルは、どんなラビの唱える呪文より、僕に自分のルーツを肌身で感じさせてくれる。
僕にとって、スプレッド、シュミィアと呼ばれるクリームチーズ、脂っこいシュマルツなどユダヤの食事の重要性を見事にとらえた映画は、ジョーン・ミックリン・シルバー(Joan Micklin Silver)監督の『Crossing Delancey』をおいて他にはない。階級と伝統の問題にどっぷりつかり、ピクルスの漬け液とヴァニラの香りが滲むニューヨークが舞台のこのロマンティック コメディは、胃袋で心をつかむタイプの映画だ。背景のロウワー イーストサイドの街は単なる設定ではなく、作品の本質そのもの。エイミー・アーヴィング(Amy Irving)が演じるキャリアを追いかけるシングル女性、ウィットに富むが辛辣なイジー・グロスマンが心ならずも見合い相手を紹介されるのも、ここダウンタウンだ。紹介した仲人のこうるさいハンナ・マンデルバウムをこっそり雇ったのは、孫思いで世話焼きの祖母バビで、ダウンタウンのイディッシュ劇場で長い芸歴をもつベテラン俳優レイズル・ボズィクが演じている。イジーは仕事で知り合った、ジェローン・クラッベ(Jeroen Krabbé)演じるヨーロッパの香り漂う自信満々の作家、アントン・メイスに惹かれているというのに、ハンナはピーター・リーガート(Peter Riegert)の演じるサム・ポズナーについて真面目に考えろとせっつく。何といっても、サムは自分のピクルスの店をもつ立派「メンシュ(イディッシュ語で男の意)」なのだ。上昇志向のイジーは心中その考えにぞっとするが、このあと映画では、恋愛のみならず歴史や伝統に対する彼女の抵抗感が打破されていくことになる。おしゃべりハンナがバビのキッチンでアップル ソース、ゲフィルテフィッシュ、ラートケを平らげる最初のお見合いから、ダウンタウンのメキシコ料理店でポテトチップスとサルサを前に、辛抱強いピクルス男サムをイジーが自分の親友に押し付けようとするあんまりなデート、Gray’s Papayaのチープなホットドッグで祝うイジーの誕生日まで、どんなやりとりにも必ずと言っていいほど食べ物が絡む。まさしくニューヨークの多彩なグルメ ツアーなのだが、本当に心に残るのは主役級の輝きを放つユダヤ料理の描かれ方だ。映画に味わいをもたらすロウワー イーストサイドのご馳走の数々は、イジーが逃れようとする「旧世界」の伝統の代表選手だが、『Crossing Delancey』は、「食こそ人生」という使い古しのステレオタイプには陥らない。シルバー監督の作品にまつわるすべてと同じく、食物もまた正真正銘、避けがたく真正な現実である。それはクールなニューヨーカーも逃れられないコレステロールたっぷりの過去だ。いや、そもそも逃げたいと思わないかもしれないが。
作り方:
砂糖 大さじ6
マツァミール 2カップ
水 1/2カップ
塩 小さじ1
卵 6個
食用油 1/2カップ
食用油、水、砂糖、塩を合わせ、火にかけて煮立たせる。マツァミールを加えて混ぜる。火からおろし、卵を1個ずつ加え、加えるたびによく混ぜる。手を濡らし、タネを小さなボールに丸めて、油を塗ったオーブンシートに並べる。指で中央に穴をあけ、190~200℃で25分間焼く。しばらく寝かせる。
Michael KoreskyはMuseum of the Moving Imageのエディトリアル ディレクター。同美術館の発行するオンライン映画雑誌『Reverse Shot』の共同創立者兼エディターであり、『Criterion Collection』に定期的に寄稿している。著書に『Terence Davies』(2014年刊、University of Illinois Press)がある。『Films of Endearment』(Hanover Square Press)を2021年に刊行予定

ワイルドマッシュルーム オムレツと『ファントム スレッド』(2017年)
『ファントム スレッド』では、マッシュルームのオムレツが、ひとりの男の在り方を徹底して覆す。支配する力はさまざまな形でやって来るのだ。シンプルなオムレツは、その中に支配が潜在することも、味わいと食感、快楽と苦痛の可能性がたっぷりと包み込まれていることも覆い隠す。マッシュルームは土壌に生息する菌類だ。黒っぽい湿地や、動物の糞や、朽ち木や枯れつつある木でよく見つかる。マッシュルームは異世界へ通じる扉でもある。第三の目を開かせたり、幻覚を見させたり、場合によっては死をもたらす。バターと香草をたっぷり使って、正しく調理し、正しく味付けをすれば、恍惚の境地へ連れ去ってくれる。そしてもちろん、じゅうぶんに注意しなければ「無力で、優しく、されるがままに」病床に横たわる結果になる。
ヒロインのアルマはそんな支配力が手に入ることを知っている。クライマックスが訪れるのは最後の場面だ。この映画で唯一エロスを感じさせる場面で、ひたすら見つめる行為から性的な官能が立ちのぼる。田舎にあるレイノルズの屋敷で、近くの森から採ってきた肉厚の丸々とした毒キノコを、アルマが厚切りにする。たっぷりのバターを溶かした中に入れて、キツネ色に変わり、黄金の光を放ちながら脂に浸ってしまうまで炒める。塩をふり、バターの入れ過ぎを嫌うレイノルズの目の前で、さらに大ぶりなバターの塊を落とす。次に、溶きほぐした卵を注ぎ入れる。そのすべてをレイノルズは見つめ続ける。
高いところから流れ落ちた卵液は、音を立て、膨らみ、卑猥にマッシュルームを包み込む。アルマの動きはあくまで悠然として、確固たる意図に貫かれ、甘美で、有無を言わせぬ権威がある。卵が固まると、ふたつにおり、そっと皿へ移す。刻んだチャイブを上に散らす。そして勝利を確信して、愛する人の前に差し出す。
レイノルズは一言も言わずに、すべてを見つめる。そして一切れを口に入れる。降伏の瞬間だ。アルマに、陶然とするほどに素朴な料理に、ただのオムレツに潜んだ知られざる可能性に、レイノルズは身を委ねる。支配することを放棄する。
ふたりの関係は明らかに病的だ。だが私がこの映画を観る度に魅せられ、引き込まれるのは、力関係を逆転して支配を掌中にしようとするアルマが、素朴と言えるほどに単純な方法を考え出すことだ。レイノルズの紅茶には、指抜きに仕込んだ毒キノコの粉末をこっそり振りかける。料理は、とかく「女の仕事」とされる平凡な作業だ。アルマはそんな差別を秘かに利用する。シンプルなマッシュルームのオムレツで、結局自分は女なしには生きられないひとりの男に過ぎないことを、レイノルズに思い知らせる。最大の力を発揮するものは、往々にして、もっとも単純なものの中に潜んでいるのだ。
作り方:
無塩バター 大さじ2 (あるいは、もっと)ワイルド マッシュルーム(シャントレル、マイタケ、ヒラタケなど)卵 大2個 (溶きほぐす)塩コショウチャイブ (細かく刻む)
フライパンを中火にかけ、大さじ1のバターを溶かす。マッシュルームを加え、キツネ色になるまで炒めて塩で味を調える。残りのバターを入れて、溶けたら、溶きほぐした卵を注ぐ。塩コショウで味付けする。卵が固まったら、半分に折って、皿に移す。刻んだチャイブを散らす。
Zeba Blayは『HuffPost』のシニア カルチャー ライター。エッセー集『Carefree Black Girls』を2021年10月に出版予定

餅入りスープ「トックク」と『ヘウォンの恋愛日記』(2013年)
恋愛ごっこを終わりにして、料理に励み始めた自粛生活の最初の頃、私はホン・サンス(Hong Sang-soo)の『ヘウォンの恋愛日記』のことをよく考えた。チョン・ウンチェ(Jung Eung-Chae)が演じる若い韓国女性ヘウォンは、母がカナダへ行ってしまったあと、大学の教授との情事が残した厄介な破片のなかを危なっかしく進んでいく。旅立ちを前にしたヘウォンの母は「これから先、私たちの毎日は幸せな日ばかりよ」と言い、人生を楽しむように娘に助言するが、いくらも経たないうちにヘウォンは泣き崩れる。それが、母娘が一緒にいる最後のシーン、いつも私が泣かされる場面だ。
私が、韓国で暮らす母と離れ、太平洋に隔てられた地で暮らすようになってもう10年以上の年月が流れ、その間に数えきれないほどの「さようなら」を交わした。だけど、母が傍にいないという測り切れないほど深い痛みが、今年ほど身に染みたことはない。旅行はことさらに難しくなったから、私はこれまでになく台所に籠って、何であれ慣れ親しんだものを掻き集めて、不安の空洞を埋めようとする。
普通の年だったら、多分今頃は、韓国へ戻って休暇を過ごすことを考えていただろう。韓国で食べるものが頭に浮かぶ。母はいつもカムジャタンという豚の骨を煮込んだジャガイモ入りのスープを食べさせてくれる。空港で私を出迎えた後、そのまま私の大好きなレストランへ立ち寄ることも少なくない。大勢の人でごった返すソウル随一のショッピング街、明洞へ一緒に出かけたときは、必ず名物のカルグクスを食べる。ヘウォンとヘウォンの母が共にした最後の食事も、もしかしたらこの麵料理だったかもしれない。
ただし『ヘウォンの恋愛日記』を観て私が作りたくなったのは、このカルグクスではなくて、もっと簡単な私の好物トッククだ。『ヘウォンの恋愛日記』には出てこないが、私が実家へ帰ると、必ず母が作ってくれる。元来は旧正月を祝って食べるお餅入りのスープだけど、これを食べるとホッとするので、私は1年中いつでも歓迎だ。そこで数か月前、思い余って母にメッセージを送り、レシピを教えてもらった。ところが肝心のお餅が手に入らない。困って近くに住む韓国人の友人に頼ったら、彼女の母がわざわざ地元のアジア食品市場で買って、小包にして送ってくれた。ここのところ母には会えないでいるが、私は、ヘウォンみたいに孤独に追いやられる心配はない。
作り方:
鍋で牛肉とごま油を一緒に煮る。本当のレシピでは胸肉を使うが、私はアンガス ビーフの角切りで代用することが多い。次に、少量の醸造醤油と好みのだし汁を加える。普通の醤油ではなく、必ず醸造醤油を使用のこと! だし汁には、私はいつも煮干しを水出しする。薄切りにした餅を入れて、全部の材料を煮立てる。ちなみに、私の料理は計量知らずで、味見一本やり。次にみじん切りにしたニンニク、刻んだワケギを加え、卵を落とす。器に装い、コショウを振り、韓国海苔を散らす。
Kristen Yoonsoo Kimは韓国出身の評論家。現在はニューヨークを拠点とし、『The New York Times』で記事を執筆している。映画に見る食べ物をテーマに、Instagramで「Meals on Reels」を運用中

空想力と『フック』(1991年)
『フック』に、ロストボーイたちが見えない食べ物を貪り食べるなかで、ピーターひとりが空腹を抱えて食べ物を待っている場面がある。これは言うなれば、ひとつの事実を示すメタファーでもある。私たちは人との関係を感じ取れたときに人としての存在を獲得する、という事実だ。トランスジェンダーが体験する人間関係には必ず、そうした感応による存在の獲得が繰り返し織り込まれる。『ビロードのうさぎ』に、ウマのおもちゃが教えたように。
「ほんものというのはね、ながいあいだに子どもの本当の友だちになったおもちゃがなるものなのだ。ただあそぶだけではなく、こころから大切にだいじに思われたおもちゃは、ほんとうのものになる」
「それって、痛いの?」とうさぎは尋ねます。
「痛いこともある」と、いつもほんとうのことしか言わないウマのおもちゃは答えます。「ほんものになったら、痛くても構わないんだ」
「突然そうなるの? ネジを巻かれたみたいに?」と、うさぎは尋ねます。「それとも、ちょっとずつ?」
「いきなりそうなるわけじゃない」と、ウマのおもちゃは答えます。「何かになるには長い時間がかかる。だから、壊れやすいおもちゃや、トゲのあるものや、そっと扱わなければならないものは、なかなかほんものになれない。ほんものになる頃には、いっぱい撫でられて毛は抜けてるし、目は無くなってるし、手や足はぶらぶらで、すごくみすぼらしくなってるものだが、そんなことは全然平気なんだ。だって、ほんものになったら、醜いなんてありえないからね。醜いと思うのは、それがほんものだとわからない人間だけだ」
最後に、ピーターはあり余る食べ物を食べるところを想像し、それを信じることで空腹から解放される。何もない長いテーブルが、色とりどりのスープやハンバーガーや、それこそ想像しうる限りの食べ物で埋め尽くされるこの有名なシーンは、いくつかのムードボードにも出現したことがある。だけど私が素晴らしいと思うのは「本物にする」部分だ。見えざるものから想像へ跳躍して本物になれたとき、私たちは自分自身の存在を大きく広げる力を獲得したことになる。私たちは、他者を本物として見ることができたとき、自分もより一層本物に近付くのだ。
作り方:
目を閉じて、空っぽのテーブルを想像しよう。自分の家にあるテーブルでもいいし、野原の真ん中に置かれたテーブルでもいい。テーブルの表面をじっくり観察しよう。植物が風に揺れて、テーブルの角をかすめる。テーブルの上にひとつのバスケットが置かれたところを想像する。バスケットは1枚の布で覆われている。布の生地に触ってみよう。では、布の内側、布の下を見てみよう。何がある? あなたの好きなもの? 何か、あなたの知ってるもの? それとも、これまで一度も食べたことがないもの? 何であれ、今週はそれを作ってみる。
Spiral Theory Test Kitchenは、「エンジェル ライフ」を実践するクィアなフード プロジェクト。至福の周波数が、螺旋を描く私たちの生の歌を招き寄せる。STTKは、欲求と欲求の下に潜んだ欲求を通じ、疎外に立ち向かう性心理的物質としての食べ物に関わる。連帯して自己を分解し、この世のパラダイスと別世界のパラダイスを通じて、消失に対抗する。
STTKのメンバーは、Precious Okoyomon、Quori Theodor、Bobbi Menuez
- 文: Simran Hans、Mayukh Sen、Michael Koresky、Zeba Blay、Kristen Yoonsoo Kim、Spiral Theory Test Kitchen
- アートワーク: Alex Walker
- 翻訳: Atsuko Saisho、Yoriko Inoue
- Date: October 30, 2020