「BELLY 血の銃弾」ハイプ・ウィリアムズの逆タイム カプセル

時代を超えるスタイルを成就した監督デビュー作

  • 文: Adam Wray

いつの時代にも、その時代の本質をつかむ媒体、その時代の主題と社会構造的現実を小奇麗なパッケージとして包括する媒体がある。80年代と90年代はミュージック ビデオだった。ミュージック ビデオは、1981年にスタートしたMTVと共に、文化現象となった。好景気でナップスターもまだ登場していなかった90年代には、この表現形態を新たな創作領域へ進化させようと意気軒昂な若きディレクター群のおかげで、成熟期を迎えた。ハイプ・ウィリアムズ(Hype Williams)は、そんなディレクターのひとりだった。とりわけ多作だった90年代後期には、ミッシー・エリオット(Missy Elliot)、バスタ・ライムス(Busta Rhymes)、2パック(2Pac)、ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)といったラッパーのために豪華で創意に溢れたビデオを制作し、独自のスタイルを切り開いた。すなわち、エネルギッシュで、複雑で、大掛かり。この時期のウィリアムズは、ビッグなアイデアに見合うビッグな予算を獲得して、いかなる媒体であれ、プロジェクトにとって最高のシナリオを提出している。そもそも、バスタ・ライムスのビデオに象を登場させると要求できたディレクターは、ウィリアムズ以外に存在しない。

1990年に活躍した多くの仲間と同じく、ウィリアムズは音楽業界での成功を受けて長編映画へ乗り出し、1998年に「BELLY 血の銃弾」が公開された。子供の頃からの親友アンソニー・ボッデン(Anthony Bodden)と共同で執筆した「BELLY 血の銃弾」は、マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)やブライアン・デ・パルマ(Brian De Palma)のスタイルを踏襲したハイプ・ウィリアムズ版ギャング映画である。ラッパーのナズ(Nas)とDMXを主役に抜擢し、一緒に犯罪を犯したふたりが、それぞれ救済を得るまでに辿る過程を追いかける。批評家には酷評されたが、今なお注目に値する力強いデビュー監督作であり、撮影技術から衣装やストーリーの構成に至るまで、ウィリアムズは当時とその先を精確に捉えている。

ハイプ・ウィリアムズはキャリアを通じて、スタイリストのジューン・アンブローズ(June Ambrose)と仕事をしている。ミッシー・エリオットの「The Rain (Supa Dupa Fly)」でのゴミ袋スタイル、パフィー(Puffy)とメイス(Ma$e’s)の「Mo’ Money, Mo’ Problems」でのピカピカ スーツは、彼女にこそ賛辞を送るべきだ。もちろん「BELLY」のスタイリングにも指名された。「BELLY」の衣装はまさに90年代後期ラップ ファッションの象徴であり、今振り返ると、未来の兆候をも現わしている。映画の最初の数シーンで、ナズは日本ブランドEvisuの黒いレザーのズボンとそろいのジャケットを着ている。光沢のあるジャケットと表現派的な白いシェイプは、そのままJ.W. Andersonのランウェイに登場してもおかしくない。必ずしも、アンダーソン(Anderson)が90年代ストリートウェアにインスパイアされていると言ってるわけではない(仮にそうだとしても、間違いなく、影響を受けたデザイナーは彼ひとりではないだろう)。デザインを取り巻くストーリーではなく、デザインそのものへのアプローチへの賛成論である。デザイナーは、似たような結果にたどり着くまでに、それぞれの道を辿る。そして、それぞれにそれぞれなりの価値がある。「BELLY」はまた、ブランドにおいても着こなしにおいてもアメリカの感性が横溢し、Enyce、Ecko、Avirexなど登場する。いずれも今は影の薄いブランドかもしれないが、かつてはアメリカ発ストリートウェアの第一波で重要な役割りを演じ、ファッションのあらゆるレベルで支配力を発揮した遺産の一部である。

Shit is bugged out.

引用の使い方においても、「BELLY」は時代を先取りしていた。強盗がうまくいった後、ナズとDMXと仲間はDMXの豪奢で無機質な家へ戻る。DMX演じるキャラクターはデ・パルマの「スカーフェイス」を2、3回見たことがあるのかもしれない。ビリヤード台のフェルトに至るまですべて真っ白なインテリアに、黒い家具が配置されている。壁を占領しているのは、フランス人写真家ティエリー・ル・ゴウ(Thierry Le Gouès)の巨大なモノクロ写真。家に入ってすぐにつけたテレビは、ハーモニー・コリン(Harmony Korine)の映画「Gummo」を映し出す。わざわざ「Gummo」を登場させたのは、単にアート映画ファンへの連帯を示すためではない。このシーンの重要な部分なのだ。ナズは、その映画に戸惑いたじろぐ。DMXは一言「やったぜ」。「Gummo」がフル スクリーンに切り替わり、カメラはそこにしばらく留まる。少しの間、我々は別の映画を見る。今日のクリエイティブ作品は、引用を軸としてその周囲を回転しているように、絶えず流入する情報と圧倒的に多量のデジタル イメージは瞬間的なリアクションと延々と続く参照がすべてであるように感じられることがある。「Gummo」が初めて上映されたのは1997年、「BELLY」が公開されるほぼ1年前である。引用の直接性と即時性は著しく現代的であり、1990年代後期よりむしろ2016年の文化スピードにふさわしい。

15年後、ハーモニー・コリンは彼自身のギャング映画「Spring Breakers」で、ハイプ・ウィリアムズに返礼した。「Spring Breakers」には「BELLY」から借り受けたらしいシーンがふたつある。ひとつは、ブリトニー・スピアーズ(Britney Spears)のバラードをバックに展開するスロー モーションの強盗シーン。もうひとつは、ブラックライトを浴びたクライマックスの強奪シーン。ふたつを合わせると、Soul II Soulの「Back To Life (However Do You Want Me)」のアカペラが流れる中、ナイトクラブでの強盗で始まる「BELLY」の見事なオープニングになる。「BELLY」は完璧な映画ではないかもしれない。だが、表情豊かな照明からリズミカルな編集まで、ハイプ・ウィリアムズがミュージック ビデオで磨いた多彩なテクニックが可能にした完璧なシーンが、少なくともひとつある。時にインスピレーションはそれ自身へ回帰する。ハーモニー・コリンも同意するだろう。

  • 文: Adam Wray