W. デーヴィッド・ マークスと朝食を
米国生まれ、東京在住の執筆家と、トースト、コーヒー、ポップ カルチャーの分析を楽しむ
- インタビュー: Adam Wray

「こういう場所では、普通、新しいカフェをこんなイスやテーブルでは作らないよ」。私は執筆家デーヴィッド・マークス(W. David Marx)と向かい合って座っている。多くの観光客にとって東京の喧騒に満ちた未来性を象徴する、渋谷の有名なスクランブル交差点。そこから歩いて10分の静かなレストランだ。彼と会うにあたり、私が自分では決して行かないような場所を選んで欲しいと依頼してあった。そして選ばれた青山壱番館は、条件に適った場所だった。焦げ茶色の木とそれに調和する革を使った内装は、どことなくアールヌーヴォー。マークスによれば、この手のカフェは、タバコをくゆらしながらゆっくり新聞に目をとおす年輩の男性が主たる顧客とのこと。「2003年に東京に引っ越して来た当時は、いちばん新しくてブームのものばっかり躍起になって探したけど、今は、まだ残ってることが信じられないような、いちばん古いものを探すようになったよ。解体を免れている東京の過去の断片を見つけて、記録するんだ」。アメリカ人のマークスは、仕事の多くを日本におけるポップ カルチャーの研究に費やしてきた。昨年は、初の著作「Ametora: How Japan Saved American Style (アメトラ:日本がアメリカン スタイルを救った物語)」を上梓した。1950年代に人気を集めたプレッピーなアイビー リーグ スタイルから、1990年代に発生した裏原宿ストリートウェアの勃興まで、日本のファッション シーンのムーブメントを検証した、説得力のある文化史である。本書に挙げられたトレンドの俯瞰から、文化交流の複雑なパターンと消費者行動に関する的を得た洞察が浮かび上がる。

ハムとチーズを挟んだトースト、桃のゼリー、バナナ半分、ポテトチップス少量、そしてコーヒーという「今日のスペシャル モーニング セット」を食べながら、日本ファッションの経済学、観光が東京に与える影響、マークスが感じるトレンド力学の魅力を対話した。
アダム・レイ(Adam Wray)
W. デーヴィッド・ マークス(W. David Marx)
アダム・レイ:初めて東京に来たのは、卒業論文を書いていたときですね?
W. デーヴィッド・ マークス:いや、最初の来日は1998年。講談社でインターンをやったときなんだ。いろんな編集部に回されたけど、その中に「ホット ドッグ プレス」っていう「ポパイ」みたいなライフスタイル寄りの雑誌と、「チェックメイト」っていう純然たるファッション誌をやってる編集部があったんだ。どっちの雑誌ももうないけど。僕はファッションについてはまったく無知だった。南部でMTVを見ながら育って、アメリカが世界でいちばんクールだって信じてる、典型的に思い上がったアメリカ人だったよ。共産主義が崩壊したのは、誰でもマイケル・ジャクソンとブルー ジーンズが欲しいからだと思ってた! それが東京へやってきて、ファッション誌の世界に置かれて、「これは一体どこからやって来たんだ?」ってことになった。東京のストリートのスタイルは、アメリカのどこよりもずっとレベルが高かったんだ。
インターンで、どんな仕事をやってたんですか?
「ホットドッグ」にいたときは、何もやることがなかったから、バックナンバーを取り出して読んでた。そしたら「猿の惑星」の猿の顔がプリントされてるTシャツを見つけたんだ。ちょうどそのブランドが店を再オープンさせたばかりだって誰かが教えてくれたから、早速その日の午後に行ってみたら、ベルベットのロープを持って外で座ってる人がいて「もう入れないよ」って言うんだ。それがNowhere、A Bathing Apeの店だった。僕はそんなこと何も知らなかったし、当時は、日本国外であのブランドを知っている人はいなかった。また次の日に出直して、8月の暑い中、他の若い子たちといっしょに1時間並んで、ようやく店の中に入ると、またそこで1時間待ち。そのTシャツの販売方法というのが、棚にそれぞれのバージョンが1枚ずつ並んでて、そのどれかを選んで持って行くと、後ろから商品を取って来てくれる。だから、もしみんなが同じTシャツを選ぶときは、それがフロアに戻って来るまで待たなきゃいけない。Tシャツを持って帰ってくる店員はもみくちゃにされてたよ。非常に間抜けなシステムか、わざとペースを落とす優れた販売方法のどちらかだったね。店を出るまでに計3時間もかかった。1998年のアメリカに、それに匹敵するものはまったくなかった。竹下通りの向こうにはフリー マーケットがあって、前年のA Bathing ApeやGoodenoughのTシャツが「ビンテージ」扱い。前の年のバージョンに3万円の値段がついてたよ。3万円のTシャツなんて見たのは、その時が初めてだったね。背景を知らなかったら気違い沙汰だ。大学へ戻って教授にそのことを話したら、「君の論文はそれで決まりだね」って。だから講談社へ戻って、A Bathing Apeが存在した期間の「ホットドッグ」を全号読み返して、いろんな人に取材して、ブランドとして注目され始めた時期を割り出そうとしてみた。
その後、今度は日本の音楽業界について修士をやるために東京に来たんだ。だから、日本へ引っ越してきたのは2003年ということになるな。正直なところ、2003年に戻って来たとき、日本のファッションはそれほど面白い時期じゃなかった。ストリートウェアが終わりかけで、BAPEがアメリカでビッグになる前だった。

単にもう
若者がいない
つまり、日本ではもう終わっていたけど、ファレル(Pharrell)はまだ現れてなかった。
ファレル以前だったけど、彼はじきに現れた。N.E.R.D.が東京に来て、ステージの上にニゴー(Nigo)を引っ張り上げて、見てる方にはちょっと滑稽だったのを覚えてるよ。その後の5〜6年、日本のファッション雑誌はことごとくヨーロッパ一辺倒になった。メンズならDiorのタイトなブラック スーツ。ウィメンズは、金持ちの医者と結婚できる着こなし。僕は、自分に興味がある世界じゃなくて、実際に人気があるものについて書くようになった。ファッション トレンドのメカニズムを解明しようとしたんだ。2007年秋のトレンドはカラー タイツでね、まさにカラータイツ大流行!って感じ。僕が読んた雑誌は、例外なく、何でもカラー タイツを使ったスタイリングだった。店に行っても全部カラータイツ。2007年8月には街のどこにもカラー タイツなんて見当たらなかったのに、9月になると突如としてカラータイツばかりになる。
そういうメカニズムは、今でもありますか?
以前ほどじゃないけどね。そういうシステムに乗る人は少なくなったな。
一般的にただ、服を買う人が少なくなっている?
単にもう若者がいない。それに金もない。2000年頃から所得が下り坂なんだ。僕は2004年にブログを始めてから、日本が衰退して終末を迎えるとしか思えなくなった。僕の理論だと、日本のファッションや音楽があれほど素晴らしかったのは、末端に至るまで潤沢な資金が注がれたから。80年代のバブル経済が金の爆発だとしたら、90年代はセンスの爆発だった。そこから2000年代の消費トレンドを見ると、「うわ、もう誰も何も買ってない。一体どういうことなんだ?」って感じだったよ。表参道へ行っても「これじゃ無理だ。こんな調子じゃやっていけない」と思わずにはいられなかった。ひとつ僕が予測できなかったこと、僕の大きな誤算だったのは、外国人旅行者の増加。特にアジアからの旅行者が増えたおかげで、そういう場所が生き延びる資金が入ってきたんだ。もし日本人消費者だけだったら、難しいと思う。そうは言っても、デザイナー ファッションに興味を持っている人はとても多いから、そのうちの80%が消えたとしても、20%はどうにか生き延びてる。

それでもなお、感性が洗練されていて、商品が溢れている市場のように感じますが。
単に数の問題だよ。東京の人口は1,200万人。かなりの数だけど、それだけじゃ本当の東京じゃない。実際には、4,000万人以上が1時間以内に東京へやって来ることができる。だから週末に原宿へショッピングに行くとすると、4,000万人が同じことをできるということだ。たとえその1%の1%の1%でも、かなりの人数だよ。
その数字があれば、原宿のビンテージ ショップならまだやっていける。
それに、そういう人が出向く場所は集中してるから、全部の店舗を見てまわれる。消費者動向が望ましくない方向へ向かってるという限定的な状況に関しては僕は正しかったけど、グローバリゼーションによって存続できる可能性は見逃した。「今の東京のスタイルは?」って聞かれるけど、ちょっと難しいね。以前なら、渋谷や原宿へ行って、通りを歩いて「これがそうです」って言えたけど、今は観光客がいっぱいで、「これが東京のスタイルです」とは言えなくなったよ。
あなたが引っ越して来てから、ファッション以外で、東京はどう変わりましたか?
ここ5年、観光客が増加して、何もかも大きく変わったね。でも、腹を立てるわけにはいかないよ。東京はまだまだ観光不足だ。世界の大都市のひとつなんだから、観光客がいて当然なんだ。ヨーロッパの大都市はどこも観光客で溢れてるけど、東京には今までそういうことはなかった。渋谷のスクランブル交差点は、TsutayaへレンタルCDを返しに行くときに通るだけの場所だったけど、今やランドマークだ。いつだってみんながGoProなんかで撮影してるから、通り抜けるのも一苦労だ。
みんながセルフィーを撮っているから、お互いにぶつかってますよね。
こうなるまでに長い時間がかかったというのが、ある意味、面白いね。観光を残念に思うわけじゃないけど、街の空気は本当に変わっちゃったよ。
ビジネスに対する姿勢も変わりますね。
英語のメニューがこんなに増えたのも、かつてなかったことだよ。日本は金の流入が必要だし、観光で助かってる。良いことだ。僕が引っ越して来た当初は、半年にひとりぐらいの割合で知り合いが東京に来てたけど、今は毎週3人位来る。その全員が、聞いたこともない場所に泊まって、聞いたこともない高級レストランで食事するんだ。

差異化/同調化の
法則を拡大すると、
ポップ カルチャーの
仕組みも説明できる
友達に東京観光のアドバイスを尋ねると、何百件もお薦めが集まる。
みんなインターネットで調べて観光予定を組んでるけど、ここに住んでいる人間には馴染みのないところばっかり。だって東京に住んでいたら、毎晩1万円の和牛を食べるわけじゃないからね。僕の行きつけは、観光客の気をひきそうもない場所ばかりだな。新しい東京というより、古い東京。サード ウェーブ コーヒーでも飲み屋でもそうだけど、他の大都市の市街地と比べて、新しい東京はジェネリックなものが多い。東京は、常に、新しいものに作り変える。一種のステレオタイプ。「日本人は新しいもの好き」みたいな。伊勢神宮が有名なのは20年毎に建て替えるからだけど、それが日本文化の重要なメタファーになってるんだ。だけど東京と伊勢神宮は違うんだ。伊勢神宮の場合、20年毎にまったく同じものを作り直すから、何千年も前と変わらず美しい。それに対して東京は、何でも20年毎に取り壊して、見苦しくて新しいものに置き換える。だから古いものが残らないようになってるんだ。僕は、取り残されたもの、インターネットで検索できない場所を見つけたいんだ。
今、執筆中の新しい本について少し教えてください。
ポップ カルチャーの一般理論を説明して、消費者が購入する商品を決めるときの基本原則と消費者の決定が集合してトレンドが生じる流れを、段階を追って検証するつもりなんだ。ドイツの社会学者ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel)が早くから解明していたのは、人との違いを表すためだけじゃなくて、自分がなりたいと思う人と同じになるために、ファッションが機能すること。ジンメルの時代には、ファッションは社会経済的な階級と結びついていたんだ。上流階級は中流階級とは同じに見られたくないから、自分たちのスタイルが中流階級に模倣されたら、新しいスタイルを見つける必要があった。そうやっていつも新しいスタイルを追いかけて、果てしないサイクルが生じた。現代では、ファッションが関連するのは単に階級だけじゃない。その上、幅がある。すごく模倣的な人もいれば、すごく個性的な人もいるけど、全員がその振れ幅のどこかに存在してる。そういう差異化/同調化の法則を拡大すると、ポップ カルチャーの仕組みも説明できるんだ。僕がやろうとしてるのは、それを使って、あらゆる法則を系統的に説明すること。数学の証明のパロディみたいだけど。
トレンドの物理学ですね。
人は一生懸命他人と違うようになろうとするから、次のスタイルの方向性が予測できるんだ。完璧には予測できないけど、大まかには予測できる。次に流行るものは、その前にあったものではありえないし、もうひとつその前にあったものでもない。トム・ヴァンダービルト(Tom Vanderbilt)の「You May Also Like」という本は、似たようなテーマなんだ。その本の最後で、ヴァンダービルトは「好みは全く予想不可能で、ただでたらめで、株式相場みたいなもんだ」と言ってる。でも、株式相場には方向性がある。長期に値上がりするのであって、毎日毎日値上がりするわけじゃない。トレンドにも方向性がある。前に起こったものに制限されるから。
それに リバイバルもある。リバイバルは、明確で規則的なパターンの現象だ。80年代の後半にはヒッピーのリバイバルがあった。70年代中旬には50年代が舞台の「グリース」がヒットした。規則性があるんだ。

20年毎のサイクルで、すべてが年表を下っていくということですね。
そう。それは不思議でもないんだ。特定のスタイルが際立った存在としてシステムの中に入る、やがてメインストリームになる、トレンドなんて気にしていない人までもそのスタイルをするようになる、最終的にそのスタイルは消滅する、あるいは、あまりにアンファッショナブルなせいで、再び際立ったスタイルになる。この流れは、通常、15年、20年、25年程度で進行する。タック パンツだって、そうだよ。またタック パンツが流行っているのは、今タック パンツを履いても、Jos A. Bankを履いてた60歳と混同されることはないからね。
Vetementsにもタック パンツがありますから。
今のファッションがとてもゆったりした仕立てなのは、前の流行がタイトだったから。何年か前は、タイトな服が平凡なダサい人たちと差異化できる際立ったスタイルだったけど、最後は、ファッションを気にしない人たちまでタイトなシャツを着るようになってしまった。
Diorでエディがタイトなスーツをデザインして、それをThom Browneがもっと縮めて、今は普通の人が丈の短いズボンを履いている。
Thom Browneが誰かも知らない人までそういうスタイルをするようになったら、雑誌はもうそれ以上売り込めないからね。今でもあるからって、エディ・スリマン(Hedi Slimane)のスーツに戻ることはできない。タイトがダメなら、大きくなるしかないんだ。
服を着る方法は限られてるということですね。
新しいゆったりしたスタイルを初めて見たときは、滑稽に見えるんだ。実際にそんな服を着てる人は、まだいないわけだから。でも、ゆったりスタイルの服を作るブランドが増えていくと、そういう服を着る人の数も増えて、だんだん抵抗なく着られるようになって、それがトレンドになる。そうすると、今度は対称的なものが現れてくる。ロラン・バルト(Roland Barthes)が言ってるとおり、50年代や60年代だって、長髪が流行した理由は、ジェンダーに対する考え方が変化したからじゃない。それまでショート ヘアが流行だったから、今度は長髪が流行になったんだ。
ひとつ変化しつつあるのは、インターネットの影響。僕たちが何かを決定しても、必ず僕たちより先に同じ決定をした人がいたことを、はるかに短時間で知ってしまう。事実、そのせいで、トレンドのスピードが遅くなってるんだ。他の誰かがもうやってると知ってたら、同じことをする気にはあまりならないからね。自分が特別な存在になるためにやろうとしていることを、他のみんなもやってることに気付いた瞬間、決断を迫られる。そのトレンドに仲間入りするかどうか。以前なら、トレンドに仲間入りしつつ、同時に、自分はそれとは別の個人なんだって考えることもできたけど、今はそういうプロセスがインターネットで暴露されてしまうから、ある意味で、文化はかなり保守的になりつつあるんだ。
- インタビュー: Adam Wray