キャシー・パク・ホンとアジア系アメリカ人の鬱屈
ねじ曲げた不完全な英語で、詩人は世界に向かって叫ぶ
- インタビュー: Thessaly La Force
- 写真: Heather Sten

詩人でありライターでもあるキャシー・パク・ホン(Cathy Park Hong)との対談を控えて、私は神経質になっていた。冬の朝、ブルックリンのアパートにホンを訪ねたのは、One World社から出版された新著『Minor Feelings: An Asian American Reckoning』について話を聞くためだ。同書は、今日の米国社会でアジア系アメリカ人であることの複雑さと、自分が属する人種とホン自身の関係を見据える。知性と感情の両方を揺さぶる、注目の1冊だ。同時に、私自身の深い部分に触れる内容でもあった。私には中国人の血が半分流れているのだが、往々にして、アジア人の部分が隠されたり蔑ろにされたりするのを感じていたからだ。私自身がそうするだけでなく、白人や他のアジア系アメリカ人もそうした。『Minor Feelings』によって、私のその部分が明るみへ引きずり出される気がした。私に大きく関わる真実を明確な言葉に置き換えた人物に対して、一体どう向き合えばいいのだろう?

『Minor Feelings』は、「見えない存在」と「消し去られる存在」というふたつの概念を行き来し、カルチャーの折々を取り出して考察する。そして巧みな感性でアート、歴史、私的な記憶、と話題は移っていく。2017年にデイビッド・ダオ(David Dao)がユナイテッド航空機から強制的に降機させられたときの動画や、オーバリン大学時代、ロサンゼルスの韓国人家庭で成長した子供時代など、さまざまな出来事に触れる。『Translating Mo’um』(2002年)、『Dance Dance Revolution』(2007年)、『Engine Empire』(2012年)という3冊の詩集で高く評価されているホンは、詩人としての創作と、—彼女自身が呼ぶところの—「下手な英語」へのこだわりについても書いている。『Minor Feelings』には、こんな一節がある。「私は、不完全な英語で共通の叫びを上げる作家たちの種族に属する。英語を乗っ取り、捉えにくい言語へとねじ曲げることで、英語をぶち壊し、振り回し、叩き切り、意味不明にし、別のものに変えてしまう作家たちだ」。多くの人にとってこの本が必読の書となり、いとも簡単に退けられ、否定され、沈黙させられる「一抹の感情」が力と情熱に溢れた声を得て、明瞭に主張し始めることを願わずにはいられない。
テッサリー・ラ・フォース(Thessaly La Force)
キャシー・パク・ホン(Cathy Park Hong)
テッサリー・ラ・フォース:『Minor Feelings』というエッセイを書くことで、詩では十分に書けないことを表現できましたか?
キャシー・パク・ホン:遠回りしたのよ。私、最初から詩だけをやってきたわけじゃないの。20代にはジャーナリズムをやってたし、ノンフィクションに戻りたいといつも思ってた。だけどある時点で、ジャーナリズムか詩か、どちらかに決めることにしたの。その頃、ジャーナリズム関係の友人はみんな一時解雇されて、大変そうだったから、詩のほうが良さそうだと思って。
いつのことですか?
2000年代の初め。詩の魅力に取り憑かれたのは、アイオワの大学院へ入ってから。でもこの本を書くにあたっては、たくさんの変化があったわ。子供が生まれて、母親になった途端、自由になる時間が少なくなったし。私の場合、詩を書くのはちょっとばかり根気のいる作業なの。ほとんど、飽きるまで書かなくちゃダメ。新しい詩集のたびに新しい車輪から作り始める。言語を、世界を作りたいから 。
それから、この本が生まれるきっかけのひとつとしては、リチャード・プライヤー(Richard Pryor)のショーを観続けたこと。目が離せなかった。私、人種について、率直に正直に書けたことは一度もないの。アジア系アメリカ人のひとりとしてそれをやりたかったのは、アジア系アメリカ人の語り口はたくさんあるけれど、そのどれにも私は共感できなかったから。人種について正直に書いて、なおかつ、リチャード・プライヤーのスタンダップ コメディみたいに実感があって、強烈で、リアルであるにはどうすればいいんだろうって考えた。すぐにエッセイを思いついたわけじゃなくて、詩を書いてみたけど、ダメ。フィクションを試してみたけど、ダメ。エッセイは、色々な知識体系や色々な分野を内包できる形態だわ。「叙情的エッセイ」という言葉は大嫌いだけど、エッセイは詩にも、ジャーナリズムにも、回顧録にも、理論書にもなれる。
どうしてコメディの語りは成功するのでしょうね?
コメディって、いわば論争でしょ? 全部のコメディがそうではないけど、リチャード・プライヤーやレニー・ブルース(Lenny Bruce)やアリ・ウォン(Ali Wong)がやってるようなコメディは、明確な主張よ。核心にある真実を指差してるけど、真実をそのまま投げつけたのでは誰も耳を貸さないことを知ってる。トミー・ピコ(Tommy Pico)は、コメディをトロイの木馬にするんだと言ってるわ。確かに、ジョークの落ちには驚きの要素があるものね。論争としてのコメディは、直面することが不快な真実を、笑いに包んで納得させる方法なのよ。


詩の朗読で漫談風のパフォーマンスをやり始めた経緯を書いていますね。あれは、詩に対するレジスタンスの行為だったのですか?
私はマゾヒストだけど、そこまでじゃないわ。そう、8年から10年くらい前の詩の朗読は、今とかなり違ってたの。詩が宗教みたいに崇拝されて、まだすごく白人中心の世界だった。詩人のジュリアナ・スパー(Juliana Spahr)もそのことを書いてるけど、とにかく独善的だったわ。敢えて人種に触れない習わしだったけど、それでも微弱な敵意を私は体験したし、それをバラバラに吹き飛ばしたい気持だったの。建設的な刺激や帰属感じゃなくて、疎外を感じてたから、スタンダップ コメディをやり始めた。「前衛における白人であることの妄想」というタイトルでエッセイも書いた。これも、『Minor Feelings』を生んだ種のひとつね。
この国ではアジア系アメリカ人の姿が「見えない」ということも、『Minor Feelings』のおおきなテーマのひとつですね。「アジア人には存在感がない。アジア人は弁解がましい場所に身を置く。本物のマイノリティとみなされる存在感さえ、私たちは持っていない」という一節があります。そういう「見えない存在」を最初に意識したのはいつですか? それを明確な言葉に置き換えることができたきっかけは?
小さい子供の頃から感じてたわ。とてもとても孤独な体験だった。私が言う「一抹の感情」は、自分の体験が誰にも正当に認識されなかったり、自分にとっての現実が疑問視されるときに生まれるの。言葉では言えないけど、自分にはどこかおかしいところがあるみたいな気がする。大衆文化のなかに自分の顔がまったく見当たらない気持ちを、白人は本当には理解できないでしょうね。でも私が語りたかったのは、人種という社会集団だけじゃなかった。もっと心理的な側面から語りたかったの。私たちがこの国の一部とみなされないのは、どうしてか? 国民の対話に私たちの場がないのは、どうしてなのか?
オーバリン大学で政治やアートに取り組んでる人たちと友達になって、そういう仲間のおかげで、存在感の欠如を表現する語彙を持つことができた。ミョン・ミ・キム(Myung Mi Kim)とか、アヌ・ニーダム(Anu Needham)とか、ジョニー・コールマン(Johnny Coleman)とか、白人でない素晴らしい教授陣もいた。「社会正義の行き過ぎ」なんて一部の出来事みたいに思われるけど、本当は常に念頭に置かなきゃいけないことよ。でないとすぐに昔に逆戻りして、人種は大した問題じゃないと言い出すようになる。人種は問題であることを思い出す必要があるの。娘が生まれるまで、私はアウトサイダーだと思ってた。実験詩をやりながら、端っこから内側を覗くことに満足してた。でも母親になって、人種の意識について考えなきゃいけないとひしひし感じるようになったの。母親は役割モデルだし、家族の中で力を持つ存在でしょ。そういう権力をどう行使するのか? 娘が成長したときに、人種はどういう状況になっているのか? 娘は、自分が白人だと思うようになるのか? アジア系アメリカ人は今でも見えざる存在だわ。自分たちをどう考えればいいのか、私たちはまだわからないまま。
もちろん、ジェイムズ・ボールドウィン(James Baldwin)やフランツ・ファノン(Frantz Fanon)やベル・フックス(bell hooks)みたいな作家の本も読んだわ。そこから、アジア系アメリカ人についての考える手掛かりを掴んだの。アジア系アメリカ人のお手本はなかなか見つからなかったから、手に入るものを参考にするしかなくて、簡単にはいかなかった。とは言っても、小説にも詩にもアジア系アメリカ人の素晴らしい作家たちがいるし、とても優秀な学者もたくさんいるのよ。こういう人たちを、どう定義すればいいのかしらね?

ショーン・ウォン(Shawn Wong)、ジェフリー・ポール・チャン(Jeffrey Paul Chan)、ローソン・フサオ・イナダ(Lawson Fusao Inada)、フランク・チン(Frank Chin)などが、優れた作品を残していますよね。70年代後半から80年代にかけては、すごくパワフルで急進的なアジア系アメリカ人のマガジンもあった。
そうなの。日系3世のジャニス・ミリキタニ(Janice Mirikitani)は、詩人であり、活動家でもあった。
あなたがボールドウィンやその他の作家の名前を挙げたのは、重要な点ですね。日系アメリカ人のライターだったヒサエ・ヤマモト(Hisaye Yamamoto)が、『ロサンゼルス トリビューン』時代のことを書いています。あの新聞は黒人読者が対象だったのですが、彼女は戦時中に日系アメリカ人強制収容所で不当な扱いを体験したために、黒人が体験している不正を理解することができた。そして、戦後、『ロサンゼルス トリビューン』で働くようになった。あなたが、ボールドウィンや、ベル・フックや、黒人のアイデンティティを問う文学からアジア系アメリカ人の体験を理解できたのと、共通するところがありますね。でも反対の現象にも気づかされます。つまり、アジア系アメリカ人は、アメリカにおける人種紛争に利用されることです。例えば、ハーバード大学のアジア系アメリカ人学生入試差別に対する是正措置。
いつまで経っても、毎度毎度、人種の同じ構図が繰り返される。『Minor Feelings』は、そういう思い込みを変えるためのインタベンションだった。私は事実をはっきり確認する必要があったの。黒人以外の有色作家は、黒人知識層の観点にしたがって人種を考えてると思う。ずっとそう。市民権運動もそうだったけど、W. E. B. デュボイス(W. E. B. Dubois)以後は、それがアメリカ国内から世界へ広がった。社会的に無視された人たちが自分たちの社会経済的な立場を考えるときも、黒人インテリ層と同じ視点に立つ。フランツ・ファノンは、黒人に限らず、祖国から離れて生きるとても多くの人に影響を及ぼしたし、私自身もファノンを手掛かりにして、アジア系アメリカ人の意識は一体どんなものか、あるいはそれ以前にアジア系アメリカ人としての意識が存在するのか、体系的に捉えようとした。それは本当のことだし、黒人思想の流れを理解することはとても大切だけど、アジア系アメリカ人の体験を黒人の体験と一括りにはしたくないのよね。
あの本で指摘したかったのは、説明するのがいちばん難しかったことのひとつでもあるし、完全に成功したかどうかもわからないけど、私たちと黒人は、同じマイノリティでも、位置付けが違うことなの。アジア人はアフリカ系アメリカ人を悪者にする模範的なマイノリティとして利用されるし、都合がいい場合は、白人の側に立つ隣人だとおだてられる。アジア系アメリカ人の抗議を耳にするのは、例のハーバードの差別是正措置反対のようなものだけ。実際にはアジア人の大多数が賛成で、黒人を含めた少数派の優遇撤廃にも繋がるという理由で措置に反対したのはごく一部だったけどね。社会階級、反黒人主義、有色人種内でのカラリズムに関連して、アフリカ系、アジア系、ラテン系の人種間対立を取り上げることも重要だと思う。もし2050年に本当にマイノリティとマジョリティが反転したら、どうなるのかしら? そういうことも考えながら、『Minor Feelings』を書いたの。アジア系アメリカ人のアイデンティティは白人になるのかしらね?
1869年に、大陸横断鉄道の建設を記念して、A・J・ラッセル(A. J. Russell)が撮影したとされる写真を取り上げていますね。中国移民なしにアメリカのインフラ建設は不可能だったのに、その写真には中国移民がひとりも写っていない。アメリカを語る歴史には含まれていない。
ええ、歴史の一部じゃないの。この歳になって、しかも長年教える立場にありながら、すごく基本的なことなのに私がまったく知らなかった事実が、アメリカ史にはたくさんあるわ。そういう情報は、簡単に見たり聞いたりできる場所にはない。最初のアジア系アメリカ人が1500年代のフィリピン人だったのも知らなかった。史実なのに、とてもぼんやりかすんでる。

韓国系アメリカ人アーティストだったテレサ・ハッキョン・チャ(Theresa Hak Kyung Cha)について書かれた「あるアーティストの肖像」は、私の好きなエッセイのひとつです。彼女は31歳の1982年、小説『ディクテ』が出版された1週間後に、残酷なレイプ殺人の犠牲者になったんですね。
彼女のことを知ったのは大学時代で、早い時期に影響を受けたわ。あんなライター、あんなアーティストになりたいと思った。すごく尊敬したのは、正統な分野で革新を実践しただけじゃなくて、作品の主題が政治的にとても過激だったことなの。正確な引用じゃないけど、彼女を指導した人の言葉を借りるなら、「ただひとつの手法で彼女の体験を捉えることはできなかった。だから彼女は、すべての手法を使わざるを得なかった」。映像、パフォーマンス、詩、回顧録…、ありとあらゆる手法を使った。クロスオーバーがもてはやされる以前のことよ。彼女の英語の使い方にも刺激されたわ。『ディクテ』は読んだ?
読むつもりですけど、まだ。あなたの本を読んで、すぐに買いました。
白人読者に対して、彼女はまったく悪びれずに自分を提示してみせた。『ディクテ』は難解だという人も多いけど、耳障りでわかりにくいのは意図的なものだわ。韓国の歴史と植民地時代の歴史も書いてるけど、わざわざ脚注で説明したりしない。理解できるかできないかは、読む人の問題よ。
彼女の生と死を考えると、アート評論家のバーバラ・ローズ(Barbara Rose)が言ったことを思い出します。若くして死んだ女性アーティストが悼まれるのは、実現しないままに終わった可能性を象徴しているから。シルヴィア・プラス(Sylvia Plaths)やフランチェスカ・ウッドマン(Francesca Woodman)の作品に登場する女性たちは、体制的な性差別や結婚や母としての役割のせいで、決して実現できないことのシンボルになる。もちろん、こういう象徴の大半は白人の女性アーティストですけど、確かにローズの言うとおり、マリアン・ムーア(Marianne Moore)のように、生涯にわたって豊かなキャリアを築いた世馴れた女性は賛美されません。
そのとおりね。
アーティストとしてもライターとしても、より大きな評価を目前に人生が終わった、可能性が実現されないままに失われた点で、チャはそういう象徴の型にあてはまると思いますか?
シルヴィア・プラスに限らず、若い女性はフェティシズムの対象だわ。アナ・メンディエタ(Ana Mendieta)もそう。非業の死を遂げた歳若き女性。作品より悲劇のほうが有名になることもある。でも、私たちが失われた可能性を惜しむのは本当だわ。若さと美しさへの執着でもある。だけどテレサ・ハッキョン・チャは、そういう分類にぴたりとはあてはまらない。 先ず何より、悲劇のせいで美化や執着や崇拝の的になる女性の仲間には入らないもの。アジア人なんだから。
彼女の死の状況を書くにあたっては、ずいぶん葛藤が表れていますね。
私は彼女の作品を尊重したかったし、何よりも著作を優先するつもりでいたわ。だけど、彼女の死が無視されてることがとても気になったの。どの批評家もレイプと殺人に口を閉ざすのは、なぜなの? どうして? 一方で、チャの事件について書くのも、有色女性に対する性暴力の記述に特有の語り口になる気がして、居心地が悪かった。被害者が有色女性の場合は、白人女性の場合ほど、大衆に共有されないのよ。事件が起きたのは80年代だったし、確かにニューヨークには暴力が蔓延してたけど、彼女の友人のサンディ・フリッターマン(Sandy Flitterman)が言ったように、チャがアッパーウェストサイド出身の白人女性だったら、あらゆるニュースで報道されたはずなの。2年後にセントラルパークでジョギング中の女性が襲われる事件があったときは、沈黙の種類の違いを検証したいと思ったわ。ともかく、彼女の生と人間性を十分に書けたことを願うわ。アーティストとしての成長、ニューヨークで成功を目指したこと、そして苦闘した生き様、彼女自身の暴力的な韓国の歴史。あのエッセイはアーティストの肖像であり、消し去られたアーティストの肖像よ。
Thessaly La Forceは、ライターであり、『T: The New York Styles Magazine』のフィーチャー ディレクター
- インタビュー: Thessaly La Force
- 写真: Heather Sten
- ヘア & メイク: Mimi Quiquine
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: March 11, 2020