未来のために闘うセリーヌとイスラ
今もっとも注目の女性アクティビストが未来と希望を語る
- 写真: Heather Sten

この記事は、「環境と共存するファッション」特集の一環として書かれたものです。
「人は、サステナビリティとは環境に優しいということだと思ってる。なんとなく地球にとって良いものだと思ってるのね」とセリーヌ・セマーン(Céline Semaan)は言う。「でも、私が思うに、サステナビリティは『地球に優しい』と『人に優しい』が交差するところにあるのよ」。セマーンもイスラ・ヒルシ(Isra Hirsi)も、この信念を自分たちの活動の中心に据えている。そして、ソーシャルメディアを使って、情報を拡散し、意見の数々を広め、熱心な人々を集めて現実世界で行動を起こしている。セマーンとヒルシは世代こそ異なるものの、ふたりとも、言うべきことがたくさんあり、なすべきことはそれ以上にある。彼女らは、環境保護と人権のために活動するアクティビストに人生を捧げている。36歳のセマーンはこの分野のエキスパートで、サステナブル ファッションの研究所、Slow Factoryの創設者であり、国連と提携して、サステナビリティのリテラシーに関する一連の会議、Study Hallも立ち上げた。16歳のヒルシは、若者によるアクティビズム ムーブメントの代表的な組織、「US Youth Climate Strike」の共同最高責任者であり、ミネソタの女性下院議員、イルハン・オマル(IIhan Omar)の娘だ。活動を通して、セマーンもヒルシも持続的で大規模な変化を起こすことを目指しているが、このアテンション エコノミーの時代、人々に関心を持ってもらい、有意義で着実な行動を起こしてもらうには、どうすればいいのだろうか。「正直言って、そもそもこの国で希望を持ち続けるのはとても難しいわ。でも希望がなければ、とても悲しい状況で生きていかないといけなくなる」とヒルシは言う。「自分のやっている活動や、問題に対して人に関心を持ってもらうことで、希望が持てるようになるのよ。だって、あなたは何かをしようと努力しているのだから。まもなく破滅してしまうものに対して闘っているのだから」
今回SSENSEは、ニューヨークを拠点にするセマーンに、ミネソタの自宅にいるヒルシに電話をかけてもらい、横断的な環境主義の重要性から、刺激になっていること、困難でもやりがいのあること、2019年のアクティビズムについて議論してもらった。
セリーヌ・セマーン(Céline Semaan)
イスラ・ヒルシ(Isra Hirsi)
セリーヌ・セマーン:活動家や人権活動家として声を上げようと思ったきっかけは?
イスラ・ヒルシ:私はいつも自分のことを、いろいろな問題を気にする人間だと考えてきたの。ほんのまだ幼いときから抗議デモに参加していたし、子どもの頃から常に社会意識は高かった。学校の環境活動グループに参加する機会があって、これは自分にとってとても重要なことだと気がついたの。そこから、市、州、そして国の組織と階段を駆け上ることができた。学べば学ぶほど、もっと関心は深まったわ。
私もかなり若い頃から活動していたの。戦争の後、逃れていたレバノンに戻ったとき、私は13歳だった。環境と人権の両方で、戦争が私の国にもたらした犠牲を目の当たりにした。だから当時行われていた侵略に抗議をして、対抗する組織を作ったの。環境も人権もひとつの大きな議論であり、別々の問題ではない。でもアメリカのメディアでは、いつも、ふたつのうちどちらかでしかない。人権問題と環境問題が、ほとんど交わるところがないの。
皆、気候危機は独立したひとつの問題だと考えてる。でも実際は、ほとんどすべてに影響を与える、巨大で包括的な問題なのよ。それを否定するのは、あまり時間が残されていないという事実を見たくなかったり、家族や自分の健康や生活の質にどれほどの影響があるのかを考えたくなかったりするからよ。人ってかなり頑固だし、この問題以外にもっと重要なものがあるとか、怖いからその問題については話したくないと思って、そういうことになるんでしょうね。
私は80年代に子供時代を過ごしたんだけど、当時は皆が否定していた。不安を煽りすぎるからと、陰謀論者だとか言って、科学者の名誉毀損もさかんに行われていた。彼らの予測をあざ笑うような空気が世の中にあった。
それは主に、先進国には関係のない話だからよ。真っ先に影響を受けるのは開発途上国で、メインストリームのメディアにはけっして登場しないような国々だから。例えば、スーダンでは人が殺され、レイプされているのに、メディアでは何も取り上げられない。情報規制がある。マスメディアは植民地帝国の延長線上にあるものだから、気候変動に影響を受けているコミュニティのことは除外するのよ。
あなたは環境問題に関わる人種差別についてさかんに話しているけど、その点についてはどう思う?
隠れた問題ね。メディアが伝えないから、誰も話題にしない。あなたが言う通り、そうした国の多くは関心をもたれない上に、いつも被害を受ける側なの。私の家族はソマリア出身で、そこでは今かなり厳しい干ばつに見舞われて水がない状態が続いている。モザンビーク、インド、バングラデシュにはサイクロンがある。自分たちの国の中でさえ、現在進行形の問題であるには、どの頻度で問題を目にするかにかかっている。カリフォルニアは素敵な都市でセレブリティに被害が出るから話題になるけど、プエルトリコのハリケーン被害や電気がまだ完全に回復していないことについては話さない。テキサス、アラバマ、フロリダのコミュニティが過去2年間に受けたハリケーンで、今なお、どれほど厳しい状況にあるかも話さない。ある特定のグループが受けた被害を話題にする方が簡単なの。そっちの方が人は気にかけるから。


「中東の人たちを手助けするにはどうしたらいい?」とか「アフリカの人たちに手を差し伸べるにはどうすればいい?」というのを、よく耳にする。でもむしろ、どうすれば自分のいる場所に目を向けられるか、自分の地域で何ができるかを問うべきよね。こういう問題について発言したり、サステナビリティについて書いたりすると、それを読む人は植民地主義について理解せざるをえないのだけど、私はしょっちゅう厄介者だとか問題発言だとか注意を受ける。その問題に目を向けるのではなく、問題について話す私が批難されるの。そういうことは、あなたにもない?
私は、問題について話すせいで批難されることはないかな。というのも、「イスラはインターセクショナリティ(複合差別)の人だから。彼女は環境人種差別問題に取り組んでいる人なのよ」って感じで、単に私が他のストライキする人とは違うと見られているせいだと思う。私がそう呼ばれるのは、この分野が白人だけのものではないことを自覚させ、現に白人だけにならないようにしてきたからね。だから、それについて憤慨している人たちというより、むしろ白人の救世主への称賛なんだと思う。「イスラがやっているから、私はやらなくてもいい。もう私の仕事じゃない」って。それが問題だと認識していても、何もしたくない。何十年、何世紀にもわたってこの活動をしてきた世界中の原住民のことは誰も話さない。ストライキに参加する生徒たちには、毎週金曜日に学校を休める特権と力があるってことよ。でも、これは誰もが持っているわけではない。多くの人は、毎週金曜日に州都や市役所にまで行ったりできないものよ。そのための足がないから。私たちが解体しようとしない限りは、いつもこの特権的な立場になってしまう。
そのことについては私もしょっちゅう話してきたけど、私の場合は制裁を受けるわ。私はもう若者ではないから。言うなれば、若いお年寄りになりつつある気がするの。決定権を持つ人や政策を立案するような人たちと仕事をしているけれど、運動の限界に達したように感じる。
私の中でアクティビズムは、もう変化を促すための道具ではなくなってる。私は地球規模で意識啓発を図っているかもしれないけど、変化を生み出す仕組みには入っていない。最近、アクティビズムの限界について書いたのだけど、2016年の選挙以降、アクティビズムに関わる人が多すぎる。それまで、アクティビズムというのは物議を醸すもので、活動家はトラブルメーカーだっだ。それが今や職業よ。かなりの数のインフルエンサーがアクティビズムへと方向転換したし。
学校とアクティビズムを両立させて、変化を促すというのは、どういう感じ?
私はずっと自分の役割を果たそうとしてきたけど、2018年に機会を得るまでは、いわゆる「アクティビスト」ではなかったんじゃないかな。でも、私はいつもまとめ役だったし、アクティビスト的なことはしてた。小学校、中学校と「社会正義の戦士っぽい」人として知られていたのよ。だって、それがありのままの私だから。でもアクティビストとは、ちょっと違ってた。
気候危機を訴えるストライキをやる前、私は、誰もが面白がって鬱陶しがる、ただの口やかましい人間だったの。常に気候のことを話してたし、いつも問題提起したり、誰かを批難したりしていたわ。でも、その後、事態が大きくなっていって、誰もがメディアを通してグレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)や気候危機のストライキのことを知るようになって、学校や私のいる場所で、私への注目が高まった。

私は国連と提携して「Study Hall」という、サステナビリティのリテラシーに関する一連の会議を開いているんだけど、そのひとつとして「責任者は誰か? 消費者か、それとも企業か?」という討論会があったの。というのも、私は、多くの人が商品を購入することで意思表示しようとか、ヴィーガンの方がいいとか、プラスチックのストローを使うなとか言うのを見ていたから。でもそれは、ひとつの集団として社会に目を向けたり、今起きていることに責任を負う巨大な実体である企業に目を向けたりするのではなく、個人レベルの解決策に焦点を絞っているということよ。市民に責任を押しつけていては、システム全体を変えることはできない。今の体制は企業によって作られ、企業は今もそこから利益を得ている。となると問題は、私たちは、どうすればそのレベルで変化を起こせるのか、どうすれば、こうした体制を変えて、循環させて、もっと責任を取らせられるかよね。
それは環境正義のための運動でも、よく目にする共通点ね。いつも個人なの。小さな行動をすると気分がいいものだけど、地球を守れるほどには気分良くなれない。環境活動家はストローを持ち出して、ストローをなくす必要性を指摘するのが好きだけど、そんなことを気にする前に、やめるべきことは無数にある。
責任は企業にも消費者にもあるけれど、その大部分は企業にある。今、私たちを救ってくれるるのは若者だと、若い人たちに熱い視線が送られている。でも、ただ自分たちの責任を放棄して、若者に押し付けるなんて無責任だわ。権力の座に就いている人たちの役割は、迅速に解決策を考えること。若者に解決してもらおうなんて頼りにしないことね。
現在のこのありさまは、100%政治家と企業の責任よ。ましてや、私たちの世代、私より若い子たち、若者全般の責任ではない。100%企業や政治家だけの責任。彼らは何かしら対処する機会があったのに、何もしてこなかったんだから。彼らには事態を悪化させる力があって、私の世代や私より若い子たちはその被害を被る側。
今は2019年で、企業が汚染する空気や水や、何もかもで人が死んでる。企業は、自分たちのために若者がどんな後始末をすべきかを考えるのではなく、一歩下がって、若者のために自分たちが何ができるのか考えるのが重要よ。私だって、本来なら自分の人生でこんなことを心配している場合じゃない。まだ16歳なのよ。本当は高校のことの心配をするべきなのに。問題を解決するのは彼らの責任であって、私の責任ではないわ。
サステナブルなファッションという点で、服の選び方を教えてくれる?
たくさん古着を着てる。私は長女だから家族からのお下がりがないんだけど、学校の友だちの多くが自分の服を直接売ってるの。だから、だいたいTシャツとかトップスは友達から買ってる。そして、最終的に買うものは、長持ちさせるようにしてる。サステナブルな服を買おうともしてるけど、すごく高いのよね。どれも40ドル以上するから、高校生で仕事もしていない私には、なかなか買えないわ。


複合的な環境主義と、気候危機が黒人のコミュニティに与える不均衡な影響について話を戻すと、こうした問題に光を当てた、あなたの役割はとても大きいのはわかるのだけど、協力者や他の人々がどんなことをしてくれたら助かると思う?
一歩下がってみるというのが、まずひとつ目。私は白人が圧倒的多数のグループのにいたことが何度かあるけど、そこでは、皆が自分たちの主導権を失いたくないから、一歩下がってみるということを拒否してた。特権や権力を持っている人たちは、引き下がって、人に主導権を取らせたくないのよ。そうやってまさに、先住民や黒人やラティーノがないがしろにされている。スポットライトが当たらないような人たちにメディアの注目を向けるというのも、別の良い例だと思う。
インスタグラムでは、どんな質問をされるの?
よく聞かれるのは「どうしたら私も参加できる?」ってこと。多くの人が名声のためにやっているから、「こんなにたくさんのフォロワーをどうやって獲得したの?」とか「どうやってメディアの注目を得たの?」とか「誰か紹介してもらえる?」とか、聞いてくる人も多い。
私の場合は、「希望を持つのが難しいんだけど、この大変な時代にどうすれば希望を抱いていられるの?」ということを聞かれる。思うんだけど、今はニュースを見て、誰もが考え込み過ぎる。どのニュースもひどいから。「どうやって希望を持てるの?」と聞かれたときに返す唯一の答えは、実際に何か行動を起こしてみなきゃダメということ。人々が持つ価値観と行動の間には隔たりがあるものよ。みんな仕事をしないといけないし、家族を養わないといけない、勉強しないといけない、とかあって、必ずしも皆が自分の求める価値観に向けて行動しているわけではない。
だから、私にとってベストな回答は、現在自分がやっていることと自分の持つ価値観との間に橋をかけてみよう、ということなの。自分の持つ価値観に向かう一歩は、どんなものでも大きな前進よ。自分が問題を解決する側に立っていると実感できれば、健全さも保てるし、進み続ける希望も持てる。
私は日々の生活の中で、リサイクルとコンポストを心掛けていて、外出するときは再利用可能なアイテムを携帯するようにしてる。でも、人の行動を批難して気分を害すべきではないというのは、いい考えだと思う。誰かがプラスチック ストローやペットボトルを使っているとすぐにカッとなる人がいるけど、実はそれは巨大企業に向けられるべき。ちょっとした行動は、無駄ではないけれど、必ずしもすべてを変えられるわけではないから。
みんなが頑張っていることを知って、その人たちが自分なりに行動しているのを見て、新しい候補者や政治家の話を聞くことで、自分は独りではない、私だけではないと気づく。恐れている人たちは、私以外にもたくさんいる。そのことが私に希望を与えてくれるの。だって、私たちは諦めたりなんかしないって確信してるから。
- 写真: Heather Sten
- Date: July 23, 2019