慣習と常識に挑む:
溶岩で作る世界

火山灰の限界に取り組む、フォルマファンタズマとDzek

  • 文: Esther Choi
  • 画像提供: Esther Choi、Dzek、Formafantasma、Hadley Fruits(Exhibit Columbus)

今年の初め、シチリア島のエトナ山から地鳴りが響き始めた。やがて、雷鳴のようなとどろきへ高まり、くすぶった火山灰が空高く噴出した。真っ赤な溶岩が火口から滝のように吐き出され、山腹を流れ落ちた。この火山が憤怒を見せつけたのは、これが初めてではない。2013年の爆発では、もくもくとした噴煙を空に吹き上げ、周囲の村々へ雨のごとく火山礫を降り注いだ。⁣

標高が3,300メートルを超えるヨーロッパ最大の活火山は、荒い気性で定評がある。1669年には、歴史的な大噴火によって、島の海岸線を完全に描き変えた。そして1980年代初頭に一度、2000年代初頭に再度「しゃっくり」を繰り返して、何百ヘクタールにもおよぶ森林、家屋や村、ブドウ園を破壊した。だが、エトナ山の怒りは、シチリア島の人々に恩恵も与えてきた。オリーブの樹々、オレンジやブドウの果樹園、農場、そして村を支える肥沃な土壌は、エトナ山の副産物なのだ。

シモーネ・ファレジン(Simone Farresin)とデザイン スタジオ「フォルマファンタズマ」(Studio Formafantasma)を立ち上げ、高い評価を受けているアンドレア・トリマルキにとって、エトナ山は子供の頃から恵み深い存在だ。「僕はいつもあの山に魅せられていた。美しい眺めだよ」。8月も終わりに近づいたある日の午後、トリマルキは語った。「当時は流出性の噴火だったから、近くまで行って、火口から直接溶岩を採れたんだ」。エトナ山の癇癪は、何十年を経た後も、さらなるインスピレーションを刺激し続ける。手に負えない火山をパートナーに選んだデザイナーの最新のプロジェクトには、ロンドンの材料開発会社「Dzek」と共同で行なった、溶岩に関する数々の実験も含まれている。

フォルマファンタズマは、溶岩を建設材料に変えることを目指している。その話を聞くため、私はインディアナ州コロンバスを訪ねた。アンドレアは、木陰の芝の上、「Dzek」創設者のブレント・ジェキオリアス(Brent Dzekciorious)と一緒に寝転がっていた。ふたりは、火山灰実験の結果を初めて発表する「Exhibit Columbus」展で、「Window to Columbus」のインスタレーションを終えたばかり。午後の陽光をつやつやと照り返し、周囲の建築物とも異世界とも容易に結びつく暗色の化粧レンガの壁面だ。一仕事を終えて、アンドレアとブレントは一息ついている。

溶岩の多面的な性質が困難なプロセスを強いてきたことは、ふたりを見れば明白だった。2年間にわたる厳密なテストは、トルコからイタリアそしてイギリスへと舞台を移した。もっとも新しい試みでは、材料そのものの局所性を考え直し、スコットランドから調達した玄武岩とイギリスのストーク オン トレントで生産されたタイルを扱った。エトナは想像した以上の旅路へと進展したが、この不確定な事業は中毒のようにふたりのエネルギーを吸い取ってきたに違いない、と私は察知した。

シモーネをエトナ山へ案内した2010年、その火山の移り気な性質が最終的に自分の人生を動かす大きなテーマになることを、アンドレアは予想もしていなかった。共に母校デザイン アカデミー アイントホーフェンで教鞭を取っていたアンドレアとシモーネは、国際的なデザイン界で知名度を獲得しつつあった。ふたりが制作するコンセプチュアルで優雅なラグ、チェア、セラミクス、インスタレーションは、日常的なオブジェと伝統工芸のプロセスを通して、各地の文化、社会体制と政治体制、歴史、自然観の交わりを入念に探究するものだった。その旅の途中、不吉な黒い岩が転がる火山地帯を横断した。土産物を売る店で、溶岩を金属製の型に流し込んで作った灰皿を見て、ふたりの関心がそそられた。材料がほぼ瞬時にオブジェの形をとることに、魅了されたのだ。

フォルマファンタズマの作品を扱っていたロンドンのギャラリー「Libby Sellers」の後押しを得て、その後数年をかけてアンドレアとシモーネは集中的なリサーチに乗り出し、デザイン プロダクションの材料および施設として火山を利用する方法を探った。火山を「鉱夫のいない鉱山」と形容したふたりは、定期的に廃棄物を除去する自己生成システムとして火山を捉えた。爆発の後、村や生い茂った植物が粉塵の薄い膜で覆われると、住民たちは箒で掃き集めて庭に捨て、土壌を耕した。「火山は材料を投げ捨ててくれる実体」だと、アンドレアは考えた。火山の様相は、デザイナーと材料の関係を考え直す機会を与えてくれた。そして既製の材料を購入する代わりに、地球の自浄作用を利用し、自然のサイクルの延長として行動するようになった。

2014年、「De Natura Fossilium」と題して、カターニア火山学センター(Volcanologist Centre of Catania、略称INGV)と共同で行った厳密な研究と材料試験の結果がまとめられた。玄武岩石から火山砂まで、様々な形態の溶岩のサンプル抽出、融解、成形、鋳造、製粉によって、一連の幾何学的なスツール、コーヒー テーブル、時計が製造された。漆黒の仕上がりを特徴とするオブジェの不気味な誘惑は、多くの作品で真鍮、ムラノ ガラス、テキスタイル、火山地帯から採集した溶岩塊と組み合わせられ、我々が生きる時間軸の範囲内外の両方にまたがる謎多き異質の存在感を誇示する。

だが、騙されてはいけない。フォーマルな洗練とコレクターを惹きつけてやまない、展示映えする魅力にもかかわらず、アンドレアの言葉によれば溶岩は「悪夢」の材料だった。奔放な材料を躾けることは無数の挑戦を意味した。溶岩に含まれる金属と酸化物の組成は様々に異なるため、ほとんど前例のない実験と処理過程の調整が必要だった。基本的に、燃焼は設備の破壊を意味した。「結果的には、当初考えていたことと全く違うことをやる羽目になった。材料はこちらの都合などお構いなしに、好き勝手に振る舞ったから」

溶岩が磁気を帯びるように、引き寄せの法則は新たな参加者を登場させた。「デザイナーの擁護者」を自称するブレントは、デザイン コレクションとキュレーションでキャリアを重ね、デザイナーとデザイン プロダクション間の工程に何が欠落しているかを見極めることができた。デザイナーは「~版」と銘打って商品を出すことで小規模製造で斬新なアイデアを試せたが、従来なかった材料や実験的な工程から得た知識を試すそれ以外の手段は、ほとんどなかった。「僕自身が直接的あるいは間接的に直接的に関わった多数のプロジェクトで、突然行き止まりになるケースがとても多かった」。ブレントは語る。「そういうプロジェクトで、たくさんの素晴らしいアイデアが生まれては死んでいく。アイデアをもっと長生きさせて用途を広げられる会社を、僕は作ろうと思ったんだ」

創造的な試みは数多くあれど、材料開発はあまり手がつけられていない分野だった。ブレント曰く、新材料の開発は「みんなが何かを作っていける媒体だ」。そこで2013年にDzekを設立したブレントは、現代デザイナーたちに目を向けた。ブレントが賞賛の念を抱いた若きデザイナーたちは、工芸と広範な製造技術にまたがる中間領域に関心を抱いていた。だが今という時代は、大規模な建築材料製造業者が工芸的伝統を消滅させ、製造工程の自動化によって標準化された、しかし質の低い製品を販売する大規模小売店に支配されている。革新的な材料を誕生させようとするDzekの野望は、決して一筋縄ではいくものではなかった。

Dzekが誕生させた最初の材料「Marmoreal」は、イギリス人デザイナーであるマックス・ラム(Max Lamb) と共同で開発した大判のテラゾ ブロックだ。きっかけはマックスが2009年に発表した「Quarry」、花崗岩で制作した鋭角的で彫刻的な椅子とテーブルのアサンブラージュだった。地面から掘り出した天然素材ではなく、自らが考案した人工石の開発に対して、マックスがどのようにアプローチするか。それが問題だった。完成した「Marmoreal」は、溶岩と同じように、歴史という「時」の超越を感じさせる象徴的な材料になった。製作工程は15世紀の伝統的な工芸を連想させ、色調はメンフィス派のポストモダニズムを思わせるが、ランダムなパターンは間違いなく現代的だ。現在のカルチャーの感性を表現する「Marmoreal」は盛大に歓迎され、浴室から家具デザインまで、世界中で様々な用途に使用されるようになった。

溶岩はもっと不安定な素材であることが判明したが、アンドレアとブレントは動じなかった。火山性物質の無数の用途、着手した試験の果てしない繰り返しについて語るとき、ブレントの瞳は輝いた。アンドレアも又、禅僧のような忍耐で開発の工程を振り返った。「非常に時間がかかるし、色々なことを試してみる必要がある。それは当然だ。必要なのは素材の声に耳を傾けることだ」。ブレントが頷いて同意を表し、「何になりたいか、何になれるか...。素材にはそれなりの考えがある」と続けた。「僕たちは何かをどの程度思い通りに動かせるか。そのバランスを理解する作業なんだ」。進歩する上で、失敗は必然かつエキサイティングな要素だった。

研究の過程で浮上した複雑な理論的、倫理的、実際的問題点を、ふたりは熱心に討議した。例えば、火山灰の実験は、製造、局地性、生態系、標準化のシステムに関する疑問を提起した。溶岩を相手に四苦八苦するうち、当然、歴史上の前例に行き当たった。火山性物質は、古代ローマではコンクリートに使われ、シチリア島では村や町の建設に使われた。現在、若いデザイナーを中心に、材料の検討と工程を通じて産業化社会が確立した基準を問い直し否定する動きが、高まりを見せている。アンドレアとブレントの共同作業は、おそらく、そのような大きな動きの一部かもしれないし、価値、経済、倫理の平等な統合に基づいた新しい基準を示す機会だった。

ここで話は、素材の声に耳を傾けること、溶岩の主体性を理解して溶岩の行動に協調して作業することに戻った。火山灰を利用した釉薬の変化に富んだ表面を、私は思い出した。あの色彩の微細な混在は、シチリア島の風景に似ていた。黄金の色合いの中心部、高地に生い茂る森林、火山の存在を示す不吉な黒い岩塊。広大で変化に富む美しさは、エトナ山の多様な性格の反映だ。艶のない黒色の火山ガラスからコロンバスで目にした小さな斑点のあるレンガまで、火山性物質が採りうる無数の表情へと思いは飛ぶ。自然界の作用、形状、素材とのホリスティックで魅力的な関係性として、両者は相互に組み合わさっているようだ。

我々人類が、材料の源との繋がりを喪失した結果、都市部の基盤に影響が現れ始めている。文字通り建造物の基礎部分だけでなく、哲学的な意味での基盤にも。他方で、建築のペースは世界中で速度を増し続けている。カナダ人科学者バーツラフ・スミル(Vaclav Smil)は、2014年に出版された『Making the Modern World』で、2009年から2011年にかけて中国が消費したセメント量は米国が20世紀全体で消費したセメント量の合計を上回ったという、憂慮すべき統計を提示している。世界経済は、大量生産による、資源の枯渇を招く、しかも老朽を避けられない材料に依存してきた。その持続不可能な活動は、今や、文字通り建築の美学と倫理の根底からの再考を設計者に頼るしかない。絶望に打ちひしがれるのではなく、フォルマファンタズマとDzekが果敢に取り組んだような自然界の廃棄物を活用する実験は、希望を与えてくれる。同時に、リスクを受け容れる必要を明示している。火山性物質の実験が証明するように、商品に依存し、効率を優先する人類の願望の数々に対して、自然は抵抗する。それは、自然の猛威を前にすれば我々が微小な存在であることを思い知らせる、大切なヒントだ。

  • 文: Esther Choi
  • 画像提供: Esther Choi、Dzek、Formafantasma、Hadley Fruits(Exhibit Columbus)