サム・マッキニスは絵筆でドラマを捉える

ニューヨークのアーティストが、イメージの創造、お喋り、地獄、アンリ・ファンタン=ラトゥールを語る

  • インタビュー: Thora Siemsen
  • 写真: Heather Sten

私は、ブルックリンにあるサム・マッキニス(Sam McKinniss)のスタジオで彼の作品を見るまで、2000年の第42回グラミー賞に現れたジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)がとても緊張した笑顔だったことに、ちっとも気づかなかった。この絵は、初めてヨーロッパで開催する個展のために、ブリュッセルへ送られる新作コレクションの一部だ。ロペスは、グラミー賞の夜、レッド カーペットに立っている。グーグルの画像検索システムが誕生するきっかけにさえなった、あまりに有名なイメージだ。グリーンのシフォン シルクにシトリンをあしらったVersaceドレスで視線をくぎ付けにしたロペスは、実は数か月前、銃撃があったクラブから恋人と一緒に逃走し、ふたりの乗ったリンカーン ナビゲーターのトランクから盗品のセミオートマティックの銃が発見されて、一晩警察に留置された。その事件後、公衆の前に姿を現すのはこの夜が初めてだったのだ。笑みの形に気味が悪いほど唇を横に引き伸ばしたロペスの緊張の瞬間を、マッキニスは捉えている。

左:「Diana」、キャンバス、アクリル下地、油彩 (2008年) 右:「Jennifer」、キャンバス、アクリル下地、油彩 (2008年) 冒頭の画像:セーター(Gucci)トラウザーズ(Heron Preston)

Versaceで有名なもうひとりの女性はダイアナ妃。今は亡きプリンセスは、1997年に自身が事故でこの世を去る1か月前、ジャンニ・ヴェルサーチェ(Gianni Versace)の葬儀にも出席している。だが、マッキニスが作品の題材に選んだのは、葬儀とはこれまたかけ離れた、しかもVersaceではなく、クリスティーナ・スタンボリアン(Christina Stambolian)による、ブラックドレスを着たプリンセス オブ ウェールズだ。俗に「リベンジ ドレス」と呼ばれたドレスに、ハイヒール、モノクロのチョーカー、パールのイヤリング──1994年、別居中の夫プリンス チャールズが テレビのドキュメンタリー番組で、カミラ・パーカー=ボウルズ(Camilla Parker-Bowles)との情事を認めたその日、プリンセスは露出度の高いこの大胆な装いでサマー パーティへ現れたのだった。たが、マッキニスの手で描かれている女性は、復讐を企んだようには見えない。ただ彼女が社会的身分に伴う責任を果たすだけで、必然的にそうなってしまうのかもしれない。

自分が描く有名人の人生について、執筆されたものはそれほど読まないとマッキニスは言う。だが、『ザ・ターミネーター』のすぐそばに、友人のゲイリー・インディアナ(Gary Indiana)の批評集 『Vile Days』が置いてあるところを見ると、アーノルド・シュワルツェネッガーは例外だったのだろう。同じくインディアナが前カリフォルニア州知事について著した『The Schwarzenegger Syndrome』(2005年)も、もちろん読んだはずだ。スタジオのデスクに座って、マッキニスは言う。「有名人たちを相手にすることは、特に大変とは思わない。だけど、芸能界に身を置いてる人たちを見ていると、あまり居心地の良い世界じゃないように僕には見える。僕に関心があるのは絵、ポーズ、人体、イメージの創作だ。例えばプリンセス ダイアナの場合、僕は彼女のドレス、ダンス、悲劇に目を向ける」

Sam McKinniss 着用アイテム:コート(Balenciaga)

左:White Roses (after Fantin-Latour)、キャンバス、アクリル下地、油彩 (2008年) 右:着用アイテム:コート(Balenciaga)

ソーラ・シームセン(Thora Siemsen)

サム・マッキニス(Sam McKinniss)

ソーラ・シームセン:人間にとっての悲劇って、どんなことだと思いますか?

サム・マッキニス:死、病気、失恋、失望、アイデンティティや期待の崩壊、挫折、狂気への転落…そういうことが悲劇的だと思う。

朝は何時に起きますか?

決まってないよ。ちょっと働き過ぎの気がする。この週末は出ることが多くて、毎晩すごく遅くまで遊んだ。今夜こそは早くベッドに入りたいから、今朝は6時に起きたんだ。僕は、朝のほうが、頭がよく働く。頭の回転が速い。だから、それを利用する日もある。1日の時間が経つにつれて、頭も鈍くなるし、面倒臭くなって粘りがなくなるんだ。結局、もう今日はヤメだ、みたいなことになりやすい。毎日毎日、1日24時間を丸ごと過ごさなきゃいけないのは、時として厄介なことだよ。

右:着用アイテム:セーター(Charles Jeffrey Loverboy) 左:「Still Life with Primroses, Pears and Pomegranates (after Fantin-Latour)」、キャンバス、アクリル下地、油彩 (2008年)

最近は外出が減ってるんですか?

いや、あちこちにしょっちゅう顔を出してる。ただ、出かける時間が早くなったのはあるな。そこは、以前と違うね。前は、レイブとか、ダンス パーティとか、ウェアハウス パーティとか、そういう所へ出入りしてた。もっと踊りたい、もっとドラッグをやりたい、って思ってたけどね。今はそういうことが少なくなった。理由は、前ほどエキサイティングじゃなくなったから。もう散々やったし、どうなるかだいたい予想がつくんだ。だから、やりたいと思わない。仕事もあることだし。

今でも、親しい仲間とはよく集まるよ。ただの知り合いっていうのは、ものすごく疲れる。他愛ないお喋りは、別に疲れない。何気ない軽い会話が僕は好きだし、そういうのが嫌いだという人間が大嫌いだ。友だちと喋るのはとても楽しいし、人間関係にとっても大切だよ。ウィットのある会話が好きだし、些細な出来事について話すのも、礼儀も、罪のないゴシップも、洞察のあるユーモアも好きだね。そういう会話に参加できない人間は、うっとうしいし、退屈だな。

ある人を好きか、好きじゃないか…それがわかるには、どの程度時間がかかりますか?

瞬時にわかるよ。みんな、自分を見せてるから。自覚しているかどうかはともかく、誰でも、自分の価値観や、ユーモアやスタイルの感覚、偏見なんかを露呈してるんだ。僕は人の性格を正確に判断できるし、ボディ ランゲージを読むのも上手い。僕は好きな人たちに利用されてるところもあるけど、同時に、とても有意義で、広がりのある、長い友情や関係も持ってる。最初は興味なかった人が意外な面を持っていたりすると嬉しいね。

両親はどんな方ですか?

どちらかというと、保守的。父はコネチカットで教会の牧師をやってて、母は父の妻で、僕の母親。

福音主義とか、熱狂的な信仰を体験した人に親近感を感じますか?

福音主義の特定のやり方、改宗させる手法、宗教的な教育は、洗脳だと思う。ジャンキーを中毒から回復させるのと同じ思考経路だよ。保守的な背景や展望を持ってる人のことは、理解できると思う。できればわかりたくなかったけど、僕自身が育った境遇のせいで、僕はメッセージを受け取るときに考えるすぎる傾向があるんじゃないかな。それって、疲れることでもあるんだ。「永遠」と「象徴」には辟易してる。

「Tyra」、キャンバス、油彩(2015年-2018年)

アートを目にした最初の記憶は?

僕が育ったのはコネチカットのニュー ブリテンだけど、家の前の通りを下ったところにニュー ブリテン アメリカ美術館があった。すごく小さい頃、まだ記憶も定かでない頃に、そこへ行ったのを覚えてるな。美術館の中にいて、壁に絵が掛かってるけど、まだ背が低すぎてよく見られないのを覚えてる。子供の頃、僕の部屋に絵の複製があったのも覚えてる。オリジナルは北方ルネッサンスの傑作だけど、僕の部屋にあったのはそのプリント。それが、天国と地獄をすごく具体的に、一種ゴス的に描写してて、地獄の部分がすごくエキサイティングだった。最高にむごたらしくて、凶暴で、裸の人間がいっぱいいて、永遠の苦悶に喘いでるんだ。怖かったけどね。天国のほうは生真面目で退屈で、興味が湧かなかった。

あなたの知ってる範囲で、先祖にアーティストはいますか?

僕の知る限り、プロのアーティストはひとりもいない。アマチュアの範囲だったら、結構いる。祖母と母…母の家系の女性はみんな手先が器用なんだ。母はキルトを作るし、祖母もキルトを作ってた。きっと曾祖母も、キルトかなんかの手仕事をしてたと思うよ。僕は、母の手作りのキルトをたくさん持ってる。父は、アマチュアだけど、木工細工。デコイを作るのが趣味でね。僕が知ってるのはその程度だな。

フルタイムのアーティストとして生計を立てる前は、どんな仕事をした経験がありますか?

ちょっとの間、花屋をやった。本屋の店員もやった。多かったのは、安物の服を売ってるショッピング モールの小売店員。ウェイターも少しやったけど、長続きはしなかった。バーテンが大好きだからバーテンになるのが念願だったけど、僕には酒飲みの傾向があるから、多分、そっちの方面へ行かなくて成功だったね。もしバーテンになってたら、辞められなくて、一生バーテンだったろうな。とにかく、モノを売ってることが多かった。絵もできるだけ、あちこちで売ろうとしてた。大抵は売れたけど、それで暮らせるほどじゃなかった。

着用アイテム:セーター(Gucci)

アンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Fantin-Latour)の弟子のように感じてるそうですね。一方で、グーグルの画像検索も、ある意味で一種の師だとか…。

アンリ・ファンタン=ラトゥールの絵を初めて見たとき、とても静かで落ち着いてるんだけど、どこか本質的に奇妙な印象を受けたんだ。一見、当時のもっと正統派の名作と対立してるみたいだった。ラトゥールの時代には絵の具の扱い方が変化したんだ。彼が生きた期間、画家として活動した期間に、光や色彩の観察方法が発展した。彼の作品には、それを巧く利用した何かが隠されている。もちろん、ブルジョワ階級のおかげで、アートが商業として成り立つ市場があったことも有利だったし、ラトゥールがそういう社会状況も上手く利用したのも確かだ。だから、あれほどたくさんの絵が残ってるんだと思うよ。だけど、時間をかけてみれば見るほど、奇妙に見えてくるんだ。特定の教義や予め決められた視点が無視されてる。誰に証明する必要もない、生まれながらの知性と感性に恵まれた、非常にインテリジェントな絵だと思うね。ああいうレベルの知性や感性は自明だから、他人に証明してみせる必要性を超越するんだ。そういうところが、たまらなくいい。ああいうふうに描きたい。ああいう種類のアーティスト、ああいう種類の人間になりたいと思う。

あなたには証明すべきことがありますか?

いや。そういう真実は、言ったりやったりしなくても、自然にわかるはずだから(笑)。

過去の体制、過去の時代には、画家を職業にしようと思ったら、有名な師匠の仕事場で働いて、技術や作品そのものや作品の制作方法を勉強して、もっとたくさんの絵を作れるように師の下で手伝うのが普通だった。注文でも委託でも、とにかく需要に応えることだ。現在は、そんなシステムはもう存在しない。今でもアシスタントを使う画家はいるけど、昔みたいな師弟関係とは違うと思う。徒弟制度はもう存在しないけど、あれって実は、絵の描き方を学ぶには良い方法なんじゃないかな。最初に惹かれて以来、僕はファンタン=ラトゥールという人物から離れたことがなかった。技術を独学するつもりで、何枚か複製も描いた。四角い枠の中でモチーフがどういうふうに構築されているか、すごく綿密にコンポジションを研究した。それが僕の作品にも影響を与えたけど、ラトゥールと僕は師弟の関係にもなった。ところがその感覚は、それまでやってた、インターネットでjpeg画像をみつけてコピーする作業とも似てたんだ。僕は対象をもっとよく知るために模倣する。そして、僕は上手く模倣できる。イメージやイメージ作成に対するポストモダン的手法としての模倣…僕はそう考えてる。

絵の素材になる写真を、自分で撮影しなくなったのはいつからですか?

写真を撮るのが嫌になったんだ。僕自身にも嫌気がさした。僕はいつもコピー、模倣、流用にまつわる作業が好きだったけど、創りたいのはロマンを感じる作品だった。アートの学校へ行き始めた最初の頃、世界的に本当にパワフルなアートだと感じたもの、そして僕に大きな影響を与え、惹きつけたのは、写真家集団だった。例えば、ナン・ゴールディン(Nan Goldin)とかジャック・ピアソン(Jack Pierson)とかマーク・モリスロー(Mark Morrisroe)とか。自分の身近な人たちからアートを創造して、それをある種のメロドラマ的あるいはオペラ的なロマンに変容させる。そういう作品を創る衝動は、僕にとってもすごく身近で、クールで、楽しそうで、自分でもやれそうだった。まだ若くて、カメラさえ持ってれば、そういう作品はすごく簡単に作れる。

アート作品にロマンを与えるのは何でしょうか?

エモーショナリズム、エモーショナルな魅力、そういうものを生み出す操作…。これは、色彩と光とフォルムによるところが大きい。それから、言語表現の常套句や特定の言い回しに相当する絵画的手法を使うこともできる。それから、壮大なテーマ。例えば、死や愛、ひとりの人間としての存在や在り方、不屈の精神。

「Diana (on Jonikal)」、キャンバス、アクリル下地、油彩 (2008年)

恋人も描きますか?

ああ、プライベートにね。僕自身のプライバシーと彼のプライバシーを尊重して、第三者に見せたり、関心を持ってもらおうとは思わない(笑)。実生活をおおっぴらに晒すことに対して、人は慎重であるべきだと思うんだ。でも今の時代、誰もあまりそんなこと思ってない。昔の回想なんかどうでもいいよ。昔はそうだったかもしれないけど、今は違う。それだけ。

アートに関して、もっと執筆する予定ですか?

そうしたいね。以前なら、クリエイティブ ライティングは、僕の人生のディテールを深掘りするのに役に立ちそうだ…そう思って興味があったけど、今は、それほど衝動も熱意も感じないんだ。『アートフォーラム』の[記事を書く]比重が大きくなったからだと思う。僕はコラボレーションはあまり好きじゃないけど、雑誌の記事を書くときは、理解を深める過程がコラボみたいな気がする。何かを書くたびに4冊も5冊も本を読む必要があるし、どんなテーマでも、過去に提示された論拠や見解を理解しなきゃいけないし、そのためには色んな意見を検討したり考察する必要がある。僕を担当する編集者がいて、書き方やリサーチや視点の向上を助けてくれる。それもコラボだと思う。それから、記事のテーマが誰であるにせよ、僕が理解しようとする対象そのものがあるわけだし。そういう全部が、ああ僕の脳は健全に働いてる、と思わせてくれるね。

家にいるとき、ついやってしまう癖はありますか?

ここにひとりでいるときは、よく独り言を言う。文章と言うより、声を出すだけ。やたら叫んで、テンションを保つとか…。それに僕はイライラするから、集中力を高める意味もある。ポップスをよく聴くね。この習慣だけはやめられない。あとは、1日中、コーヒーをがぶがぶ飲むし、立ったり座ったり。

あなたのスタジオで、一番目障りなものは?

なんとまあ! そうだな、自分の描きかけの絵。なんだか色々とせき立てられているような気分になるから。それ以外には、スタジオへ来るまでの3階分の階段だな。

運動はしますか?

ああ、ヨガに行ってる。軽いエクササイズね。ジムで汗を流す気にはなれない。

あなたが着るものを説明すると?

かなりシンプル、だけどクールに見えてると思う(笑)。

ファッションの流行に注目していますか?

なんとなくね。今の世界でファッションがひとつの力なのは知ってるし、現代の国際人の生活にファッションが占める割合も知ってる。もしアート界の一員して出席しなきゃいけないようなことでもあったら、あらゆることにいちゃもんをつけそうな、いかにもコネチカット出身者らしい格好をすると思うよ。

Thora Siemsenは、フリーランスとしてニューヨーク シティで活動するライター。 『Rolling Stone』、『The Creative Independent』、『The New Yorker』、その他多数に執筆している

  • インタビュー: Thora Siemsen
  • 写真: Heather Sten
  • スタイリング: Mark Jen Hsu
  • メイクアップ: Mimi Quiquine / She Likes Cutie
  • 画像提供: アーティストおよびAlmine Rech