トレイシー・マーが描くグラフィックの時代
ニューヨークタイムズのデザイナーがゴミのようなデザインや、フォントで表現する決め台詞、有意義な緊張関係を語る
- インタビュー: Olivia Whittick
- 写真: Monika Mogi
- 画像提供: Tracy Ma


Businessweek、2016年2月

Businessweek、2014年1月
バラク・オバマ(Barack Obama)の顔が読み込み途中で止まり、Appleのロード中のアイコンが、鼻が来るべき場所あたりでぐるぐる回っている。陽気なコスト削減を象徴するウォルマートのスマイリーが、ブラインドの後ろからスパイのようにじっとこちらを見つめる邪悪な存在に変わる。赤ん坊の体中に、「すべての物の値段を決めるの誰でしょう」と書かれた値札がつけられる。グラフィック デザイナーのトレイシー・マー(Tracy Ma)の関心は、権力にある。権力を持っているのは誰か。なぜ権力を持っているのか。そして、たった1つのイメージで彼らの鼻を折るにはどうすればいいのか。思うに、何かをして「ただで済まされる」能力は、権力と密接に結びついているだけでなく、才能にもまた、密接に結びついている。ほとんどの場合、賢く、腕の立つ者だけが、誹りを受けることなく他人にいっぱい食わすことができる。マーはそのような人間のひとりであり、無礼にも思えるデザインも天才的な発想に思わせる能力を持つ、ちょっとした奇術師だ。たとえ彼女の名前は聞いたことがなくても、彼女の作品は見たことがあるはずだ。彼女は、ビジネス雑誌史上もっとも奇妙で魅力ある雑誌、『Bloomberg Businessweek』の表紙を数多く手がけているからだ。クリエイティブ ディレクター、リチャード・ターレイ(Richard Turley)の下、『Bloomberg Businessweek』は、まさかの、写真家の誰もが撮影したいと思う雑誌となった。そして、これまで芸術的なアイデアのためにビジネス雑誌を手に取ることなどなかったグラフィック デザイナーたちが、インスピレーションを探す源となった。このデザインは、多くの人が『Businessweek』を手に取るきっかけを作っている。そのデザイン力によって、クリエティビティに欠けるコンテンツにスタイリッシュさを加味し、雑誌が置かれた棚から人々に手に取ってもらえるような華やかなカバーになっているのだ。マーは現在、『New York Times Styles』の編集部で働くかたわら、 パーソンズ美術大学でグラフィック デザイン コースで教鞭をとっている。ある蒸し蒸しとした午後、ニューヨークのグリニッジ ヴィレッジにある彼女の小さなアパートで、彼女に話を聞いた。

オリビア・ウィティック(Olivia Whittick)
トレイシー・マー(Tracy Ma)
オリビア・ウィティック:『Businessweek』については、あまり掘り下げないつもりです。が、ロードアイランド スクール オブ デザイン(RISD)での講演で、あなたが、ブルームバーグで働いているとき自分の勤める会社に対して絶えず反抗しているような感じだったと話しているのを聴きました。企業でクリエイティブな仕事をしている人なら、ある程度は同じように感じていると思うんですが、こうした緊張関係は、ターレイ時代のブルームバーグであなた方が達成したことに、どんな影響を与えたんでしょうか。
トレイシー・マー:私たちは、なんとか自分たちの方法をやり通す方法を探してたの。ブルームバーグではどんなクリエイティブな試みとも環境がまったく違っていたから、簡単だったけど。私たちがやるどんな小さなこともアンチテーゼになった。私たちは社内のセールス担当の人たちとは正反対で、それこそ、服装から、彼らが出してくるアイデアまで、全然違った。企業としての制約はすごく大きかった。技術面で言うと、私たちは例のブルームバーグ・ターミナルというものを使わなくちゃならなくて、この端末のせいで、日々の業務は本当にやりにくかった。ブルームバーグが年に90億ドル稼いでいる、この端末のせいで、あらゆる小さなことが、例えばミーティングするだけでも、会社に反抗しているみたいだった。だから、私たちと一緒に反旗を翻そうという人たちで集まって、小さな世界を作ったの。
そのことが、おそらく逆に、インスピレーションの宝庫となったようですね。
緊張関係がどれほど有意義になりえるか、ブルームバーグで働き始めるまで気づかなかったわ。おかげで、何年もの間『Businessweek』が持っていたビジュアル面でのスタイルを、すごいものに発展させることができた。
デザインの中でユーモアはどのように使っていますか。また、いつ使うべきかはどうやって判断を?
笑い者にされるべきでない人は、決して笑い者にしないこと。『Businessweek』では、これはすごく簡単だったけどね。だって、皆が最悪で、自分たちの権力を誤って使っている人ばかりだったから。私たちが笑い者にするのは、ごく一部の、特定のことをしている特定の人たちよ。
自分自身のために何か面白いものを作ることで、当時の『Businessweek』はあの形になったような感じですね。
最後の方は、イースターエッグみたいに、巧妙なデザイン上の仕掛けを表紙のどこかに隠すことだけが、自分の仕事から喜びを得る唯一の方法だったわ。

Businessweek、2015年8月
あなたの経験から言って、何がネットで画像を流行らせるのでしょう?
ごく限定的なタイプの出来事について語っている画像かどうか。私の作品はバズることはないけど、私が影響を受けて作品を作るようなバズり画像は、取り立てて注目されることもないものばかりよ。とても小さい集団に向かって語りかけるような画像かどうか。それが私がミームで重視している点よ。
なるほど。ありえないほどの特異性みたいな。
それか、人を惹きつけるだけでなく、その背後に意味もちゃんとあるもの。何かの意味を解読できて、しかもそれを見て楽しめるとき、人はその解読できたっていう気持ちを他人とシェアしたいと思うのよ。これはダーシー・ワイルダー(Darcie Wilder)のスピーチの受け売りで、しかも私は曲解してるんだけど、彼女は、自分のツイートがバズるのは、それがあまりに低レベルなせいで、それをリツイートしている人なら誰でも、そのツイートを思いついたのが自分自身のように感じられるからだと言ってるの。つまり、ミームの文化には、シェアやリツイートを通したロールプレイの要素がある。「そのジョークは私でも作れたかもしれない」っていう感じね。
あるいは「自分の作品だったら良かったのに」という感じですね。皆が解読の過程をどれほど真剣に楽しんでいるかという点は、興味深いです。
それがミームをミームたらしめているものよ。
グラフィック デザインの世界の流行に興味があります。多分、私はデザイナーではないから距離があるせいでしょうが、それでも、当然、この時代に生きている限り、グラフィック デザインと無縁ではいられないので。たとえば、フォントの流行はどういうサイクルでまわっていて、グラフィック デザインの世界では、どんな風に、うまくてカッコ良かったスタイルが陳腐になるのか、変化のスピードはどんなものか。
流行については、私が教えるパーソンズ美術大学での授業でも、たくさん話すわ。もう少しで授業は終わるから、ほっとしてるとこ。流行が流行であると言えるのは、本来の文脈とは全く関係がないのに、それを真似するようになっているときよ。例えば、デヴィッド・カーソン(David Carson)なんかは、グラフィックを専門に勉強していないサーファー兼スケートボーダーで、自分の好きなサブカルチャーに訴えるタイポグラフィの構図を作ってた。当時の彼は本当にカッコよかったんだけど、2〜3年で急に、広告のスタイル全体が彼に影響を受けるようになった。だから、あのカッコよくてグランジっぽいスタイルは、何か他のものに使われるようになって、本来の背景とは異なる状況で使われる中で、その意味を失った。流行りになることを克服するひとつの策としては、その背景に焦点を合わせること、そして何か戦える相手を見つけることだと私は考えてる。私が今、観測してる唯一の流行は、丸みのあるサンセリフのフォントがあらゆるスタートアップによって使われてるってことだけね。ゴシックが人気というのも一部あるだろうけど、Célineや雑誌の『The Gentlewoman』のせいでもあると思う。このスタイルは、今ではありとあらゆる歯磨き粉の会社でも使われてる。

Total Power Move、2016年

Total Power Move、2016年
フォントにはたくさんの意味が詰まっていて、それぞれオーラというか、性格がありますよね。どんな言葉を書いてもいいし、特定のフォントを使えば、その通りの特定の語調が出る。
まだ私が『Businessweek』にいた頃だけど、ゴミみたいなデザインっていうのがすごく流行ってたの。それは、Appleやスタートアップっぽいタイポグラフィーの成功事例に対する反抗でね。卓越したタイポグラフィーに対する反抗。そのときに、私たちは「こんなの糞食らえ、こんなのムカつく」っていう方向性で進めていくようになって、Dafont.comっていうゴミみたいなフォントが集まってるサイトに注目し始めたの。あそこにはゾクゾクする感じがあったわ。
ワルであるというスリルですね。
そう、ワルになる!しかもすごく狭い意味でね。ただのデザインだから!なのに、それに対して人々が怒っていたのが、私たちにはおかしかった。最近では、皆、デザイナーでもないのに、以前よりはるかにフォントの持つ意味に通じてる。鋭い目を持ってるわ。ビジュアル面に敏感で、グラフィックがもつ意味を解読する能力が、以前よりはるかに高くなってる。グラフィックに詰め込まれた情報をただ見るだけで、ほとんど瞬間的に理解できるのよ。今ではフォントは決め台詞の役割を担ってる。
そういう、どぎつくて、悪趣味で、あえてワルぶるようなアプローチというのは、誤解を恐れずに言うと、とてもあなたらしい気がします。
デザインでどぎつい表現を使うことには、何か最初から負けを認めているようなところがあるのよね。不安から解放されるところが。私はそのためにどぎつい表現を使ってる。それは、正しい方法ではないんだけど。そういう不安はまだある。

Total Power Move、2016年

Total Power Move、2016年
決して破らないルールは何かあります?
判読できないものは決して作らない。自分自身で何かをデザインする方法がわからないからといって、決して誰かのスタイルを真似しない。
今日ではどのブランドもエディトリアルを立ち上げようとしているなか、メディア側の人間としてクリエイティブな仕事をすることが不思議に感じる時代になりました。誰もが雑誌を作りたがっています。たとえ、そんなことをしても無意味な場合でも。個人ひとりひとりが、コンテンツ制作者になっています。
そのテーマに関して私が感じるのは、ただ不安だけよ。ここに座ってるだけでも不安だわ。15年前とかなら、おそらくデザイナーはただデザインしてるだけで大丈夫って思えたでしょう。でも今は、これにもあれにもならなきゃいけない感じ。そして自分もカッコよく見えないといけない。中には、カッコつけることに気を取られすぎて病的に見える人がいるけど。
何もかも、自分さえも編集しようという風潮、確かにありますね。
すごく尊敬するライターがいて、ちょっと否定的なことだから名前は出せないんだけど、とにかく文章がすばらしいの。私は彼女の文章に病みつきになってるんだけど、この人は、SNS上でも特別に思われないと気が済まないらしくて、かなり平凡なスタイルなのに、その非凡な文章と同じように尊敬されたいと思ってるみたいなのよね。文章がうまいことは、他のアウトプットとは全く関係ないっていうのは、ちょっと気が滅入ることじゃない? 私は、SNSをまったくやらないライターの、マギー・ネルソン(Maggie Nelson)を本当に尊敬してる。読者としては、それ以上彼女のコンテンツは掘り出せないわけだから残念だけど、彼女のアウトプットは彼女のアウトプットだし、それを私は尊敬してる。おそらく、『The Argonauts』を生み出すのに自分をたくさん曝け出さなくちゃならなかったのね。それでソーシャル メディアには、自分を出そうと頑張ったりしなかったんだわ。


私は、仕事を超えたあらゆる方面で自分自身のブランディングが必要とされることに、今でもかなり違和感があります。
私も全然ダメ。このすごく限定的なことだけが得意なの。お願いだから私の作ったカバーだけ見てって思う。
参考にしているデザインで、なんども立ち返って見るようなものはありますか。
スタイルでいえば、今となっては私にはただのノスタルジーなんだけど、90年代の香港の看板と美意識ね。ほっとする感じがするの。
10年後に今この時期を振り返るとすれば、スタイル的にはどのように定義されると思いますか。
けばけばしくて、色んなものがごちゃ混ぜ。ファッションでいうと…かなりゴツい感じ? まだフィービー・ファイロ(Phoebe Philo)のCélineの時代で、オーバーサイズなアイテムがごろごろある。でもそういのは、すでに時代遅れに見えるのよね。
最近は、何もかもが一緒くたに混ざりすぎなのでしょうか。
どの10年間も、おそらく折り重なってカオスな感じがすると思うわ。70年代の全てが、ワイドパンツだけじゃなかったみたいにね。グラフィック デザインもそう。たとえいちばん流行ってるスタイルではないにしても、どの時代にも常にスイスのモダン デザインの系統があるし。そういう風に要約するときは、規範となるデザインに合わないものはただ埒外に置いてるだけだと思う。ゼロ年代のスタイルは、中でもいちばん特徴的だった。まだ私のグラフィックに対する目がやっと一人前になったっていう頃、レイブ風のデザインとPlayStation 2みたいなデザインがあったの。あれが今、すごく流行ってる。私は今、あの2000年代風のジーンズを探してるところよ。ローウェストで細身で、すごく丈が長くて、ちょっとだけフレアになってるやつ。
私はあれ、まったく似合わなかったんですよ。
私もよ。
いつも流行がピークに達したと思うんですが、実際は、かなり長い間、ピークには達しないんですよね。時々、スタイルの面で、何も変わっていないんじゃないかと感じます。
確かにそういう感じはするけど、10年も経てば、これもその時代のスタイルってことになるわよ。

Olivia WhittickはSSENSEのエディターであり、「Editorial Magazine」のマネージング・エディターも務める
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