会心の笑い

アーロン・エドワーズがLOLを捕まえる

  • 文: Aaron Edwards
  • アートワーク: Skye Oleson-Cormack

部屋の雰囲気を変える友人の笑いが懐かしい。腹の底からの笑い声は、ちょっとした地震みたいに横隔膜から振動を送り出す。だが地震とは反対に、振動が届くたび、僕たちは慣れ親しんだ安心と安堵の繭に包まれる。僕たちが笑うのは、おかしいことや嬉しいことがあったときだ。会話が途切れたときも、とりあえず笑いで空白を埋めようとする。緊張を和らげ、優しい気持ちを伝えるためにも笑う。若者はおもしろいことや楽しいことに笑うし、老人は笑いたいときに笑う。だが今、僕たちの笑いが届くのは、音声が途切れがちなビデオ通話中か、もう声も聞き飽きたルームメイトだけだ。

暦は6月になり、生活に喜びを蘇らせる方法を僕は探している。もう6月だ。友人たちは疲れ果て、他人に気を使わずに呼吸できる瞬間にしがみついている。6月になってもまだ、僕たちは空き瓶にデジタル メッセージを入れて、あまり遠くの沖まで流されないように努力している。

笑い声を捕まえる

隔離生活が続く先日、友人がテキスト メッセージでジョークを送ってきたとき、僕はどうしてもボイスメモで笑い声を返信したくなった。「lololol」と返信することもできたが、それでは物足りない。だからiMessageの録音機能を起動して、もう一度笑い直すことにした。ただしリハーサルはなし。一度だけ録音した笑い声を送信した。

そうしたら、その友人も、他の友人たちも、みんなが笑い声を送ってくるようになった。そんなやりとりが楽しみになった。メッセージが着信したら、ソファに座って笑いを再演するか、大急ぎで録音を起動して笑い声を聞かせるのだ。ただそれだけ、細工は要らない。今では、このやりとりがクセになっている。録音した笑い声は、電話とボイス メールとダイレクト メールが交差する場所、エーテル界のどこかで息づく。大した行為じゃないが、笑い声は、そこに時間をかけたことを伝えてくれる。笑い直してまで録音するのは、笑いが確かに存在した事実をきちんと残すためだ。

笑い声を分析する

ハイスクール時代、ミュージカルの曲を廊下で歌いすぎだとして、僕は有名だった。ミュージカルに「歌いすぎ」ということがあれば、の話だが。とにかくアーロンはハッピーだと歌う。そしてアーロンが歌い出したらなかなか止まらないと言われていた。そこで最近、友人たちに僕の笑い声を描写してもらった。

「メロディーがあって、豊かな感じ」と評した友人がいる。

「誘われるみたいで、心が温まる。一緒に笑おうと誘われてる気がする」と、別の友人。

「う〜ん。ピノキオをうまくハメたときのゼペット、って言えばいいかな」と、3人目の友人。

成長するにつれて、僕の笑いは、笛みたいなカウンター テノールから長く続くバリトンの薄ら笑いへと進化した。一世一代の大計画を目論んでほくそ笑むDr. イーブルと、ゴシップに耳を澄ますアンジェラ・バセット(Angela Bassett)の中間だ。

(録音した)笑い声

1.ラリった笑い。この場合は大抵ゆっくり始まるから、録音をスタートする時間も十分ある。音域はファルセット。無きに等しい腹筋に支えられて、胃のすぐ下からせり上がってくる。最初はおとなしいので騙されそうになるが、突如、ハイエナの鳴き声がBフラットをスタッカートで吐き出す。ルポール(RuPaul)の笑い声より1オクターブ高い。でも、あれほど体を折って笑い続けることはない。

2.おばちゃん笑い。いちばん正確な描写は、感謝祭に集まった親戚知人が居間で繰り広げるナンセンスを見ている、叔母さんの笑い声。ラムを効かせたソレル ドリンクをすすって、自分ひとりで頷きながらクスクス笑う。

3.大笑い。前のふたつが混ざり合って、腹の底から湧き出る陽気で盛大な笑い声。ミュージカルの見せ場と同じで、パワーも声量も最大限。大きな熊ががっしりと抱きしめてくるような笑いだ。劇場の舞台から一番遠く離れたいちばん上段の席だって、このためにあるようなもんだ。ミュージカル アニメの『プリンス オブ エジプト』で「Through Heaven’s Eyes」を歌うブライアン・ストークス・ミッチェル(Brian Stokes Mitchell)とも言えるな。自分の存在を堂々と知らしめる笑いだ。

最近の笑い

2~3週間前、友人が「通りすがり誕生パーティー」をやった。彼女と彼女のガールフレンドは知り合いが住む建物を車でまわり、車の中から挨拶して、ケーキを配った。3月にニューヨークで自宅隔離が始まって以来、友人の顔を見るのは初めてだった。僕たちはいくつかジョークを飛ばし合ったが、僕たちの声はマスクと車のエンジン音に半ば埋もれてしまった。その翌週は、Instagramに投稿されていた内輪のジョークについて、ボイスメモで笑った。たとえ離れていても、自由な笑い声がはっきり聞こえるだけ、マシだった。そういう笑いに真実を聞き取れるように、僕は僕の耳を訓練してきたんだ。

だが、これから先はどうなるんだろう。街の動きは再開しつつあるが、「再開」という言葉が現状を反映しているようには思えない。むしろ、性急なドラムのビートを伴奏に、無理矢理未知の領域へ歩を進める気分だ。僕と同じ肌の人が次々と攻撃されて、街頭へ繰り出した人たちがいる。自分が持っている「自由」の特権が危ういと感じて、傲慢や恐怖から姿を現した人たちもいる。今起きていることのどれにも僕は喜びを見出せないから、次は何が起こるのか、思案を巡らせる。

ジョージ・フロイド(George Floyd)が殺された後の土曜日、僕はブルックリンのフラットブッシュ通りでデモに参加した。その途中、何か月も見かけなかった近所の人を見かけた。杖を手に、玄関前の階段からデモ隊の行進に声援を送っていた彼女へ、僕は駆け寄った。あいさつ代わりに互いの肘を軽くぶつけ合ってから、僕はデモ隊へ戻り、彼女はマスクを下げて叫んだ。

「その調子だよ、ベイビー! ハッハー! 行け行け! ウー!」

振り返ると、彼女が拳を空に振り上げ、駐車した車から聞こえるレゲーに合わせて左右に体をゆすっているのが見えた。まず微笑みが浮かび、再びデモ隊の流れに合流するまで、僕と彼女は声を上げて笑い続けた。

Aaron Edwardsは、ブルックリン在住のライター。『Pop-Up Magazine』のシニア プロデューサーと共同ホストを務めている

  • 文: Aaron Edwards
  • アートワーク: Skye Oleson-Cormack
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: June 22, 2020