虚構をデザインするチャーラップ・ハイマン & ヘレロ

『アーキテクチュラル・ダイジェスト』、『フォーブズ』、『PIN-UP』まで、誰もが愛してやまない2人組に迫る

  • インタビュー: James Taylor-Foster
  • 写真: Christian Werner

スチールのような色をした空。これを美しいと思えるのはフェルメールくらいだろう。そんな春空の下、アダム・チャーラップ・ハイマン(Adam Charlap Hyman)とアンドレ・ヘレロ(Andre Herrero)が、魅力的なパートナーシップについて生き生きと語ってくれる。場違いではあるが、奇のてらいもない。カリフォルニアから飛行機で到着したばかりのヘレロは、トマトスープのボウルを持って席に着く。チャーラップ・ハイマンは、ミルクたっぷりのコーヒーを手にしている。ふたりは1枚のトーストを交互に食べながら、最近のコラボレーション、『PIN-UP Magazine』の編集長、フェリックス・ビュリクター(Felix Burrichter)が企画した展覧会「Blow Up」のためのデザインとデコレーションについて話す。この展覧会はニューヨークにあるギャラリー、Friedman Bendaで、拡大サイズのミニチュア空間を実現するというもので、子どもの頃の環境が、今日私たちが抱く「家」に対する考えをどのように規定しているかを探求する試みだ。その夜は、彼らが舞台セットのデザインを手掛けた、オランダの巡回歌劇団ネーデルランド レイスオペラによる、スティーヴン・ソンドハイム(Stephen Sondheim)の『リトル・ナイト・ミュージック』の舞台初日だった。私たちが腰を落ち着けた、アムステルダムのレッドライト地区の中心にある別館には、朝早い観光客たちが、絶えず流れ込んでくる。

「Jonathan Trayte Bed」、Charlap Hyman & Herreroによるノグチ プレイグラウンドの水彩描写、「Blow Up」の展覧会デザインより、ギャラリーFriedman Benda

まったく趣を異にするこの2人が初めて会ったのは、ロード アイランド スクール オブ デザインのことだった。チャーラップ・ハイマンは家具デザインのプログラムに在籍しており、ヘレロは建築を学んでいた。ふたりが本格的なコラボレーションを始めたのはその数年後で、以降、彼らは複数の専門と重複するスキルセットを継ぎ合わせることで、建物からインテリア、家具のプロジェクト、展覧会の空間デザインから、舞台セットに至るまで、一連の作品を作り出している。そのスタイルはとらえどころがなく、彼らのプロジェクトは、空間の使われ方や受け取られ方に対する固定観念に揺さぶりをかける。ブルックリンとハリウッドにそれぞれがオフィスを構えるという、東海岸と西海岸をつなぐパートナーシップの流れから、通常の親密なコラボレーションを超えたクライアントとの関係まで、その根幹にある相互作用からコラボレーションは生まれる。おそらく、それは彼らの間にある空間、その空間のスケール、あるいはテキスタイル模様が、デザインに対する、彼らのシュルレアルなアプローチをひそかに育んできたのだろう。同時代の大半のデザイナーとは違い、彼らの実践は、自分たちのアイデア自体に閉じ込められたものではない。それは過去と現在のリファレンスを、しかと受け止める力がある。

Charlap Hyman & Herreroのあらゆるプロジェクトの根幹には、形を作ることや、売ること、空間のあり方においてナラティブが担う役割に対する理解がかすかに感じられる。虚構と現実の間にあるぼんやりとした境界。あるいは、世界の中に別の世界を築き上げるという願望の表れか。それこそが彼らが興味を持ち、積極的に掘り下げているものだ。それにふさわしく、と言っていいと思うが、私たちの対話はひとつの物語から始まる。

ジェイムズ・テイラー=フォスター(James Taylor-Foster)

アダム・チャーラップ・ハイマン(Adam Charlap Hyman)、アンドレ・ヘレロ(Andre Herrero)

ジェイムズ・テイラー=フォスター:一緒に仕事を始めたきっかけは?

アダム:アンドレと僕は最初、美術学校で出会ったんだ。当時の僕は、彼が建築の学生だったとは知らず、写真家だと思ってた。

アンドレ:ほとんどの人は僕のことを写真家だと思ってた。学校では、写真を通して交友を深めた方がずっと楽しかったから。他の学生のポートフォリを撮影する中で、たくさんの人と知り合えたし、彼らの作品を見て、コラボレーションもできた。そのせいで、僕は建築学科をやめるはめになったんだけど。

アダム:とにかく、僕たちがお互いのことをよく知るようになったのは、アンドレが僕のアパートの撮影したときだった。

それはまたどういう経緯で?

アダム:家具学科の卒業論文のために、僕は自分のアパートの物語を考えたんだ。これをひらめいたのは、一度も写真に撮ったことのない別のアパートがきっかけで。実は、それは僕の持っていた、ある編集者に関する本の中で描かれていたアパートで、この編集者は何もかも失って、ニューヨークに移り住み、ある集合住宅の裏手の小さな場所で暮らしていた。僕は、この物語を元に、自分のアパートをデザインしたんだ。それを写真に撮りたいと思ったとき、アンドレが、違う種類のカメラを使って、フィルムの中にその空間に関するナラティブを構成させるというアイデアを思いついた。後になって、僕はその写真で本を作った。最初の最初から、僕たちの交流は奇妙で、多くの分野にまたがるものだった。

写真は、実際、異なる分野のものをひとつに結びつけることができるツールだよね。でも、写真という手段に対するいちばんよくある誤解は、それが世界の真実の姿を見せる手段の代表だと考えられている点だ。僕の考えでは、写真は現実を虚構に変えてしまうものだ。

アンドレ:その通り。編集だ。それかポートレートかな。

デザインのツールとして、虚構や虚構の物語を使うというのが、君たちの仕事全体を貫いているようだけど、展覧会の空間デザインや、舞台やオペラのセットというのは、君たちの仕事の中ではどのような重要性を持っているの?

アダム:それがもっとやりたい仕事だということは確かだね。アムステルダムのオランダ歌劇場で僕たちが制作した『リトル・ナイト・ミュージック』のセットは、僕たちが実現した3番目で、現在進行中のセットがあと2つある。

Rue de BabyloneにあるYves Saint Laurentのアパートの大広間の縮尺模型、オークションのために備品が取り除かれる様子を1日の3つの時点で表現したもの、2017年、シカゴ建築ビエンナーレ

こうしたプロジェクトに対しては、たとえば建築的なインテリアというように、特別なプロジェクトとしてアプローチするの? それとも、家具の延長としてアプローチするのかな?

アンドレ:ある意味で写真に近いやり方だと思う。僕たちはただイメージを組み立ててるんだ。空間の捉え方としては、面白いやり方だよ。というのも、写真は根本的には平面なんだけど、それが作用する場には常に空間的広がりがある。

アダム:居住空間のインテリアのプロジェクトをやるときは、僕はいつも水彩画のレンダリングから始める。これはとても平面的に見えるんだけど、実は、プロジェクトに空間的な広がりをもたらす手段になる。それを作っているときに、たくさんの変則的な空間を盛り込むんだ。そこで常に重要になるのが、スケールと全体のバランスと色と素材だ。

取り組んでいる特定のスタイルはあるの? それとも、実践に合わせてスタイルを捉える感じ?

アダム:スタイルは、いつもその時進めているプロジェクトに特化したものだから、特定のスタイルを作り上げようと考えたことはないと思う。多くの異なる視点からアクセスできるような、複雑で豊かな空間になるよう、僕たちは空間にめいっぱい詰め込もうとしてるんだ。誰が見てもたったひとつの解釈になるものを作ろうとしたことはないよ。いつだって、多くの人にとって多くの意味を持つものになってる。思うに、僕たちが好きで、繰り返し立ち戻るのは、時間とともに進化するような、ごく個人的で、込み入ったプロジェクトや空間なんだ。そこで暮らしていた人や、それを建てた人、何であれ、人々に強く結びついている。多分、場所の持つ率直さや寛容さに由来するんだろうな。

ニューヨークのアパートに作られた、さまざまな素材(ベルベット、リネン、シルクのカーペット、ペイント、ガラス)からなるモノクロの寝室、Misha Kahn制作の鏡

ふたりともファッション業界の中やそれに近い分野で仕事をしてきているね。この業界は、自らのカルチャーを乗り越えようとしている最中で、建築やデザインと交わることがますます増えている。

アダム:今は、パフォーマンスや建築の空間に対する熱狂があって、これはファッションに関係していると思う。アーティストたちはファッション デザイナーとたくさんコラボレーションしている。最近のニューヨークのファッション ショーの多くは、アーティストが制作するインスタレーションなど、ギャラリーでの展覧会みたいだ。そして、こうしたコラボレーションは壁に絵画を展示するのとは異なる結果を生んでいる。これらの分野が交わるところを探そうというエネルギーがあるような気がする。

アンドレ:それに、一見、無関係なふたつのモノを並べて、何が起きるか見てみるというのは、「新しい」ものを作り出す、とても手軽な方法でもあるよね。アダムと僕はずっとそういうことをやってる。この物語と一緒にこの時代のこれを持ってきて、この別の物語と一緒に、あっちの別の時代から持ってきたものの中にブチ込む、みたいなことを。

物語を作り上げると?

アンドレ:物語を作り上げるんだ。

アダム:それから、ジョークやつながりといった、その間にあるカッコいいものを見つけ出す。作品が面白くしているのはまさにその点で、僕たちの作品を体験する人たちにも、同じように思ってもらえたらいいなと思ってる。

クライアントと友達になることは多いの?

アンドレ:多いと思う。

アダム: もしかすると、他の建築家よりはかなり多いかも。僕たちが相手のことをよく知るようになるのは間違いない。それは、他の事務所でもきっと似たようなものだと思うけど、まず誰かについて知るためのひとつの方法として、ある種のリズムに沿って整理された、たくさんの資料を用意して、何度かミーティングを行う。僕たちはこれらの資料をクライアントに順を追って検討してもらい、彼らの答えに耳を傾けて、彼らが何に対してポジティブに反応するか、その逆はどういうときか、例えば、どういうところで立ち止まるかを見つけ出す。2〜3回のミーティングを経て、そうしたプロセスを終える頃には、僕たち全員が本当にワクワクできるもの、あるいはガッカリすることについての、共通の言語が出来上がっている。そして多くの会話は、そこに端を発しているんだ。

彼らの頭の中で、歯車がぐるぐる回るのが手に取るようにわかる。すごく面白いよ。そこから、とても個人的なつながりが生まれるんだと思う。結果として、双方が気に入るような、ありとあらゆるものが表に出てきて、それについて話せるようになる。

何度も立ち返っているのは、どういった種類の空間や場所や、モノや人たち?

アダム:ダンテ・フェレッティ(Dante Ferretti)が制作した1975年の映画『ソドムの市』のセット。インテリアの観点では、これが本当に重要な僕のリファレンスになっている。建物はそれほど重要ではないけど、全体として素晴らしいものだと思う。僕の仕事の中では、たとえば常に壁画を取り入れている。これは、絵画プロジェクトを進めているときは、それが顕著だ。バルテュスの絵画に見られるインテリアにも魅力を感じるね。

アンドレ:僕はいつもルイス・バルツ(Lewis Baltz)に戻ってくる。彼の作品には、すばらしいフラットさがある。あと、チェコの舞台美術家、ジョセフ・ スヴォボダ(Josef Svoboda)の作品や、フランスのシャンブールシーにある秘密の庭、デゼール ド レッツも。

ふたりの間の、いわば強度みたいなものは、どうやって維持しているの? とりわけ普段は東海岸と西海岸に離れているわけだよね。

アダム:僕たちはかなり頻繁に行き来してるから…

アンドレ:…それに、かなりの時間を電話で話してるし!

アダム:僕たちは常時、電話で話してるし、どのプロジェクトに関しても、数々の手段を使って、いつでも連絡を取り合ってる。

アンドレ:…でも、そのほとんどはコンセプトやデザインの話になるときだね。

アダム:コンセプチュアルな作品のすべてにおいて、先に話したことに戻るけど、僕たちの仕事では写真が本当に重要な位置を占めると思う。より広い意味では、トリックのアイデアや、あるいは疑念を一旦停止にすること、というのが、僕たちの手がけるあらゆるプロジェクトで大きな割合を占めるだ。僕たちはいつでも目の錯覚にワクワクする。それが、素材の決定から、部屋全体はどんなものに見えるか、その空間は観客にどのように理解されうるかといった広い視点のアイデアまで、あらゆるものに関わっていると思う。

  • インタビュー: James Taylor-Foster
  • 写真: Christian Werner
  • 画像提供: CH Herrero
  • 翻訳: Kanako Noda