モントリオール出身のテニス王子:フェリックス・オジェ=アリアシム

前途の長い神童は、いつまでもパワフルなキャリアを志す

  • インタビュー: Kate Perkins
  • 写真: Christian Werner

2000年8月8日、当時テニス界の期待の新星であったロジャー・フェデラー(Roger Federer)は19歳の誕生日を迎えた。男子シングルスで初の優勝を手にする2年前のことである。同じく2000年8月8日、モントリオールで、フェリックス・オジェ=アリアシム(Félix Auger-Aliassime)が産声を上げた。母はケベック生まれのマリー・オジェ(Marie Auger)、父はトーゴ共和国出身のテニス プレイヤー、サム・アリアシム(Sam Aliassime)。フェリックスが5歳になる前に家族はケベックシティの郊外へ引っ越し、地元のテニス アカデミーで父のトレーニングを受けながら姉とフェリックスは子供時代を過ごした。

時は流れて2019年。ランキングを駆け上がってきたフェリックスの現在位置は、憧れのヒーローがかつて身を置いた場所と酷似している。そう、テニス界に新たな時代を拓けるかどうかの瀬戸際に立っているのだ。気が遠くなるほどの大仕事だ。しかし、輝く前途を視野に据えているのは、フェリックスひとりではない。同世代ではビアンカ・アンドレースク(Bianca Andreescu)やデニス・ シャポバロフ(Dennis Shapolov)がいるし、バセク・ポシュピシル(Vasek Pospisil)など、同じカナダ出身のプレイヤーとは定期的に対戦する。フェリックスは、カナダのテニス界で躍進を示しつつある新世代の先鋒だ。

フェリックスは、19年の人生の大半を「神童」という言葉と共に過ごしてきた。荷の重い厄介な決まり文句でもあるし、正当な評価でもある。これまでの主だった戦歴を見ると、2019年度デビス カップ決勝戦へ勝ち進んだカナダ チームの最年少メンバーであったことを含め、ほとんどの記録を最年少で塗り替えてきた。だが「神童」というレッテルの重荷は、若くして非凡な才能に期待されるゆえの甚大なプレッシャーではなく、刻一刻と進み続ける時の流れだ。つまるところ、「神童」と呼べるのは若いうち。若さが過ぎれば「神童」は過去のものとなり、不確定な将来が待ち受ける。「神童」という言葉は、暗に、その後の人生に訪れる不明な成り行きを含んでいる。

「神童」と並んでしばしばフェリックスに与えられる賛辞は、年に似合わない落ち着きだ。コートでは抜群の才能と冷静さを見せ、コートを離れてもプロ意識を失わない。カナダ人らしい礼儀正しさと謙虚さは、紳士的なスポーツマンシップに通じる。フェデラーの場合、それは「問題児」ぶりを発揮した時期を過ぎてからようやく身につけた態度だった。フェリックスは、物腰が柔らかく、親しげな微笑みを浮かべる。誠実さも感じる。アスリートがソーシャルメディアのスターになり、自身のブランド化に腕を振るう時代にあっては、珍しい存在だ。若いアスリートは特に、デジタルの舞台で華麗なパフォーマンスを見せる必要がある。現代を先取りした感のある『バスケットボール ダイアリーズ』の著者ジム・キャロル(Jim Carroll)が詩人のテッド・ベリガン(Ted Berrigan)に語ったことを簡単に言い換えるなら、カッコよくなくてはいけないし、カッコいいところをカッコよく見せなくてはならない。フェリックス自身のInstagramチャンネルでは、ファンを喜ばせるハイライト場面やメディア公開並みのアクション ショットのそこかしこに、ガールフレンドと一緒の健全で楽しげな年齢相応の投稿が混じっている。例えば、アムステルダムの運河の岸でポーズをとった写真。Gucciの試着室の写真は、「ヨーロッパ風ファッション」のコメント付きだ。

フェリックスは、モンテカルロで私の電話を受けている。現在はモナコへ拠点を移し、セレナ・ウィリアムズ(Serena Williams)を育てた伝説の名コーチ、パトリック・ムラトグルー(Patrick Mouratoglou)のテニス アカデミーでトレーニングを受けているのだ。清澄な気候が毎日の苛酷なトレーニングに理想的で、まさにテニス天国。雪が吹き溜まり寒冷前線が押し寄せるカナダの自然とはまるきり別世界だが、毎日の生活は馴染み深い。テニス学校に通いながら成長したフェリックスは、父の軌跡を踏襲する。共に、一生を通じてテニスという競技を学び続ける。「テニスへの情熱は、父さん譲りだよ。父さんとプレーして大きくなったし、姉さんともプレーした。周りにも若いテニス プレイヤーがたくさんいたし…。今も続けてる者も、もう止めた者もいるけど、友達のほとんどはテニスつながりなんだ」

テニスは個人競技だが、フェリックスがこれまでのテニス歴を話すといつも仲間の話になるのは印象的だ。家族、友達、同世代。まさしく、フェリックスはカナダのテニス界の先頭を走るひとりなのだ。「確かにこの10年でテニスのやり方はすごく変わったし、その成果が現れてる」と、彼は語る。「どんどん登場してくる若手選手の一員として、カナダのテニスが世界の強豪になっていくのは誇らしい」。カナダが脅威になりつつあることは、自他共に認める事実だ。昨年のウィンブルドンで、ジョン・マッケンロー(John McEnroe)は、フェリックスをトーナメントでいちばん「手強い」対戦相手と評した。

もし別のスポーツだったらサッカーをやってたと思う、とフェリックスは言う。フェデラーとのもうひとつの共通点だが、フェリックスに関する限り、サッカーの道を本気で考えたことはない。「オフの日に機会があれば」サッカーをすることもあるが、実は、テニスに次ぐ情熱は音楽らしい。そちらの才能は、合唱隊のメンバーでありピアニストでもあった母から引き継いだと言う。4月のRolex モンテカルロ マスターズで選手たちが一堂に会したパーティでは、ステージに上がり、スーツとボウタイで正装した一流選手の仲間たちを楽しませた。小型のデジタル ピアノを前に、恥ずかしげながら大きくニヤリと笑って見せた様子は悪戯でも仕掛けるのかと思わせたが、演奏が始まるやナイフやフォークが皿に当たる音は途絶え、会話のざわめきも静まった。披露した曲目は、ヤン・ティルセン(Yann Tiersen)の叙情的な小品「La Dispute」。

フェリックスとフェデラーの類似は、フェデラーが意識するところでもある。フェリックスがプロになった2017年には、一緒にトレーニングをしようとフェリックスをドバイへ招待した。フェデラーは息の長い選手だ。同じく30歳を超えたラファエル・ナダル(RafaelI Nadal)やノバク・ジョコビッチ(Novak Djokovic)と合わせて男子テニス界のビッグ3と呼ばれ、いまだ揺るぎないトップレベルで活躍している。それについてどう考えているか、フェリックスに尋ねてみた。何かにつけて若さを取り沙汰されるフェリックスにとって、いつまでキャリアが続くかを考えるのは、どんな気持ちだろうか?

「難しい問題だね」と答えた後、少し間があく。「僕の場合、今自分がやってることに意識を集中してる。だけど自分自身、自分の体と精神を大事にする必要があるよね。自分で自分を守らなきゃいけない。テニスは僕のキャリアだけど、僕の情熱でもあるから…、長く続けたいよ」

そう言い残して、フェリックスはコートへ戻った。トレーニングの1日が始まる。彼の目前には遥かなる前途がひらけている。

Kate Perkinsは『Victory Journal』の副編集長である

  • インタビュー: Kate Perkins
  • 写真: Christian Werner
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: January 20, 2020