NASCARの新星がタイヤと歴史を変える

ピット ストップなしで己の道を疾駆するブレアナ・ダニエルズ

  • 文: Michael Venutolo-Mantovani
  • 写真: Geoffrey Knott

今週は、SSENSEとVictory Journalが共同で、スポーツをテーマにした5つのストーリーを連載します

コンクリートの低い仕切り壁へ上ったタイヤ交換を担当するピットクルーは、戦傷を負ったレース カーがピットへ入ってきたらすぐさま行動に移れるように、膝を曲げた姿勢で待ち構える。手にしたホイール ガンの引き金を2、3度しぼると、ストックカー レースならではの機械音が発生する。その仕草は、おそらくガンから汚れを払い落とす方法なのだろう。あるいは、何世代も受け継がれた習慣のなせる技なのかもしれない。ストックカー レースは、そもそも、密造酒の運び屋と警察との戦いに端を発した。プロの運び屋として、追われても逃げ切るだけの運転技量が要求された無法者たちは、次第に腕を磨き、やがて運転技術そのものが競われるようになったのである。

39台のレース カーが、轟音を立ててピット ロードへ走り込んでくる。わずか5,900㎤足らずのエンジンが地面を揺るがせ、4万7000人のファンが総立ちになる。8月下旬の暑い夜、NASCARの目玉レースに数えられるサザン500がサウスカロライナ州ダーリントン レースウェイで進行中だ。スタンドを埋め尽くした観客は、レースでいちばんエキサイティングな瞬間のひとつである「ピット ストップ」を少しでもよく見ようと、懸命に身を伸ばし、目を凝らす。

ドライバーたちが指定の整備ピットへ車を滑り込ませると、39組のピット クルーが直ちに行動を起こす。レースで酷使されたハブに4本の新品のGoodyearタイヤを履かせ、Sunocoのガソリンを満タンにし、車軸の位置を調整するラテラル ロッドやコーナリングを左右するスタビライザーを調整する。ダーリントンのレース トラックは、難易度の高さで知られ、容赦なく苛酷な挑戦をつきつけることから「手懐けられない」トラックとしても知られている。だから、特に壁面沿いに傾斜したカーブを走り切るには、この調整が欠かせない。

タイヤを軋ませてレース カーが停車すると、ピット クルーはコンクリート壁を飛び越え、磨耗したホイールとブレーキから舞い上がる粉塵の只中へ飛び込んでゆく。フロント タイヤの交換に1名、リア タイヤの交換に1名、タイヤの運搬に2名、ジャッキに1名、給油に1名。全員が見事に連携して、割り当てられた一連の手順を遅滞なくこなす。自分以外のメンバーが今どこで作業しているか、正確な場所を超自然的な感覚で把握しつつ、振り付けられたダンスのようにすれ違う。

タイヤ交換のクルーが全速力で車体の向こう側へ回り込み、バンパーから至近距離の持ち場につく。ジャッキ担当が鋼鉄製の巨大なジャッキを車体の下へ滑り込ませ、1.5トンを超える車体の右側を地面から浮かせる。するとタイヤ交換クルーが使い込んだパッドを着けた膝をつき、右側リア タイヤの5本のホイール ナットにとりかかる。

ピュ ピュ ピュ ピュ ピュ

タイヤ運搬担当のひとりが熱で溶けたタイヤを取り外して脇へ転がすと、もうひとりが引き受ける。まっさらなGoodyearのゴムに包まれたタイヤを持ち上げ、ハブにはめ込む。間髪を入れずタイヤ交換クルーがホイール ガンの小さな回転方向ボタンを押して、ナットを「緩める」から「締める」へ切り替える。

ピュ ピュ ピュ ピュ ピュ

5本のナットが確実にホイールを装着する。ジャッキ担当がジャッキを下ろすと、ドスンと車体が落ちる。ピット クルーは直ちに車体の左側へまわり、同じ手順を繰り返す。ジャッキ担当がジャッキを外し、車がアスファルトへ接地する。

「ゴー ゴー ゴー ゴー ゴー!」車が舗装面に触れた瞬間、クルー チーフが無線でドライバーに号令を叫ぶ。ドライバーが思いっきりアクセルを踏み込み、ホイールがスピンし、フードの下の800馬力が生き返る。4本の新タイヤ、ガソリン満タン、精密な調整。そのすべてを完了するのに、15秒足らず。

ピット クルーが仕切り壁を乗り越えて元位置へ戻り、ヘルメットを外すと、難燃性フェイス マスクに覆われた頭部が現れる。ほとんどは、大柄あるいは巨体の男たちだ。メジャーに所属する強豪カレッジのアメフト選手だった者も少なくない。タイヤや大型のジャッキや給油タンクを運んだり持ち上げたりするには、正真正銘の体力と運動能力が要求される。

クルーがピット ボックスへ集まり、ヘルメットとフェイス マスクを脱いだところで、タイヤ交換クルーのひとりが、他のメンバーとは様子が違うことが露わになる。これこそブレアナ・ダニエルズ(Brehanna Daniels)、NASCAR創設以来初めての、アフリカ系アメリカ人の女性タイヤ交換クルーだ。

ノースカロライナ州ムーアズビルは、アメリカにおけるストックカー レースのメッカである。ルート77を約50キロ南へ下れば、NASCARの聖地シャーロット。その北側のエリアに聳え立つ高層ビルには、NASCAR運営組織が本部を構えている。だがここムーアズビルでは、砂利を敷いただけの駐車場に少なくとも必ず1台のレース カー輸送車が鎮座し、シャッターを巻き上げたガレージにはほぼ例外なく改造中のシャーシが見受けられる。郊外のどの脇道にも、バーンアウトで破裂した数知れぬラバー トラックが転々と残され、住宅の車庫には取り外したタイヤが積み上げられている。この場所で、カー レースは脈々と息づいている。

ムーアズビルの曲がりくねった田舎道を走っている車は、おしなべて改造車のようだ。轟音を響かせるエキゾースト パイプ、アスファルトの路面をがっちり掴むロープロファイル タイヤで、アメリカ生まれのストリート マシンは約400メートルのクォーター マイル レースを14秒足らずで走破する。ほとんど全部のトラックが車高を上げ、少なくとも33インチか34インチのタイヤを履いている。真っ黒のリア ウィンドウには、毎週土曜日に南東部各地で開催される改造車レースやストリート ストック レース用のナンバー スティッカーが、誇らしげに貼り付けてある。

小雨の中、ダニエルズがムーアズビルにある「エクスカリバー ピット スクール」へ到着する。ムーアズビル流の改造車やムーアズビル流のトラックに占領された駐車場で、ダニエルズのまったく未改造のJeepラングラーは異分子だ。彼女は先ず、遅刻を詫びる。レース チームの常勤スタッフではないから、生活費の足しに、夜はシャーロットの近くにあるゴルフ練習場「トップ ゴルフ」で働く生活だ。

ダニエルズが向かう建物は、まったく飾り気がない。毎日ここでトレーニングを重ね、週末に参加するレースとチームが指定されるのを待つのだ。NASCARに参加するチームには常勤クルーを雇えるほどの資金がないから、エクスカリバーのような組織が、毎週ピット クルーを派遣する一種のエージェントの役割を果たしている。次に参加するレースがどこで開催されるか、ダニエルズには見当もつかない。

エクスカリバーは、元はガレージだったが、現在は、ピットの作業エリアを模したピット ストールが設けられている。長さ6メートル、高さ60センチほどのコンクリート壁の背後に、おそらく100本はあろうかというタイヤが積み重なっている。至るところに置かれたバケツは、何千本もの黄色いナットで満杯だ。数分おきに、シャッターを巻き上げたガレージのすぐ外でストックカーが唸りとともに息を吹き返し、ピット イン練習用のストールへ入ってくる。将来を期待されるクルー候補の一団は、1回の午後の講習で、何十回となくタイヤの交換と模擬の給油を繰り返す。

ダニエルズは、バージニア州沿岸部にある黒人大学として有名なノーフォーク州立大学のバスケットボール奨学生だったところを、NASCARの「Drive For Diversity (多様性の推進)」プログラムで採用された。NASCARというスポーツの世界に、女性や有色人種の数を増やそうとする取り組みだ。「HBCU」と称される国内の歴史的黒人大学で、フットボール スタイルの適正テストが開始されたのが4年前。それぞれの分野でプロ選手として活躍できるレベルではないが、競い合うことは止めたくない…。そんなアスリートを割り出すことが目標で、カー レースについてはまったくの無知でも構わない。

「NASCARは耳にしたことがありました」。ダニエルズは語る。「何が待ち受けてるのか、予想もつかなかったけど、アスリートとしてのキャリアを終わらせたくなかったんです」

当時ノーフォーク州立大学のバスケットボール アナウンサーだったティファニー・サイクス(Tiffany Sykes)は、NASCARのピット ストップのYouTube動画をダニエルズに見せて、2016年5月に同校で行われるテストを受けるよう説得した。ダニエルズ自身もピット クルーのスピードと敏捷性に驚嘆し、テストを受けることに決めた。そして優秀な技能を示したことから、全国レベルでの審査へ進出し、その結果、ノースカロライナ州コンコードにある「レヴ レーシング」ピット スクール訓練プログラムへの参加が認められた。

続くレヴでの6か月間、ベテランのクルー チーフであるフィル・ホートン(Phil Horton)の下で、ダニエルズはピット ストップについて詳細に学んだ。腕に巨大なタイヤを抱えたタイヤ交換クルーが、機敏に行き交う様子を動画で勉強した。ピット ストップに関する規則、コンクリート壁上での待機が許可されるスタッフ数、外したタイヤを自分の手が届かないところへ転がらせてしまった場合の危険性とペナルティも覚えた。「タイト」はグリップが強すぎてスピードを出せない状態、反対に「ルース」は、スピードは出せるがコントロールが難しい状態だと知った。それらの問題にタイヤ圧が影響を及ぼす可能性も理解した。ホイール ガンの使い方も習得した。

体中が悲鳴をあげ、頭もパンク寸前。ホイール ガンを操作し、レース カーからスチール製のホイールを引き抜く作業で痛んだ両手を氷で冷やしていると、カレッジでバスケット ボールを始めた最初の頃を思い出した。

「簡単じゃないだろうとはわかっていたけど、あれほど大変だとは予想してなかったと思います」と、ダニエルズは言う。

6か月の訓練後、ダニエルズはエクスカリバーに所属し、その後間もなく歴史を作った。2017年の春、デラウェアのドーバー インターナショナル スピードウェイで開催されたレースで、ダニエルズはNASCARシリーズ戦のピット インに登場した史上初のアフリカ系アメリカ人女性となったのである。

ダーリントンの夜更け、ほとんど真夜中に近い。ハリケーン「ドリアン」の最前線のおかげで午後6時にスタート予定だったサザン500は4時間近く遅れ、ようやくレースの1/4が終わった程度だが、レース カーは唸りをあげ、会場を去る者はひとりもいない。

ブレアナ・ダニエルズとピット クルーのメンバーは、つい先程ピット ストップを終え、全員がピット ロードの出口付近で動き回っている。今夜のチームは「リック ウェア レーシング」の54番、ドライバーはギャレット・スミスレー(Garrett Smithley)だ。まだ若いスミスレーはサザン500の初出場だから、彼にも54番チームにもほとんど期待はかけられていない。レースでは、ラッパーに期待が寄せられることもまずない。「ラッパー」とは、最終ラップから落ちこぼれた着外チームの蔑称であり、ラッパーにとっては、とにかくフィニッシュ ラインを通過するだけでささやかな勝利だ。

67周目で54番はコントロールを失い、スピンしながらトラックを横切る。スミスレーはコントロールを取り戻し、壁面にも他の車にも衝突することはなかったものの、イエロー フラッグが振られ、トラックの全周で大きな琥珀色のライトが点滅して、レースの危険性をドライバーたちに知らせる。ペース カーとなる鮮やかなレッドのChevroletカマロがピット ロードから発進し、39台のレース カーがその後ろに続く。

次のピット インに備えて、スミスレーのクルーは態勢を整える。車群がダーリントンの手強いトラックを非常にスローなペースで1周し、第4ターンにじわじわと近づき、さらにピット ロードの入口に近づいてくると、クルーに緊張が走る。

互いのバンパーすれすれになりながらレース カーの一団は第4ターンを抜け、難しい左折でピット ロードへ雪崩込んでくる。いずれも鮮やかな塗装をほどこした車体が、レーシング グリーン、インパクト レッド、ハイオクタン イエローの混ざり合った巨大な絵筆のひと刷毛となって流れ過ぎる。風を巻き起こしてほぼ全車が走り過ぎるなか、ギャレット・スミスレーのチームは待ち続ける。ナンバー54の車体が慎重にピット ストールへ近付いてくる。コンクリート壁に上って持ち場に着いたクルーの構えが緊迫する。ジャッキと燃料の入った缶は、逞しい肩に担がれている。ブレアナ・ダニエルズは信頼するホイール ガンをしっかりと握り、これまでに何百万回となく練習してきた振付をこなすべく、全身に力を込めた。

  • 文: Michael Venutolo-Mantovani
  • 写真: Geoffrey Knott
  • 協力: Victory Journal/Aaron Amaro、Chris Isenberg、Kate Perkins、Nathaniel Friedman、Shane Lyons、Tim Young
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: November 12, 2019