5つの伝説のパーティー

「ノー バカンシー イン」のトレメーヌ・エモリーとアサイドが、創造を生み出す触媒としてのナイトライフを語る

  • インタビュー: Arthur Bray
  • 写真: Arthur Bray

「ノー バカンシー イン(No Vacancy Inn)」 は、一切の形式に束縛されることなく、自由に創造を誕生させる孵卵器のような存在だ。物理的な実体を持たず、ラジオ番組、一連のパーティー、あるいはポップアップ ストアの形態をとりうる「ノー バカンシー イン」 は、創設者であるトレメーヌ・エモリー(Tremaine Emory)とアサイド(Acyde)のフットワークの軽い生活をそのままに反映している。「俺たちはアート バーゼルに行ってるかもしれないし、ブルックリン美術館で『Boombox Retrospective』を展示してるトム・サックス(Tom Sachs)に会いに行ってるかもしれない」とアサイドは言う。「70年代と80年代のチェルシー ホテルがあちこち移動してるようなもんだと思えばいいさ」と、トレメーヌが言い足す。今回のインタビューの場所はバリ島。トレメーヌとアサイドは、「International Stussy Tribe Gathering(インターナショナル ステューシー トライブ ギャザリング)」に参加するため、ポテト ヘッド ビーチ クラブへ向かうところだ。STÜSSYを媒介に繋がった世界のクリエイターやアーティストが一同に集うこのイベントは、ほぼ間違いなくNo Vacancy Innの2本柱でもある音楽と対話で盛り上がる。ともするとそれらがぶつかり合う日没後の薄暗いバーは、レコードとシガリロをきっかけに、トレメーヌとアサイドが初めて意気投合した場所でもある。

トレメーヌがマイクを握り、アサイドがキュレーションしたミックスをプレイする中、ふたりはMC「マスター オブ セレモニー」と DJ「ディスク ジョッキー」としての自分たちのフレンドリーな関係を回想する。「DJは、いつだって、自分の手持ちの幅広さを証明しようとするもんさ」。アサイドは言う。「トレメーヌはそれに力を貸してくれるんだ。あの名物レポーターのクレイグ・セイガー(Craig Sager)が、90年代にブルズとニックスの第7戦でやったみたいにね」。アサイドによれば、今彼がヒップホップをプレイしない理由、そして次のツアーではプレーするかもしれない理由、そのふたつを理解できるのがトレメーヌだ。とても結び付きそうにない2枚のレコード、対話、出会い…そこにコネクションを作り出すことが、ふたりにとってはすべてだ。そして、彼らが支える煙にかすんだ深夜のイベントは、創造を生む触媒となる。

1 深夜のマネロズ

時:2012年
場所:「マネロズ バー」、ロンドン
主な参加者:ジェームズ・マネロ(James Manero)、アミーチ(Amici)、ディディエ(Didier / 別名アイス ウォーター)

アサイド:2012年、俺たちは毎週金曜日に、イースト ロンドンの「マネロズ」でパーティーをやってた。「マネロズ」は実は営業許可を受けてない潜りの酒場で、通りに面した黄色い扉は普通の人家にしか見えないんだ。だけど、地下がクラブになってたわけ。すごく狭くて、すごく居心地のいい場所だった。そこで初めてトレメーヌと知り合って、一緒に仕事をできるようになった。俺たちふたりは、お互いの役割をスムーズに理解できたんだ。オーナーのジェームズはキューバ出身だったけど、クセのある奴でね、世界で最大のエゴの持ち主だったな。俺は好きだったけど、それにしてもあいつは異常な自己中だったよ。殴り合い寸前までいったことも何度かある。それから、ディディエ。ディディエは一種のマスコットみたいな存在だった。見たこともないほど大酒を飲むくせに、その次の日はケロッとした顔で、まったく問題なく何でもこなせるんだ。だから、アイス ウォーターってあだ名がついた。

トレメーヌ:きっと氷水に浸かって寝るから、あれだけ飲んでも酒が抜けるんだろうって…。

アサイド:やたら背が高くて、すごくハンサムな黒人だったよ、ディディエは。確か親父さんは外交官で、要するに奴は社交界の人間だったわけだ。正直なところ、俺たちほど多種多様な人間に出会う職業や仕事はないぜ。ナイトライフは、ある種極端な人間を引き寄せるんだ。着るもの、暮らし方…とにかく極端!

2「Yeezus」 即興リスニング パーティー

時:2013年
場所:「ラ ボデガ ネグラ」、ロンドン
主な参加者:ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)、フランク・オーシャン(Frank Ocean)、Supremeのカイル・ディマーズ(Kyle Demers)

トレメーヌ:アサイドと俺は、セルジュ・ベッカー(Serge Becker)の「ラ ボデガ ネグラ」でよくパーティーしてた。ベッカーがニューヨークにオープンしてた「ラ エスキーナ」をそのままコピーしたみたいに、「ラ ボデガ」もそっくり同じ作り。外から見るとアダルト ビデオのショップみたいだけど、本当はメキシコ料理のレストランなんだ。ある晩、俺とカイルは「ボデガ」でヴァージルと飲んでて、そのとき初めてフランク・オーシャンに会った。とにかくフランクがやって来て、みんなで飲み続けて、大いに盛り上がった。俺とヴァージルはすっかり馬が合ったし、「ボデガ」が気に入ったヴァージルは、みんなで一緒にパーティーをやるべきだって言ったんだ。

アサイド:だから俺たち、メールでその週の土曜日にパーティーを開く段取りをつけた。その土曜日は、丁度、カニエ(ウェスト / Kanye West)がロンドンで「クルーエル ウィンター」ツアーをやる日だったんだ。ヴァージルはいつだってヴァージル、何事も確約はしない。理由は、先ず第一に、ヴァージルはすごく頭がいい、だけど第二に、カニエのような人間と一緒に仕事をしてると、簡単にカニエを代弁するわけには行かない。そういうわけで、必ずしも「イエス」とは言わないんだ。とにかく、ヴァージルは土曜日になる前にカニエと会場をチェックして、ショーの後バーに行くかも、ってみんなに言っておいた。はっきり決めないで、そういうふうに未定のままにしといた。

で、土曜日にカイルが電話してきて、もう「ボデガ」に向かってるかって聞くんだ。俺は当時付き合ってたガールフレンドとまだベッドにいたけど、「行きたいんだったら、さっさと行って、様子を見たほうがいいわよ」って言われて、文字通り、タクシーに飛び乗って、途中でトレメーヌを拾って、それからヴァージルに会った。

トレメーヌ:俺たちが全員「ボデガ」で顔を合わせたのは11時か12時頃だったな。到着したヴァージルが「よぉ、イェも来たからドアのところまで来いよ」って、テキストを送ってきたんだ。イェは「よぉ、どうだ」って言って、そのまま中に入ってきて、パーティーの始まりだ。クレイジーなパーティーだったぜ。参加者は200人もいなくて、すごく打ち解けた雰囲気だった。イギー・アゼリア(Iggy Azalea)もいたし、アサイドがDJをやってたし、ヴァージルもDJをやって、そしたらイェがオーディオ ケーブルを引っ張り出してきて、「Yeezus」をプレイし始めた。それくらい気軽だった。イェはデッキの傍に立ってたのに、ずっと俺のほうを向いて喋ってたもんで、最初の10分は、イェがプレイしてるなんて誰も気がつかなかったんだ。

途中でキム(カーダシアン / Kim Kardashian)から電話がかかってきたんだけど、イェは「ベイビー、俺、今ロンドンで新しいアルバムをプレイしてるところなんだ。愛してるよ。後で電話する」って感じだったな。俺はイェの隣に立ってて、イェが「I Am a God」をプレイして、俺が「ダフト パンク(Daft Punk)みたいだな」って言ったら、イェは「そのとおり、ダフト パンクさ」って。「なんてこった!」だよ。あれは絶対忘れないな。とにかく伝説に残る夜だった。しかも、俺とアサイドとヴァージルが一緒にやった初めてのパーティーだったんだ。そこからすっ飛ばして5年後の今も、ベンジー・B(Benji B)とヴァージルと俺たちはずっとイベントをやってるし、フランクは俺の大の親友になった。だから、ナイトライフは大切なんだ。ただナンパするんじゃなくて、ハイになるんだ、飛翔するんだ。あの夜はすごくクリエイティブだった。

3 Hood By Air x Selfridges 「アポカリプティック ローラースケーティング」

時:2013年
場所:セルフリッジ店駐車場、ロンドン
主な参加者:Been Trill (マシュー・ウィリアムズ / Matthew Williams、ヴァージル・アブロー、ヘロン・プレストン / Heron Preston)、シェーン・オリバー(Shayne Oliver)

トレメーヌ:あれがトラップオンリーの夜はあれが最初だったな。俺たちとBeen Trillが企画したんだ。Been Trillは当時絶頂で、その後あっという間にダメになったんだ。まぁ、理由は色々あったさ。Hood By Airも全盛期だった。老舗デパートのセルフリッジがストリートウェアのためにパーティーをやったのは初めてだったし、おまけにカネまで出したんだ。マシュー・ウィリアムズとヴァージルとヘロン・プレストンとシェーン・オリバーを、わざわざ飛行機で招待したんだから。スカートをはいて滑りまくってる格好いいスケーターたちがいて、すごくワイルドだったな。アフターパーティーで知り合ったキッズと、今じゃ一緒に音楽をやってるよ。すごく良いエネルギーだった。

アサイド:例のカニエの飛び入りパーティー以来、なんて言うか、俺たちは評判になったから、文字通り誰もかれもが会場に押しかけてきたんだ。自惚れじゃなくて、そういうイベントをやるには、俺たちがちょっと有名になりすぎた気がした。もう以前みたいに仲間同士の集まりみたいな雰囲気はなくなった。

4 Palace Skateboards 屋上パーティ

時:2015年
場所:「ランパス ルーム」、ロンドン
主な参加者:パレス スケートボーズ(Palace Skateboards) クルー、エイサップ・ロッキー(ASAP Rocky)、エイサップ・ヤムズ(ASAP Yams)、ベンジー・B(Benji B)、ミシェル・ラミー(Michele Lamy)、リック・オウエンス(Rick Owens)、ヴァージル・アブロー

トレメーヌ:Palaceの連中ともパーティーしたな。すごく盛り上がったんだ…エイサップ・ロッキーとエイサップ・ヤムズがいたし、Palace Skateboardsのチームはベンジー・BとDJしてたし、あとアサイドと俺。ちょうどロッキーが「Multiply」を発表した週で、「Been Trillなんかクソ食らえ」って歌詞があったから、てっきりヴァージルと一悶着あるだろうとみんな思ってた。あのパーティーに俺が声をかけてたのは、ヴァージルとヤムズ、Chase Infinite、ロッキー。ミシェル・ラミーもリック・オウエンスと一緒に現われたし、ロンドンのキッズが500人以上もホテルの前につめかけた。あのクラブでパーティーをやったのは、後にも先にもあの1回だけ。ヤムズに会うのは2回目だった。とにかく人が多すぎて、パーティー自体長くは続かなかった。だけど、あれはつくづくすごかった。「まるっきし新しい市民権運動だな。俺たちはそういう場所にいるんだ」ってヴァージルが言ったのを覚えてる。ロッキーは、リック・オーウエンスとミシェル・ラミーの前で、自分が作ったアート ビデオの「Chevy」を見せてた。だけど、あんまりキッズが大騒ぎし始めたもんだから、追い出されたんだ。今じゃ、ホテルはどこも俺たちやヴァージルの予約を取ろうとしてるんだから、皮肉だよな。だけど当時は俺たち、誰かに予約されるなんて考えはまったくなかった。ヴァージルには1000ドルと飛行機の切符を渡しただけ。1000ドル程度じゃ、普通、ヴァージルはDJなんかしないぜ。知ってるだろ? 俺たちがやってたパーティーは、俺たちが今いる場所のスタート地点だったのさ。

5 アート バーゼル マイアミ、Know Wave共催「コミュニバーシティ」

時:2016年
場所:「Know Wave ヴィラ」、マイアミ
主な参加者:エーロン・ボンダロウフ(Aaron Bondaroff)、ヴィーナス X(Venus X)、インターナショナル ステューシー トライブ(International Stussy Tribe)、シボーン・ベル(Siobhan Bell)、オニキス コレクティブ(The Onyx Collective)、ヴァージル・アブロー、エイサップ モブ(ASAP Mob)

アサイド:マイアミ アート バーゼルのときは、Know Waveと一緒に、1週間まるまるトーク ショーとパーティーをやった。みんな打ち解けて、すごくリラックスした雰囲気だった。世界中から友だちが参加して、超開放的だったよ。ヴァージル はもちろんだけど、エイサップ モブもいたし、ヴィーナス Xもステューシー トライブもシボーン・ベルも来てた。なんだか妙なアート パフォーマンスもあったな。俺たちのDJだけじゃなくて、もっとそれ以上に大きなイベントだった。

トレメーヌ:あのとき、俺たちは次のレベルに移ろうと決心したんだ。今でもパーティーとDJは続けてるけど、社会的にそれとは違うレベルがあることが分かったんだ。俺たちの活動はどれも、一歩の前進だ。これまで何かをやるたびに、いつも、何かを理解してきた。

Arthur Brayは、ファッションと音楽を専門とするライターであり、以前は『HYPEBEAST』のマネジング エディター、現在は『Crepe City Magazine』の総合エディター。『032c』『FACT Mag』『Intelligence』にも寄稿している

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