マイク・メレーの辞書に「不可侵」はない
インフルエンサー兼デザイナーが、ロゴ、『032c』、拡張現実、ル・コルビュジエの尻を語る
- 写真: Adrian Crispin
- インタビュー: Adriano Sack

この記事は、クリエイティブ ディレクター特集の一環として書かれたものです。
マイク・メレー(Mike Meiré)と僕が最後のドリンクを注文したのは、午前1時、ケルンのベルギー地区にある「MD」という名前のカクテル バーだった。彼が妻のミシェル・エリー(Michelle Elie)や3人の息子と暮らす自宅は、ここからわずか数ブロックだ。今マイクは、1987年に兄のマーク・メレー(Marc Meiré)と共同で設立したエージェンシー「Meiré und Meiré」が建築予定のビルについて、話している。ひとつはデイヴィッド・アジャイ(David Adjaye)、もうひとつはネリ&フー(Neri & Hu)の設計。マイクが控えめに言うところの「ランドマーク」になるらしいが、いずれにせよ完成の暁には画期的な建築になるはずだ。役所の許可を取得するには、まだいくつかクリアしなくてはならない問題点があるが、問題の大小を問わず、ミスター・メレーは障壁を障壁とも思わない。
クリエイティブ ディレクターであり、アーティストであり、デザイナーであるマイク・メレーは、現在54歳。『032c』や『Garage』をはじめとする前衛的なマガジン、BMWやTelekomといった大手クライアントのために発揮する手腕は、顧客サービスとコンセプト アートの境界を溶解し続ける。僕たちはもうそろそろ9時間も話し続けているのに、僕の記憶が正しければ、1秒たりとも話題に困ることはなかった。彼は名声、快感、成功を貪欲に追求するが、彼の思考もまた、それにふさわしいスピードで回転する。一方に自虐的なユーモアがあり、もう一方に評価と注目を求める子供っぽい欲求がある。トレードマークのTom Fordのメガネ。ダーク ブルーのスウェットシャツには、伝説となったドイツの美術学校「バウハウス」の設立100周年を記念した、マイク自身のデザインがプリントされている。バーを出て、送ってくれた車から僕が下りようというときの「締めに、ホテルのバーで一杯やるのはどう?」という誘いには、半ば僕の答えを確信した響きがあった。翌朝受け取ったテキスト メッセージによると、彼はチョコレート スプレッドの瓶にフォークを突っ込んだまま、キッチンのテーブルで寝落ちしたそうだ。信じがたいが、本当のことだ。飽くことなく常に上の成功を目指し続けるやり手にも、たまには睡眠が必要だ。ともかく、1月のある金曜日の午後、メレーのエージェンシー(別名ファクトリー)とアート スタジオ(別名アトリエ)での僕たちの対話まで、時間を巻き戻そう。
アドリアーノ・サック(Adriano Sack)
マイク・メレー(Mike Meiré)
アドリアーノ・サック:僕の日常生活で、君はとても身近な存在なんだ。バス ルームにはCourrègesのピンクのバス タブがあって、その横には、フィンランドの建築家のアルヴァ・アアルト(Alvar Aalto)がデザインした、3本足の「スツール60」がある。僕のバス ルームにあるのは、君が作った色違いのバリエーションだよ。座面はホワイト、足の2本は木の色で、1本はピンク。あれはいったい何に分類されるんだろう? デザインを流用したアート? 商品デザイン? それともゲーム?
マイク・メレー:そのどれも少しずつ、だな。ああいう遊びができるのは、本物の象徴的な作品に限られる。確立したアイコンだからこそ、色々な見方で遊べるんだ。「スツール60」を使ったとき、僕が自問したのは「今この瞬間の、時代精神は、何だろう?」ってこと。それは「過ちを受け入れる」風潮だと思った。そこで、どの角度から見ても違って見えるように、それぞれの足に違う色を塗ってみた。僕のアプローチは、考え抜いたものか、まったく衝動的に自然に湧き出るものか、そのどちらか。「シュンペーターする」のが好きなんだ。経済学者のヨーゼフ・シュンペーター(Joseph Schumpeter)にちなんで作られた動詞でね、簡単に言うと、先ず安定した高度のシステムを利用して、次にそれを破壊する。過ちを見つける、あるいは過ちを埋め込む。アナーキーではあるけれど、それによって革新が生まれるんだ。僕の色使いは、バウハウスとメンフィスを行ったり来たりしてるな。メンフィスは、何といっても、20世紀で2番目に重要なデザイン革命だったからね。
そうなんだ?
20世紀には、バウハウスとメンフィス、このふたつしかない。そして、両方ともアナーキーを目指したんだ。メンフィスは情熱というルールに従ったけど、最近では、バウハウスもそうだったことがわかってきた。パーティも馬鹿げたことも、散々やらかしてるんだよ。秩序だった問いかけから発展していったのも、両方のムーブメントの共通点だな。メンフィスの椅子の座り心地は、バウハウスの椅子と比べても、まったく引けをとらない。バウハウスが模索したのは新しい基準だし、バウハウスのデザイナーたちを動かしたのは、優れた品質を、広く普及させたいという強い衝動だ。僕はもう何年も、安くて、見た目が悪くて、至るところで見かけるプラスチックの一体成型の椅子に、取りつかれている。視覚的な感性が繊細な人間にとって、あれはもう、たまらないね。例えばヴェニスみたいな、美しくて貴重な場所に行くだろ? ところがどっこい、あの椅子があるんだな。以前通りに捨ててあるのを見つけたから、ファクトリーへ持って帰って、バウハウスの華麗な過去から連想した言葉を全部、フェルト ペンで走り書きしてみたんだ – Le Corbusier(ル・コルビュジエ)、L’esprit nouveau(エスプリ ヌーボー)、Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)、Heroic Modernism(ヒロイック モダニズム)…。美学的に重要な意味を持つ言葉を関連付けて、あの醜悪さを中和しようと試みたわけだ。
プロジェクトを手掛けるとき、先ず何を考える?
どうやって過去の条件付けを突破するか? ドイツの列車に乗ってるときが、一番いいアイデアが湧くよ。WiFiの接続がものすごく悪いから、画像なんか、30分がかりで少しずつ少しずつ画面を這い下りてくるんだ。その上、あらゆる種類のバグや間違いや変形が発生して、素晴らしいスクリーンショットが撮れる。

「Meiré und Meiré」の活動は多岐にわたるけど、君の仕事で一番有名なのは『032c』や『Garage』のエディトリアルかもしれないね。あの仕事をやるようになった経緯は?
『032c』を創刊して発行してるヨルグ・コッホ(Joerg Koch)が、ケルンに来たんだ。そのとき、僕たちのファクトリーには、アート インスタレーションに使う檻に入れたぬいぐるみがいっぱいあってね、それを見たヨルグが「マイク、君は僕よりもっとクレージーだな。032cをやってみないか? 次の号のテーマはエネルギーの実験なんだ」って、単刀直入に誘われた。そこで僕は、フォントやテキストを読みにくくすることから始めた。ひとつ最初に考えたのは、アブない感じのマガジンってどんなマガジンだろう?ってことなんだ。ロゴをホワイトからブラックに変えると、もっと悪っぽくていい感じになった。それからフォントを引き伸ばした。そうやってどんどん崩していくのが、僕がやった最初の偽悪的プロセスだ。タイポグラフィの分野で絶対禁止のことばっかりやった結果、僕は「ニュー アグリー:新醜」の先駆者のひとりということになった。
そうなることが目的だったの?
いやいや。視覚的に面白いんじゃないかと思っただけ。僕が求めるのは、いつも、現在を暗示するコードなんだ。
そのほかに、マガジンにとって大切なのは?
セックス。これは、ピーター・サヴィル(Peter Saville)に教えられた。だが結局のところ、どのマガジンも、それぞれ独自の問いかけと挑戦を提示するんだ。「リキッド アイデンティティ」をとり入れた『Kid’s Wear』マガジンは、毎回、まったく別物みたいなマガジンになる。『Kunstforum』では、ロゴを止めて赤い棒に代えた。

『032c』第13号、2007年夏

Mike Meiré、「Dilettant Monoblock chair」、2014年
ロゴは神聖にして不可侵なものじゃないの?
神聖にして不可侵なものなんて、ひとつもないよ。『Garage』の場合は、7種類のフォントを組み合わせたフォントを作ったんだ。そして、使う文字は、ソフトウェアが無作為に選ぶ。まさに、破壊的なパンク タイポだな。『Garage』を創刊したダーシャ・ジューコワ(Dasha Zhukova)は、最初にブラックベリーでレイアウトを見たせいもあるかもしれないけど、フォントに気が付かなかった。ようやく気が付いた後は、すごくクールだと言ってくれた。デジタルの時代に、遊び心のある人間的なアプローチをとる – それが彼女がやりたかったことのひとつなんだ。そこで、拡張現実を体験できる最初の「Garage」アプリも開発した。7号は、シャーロット・ストックデール(Charlotte Stockdale)が、スーパーモデルの カーラ・デルヴィーニュ(Cara Delevingne)、アンジャ・ルービック(Anja Rubik)、ビンクス・ウォルトン(Binx Walton)にジェフ・クーンズ(Jeff Koons)の有名なウサギの耳をつけて、撮影した。それから、クーンズのスタジオから提供されたデータをプログラムして、「Lady Bug」を作った。これは、クーンズの初めてのバーチャル作品だ。プリントを3Dの拡張イメージの背景に使ったこともあるし、その後はAppleが買収したBeats by Dr. Dreやマーベル コミックスとコラボした。そうこうするうちに、Vice Mediaが『Garage』に食指を動かして、買収したんだ。僕たちにとっては、エディトリアルの仕事は儲けにならないが、学べることが多いし、ケース スタディとして、ほかのクライアントに応用できるからね。
最近のことだけど、 『Business of Fashion』の記事に、ラグジュアリー ブランドのロゴはどれも似たり寄ったりになり始めている、と書いてあった。
胸が痛むね。ひとつには、伝統によって企業の価値が決まる。だけど同時に、どうして死んだものを蘇生させ続けるんだ?ってわけで、RimowaやBurberryみたいに、これまでのアイデンティティを投げ捨てて、ポストデジタルなフラット デザインをとり入れる企業もどんどん増えている。だけど多分、アントワーヌ・アルノー(Antoine Arnault)のような若い世代の企業家が正しいんだろうな。結局のところ、アルミのスーツケースにつけられた溝の由来なんて、誰が気に掛ける? 軽量化を実現した航空機の構造にヒントを得ました、なんて誰が気にする? 果たして、そういうことは現在と関連性を持っているだろうか? 今は象徴として大切に守っているものも、登場したときには非常に先鋭的なものだった。新しい象徴になれるものを作り出すには、古いものを捨てる必要があるんだ。今敢えてリスクを冒さないんだったら、20年後に新しい「クラシック」と呼べるものが皆無でも、少しも不思議じゃない。
君ももう大御所、いわば「クラシック」デザイナーになってるのかな?
とんでもない。希望を捨てずに、頑張ってるだけ。僕は精神をデザインするデザイナーだ。それを教えてくれたのは、僕がBrockhaus社で仕事をしてた90年代に、セールス部門のコーチだったゲルト・ゲルケン(Gerd Gerken)という人物なんだよ。彼が指導するセミナーに「非売による販売」というのがあってね、面白そうだなと思って受講して、非常に尊敬するようになった。僕より25歳年長だったけど、ものすごく清廉潔白な人物で、上から下までダーク ブルーの[Yohji] Yamamotoでキメてたよ。とにかく雄弁だったな! ブライアン・イーノ(Brian Eno)の環境音楽を流して、お香を焚きながら、講義するんだ。 そういう中で、クライアントと秘密の共謀関係を築く必要性を教えられた。クライアントが自分自身で、商品の利点を見出す必要があるんだ。セールスマンはそのプロセスを導くだけ。何ひとつ、売りつけようとしない。

君は、そのテクニックを使ってるわけ?
もちろん。ゲルケンとの関係は11年続いた。マインド デザインを始めたのもゲルケンだ。例えば、ハイテクを反映する手法で従来の医薬の定義を曖昧に変化させて、新しい形のシャーマニズムを作り上げた。ダンスとか、呼吸とか、食生活を儀式として位置付けてね。僕たちは、毎年1回、ウォルプスウェーデのアート コミュニティで顔を合わせた。あそこには、原子核科学者やら、癌患者やら、新興企業家やら、あらゆる種類の人間が集まってきたもんだ。当時の僕は27歳で、新婚で、ポルシェを乗り回して、立派に成功してたから、彼にとっても完璧な相棒だったよ。誰もが僕たちのアドバイスを聞きたがってね。そこで、思ったんだ。僕は誰に相談すればいいんだ? マインド デザイナーは独自のハード ディスクを構築できる、それはわかってる。問題は、僕個人の喜びはどうやって見つければいいのか? どうすれば、説得力のあるプレゼンテーションをできるのか? 答えは簡単。先ず、部屋に入ったとき、色んなモノに触る。その後、窓を背にして立って、後光を輝かせる。それから部屋全体に視線を漂わせる。さっき自分が触れたモノが目に入ったら、微笑みを浮かべる。
ファクトリーの隣に、君がアートを制作する2階建ての小さいスタジオがあるね。君は自分をアーティストだと思ってる?
僕はずっとアーティストだ。80年代からクリエイティブ ディレクターを目指したわけじゃない。
クリエイティブ ディレクターとアーティストの仕事は、どこが違う?
ファクトリーでやる仕事は、メッセージを伝えられなくてはいけない。きちんと説明できることが必要なんだ。そういうアート以外の活動が、僕のアートには良い方向に作用してるね。例えば、粘土を手に取るだろ。そして自分で自分に指示するんだ。15分以内に作品を完成すること。これはもちろん、他の仕事でいつも期限に追われてる習慣の賜物だ。何年もこだわり続けることもできるけど、僕にはそんな気はないな。
アート界で評価されてると思う?
そんなことは、どうでもいい。とにかく、今生の目標ではないね。いくつか、とてもいい作品を作った自信はあるけど、評価するのは他人だからな。明日はゾーストへ行って、展示会のオープニングに出席するよ。新聞を使った初期の作品が、河原温(On Kawara)の作品の隣に展示されるんだ。結構スゴいことだよね。結局は、作品の本質がものを言うんだ。学校で正式に美術を勉強しなかった者には、アート界は居心地が悪い。だけど、ウォーホル(Warhol)を見てみろよ。やつだって、最初はグラフィック デザイナーだったじゃないか。

「アイリーン・グレイが撮影したE1027に落書きするル・コルビュジエの写真」の油絵
そのほかに刺激を受けたのは誰?
古い写真を見て描いた油絵があるんだ。ル・コルビュジエの写真。素っ裸で、アイリーン・グレイ(Eileen Gray)のビーチハウスの外壁に絵を描いてる。その当時、ル・コルビュジエは建築界のスーパースターだったけど、グレイは「E 1027」を建ててようやく有名になったところだった。コルビュジエは絵を描くことを依頼されてたわけでもなかった。ただ、例のメガネだけをかけた全裸で、そこに立ってるんだ。知性と本能 – 存在の曖昧性を象徴する、完璧なメタファーだな。せっかく「E 1027」の壁に傑作を描いても、グレイの私邸を世界に見せるわけにはいかない。だから、野良犬がテリトリーを主張するみたいに、小便をひっかけるしかないんだ。あの写真には、僕の興味を掻き立てるものがすべて揃ってた – 裸の尻、基準、割合、制御、制御不能。最高水準で具現したバウハウスだよ。今は誰もがアート コレクターだ。アイダ・エクブラッド(Ida Ekblad)やイングヴェ・ホーレン(Yngve Holen)、アンネ・イムホフ(Anne Imhof)の作品を見ると、今という時期、アート市場、そういう諸々が頭に浮かぶ。だけど、写真から絵にしたル・コルビュジエはそうじゃない。何かを作り出そうとするとき、何度も何度も繰り返し、僕はその絵を眺める。今のところ、あれが最高の傑作だと思ってる。アートは、オブジェに魂を与えることなんだ。心を動かされた人間がひとりでもいれば、それで十分だ。
Adriano Sackは、ベルリンの日曜新聞『Welt am Sonntag』のスタイル エディター。『The Curious World of Drugs and Their Friends』など、数冊の著作がある
- 写真: Adrian Crispin
- インタビュー: Adriano Sack
- 画像提供: Meiré und Meiré
- 翻訳: Yoriko Inoue