無から有を作り出す暗号通貨の物語
ビットコイン、イーサ、ライトコイン、リップルを通して、勝ち負けを巡る言説をマヤ・ビニャムが読み解く

暗号通貨にまつわる物語とは、どれも人々の熱狂の物語である。 そして資本主義社会の人々の熱狂にまつわる物語とは、どれも富についての物語だ。私の暗号通貨の物語は、ある実験から始まった。変数は、私と私の愛する人。残念ながら定数は存在せず、それゆえ、私たちの実験は再現不可能だった。彼は、研究のための奨学金という形でまとまった資金を得た。一方、私は3つの仕事を抱えながらも、ほとんど何も持たないに等しかった。私たちは自分自身以外の何かに投資することにした。こうして、私たちの資産は別々のものに投資された。彼はイーサ、ビットコイン、ライトコイン、リップルなどの一握りのデジタルコインを購入し、私も、ほとんど何もないに等しい資産の一部で、目で見ることすらできない通貨を購入した。
マーケットが低迷しているとき、彼は私のために利益の幻想を作り出すことを提案した。彼の富は倍近くに増えており、それを使って、彼は私の無きに等しい資産を破格のレートで購入したがったのだ。私はその申し出を断った。実験が終わった。結果は決定的だった。そもそも感情的な投資がゼロサムゲームになることは稀だが、バイ インが行われる場合は、常に誰かが勝つのだ。
サンフランシスコでは、「勝ち」と「負け」が ジェントリフィケーションと住み分けの婉曲表現になっており、勝者はクリプトキャッスルに住んでいる。投資家でヘッジファンドのマネジャーである25歳のジェレミー・ガードナー (Jeremy Gardner)は、クリプトキャッスルの発起人であり、その王である。彼は、他の若い投資家たちが気軽に暗号通貨を使うことができるよう、彼らのために安全な場所を提供したいと考えた。毎日の買い物では、今なお不換紙幣が必要だ。これが意味するのは、たとえ勝者となっても、必ずしも勝者になった実感が得られるわけではないということだ。多くの投資家は暗号通貨の購入を選択肢のひとつとして検討するが、暗号通貨を使ったライフスタイルは、わずらわしい一連の換金を前提としている。デジタルコインを現金に変えるには、オンラインの仮想通貨両替という形の仲介業者を必要とする。それから銀行振込。これには預金が必要となるなど、手続きの完了までに何週間もかかる可能性がある。だが、クリプトキャッスルでは、勝者はリッチなだけでなく、換金をしなくてもその実感が得られるのだ。入居者は暗号通貨で家賃を支払い、暗号通貨で酒のボトルを購入し、暗号通貨でグルメ料理のデリバリーを注文する。十数名の居住者のうち半数が、ここで暮らす間に百万長者となり、今ではその門戸を叩く巡礼者で溢れかえっている。
暗号通貨への投資は、暗号通貨関係のコミュニティーと似て、多くの場合、チャンスを逃すことに対する不安によって活気づいている。マーケットに群がる人々は、まあまあな合コン パーティーに参加する層に似ている。場が一番盛り上がっていたのは、自分がやっと家を出た数時間前だったというのは、合コンではよくある話だ。自分が到着した今、仲間たちはカニエ・ウェストの『The College Dropout』に合わせてラップをし、酔っ払いすぎてリリックを思いっきり間違えていることなど全然気にしていない。ここで「酔っ払った」のを「金持ちになった」に置き換えても、アナロジーは成立する。先月『ニューヨーク・タイムズ』のスタイル欄で暗号通貨で大儲けした人たちの人物像について書いたネリー・ボウルズ(Nellie Bowles)の言葉を借りれば、「誰もがおかしいくらいにリッチになっているけれど、あなたはそうではない」ということだ。

だが、このスタイル欄にある「誰も彼も」というのは、あらゆる人から見た「誰も彼も」ではない。ミレニアル世代が大金持ちになるニュースがあるのと同時に、それと同じくらいのミレニアル世代が大損害を被っているというニュースも存在する。 昨年4月、マーク・フラウエンフェルダー(Mark Frauenfelder)は、彼のアパートの掃除に来ていた女性が、彼の秘密鍵の唯一の記録を捨ててしまったために、3万ドル相当のビットコインを失った。それは1枚のオレンジ色の紙切れで、そこに彼のハードウェア ウォレットにアクセスするための暗号が記されていたのだが、それがゴミとして捨てられてしまったのだ。11月には、Parityというデジタル ウォレット サービスが、Parity(等価)の名の通り、すべてを等価にしてしまうようなバグが見つかったことを明らかにした。開発者のひとり、devops199が「うっかり」数百人の他のユーザーの資産を凍結したため、3億ドル相当の暗号通貨が永久に失われたのだ。その1ヶ月後、ニューヨークでは、ある男がミニバンに誘い込まれた。愚かにも、彼はそのミニバンの男が自分の友人だと信じた。ミニバンの男は銃を男の頭に突きつけた。そして、男は自分の所有する180万ドル相当のイーサの所有権を放棄をしたことで、ようやく解放された。
不換紙幣の価値は現金の不足量に基づいて決まるため、造幣局が紙幣を印刷し、それを銀行が限られた数だけ流通させる。それはつまり、資本主義下では、あらゆる勝ちには必ず損がついて回るということだ。一方、暗号通貨は、潤沢さに基づく経済だ。ビットコインの背後にいる人物、あるいは集団と考えられているサトシ・ナカモトが、2008年に論文「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」を公開したとき、彼らは、ビットコイン版の造幣局はビットコイン版の銀行でもあり、この両者がブロックチェーンという脱中央集権的な公共の出納簿に集約されると発表した。ビットコインの採掘を行うのは特別なソフトウェアをインストールしたコンピューターで、これによりブロックチェーンが確保される。そして、P2Pの取引が確認されると、採掘者は暗号通貨の1単位を報酬として与えられ、これがネットワーク内で流通するようになる。バッドランド・クリプト・グループ(Badlands Crypto Group)が10月に公表した「お金は死ぬ/暗号通貨は生き続ける」と題されたパンフレットによると、これは「支払いを記録するシステム自体がその通貨となる」ということだ。
資本主義下では、あらゆる勝ちには必ず損がついて回る
暗号通貨における最も重要なイノベーションはその参加者に開かれた透明性にあり、同様に、参加者が互いに対して強いる透明性にある。だが、世論のネットワークが暗号通貨の成功を判断する際に前提とするのは、競争の論理である。そこではコインの正当性が時価によって変動すると推測される。その結果、考えうる未来はふたつ、手早く一攫千金を掴むか、すべてを失うか、となる。
国家からの逃避がキャピタルゲインの発生によって促されるとすれば、金持ちになることは、最も安上がりな脱出方法といえる。だが、クリプトキャッスルが城であるといっても、その城門内の生活は、必死に抵抗している従来の国家での生活と、ほとんど見分けがつかないほどよく似た原則に支配されている。ビットコイン長者は、コンピューターで問題を解決することで通貨を採掘し、それぞれの個人の成功を、解放の手段であると言う。とはいえ、資本主義の歩兵たちもまた、通貨を採掘しているのだ。そのため、解放の兆しはいつまで経っても遠くに見えるだけで、決して現実になることはない。資本主義は、これまでの数百年間も、常にこうして機能してきた。奴隷化、保釈金、闇金融といったアナログな形態での資源の採取は、これまで常に高金利を煽ってきた。そしてこれにより、低収入の人々や有色人種のコミュニティは常に不利益を被ってきた。「金融のヘゲモニーが非民主的なのは、金融機関が不透明なせいだけではない」とジャッキー・ワン(Jackie Wang)は書く。「財政危機という名目のもとに(…) 国家権力を用いて公共から富を採取することに、正当性を与えるせいでもあるのだ」
実際の百万長者や百万長者になりそうな人々は、同じ特徴を持ち合わせていることが多い。彼らは、もつれてほどけなくなった紐のように、頑なに資本に執着する。彼らの執着は、互いにからまった髪がブレイズの髪型では自然に見えるように、一見、理にかなっている。そしてブレイズの編み込みは絡まれば絡まるほど強くなる。百万長者と百万長者予備軍は自分たちを縛りつけながら、その上で、自分たちが編み上げたものを「支配の兆候」だと言う。両手が縛られているせいで、彼らは不公平な扱いを受けていると感じているが、この感覚は誤解である。なぜならその批判はレトリックにすぎないだからだ。彼らを縛るのは、ブレイズによって紡ぎ出されたものであり、そのブレイズは多数の結び目によって念入りに編まれている。それらの結び目が、苦痛に似ているため、そこから痛みがあるかのように捉えられている。それゆえ目には見えないのだ。
世の中には、組織的に経済生活を否定されながらも、彼らが金持ちになることを許さない当局の治安維持や監視、データ集約のネットワークから多大な恩恵を受けている人々がいる。そのような人たちに感情的に寄り添う場合、自分の不安を語るには、彼らの苦しみを比喩の形に変えるしかない。暗号通貨のユートピアを作ろうとしているハルシー・マイナー(Halsey Minor)は、自然災害を比喩表現へと変える。彼は自らのブロックチェーン企業をケイマン諸島から、ハリケーン「マリア」直撃後に不動産価格が急落したサンフアンへ移すことを計画中だ。プエルトリコでは、住民の25%にまだ電気が戻っておらず、死亡者数は増え続けている。一方、プエルトピアでは、投資家たちは仮想的に所有する空港や、リゾート地、レストラン、バーをキャッシュレスで利用できるのだそうだ。税金もかからない。「ここで起きたのは、壊滅的な被害をもたらした最悪の嵐だった」とハルシーは『ニューヨーク・タイムズ』紙に語った。「プエルトリコの人々は本当にひどい目にあった。だが長期的に見れば、天の恵みと思えるようなものだ」
長い目で見れば、暗号通貨は、生き残るか消えてしまうかのどちらかだろう。そしてどちらの結果になるかを左右するのは、比喩でなく文字通りの嵐や苦境、制約などを意に介さない能力であり、信条や、金融に対するするどい洞察力でもなければ、希望ですらない。富裕層や白人たち、中でもその両方である人たちは、どんなことでも自分たちが主役だと考える。だが、金持ちの白人たちに公共の未来計画を考え出す権限を与えても、彼らが思い描くユートピアとは、残りの人間が今この瞬間も耐え忍ぶことを強いられている、惨めな現実に瓜二つの世界なのだ。
富裕層や白人たち、中でもその両方である人たちは、どんなことでも自分たちが主役だと考える
仕組みは簡単だ。クリプトキャッスルは所詮、上流社会の家でしかなく、プエルトピアに厳しい取り締まりが行われる国境が作られるであろうことは疑いない。ビットコイン長者は、国家に縛られ、踊り続ける。彼らは一緒になって私たちの税金を巻き上げ、自分たちは利益を上げたと誇る。それが執着の形だ。だがその執着は、圧政から生まれ出たものであり、好意や愛情から生まれたものではない。あらゆる暗号通貨の物語は実験で始まる。そして、最終的に富を生む実験の背後には、考慮されることのない変数が常に存在するのだ。
Maya Binyamはニューヨーク在住のライター。『The New Inquiry』や『Paris Review』の編集スタッフを務め、Bail Blocの共同クリエーターでもある
- 文: Maya Binyam