K-POPの
団結と
工作と救い
一糸乱れず組織化されたファン集団から、狙いを定めた大波が打ち寄せる
- 文: Teo Bugbee
- アートワーク: Sierra Datri

組織化の方法を学ぶのは、キスの仕方を体得するのと同じで、最初は友達同士で練習するのがいちばん安全だ。K-POPファンは、あちこちの大統領に反対する力を動員する前に、自分たちの縄張りで集団行動を練習していた。トランプ大統領の集会を妨害したオクラホマ州タルサの前には、「ブラック オーシャン」があったのだ。
「ブラック オーシャン」は今や語り草となったファンの一斉蜂起だが、毎年開催される韓国最大のK-POP イベント「ドリーム コンサート」を数週間後に控えた2008年9月から、不穏な噂は広まりつつあった。7万人のファンが目当てのアーティストをみようと押しかける「ドリーム コンサート」では、作為的に客席が割り当てられる。アイドルたちの人気の順位にしたがって、それぞれのファン毎に区切った席が分配されるのだ。その結果、ほんの一握りのファン クラブだけが膨大な観衆を左右できる。2008年当時いちばん人気があったのは、颯爽たる男性アイドル グループの東方神起(TVXQ)、ダブルエス501(SS501)、スーパージュニア(Super Junior)だった。自分たちの圧倒的な数を知っているこれらのグループのファンは非公式に結束し、それぞれのファン クラブの名称、東方神起のCA、ダブルエス5のRT、スーパージュニアのELを組み合わせて「CARTEL」を名乗った。「カルテル」とはまさに絶妙なネーミングだ。彼らの目的は、これまでに結成された数多くの組合と同じく、妨害工作だったのだから。
その年は新人の女性グループがいた。ガール パワーがテーマの歌とピンクのペンライトを売り物にして、人気が出始めていた少女時代(Girls’ Generation)だ。古くからのK-POPファンは、この駆け出しグループの鼻をへし折ってやる必要があると考えた。そこで運命の9月の夜、カルテルは7万人のクーデターを実行に移した。少女時代がステージへ登場したとき、客席にはどんな色のペンライトも灯らず、拍手もなく、声を合わせたファンの掛け声もなかった。彼女たちは、黒々とした深淵に歩み出してしまったのだ。文字通り、大会場が闇の海原と化したこの事件は、今では「ブラック オーシャン」として知られる。
身を切られるような8分間、それまで客席で輝いていたペンライトはひとつも灯らなかった。少女時代の10代のメンバー9人は歌い出したが、体は震え、声は揺らぎ、いつもならぴったり揃う動きも乱れた。彼女たちを迎えたのは沈黙だ。ついにようやく客席から声が聞こえ始め、いかにも自然な感じでステージへの掛け声が起こったが、それは少女時代ではなく、ライバル グループのワンダー・ガールズ(the Wonder Girls)へ向けられたものだった。
少女時代はいつか精神的なダメージから立ち直るだろうが、この最初の「ブラック オーシャン」は、足並みを揃えた組織的な破壊行為だった。10代の少女たちと彼女たちのファンの夢を打ち砕こうとする目的は、褒められたものではない。だが、打倒の手法としては、確かにびっくりするほどの効果があった。K-POPのファン集団は、結束の情熱に駆り立てられれば、メンバーを動員し、計画を実行する用意と能力がある。政治家や警察は、今になってそのことを思い知りつつあるということだ。
私がK-POPに足を踏み入れたのは、「ブラック オーシャン」から10年が経過した2018年の初め、ジョンヒョン(Jonghyun)の自殺を耳にした後だった。彼は、最初は男性グループのシャイニー(SHINee)で売り出し、その後ソロになってブレイクしたK-POP界のスターだった。私は直ぐに、ジョンヒョンのことを色々と調べ始めた。最後のミュージック ビデオには、アリーヤ(Aaliyah)の遺作となった「Rock The Boat」と同じように、不気味で捉えどころのないパワーがあった。エロティックだけれど曖昧な美しい表情は、宇宙のメタファーのなかで宙吊りになっていた。

K-POPのミュージック ビデオに現われるキャンディ色の混沌には、一種アナーキーな響きがある。現実と記憶が完全に拭い去られるまで、楽しさはやって来ない
ジョンヒョンの死に湧き起こった嘆きと悲しみは、ルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino)やレスリー・チャン(Leslie Cheung)を思い出させた。まさに悲劇と呼ぶほかない死には、大々的で劇的な哀悼がふさわしい。ファンはジョンヒョンの大きなポスターをソウルの地下鉄に登場させ、日毎に順位を争う熾烈な韓国の音楽番組でジョンヒョンへ大量の票を投じた。どうすればそんなことができるのかを私は知りたかったし、まず何より、そのような組織が存在する理由を知りたかった。ファン集団が注ぐ不屈のエネルギーに、私は、観察すればするほど果てしなく魅了されていった。ジョンヒョン ファンの組織化は、彼の死後何ヶ月も何年も持続し、ついには、Twitterから彼のアカウントが削除されるのを押し留めるところまで行った。6か月以上ログインしていないユーザーのアカウントを閉鎖するポリシーをTwitterが発表したところ、それに異議を唱えるという類稀な抗議を起こし、勝利を収めたのだ。ジョンヒョンを取り巻く世界を理解するには、業界全体を理解する必要があった。インフラストラクチャーと古典的なハリウッドのスタジオ体制のファンである私は、もう逃げられなかった。以来K-POPに身を投じ、一度たりとも後ろを振り返ったことはない。
K-POPに宗旨替えした私にとって、執着の所産はたやすく理解できた。だが、それが緻密にいつまでも継続するのが理解できなかった。私は韓国人ではないしハングルも話せないから、海外ファンに利用されているプラットフォームを見つけて、最新情報を入手した。K-POPの世界に入っていくのは、これまででいちばん純粋未来的なインターネット体験だった。ログインすると新しい宇宙が現れる。そしてその宇宙は、完璧に形成され、常に成長を続けていくのだ。
Twitterでは、韓国のファン サイトや、ハングルを訳してくれるファン翻訳者をフォローするようになった。ボランティアのファン翻訳者は、K-POP界の動向に遅れをとりたくない海外フォロワーのために、公演の最新録画を英語で紹介し、歌詞の英訳を無料で教えてくれるのだ。それから「OneHallyu」や「r/kpop」といったフォーラムで、毎日、ゴシップを仕入れた。投稿を公開したくないファンが始めた「KakaoTalk」に忍び込み、そっとプライベート チャットを覗き見した。
内側に入ってみると、海外ファンと韓国の音楽業界との関係は、必ずしも100%良好ではないことがはっきりした。非常に深刻な緊張関係もあった。黒人のK-POPファンには悪意に満ちた差別が向けられている。「CuriousCat」のような匿名掲示板で毒牙を剥くのは、同じK-POPのファンが大半だ。アイドルが、顔を黒く塗ったり他の文化の様式や象徴を流用して、人種差別や無知を曝け出すこともある。そういうときは、異文化間のコミュニケーションのスイッチが逆向きに作動する。そして、アイドルの教育と適切な謝罪を期待して、海外ファンは批判を投稿し、ファン翻訳者がハングルに訳してアイドルを抱える韓国の音楽会社へ伝える。こんなふうに双方向に情報を伝達する活動には、いくらコンテンツがあっても足りない。駆け引きや思惑、文化の歴史が、画像と同じようにスピーディにファンの間を往来する。K-POPファンの対話に強く根付いた「どうしても知っておきたい」という要求を満足させるには、この方法しかないのだ。
ちょっと考えてみると、アイドルたちの多くは貧困から脱した世代の子供たちだし、現在のスターたちは、全斗煥政権の独裁支配が1987年に終わりを告げた後、最初に生まれた世代だ。だが、華やかさが訪れる前の時代の記憶が掘り下げて話されることは、滅多にない。その代わりに、消化されないままの招かれざる悲哀が湧き上がるのだと思う。韓国音楽界の初期に活躍して今は輝きを失ったスターが、上昇気運に乗った新世代によるカバーに涙ぐむとき、そこには悲哀がある。スーパースターたちが独裁政権の拠点で過ごした子供時代の思い出を回想するとき、そこには悲哀がある。悲哀の姉妹である怒りはラップに現れ、ブレイクしたラッパーは、資本と終わりの来ない戦争に対する辛辣な歌詞で実力を発揮する。K-POPのミュージック ビデオに現われるキャンディ色の混沌には、一種アナーキーな響きがある。現実と記憶が完全に拭い去られるまで、楽しさはやって来ない。
まったく別世界への憧れに心を奪われ、他国の文化に目を向けた者に明らかになるのは、どこにも苦闘が存在することだ。すべての人が、同じ山を上りながら、同じ戦いを戦っている。ファン集団の威力を最初に示したのが「ブラック オーシャン」だったとすれば、2016年に梨花女子大学で行われた抗議は、変革を要求する政治的行為とK-POPがひとつに融合できることを実証した。実質を伴わない履修課程の新設という有害な変更が発表されたことを受け、200名の女子学生が大学の総務室に結集して座り込みデモを始めたときのことだ。1600人の武装警官が派遣され、デモ隊を実力排除しようとしたまさにそのとき、女子学生たちは一斉に歌い始めた。彼女たちが選んだ歌は、かつて大きな挫折を味わい、今や押しも押されもせぬ女性グループに成長した少女時代のデビュー シングル「また巡り逢えた世界」だった。女子学生との睨み合いを前列から撮影した警官のビデオには、最後の数分、彼女たちが手を繋いでファースト コーラスを歌い終わるところが映っている。
愛するわ、描いてきたあなたを
そのまま。もう迷わない
この世に繰り返される悲しみに
さようなら
たくさんの知らない道、
かすかな光を追いかけて
いつまでも一緒よ、
また巡り逢えた世界
この動画とその後に続いた警官隊の暴力的な実力行使は、ただちに在学生と卒業生の激しい怒りを呼び起こし、調査が要求された。面目を失った大学総長だが、その後、政府から果ては朴槿恵大統領にまで繋がる一連の不正が明らかにされた。汚職疑惑が韓国の新聞で報道されると、何百万人もの人々が行進して朴大統領の辞任を求めた。弾劾が成立して朴大統領が罷免され、ついに裁判にかけられたとき、街路には「また巡り逢えた世界」が流された。
ポップ カルチャーが本当に世界を変えることはない。ポップなカラーで1日を彩り、心躍る期待を与えるだけだ。新しい動画、新しい歌、ウズウズするような新しいゴシップ。変化の仕組みを喚起したり提供したりするのは、ポップの本質ではない。ポップは抗議ではなく、消費される商品、気ままな娯楽だ。だが、空想を現実にするところに、まだ存在せず、おそらく決して存在しないであろう世界を見せてくれるところに、ポップの価値がある。最高のポップ ミュージックは、あれこれと夢判断をする前の夢と同じだ。現実に反旗を翻すように、「また巡り逢える世界」へ誘ってくれる。
Teo Bugbeeは、ニューヨークシティで組合オルグとして常勤するかたわら、記事を書くこともある
- 文: Teo Bugbee
- アートワーク: Sierra Datri
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: July 16, 2020