Ryan Ganderとともに、アートとファッションの境界をめぐる
アーティストが語るグローバル・ノマディズムとスタイルを持たないことの強さ
- インタビュー: Rachel Buchholtzer
- 画像提供: Ryan Gander and Musée d’art contemporain de Montreal

Ryan Ganderは、今のところアーティストである 。直近の展覧会「Make Every Show Like It’s Your Last」を象徴する作品「Magnus Opus」は、ロボット制御によって動き回る巨大な2つの目がギャラリーの壁にセットされている。漫画の世界ではよく用いられる、何かに取り憑かれて目をきょろきょろさせているときの描写である。この作品はGanderらしい手法で展覧会の他の作品とつながっている。その手法とは「ゆるさ」である。日用品を用いた風変わりな彫刻からadidasや84-Labなどファッションブランドとのコラボレーションに至るまで、彼の表現は多岐にわたり、自由に絡み合うマルチメディア作品だと言える。
今日のアートが、往々にしてイメージのされやすさで評価を受けるのだとしたら(それはインスタグラムで「いいね!」を稼ぎ出す能力とも言い換えることができる)、Ganderの作品は人々の思い込みにつけこむことで異常性を放っていると言える。本展のキュレーターであるMark Lanctotが観察したところによると、来場者はかなりの確立で「Magnus Opus」の動く目に対して静かな驚きの声をあげるらしい。Ganderの作品は、制度化された現実空間とわたしたちの関わり方に異議を唱える。「ギャラリーの中でいかに振る舞うべきか?」。Ganderは、アート界につきものの気取った態度などもろともせずに鑑賞者にそう問いかける。 基金に資金援助を受けているアーティストから、怠惰な鑑賞者までを非難しながら、語りづらいことを堂々と声に出す。モントリオールで開かれた展覧会に際し、Rachel Buchholtzerに語ってくれた。


Rachel Buchholtzer
Ryan Gander
あなたの展覧会では、鑑賞者にもやることが多いようですね。
良いアートというのは、観客の参加なくして完成しないものだと思っている。おかしなことに、人間がこれだけ進化したにもかかわらず、いまだにアート作品の95%は壁にかかっていて、鑑賞者はただ作品を見てひとつ終わると次の作品へと歩いていく。すごく滑稽な話だと思う。
作品のインスピレーションになりうる「無限のもの」が、わたしたちの周りには存在しているとおっしゃっていたことがありましたね。あるアイデアを、それが追求するに値するものかどうかはどのように判断してらっしゃるのでしょうか。
それはちょっと難しいね。例えば、目の前にある銀の皿に誰かが何かをくれたとしよう。しかし、それは自分が発見したものとは言えないはずだ。自分の敷地で何かを発見したとしたら、それは自分のもののように感じるんじゃないかな。そういう意味で、鑑賞者に作品を理解してもらったり当事者意識を持ってもらうためには、多少の課題を与えることは良いことだと思ってる。モントリオールの展覧会では、一見ゴミのようにくしゃくしゃに丸められた紙が床に転がっている作品が3つあるんだけれど、その中には架空のディナーの座席プランが描かれた便箋だったり、フォーチュンクッキーのメッセージが記されているものがある。それはまるで、誰かが拾ってゴミ箱に捨てるはずの、ほんの小さな出来事や意味が集まった残骸のように展示されている。けれど、鋭い視線や熱心な意識を持っていれば、その紙片が何かしらアートの世界とつながりがあることに気が付くと思う。そのように思いを巡らして理解したときに、初めて当事者意識を得ることができるんじゃないかな。
あなたは現在モントリオールで展覧会を開催中で、2016年度のオンタリオ美術デザイン大学の「ノマディック・レジデント」(大学独自のアーティスト・レジデンシー・プログラム)でもあります。さらに、わたしが今現在いるバンクーバーでは、2015年に現代美術館で「Make Every Show Like It’s Your Last」も開催されたりと、カナダの複数の都市でこのように積極的に仕事をするに至った経緯を教えてください。
アートというのはおかしなもので、まるで波のように次から次へと機能していくんだ。たとえば来年は自分にとって中国と韓国の年になる予定で、それぞれの国で3つずつ展覧会をやることになっている。それが、去年はたまたまカナダの年だったというだけだよ。そうかと思えば、今度はフランスで人気があったり。もしひとつの場所にずっと留まっていたら、みんな疲れ果ててしまうし、作品もすっかり飽きられてしまうよね。まあ、単にこれがアート業界の仕組みなんだと思う。
よく旅をされていますが、作品にどのように影響しているでしょうか?
ちょっと奇妙だね。なぜかというと、アーティスト・レジデンスで滞在制作をしていると、いつもその場所にまつわる作品を期待さるからね。でも、それはすごく馬鹿げていると思う。物事には消化する時間というものが必要で、何かが思考回路の隅々にまで浸透するのに1年は必要だと思うんだ。だから、カナダの文化だったり、自分が覚えている出来事や写真をつかった作品を制作するのは来年になるはず。僕の作品の目指すところは普遍性だから、当然、多様性に富んだクレイジーな道を歩むことになるし、1つの場所から別の場所へ飛び移っていくことも必要なことだと思っている。つまり、自分は必要性があって旅をしているんだ。そうしないと、世界に対して偏った単一的な視点しか持つことができなくなってしまうから。



小さいころからアーティストになりたいと思っていましたか?
アーティストになろうと決めたわけではなく、ただアーティストになってしまったという方が正しいと思う。アーティストは最良の仕事だと思うけど、でもどうやってなったのか自分でもよくわかってないんだ。
つまり自然な成り行きだったと?
そうだね。ある展示をしたときに、別の場所でも展示をしてくれないかと声をかけてくれた人がいたり、いっしょに本を作ろうと提案してくれる人がいたり。気楽な仕事だと思われるかもしれないけど、アーティストでいるということは、本当に苦労や混乱やストレスだらけだったし、自尊心に疑問を持つこともあった。それに不安にも満ちていたと思う。実際、生活するためにアートを選ぶのは人は世の0.01%だという現実がある。その中で、プロとして作品を作っていこうと決心するのは大変だね。
でも一度人々に認知されれば、アーティストの道も可能だと思えてるんじゃないですか?
その通り。でも一瞬たりともペースを落とすことはできない。自分でそんなこと意識したことはなかったけどね。ただ、たくさん展示をして、ある程度認知されたら次の6ヶ月間は何もせずに休むというわけにはいかないんだ。だから、結局は週6日ペースで一生懸命に働くことになる。でもみんなそうじゃないのかな? たまにファーストクラスのフライトに乗ることぐらいはできるけどね。
2014年に、スニーカーのZX 750モデルでadidasとコラボレーションをしていましたが、実現に至った経緯を教えてください。
東京をベースとする、adidas Originalsとのコラボレーションだったんだ。何を作るかを決めてくれたのはKazuki Kuraishi(倉石一樹)という人で 、彼は何がかっこいい かをちゃんと理解していたんだ。彼は僕に、スニーカーの制作に興味はないかと声をかけてくれ、僕がどんなものを制作してほしいかを尋ねたら、彼はただ「何でも」と答えたんだ。その返答はどこか危険な匂いがして、自分が作りたいと言ったものが実際にマスレベルに生産されるとは思っていなかったよ。でも彼らはやり遂げた。スニーカーもかなり早い段階でソールドアウトになったからね。


そして賛否両論があったみたいですね。
そうなの? それは知らなかった。
はい。すごく気に入った人もいれば、「なんでこんなものにお金を払うんだ?」という人もいたようです。
でも、僕に言わせればそういう人たちは、深く考えもせずに何かにつけケチつけてくるのさ。自分の意見をただ聞いてもらいたいだけなんじゃないかな。そんなの悲しいけどね。
アーティストがファッションとコラボレーションをすることについてはどう思いますか? もう一度やろうとは思いますか?
絶対にやるよ。自分の仕事の中でも最高のものの1つだと思っているから。もちろん、美術館での展覧会や、ビエンナーレや、アート関連の仕事も最高だけど。それはある意味で自分のメインの仕事でもあるわけだし。それよりも洋服作りの一部にたずさわれるのはずっと楽しいよ。ロンドンで夜に外出したときに、自分がデザインした黒いGore-Texのコートを着ていた人がいたんだ。僕はその人に、そのコートをどこで手に入れたのか聞いたんだけど、彼は僕の手によるものだと知らなかったんだ。こういう交流には、すごくやりがいを感じるね。ふだんアートでは、アート業界の人が自分の展示を見に来てくれるよね。訪問者数が発表されるから何人が展覧会を見にきたのかもわかるし、レビューも読めてしまう。だけど洋服の場合はまったく違う。同じことをストリートでやるんだからね。自分が作った作品を、誰かが身にまとってくれるのは素晴らしことだし、アートとはまた別の価値体系だね。
自分が作ったものを、まったく予想だにしないような文脈で人が身につけているのを見るのは、ある意味でシュールでもあるのでは?
そういうのをもっと見たいね。それを仕事にすることだってできると思うよ。
とにかく多岐にわたるメディアを用いて作品を制作しているわけですが、なにを持ってRyan Ganderの作品と言えると思いますか?
作品を見分ける方法が2つあると思う。1つは視覚的な特徴。でもスタイル的な特徴があったり、アーティストのアイデンティティが付いて回るような作品はあまり好きではないね。それは、スタイルを持たなくてはいけないと作家自身が思い込んでいるんだと思う。でも、もう1つの見分け方は、コンセプトによる裏付けがあるかどうかだね。僕の作品は、まるで別々のアーティストが作ったように見える。バラバラでスタイルの統一性はないと思う。ただ、作品を見てもらえば、それらがなんらかの形で、不在、喪失、不可視性、潜在というテーマと関係があったり、または、枠組みだけで一切中身のないシステムを表現していることに気づいてもらえるはず。ある人がこんなことを言ってくれたことがある。彼らはアートフェアで僕の作品を見たらしいんだけど、彼らはそのとき「アーティスト言い当て」ゲームをしていたんだって。1人の女の子がすぐに「Ryan Ganderだ!」と言い当てて、なぜわかったのかを聞くと、女の子は「こんな作品を作るアーティストを他に知らないから」と答えたたんだって。つまり、僕にもスタイルはあるんだと思う。「その他すべて」というスタイルがね。

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- 画像提供: Ryan Gander and Musée d’art contemporain de Montreal
- 映像: SSENSE