過去が語る

意識的なノスタルジアと身近な歴史の発掘が、現在の認識を変える

  • 文: Gaby Wilson
  • 画像提供: Maia Cruz Palileo および Monique Meloche Gallery、Stephanie H. Shih、Gaby Wilson

私の母はさほど電話好きではないが、テキスト メッセージはしょっちゅう送ってくる。どれも長くはない。その日のちょっとした出来事を伝えるだけだ。母の兄が飼っている犬、読んだ記事のスクリーンショット、おもしろいと思ったことや感心したこと。だが最近のメッセージは真剣な内容になった。先日送ってきた写真は、セントジョン米聖公会教会の前に立ったドナルド・トランプをライブ放映中のテレビ画面だった。トランプは、覇気のない夫が妻のハンドバックを持たされたときと同じように、渋々といった感じで聖書を持っている。母からの文面は、「1972年、政府打倒の企てに対抗して、マルコス大統領はフィリピン全土に戒厳令を布告しました。その後、憲法で二期と定められた任期を延長して、亡命する1986年まで権力の座に座り続けたのよ」。トランプが教会へ向かう前には、機動隊が化学剤や発煙筒や閃光弾を使って、ラファイエット広場からデモ隊を追い払った。

今では、長い時間、歴史について母と話すようになった。母は、フェルディナンド・マルコス(Ferdinand Marcos)が国の財源を私物化した泥棒政治時代の生活について、私の質問に答えてくれる。私は、母がやって来る前のアメリカでフィリピン人が置かれていた状況について、私が掘り起こした話を教える。母も私も、何かが欠落している感覚に突き動かされているのだ。

新型コロナウィルスの感染が広まり始め、母国を離れて暮らすアジア人へのハラスメント、攻撃、憎悪犯罪が世界各地で煽られたとき、その厚顔無恥な差別は、かつてアメリカが掲げた反アジア人政策を思い出させた。第二次大戦中の日系人強制収容所。1882年に立法化された中国人排斥法。私自身は体験しなかったせいで遠くのことに思えた出来事が、そうではなくなった。言うまでもなく、私の新しい気づきは、黒い肌や褐色の肌のアメリカ人が長年にわたって肌身に感じてきた自明の事実にすぎなかった。

パンデミックは私たちの社会を構成する不公平を暴露した。不安定な低賃金の職種が、突如、保護措置も危険手当も講じられないままに「不可欠」とみなされ、不平等な環境要因や多大な費用がかかる医療体制が、以前から存在した諸条件をさらに悪化させた。そして5月。ロックダウンのせいでスクリーンに釘付けになった私たちの目の前で、次から次へと動画が流れた。追われ、射殺されたアマド・オーブリー(Ahmaud Arbery)、衝動的な誤報で濡れ衣を着せられるところだったクリス・クーパー(Chris Cooper)、ミネアポリスの警察官によって窒息死させられたジョージ・フロイド(George Floyd)。

今に始まったことではない。国家が容認する黒人への暴力は、アメリカ建国のはるか以前から存在した。西欧世界による腐敗したアジア人差別や、体制側が不平分子を犯罪者に仕立てる旧来のやり方も同じだ。「歴史は繰り返す」という説は多分正しいのだろう。だが、それを宇宙論にまで拡大するのはあまりに陳腐だし、未熟すぎて、とてもじゃないけど信用できない。それよりは、辛辣な格言のほうがよほど納得できる。つまり、「過去を記憶しない者は、同じ過ちを繰り返す」

とはいえ、集団の記憶を記録するやり方は助けにならない。全人口とかれらの子孫が祖国や祖国の歴史から乱暴に切り離されている場合は、とても無理だ。ペンを握る者が、エゴや無知のせいで、現代が文明と啓蒙の行き着く最終地だと書かざるを得ない状況では、土台無理な話だ。だから私たちは、半分しか語られない真実を抱えて、腐敗、反乱、再建、停滞というお馴染みの展開を繰り返す。そしてついに臨界点に達したとき、埋もれたままにされたトラウマの清算を余儀なくされる。

シンシア。フィリピン、ラ ユニオンにて。1985年

不安や孤独を感じるとき、私はアートの世界に引きこもる。溢れる美の奔流に身を打たせて、ほんの少しのあいだ、他のことを沈静させる。最近では、Doris Ho-Kane(ドリス・ホー=ケイン)とStephanie H. Shih(ステファニー・H・シー)の作品をよく見ている。ホー=ケインがキュレーションと管理をしている17.21 Womenは、活動家、スポーツ選手、女優など、さまざまな分野で先駆けとなったアジア人女性の写真とストーリーを集めたアーカイブだ。現在は、本として出版する準備も進められている。陶芸家のシーは、アジア移民の家庭で成長した記憶から、日頃目にしていた台所の常備品を拾い出し、愛情を込めて再現する。一方は私がかつて目にしたことのない歴史を写し出し、もう一方は私自身の歴史にモノの形を与えてくれる。

母国を離れた移住者は、慣れ親しんだ生まれ故郷にいながら異質を感じ、写真でしか見たことのない場所に郷愁を感じる。いつまでも根無し草の状態だ。アメリカは、白人でない限り社会から抹消する気配を感じさせ、不完全ながらも過去を消して白人の仲間に入れば、求めてやまない存在感が与えられるという大嘘を信じさせようとした。だが、根もなく、真の省察もないままの存在は、幽霊だ。不毛な過去の幻影だ。ノスタルジアは、しばしば、感傷にすぎないと軽んじられる。確かに、そうとは気づかないままに、過去に露呈した人間の最悪の本能を美化して、熟慮を都合よく回避させることもある。だが、現在進行していることへの恐怖から理想化した過去へ逃げることと、知られざる歴史を迎え入れて、現在に対する認識を整理し直すことは違う。

テキサスで成長したホー=ケインは、地元のパンクの世界に入ってから、公民権活動家の河内山百合、アーティストのオノ・ヨーコ、ライオット ガール バンドのエミリーズ・サッシー・ライム(Emily’s Sassy Lime)らの活動を知るようになった。まさに目から鱗が落ちるような経験は、マデリン・レオン・コールマン(Madeline Leung Coleman)が『Topic』マガジンに書いた、ロサンゼルスのアジア系アメリカ人とパンク界の関係とも符合する。「人生で初めて、果てしなく解き放たれた気持ちになった」と、ホー=ケインは追想している。「アジア系アメリカ人の女性はどうあるべきか。そんな期待が何層にも堆積した抑圧を脱ぎ捨てて、私がどういう人間になれるかを考え始めた」

17.21 Womenのアーカイブを見て、私も同じような感覚を味わった。 エスター・エン(Esther Eng)、ヴィッキー・ドレーブス(Vicki Draves)、ゴールディ・チュー(Goldie Chu)といった先駆者たちの写真を見て、ストーリーを読むうちに、私自身を新しい目でみるようになったのだ。アメリカは、表面的であるにせよ、誇らしげに多文化主義を掲げてはいるが、そこで生きる国民には架空の均一なアイデンティティを課す。同化主義は無頓着に括った類似を「調和」にすり替え、力づくで差異をもみ消す。しかし、適合するストレスで疲弊した精神を回復しうる力が、記憶にはある。

ノスタルジアは、単に追憶を掻き立てるツールである以上に、現在の孤立を過去の共有へ繋ぎ合わせる絆だ。「子供だった頃、家族全員で、少し離れた町の小さなショッピングモールへ行ったものです。そこには夫婦でやっている慎ましい食料品店がありました」。シーから送られてきたメールの文面だ。「中国語の店名は『新禎芳』。新しくて縁起のいい香り、みたいな意味です。でも店頭には、大きなブロック体のアルファベットで『ORIENTAL FOOD』と書かれているだけでした」。アジア系アメリカ人が日常的に体験するこうした二面性を敏感に捉える視線が、シーの作品には一貫している。スパムの長方形の缶を見て、得体が知れないソーセージ風の練りものしか頭に浮かばない人もいれば、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に食べた朝ごはんや、アメリカ帝国主義による戦争で引き裂かれた故国のレガシーを思い出す人もいるのだ。

5月以降、シーのインスタグラムは、陶器で作った醤油瓶から彼女が「抗議の日記」と呼ぶものへ進展した。そして、警察による暴力と体制による人種差別に抗議して、ニューヨーク シティで行われたデモの先頭に立ったときの体験を記録し、デモ以外の支援方法を模索している人に役立つ情報を共有している。焦点の変化について尋ねると、シーは「過去10年、私は社会的な公正を求める運動に参加してきたけど、すごくたくさんの人と同じ基盤の上に立って行動を共にするのは、これが初めてなの」と説明した。「果たすべき責任を引き受けること、現状に挑戦することをコミュニティに呼びかけて、より多くを達成するのが私の目標よ。実際に参加して、長年にわたって差別され続けてきた人々との連携や非黒人として与えられた恩恵の意味を、私と同じアジア系アメリカ人に理解してほしいと思う」

「模範的少数派」という位置付けでアジア系アメリカ人を誘惑する神話には、白人多数派の支配下で繰り広げられる倒錯した人種ヒエラルキーが潜んでいる。これはアフリカ系アメリカ人に対する偽りの優位性を作り出すだけでなく、うっかり誘い文句にのったアジア系アメリカ人は、政治的な意見の主張を含め、自分の優位なステータスを覆しかねない行為を敬遠するようになる。白人の同僚がフロイドの首を膝で押さえつけているあいだ、横に立ったまま傍観しているところを撮影されたモン族系のトゥー・タオ(Tou Thao)は、沈黙による加担のシンボルとなり、今ようやくアジア系コミュニティにおける反黒人主義の検証が求められ始めた。ジェイ・カスピアン・カン(Jay Caspian Kang)が指摘したように、黒人を差別することで、アジア人としてのアイデンティティは浅薄で平板になる。同じ国籍内でも異なる国籍のあいだでも、肌の色による差別と階級付けが依然として健在であること、学生や優れた技能を有する専門家として移住した者と難民として故国から逃れて来た者では、同じアジア系アメリカ人でも著しく異なる体験を辿ること、これらすべてを考え直す必要があることが無視されてしまう。現在香港で進行している抗議を見れば一目瞭然なように、そもそも沈黙は、アジア人の先天的な性質ではないのだ。「権力と闘うように一般の人を説得するのは、常に難しい」と、シーは言う。「でもそれは、黒人活動家に対する謀略に加担するのと同じことなのよ」

実際にあったことを美化する過去はいらない。存在した事実を証明する過去が欲しい

ステファニー・H・シーの陶器作品:(上)『Laoganma Chili Crisp』、(左)『Vita Chrysanthemum Tea』、(右) 『Botan Calrose Rice』、(下)『Hormel Foods Spam』。すべて2019年制作

アジア系アメリカ人には個性が認められないのが普通だ。デザイナーのジン・ケイ(Jin Kay)、ディラン・カオ(Dylan Cao)、フイ・ルオン(Huy Luong)が共同でCommissionを立ち上げたとき、3人を結びつけたのは、意外にも韓国人とベトナム人の母たちが着ていた仕事着の記憶だった。ノスタルジアが触媒となり、そこに彼ら独自の表現を目指す鋭敏な視点が加えられた。カオの説明によると「アジアをひとつの大陸として見ると、それぞれの国はもちろんのこと、ひとつの国でも地域毎にはっきりと異なる特色があります。だが長いあいだ、アジアのアイデンティティは、実に東洋的で、エキゾチックで、演劇的な表現で一絡げにされてきました。その多くは、中国の文化だけに存在する要素です」。Commissionは、ほとんど視線を向けられることのないアジアの80年代と90年代がインスピレーションの源だ。当時は、戦後の急速な産業化と細部を作り変えた西欧風の仕事着が特色だった。オフィス用のブラウスには暑い気候に適したレースやシアなジョーゼットが使われた。ゆとりを持たせ、サイドをたくし上げるドローストリングを付けたペンシル スカートは、オートバイでの通勤やインフラの整備を凌いで成長した雇用状況への配慮だ。ケイ、カオ、ルオンの3人は、見過ごされてきた歴史に焦点を合わせることでアジア人に微妙なニュアンスを与え、反逆の精神でステレオタイプ化された現状を覆す。

ジェニー・ツァン(Jenny Zhang)は、2017年の短編集『Sour Heart』で、いずれも中国系アメリカ人一世の6人の女性に語らせる。それぞれが、部分的には通じ合う、しかしあくまで異なるアメリカ移住の体験と向き合っている。子供っぽかったり、信念を持っていたり、内省的であったり、退屈していたりする登場人物がページから見事に立ち現れ、断固たる辛辣さで貧困の詳細を通俗的に描写する。「私の血に流れてる記憶だと思う」と、ツァンは電話で言う。「何も持ってない恐怖、非人間的な暮らしを続けなきゃいけない恐怖。それを癒す唯一の方法は、まず、そういう恐怖を認識することだわ。知らないことや避けていることは癒せないから」

画家のマイア・クルス・パリレオ(Maia Cruz Palileo) は、自分の家族の歴史について調べているうちに、ある写真アーカイブに行き当たった。撮影したのはディーン・コナント・ウースター(Dean Conant Worcester)。アメリカによるフィリピンの植民地支配が始まった当初、フィリピン内務長官を務めた人物だ。ウースターは動物学に造詣が深く、写真と説明文でフィリピンの人々を非人間的に描写し、奇妙な標本のように提示した。「それで気づいたんです、私の知識がいかに貧弱だったか」と、パリレオは言う。「いかに多くのことが教えられていないか。学校でも私の家庭でも教わらなかったのは確かです」。ウースターのアーカイブを見つけたことから、パリレオはそれまで一度も疑問を持たなかったフィリピン人としてのアイデンティティを追究し始め、自分自身の記憶を独立へ導いた。何世代にもわたって覆われてきた過去に直面するのは、他者の支配的な歴史によって抹消された事実を処理し、抵抗する過程だ。親近感を覚える顔や場面…、パレリオはそれらの写真からの切り抜きをコラージュし、愛情を込めて新たな文脈に置き換え、色彩と人間性が脈打つ印象的な絵画に変えた。「私は、過去の事実より、もっと優しさのある何かを探していたかもしれません」と、パレリコは言う。「写真に写された状況にも関わらず、過去の人々には繋がりを感じられる部分がありました」

学生時代の私は、歴史にまったく興味がなかった。髪粉をふりまいたかつらとピストルを撃ち合う喧嘩を吹き寄せた無形の塊みたいで、私の人生との関係が理解できなかった。アメリカの標準的な歴史の授業で、白人以外あるいは男性以外の著名な人物に割く時間はほんのわずかだ。少数派グループ間の関係に触れる授業は、さらにおぼつかない。習うとすれば、カリフォルニアの黒人コミュニティと韓国コミュニティ、1992年のロサンゼルス暴動を引き起こした黒人コミュニティとの緊張関係くらいのものだろう。それ以外には、ほとんど何も教えられない。

過去を紐解くことに価値を覚えるようになったのは、おとなになってかなり後のことだ。デビッド・ファーゲン(David Fagen)のように、米比戦争時にアメリカ軍から離脱し、フィリピン人と共に戦うことを選んだ黒人兵について読んだ。フィリピン人の置かれた苦境は、自分たち黒人が置かれた状況と違わず、むしろ似ていることがわかったからだ。日系アメリカ人を強制収容所から解放するために戦った、ヒュー・マクベス(Hugh MacBeth)という黒人弁護士もいた。公民権運動が下地を築いたおかげで、1965年の移民法では、40年以上にわたってアジア人の移住を禁じた人種に基づく差別措置が撤廃された。突如、歴史は刺激に満ちたものになった。そこには、私自身、私の友人たちの姿が映っている。「Black Lives Matter」のデモ隊を守るために結束し、ジョングク(Jungkook)やジミン(Jimin)の動画を山のように送りつけて、非合法行為の通報を呼びかけるダラス警察のアプリをクラッシュさせたKポップ ファンの姿が映っている。将来、歴史家が2020年に起こったことを記述するときには、このことに少なくとも1段落を費やしてほしいものだ。

マイア・クルス・パリレオ『The Duet』キャンバスに油彩。183cm × 168cm。協力:マイア・クルス・パリレオおよびMonique Meloche Gallery(シカゴ)

2つの文化に跨っている感覚は、時として解離を生む。それをキャシー・パク・ホン(Cathy Park Hong)は「一抹の感情」と表現し、W・E・B・デュボイス(W. E. B. Du Bois)は「二重意識」と呼んだ。それは同時に、ある種の特別な力にもなりうる。それぞれの要素を評価し、あるいは批判できる有利な視点に立てるからだ。「ひとつには、世代の問題なんだ」と、ホア・シュー(Hua Hsu)はロス・スカラノ(Ross Scarano)のインタビューに答えている。「移民世代はとにかく生き抜いて、明日を見ることだけに必死だ。そしてある程度の安定を手に入れると、その子どもたちが、いろんな物にこだわるというか、真剣に考えたりするようになる場合もあるんだ」。母国を離れたアーティストは、それぞれの分野で意味のある自己表現を追究するうちに、歴史を組み換え、姿を隠して周縁に追いやられた文化への解毒剤を作り出す。集団としての記憶を白く塗りつぶすことにアートとメディアが加担し、幇助したのなら、軌道を修正する力もアートとメディアにはあるはずだ。

私と話した後、ケイ、カオ、ルオンの3人はCommissionの新プロジェクトを教えてくれた。母たちに捧げたインスタグラムのアカウントだ。私にも投稿したい写真があるかと尋ねられたので、すぐさま手持ちの写真をひっくり返して母の20代の頃のスナップを探し出したが、残念ながら、時と場所が定かではない。Commissionのアカウントに載せるには、キャプションにする時と場所が必要だ。

そこで、特に選んだ写真を格子状に並べて、スクリーンショットを母に送り、理由は教えずに、いつどこで撮ったかを尋ねた。最初は、テキストはなくて、ただ時と場所を手書きした表だけが返信されてきた。だがお礼を返信した後、思いがけず、昔話が洪水のように押し寄せて来た。母の不倫の打ち明け話、聡明で非常に内気な少女として紹介された新聞の切り抜き、7人の子供と2人の大人がフォルクスワーゲンのビートルに相乗りして、マニラにある学校まで30分かけて通学したのだそうだ。

特にどうこうするつもりもないままに、私は母の話を他のものと一緒に携帯のノートに保存した。母と母の兄弟を学校へ行かせるために、祖母が何年もサウジアラビアで働いた話。豪華なクレヨン セットを持っていた級友が羨ましかった話。単に存在するという理由だけで、私は貪欲に過去を求める。実際にあったことを美化する過去はいらない。存在した事実を証明する過去が欲しい。

母の日の数日前、私がシェアした写真がアカウントに掲載された。他の美しい母たちと並んだエレガントでお洒落な母を見ると、私は予想もしなかった幸福に包まれた。母が属していたれっきとした居場所を母に見せるのが、とても楽しみだった。こんな簡単な方法で、母の存在が記され、認められ、肯定される。それによって、私自身も同じように記され、認められ、肯定される。私も記録に付け加えてほしい、私の語りに場が与えられることを確認したい。そんな、人間としての欲求かもしれない。あるいは、私の現実と今も私が目にするものが一致しないという認識かもしれない。多分、その両方なのだろう。

Gaby Wilsonは、ニューヨークを拠点に活動しているライターであり、ジャーナリスト。記事は、HBO局の『VICE News Tonight』やMTVに登場したことがある

  • 文: Gaby Wilson
  • 画像提供: Maia Cruz Palileo および Monique Meloche Gallery、Stephanie H. Shih、Gaby Wilson
  • 翻訳: Yoriko Inoue
  • Date: June 17, 2020