両極に振れるアレクシス・サブローン
東京オリンピックを目指すスケートボーダーは、アーティスト、建築家、マサチューセッツ工科大学院修士卒
- インタビュー: Maxwell Neely-Cohen
- 写真: Lucka Ngo

2002年に制作された伝説のスケート ビデオ『PJ Ladd’s Wonderful, Horrible, Life』の中盤に、当時16歳、身長163センチのアレクシス・サブローン(Alexis Sablone)が登場する。ビーニーに隠れて、顔はほとんど見えない。ローズマリー・クルーニー(Rosemary Clooney)の「マンボ イタリアーノ」が流れる中、サブローンは都市空間の窪みや階段を軽々と飛び越える。
学校の友達で、後にプロのスケートボーダーになったザック・ライオンズ(Zach Lyons)がVHSテープを持って来たとき、僕も16歳だった。そのテープを見たら人生が変わるとザックは言ったが、まさしくそのとおりだった。雲に覆われたボストンの空の下、高度で複雑なテクニックとパワーを見せつけるスケーターたちは、新たな時代の到来を告げる新しい世代だった。そして僕たちはみんな、彼らの滑りを真似ようとした。
サブローンはその後、バーナード カレッジ、マサチューセッツ工科大学大学院の建築学修士課程へと進み、エクストリーム スポーツ競技大会のX ゲームズで3回優勝し、多数のスケートボード グラフィックとアニメーションをデザインし、世界中で描画と彫刻を展示している。僕とアレクシスが友人になったのはほぼ10年前。短い間だったが、互いにロサンゼルス暮らしを試していたときだった。僕たちふたりは共に滑り、将来を模索したものだ。
アレクシスは、現在33歳。今年の6月には、 Converseとのコラボでデザインした初のプロ用シューズが発売された。一方で、2020年東京オリンピックへの出場を目指し、アメリカ代表チームの一員として予選に挑戦している。アレクシスのスケートは、崖に挟まれた狭い峡谷を縫って疾駆する、ジェット戦闘機みたいだ。舗装された街路で舞いながら、視線は常に先を捉え、ひと蹴りごとに前へ前へと突き進み…ボードのテールを弾いて宙に飛ぶ。そのキックフリップといったら、スケーターのあいだではもはや伝説だ。正確に蹴り上げ、回転するデッキとメタルを空中でキャッチする技は、重力の法則を超えているとしか思えない。
ボードに乗っていないときのアレクシスは、徹底した注意力と集中力で、さまざまなアート プロジェクトに打ち込む。いつ電話しても、いつテキストを送っても、仕事中か仕事への移動中だ。このインタビューでは、最近引っ越したブルックリンのアパートで棚を作りながら、子供時代のお絵かき、スケート スポット、本屋について話してくれた。

Alexis Sablone 着用アイテム:コート(Bottega Veneta)、T シャツ(Undercover) 冒頭の画像のアイテム:クルーネック(Giorgio Armani)、カーゴ パンツ(Ksubi)、スニーカー(Comme des Garçons Play)

Alexis Sablone 着用アイテム:コート(Bottega Veneta)、T シャツ(Undercover)、トラウザーズ(Comme des Garçons Homme)、ブーツ(Balenciaga)
マクスウェル・ニーリー=コーエン(Maxwell Neely-Cohen)
アレクシス・サブローン(Alexis Sablone)
マクスウェル・ニーリー=コーエン:いつか君が言ったのを覚えてるんだけど、スケートより長く続けてるのは絵を描くことだけだって?
アレクシス・サブローン:そのとおりよ。物心ついたときには、もう絵を描いてた。
そんなに単純明快なの? いつから始めたかも覚えてない?
6歳の頃からは、写真みたいにリアルな絵に熱中したわ。もちろん、実際にはそこまで写実的じゃなかったけど、かなり近付きつつあった。子供が描く絵には見えなかったわね。何時間も、何度も何度も描き続けてた。
ほとんどの時間を、絵を描いて過ごしてたわけ?
そう、お絵描き。発明するつもりで、結局実現しなかったものもたくさんあったな。
ちょっと待ってよ。一体、どんな発明だったの?
大抵、SFから思いついたのよ。ミント キャンディのチックタックってあるじゃない? あの容器に収まるトランシーバー兼用腕時計で、時計用バッテリーがリストバンドに巻き付いてるのは、絶対に作りたかったんだけどね。パラシュート装置もあった。ま、私がバルコニーから飛び降りてただけだけど。それから『グレイ解剖学』の本があったから、その挿絵を一生懸命模写してた時期は、それまで集めておいた昆虫の色んな部分をフランケンシュタインみたいに寄せ集めて、5センチくらいの小人を作るっていうのが究極のアイデアだったわ。小人が完成した後は、服を作ってあげようと思って洋裁も習ったし、動き出したときのために、家具とか、細々したものも準備してたんだ。
もっと後の時期でもいいんだけど、何かのデザインやスタイルに本気で入れ込んだ記憶はある?
ミニカーは本気で好きだったわね。それと、ガソリンスタンドで売ってたオモチャのクルマ。ちゃんとライトがつく、大型トラックも持ってた。コンパスにもハマってた。小さい頃に母さんがくれたコンパスは、今でもここにあるわよ。それからナイフ。特に、小さいハサミを引き出せるタイプのナイフね。あとは、腕時計。透明プラスチックで、中が全部見えてた90年代の電話。あの電話は大好きだったな。とにかく、プラスチックで、中の部品が動いてるのが見えるものは、何でも好きだったから。トランシーバーの内部なんかに夢中で、コツコツお金を貯めては、電気部品を売ってるお店へ通ったもんよ。それ以外には…、何だか知らないけど、とにかく色んなクルマが大好きだった。それって変なのよ。私、実生活では、まったくクルマに縁がない人間だから。スタイルでいうなら、何と言っても映画だろうな。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とか『ブレードランナー』みたいな映画。『ブレードランナー』は、今でも好き。だけど、かなり早い時期から虜になったのはスケートボード、スケートボードのグラフィックだった。

Alexis Sablone 着用アイテム:タートルネック(Kwaidan Editions)、シャツ(Ksubi)、カーゴ パンツ(Ambush)、ブーツ(Balenciaga)
言われてみれば、僕も、スケートボードを持つ前からあのグラフィックに感激したのを、今思い出したよ。「スゴイ! 一体なんであんなにカッコいいんだろう?」って。
そうだよね。スケートを知る前は、興味を感じるデザインといったら、美術や、ダ・ヴィンチのデッサンや、特定のオモチャや機械仕掛けだけだったから。正直言って、私の今の恰好は、小学校へ上がる前の写真の私とほとんど同じなんだ。クルーネックの赤いスウェット シャツにジーンズに野球帽。だけどね、スケートボードを始めて、スタイルの幅が広がったのよ。色んなパーツや色んなアイテムから選べるから。それで、スタイルがひとつの生きた存在になった。だから当然、私のスタイルも変化した。迷彩柄に凝った時期もあるし、とにかく90年代スケートボードのあらゆる段階を通過したわ。すごく小柄だったから、あまり似合わなかったけど。
僕が知ってるスケーター、特に上手いスケーターは、スケート スポットに対して特別な見方をするんだよ。空間をどう移動していくか、なぜそこは滑る価値があるのか、そういうことを分析して、滑る場所をそれぞれ独自の方法で選ぶ。君の場合、どういうふうにしてその感覚を育てた?
構造、街、だな。イメージとして捉えた場合、その場所がエキサイティングか? そのスポットで自分が頑張る意味があるか? 私、小さい頃はニューヘイブンやハートフォードで滑ってたし、フィラデルフィアへ引っ越したときは「LOVE」パークのスケートボードが全盛期の時代だった。確かにどっちもトレーニングとしては良い経験だったけど、定期的にボストンへ行くようになって初めて、そういう方法でスポットを考えるようになったわね。そのスポットがどう見えて、どう感じられるかを、意識するようになった。郊外のかなり小さい町で育ったことが影響してると思う。小さい町だと、何でも利用できるものを利用するしかないのよ。例えば、スーパーマーケットの後側にある荷下ろしのプラットフォームとか、映画館の前に置いてあるベンチとか。そういうものって、どこの郊外にも共通する特定の視覚要素なんだよね。だから、撮影を念頭に置いて、特にボストンみたいなこじんまりした市街を滑ると、カメラの視点で街を見るようになる。構成を考えるわけ。

Alexis Sablone 着用アイテム:フーディ(Haider Ackermann)、トラウザーズ(Wales Bonner)、スニーカー(Comme des Garçons Play)
君は、彫刻、イラスト、デザイン、アニメーションと、多くの手法を使うアーティストとしても活動してるよね。次にやるものや、やる方法を、どうやって決めるの?
何であれ、そのときいちばん気になってるアイデアと直観の両方ね。シーソー作用って言えばいいかな。アニメーションだけに打ち込んでると、終わる頃にはもう飽き飽きして、とにかく違うものを作りたくなるのよ。手を使ったことをやりたくなる。ひとつのことを休憩して、違うものをやり始めるわけ。また、その逆。ひとつの手法から別の手法へ、行ったり来たり。それまでやってたことの正反対をやりたい、って衝動だわね。
僕が特にアニメーションに興味を感じるのは、肉体との関連が強いアートだからなんだ。肉体の動きや構造を考えなきゃいけないアートだよね。君の彫刻にも、肉体への関心がよく表れてる。言っとくけど、無理矢理スケートとアートを結び付けようとしてるわけじゃないからね。ただ、スケートで毎日体を使ってると…。
もちろん、プロセスには似てるところがあるわよ。彫刻には肉体を使う要素が含まれてるし、特に大きい作品の場合は、スケートと重なる部分を感じる。そういうときは頭が空っぽになるの。滅多にないことだけど、やたらと頭を使わず、ただ作業に没頭するのは貴重な時間よ。アニメーションの場合は、違う面でスケートと重なってる。スポットを目の前にして、トリックを考えて、一連のアクションをほとんど体で感じるときと同じ。頭にあるトリックをするには、どう体を動かして空間を移動する必要があるか、それを想像する。アニメーションを作るときは、いつもその方法を使ってるよ。先ず頭にアイデアが浮かんで、それを展開していく。体の部分が実際はどう動いているか、鏡でチェックしなきゃいけないときもあるけど、動きを考えて細かい段階に分解していくのが私はいちばん楽しいから。それって、スケートでもよくやらない? 自然に体が動く人もいるから、全部のスケーターってわけじゃないだろうけど、少なくとも私は、トリックや動きをスローモーションにして、1秒を何千というコマに分けて、細かく分析しないとダメ。アニメーションはね、あらかじめどんなに綿密に考えても、動かしてみると勝手に動き出して、時々予想外のことをするのがいいんだ。だから、嬉しい驚きがあったりする。スケートボードはその反対。大抵嬉しくない驚きだもんね。
インスピレーションを見つけるために、決まったやり方や習慣はある?
本屋。本屋に行かずにはいられない。
僕たちが親しくしてた頃は、半日友達と滑っては、その後、ふたりだけで本屋へ行ってたよね。
ロサンゼルスの街を延々と横断して、「ヘネシー & インガルス」まで100万回は通ったね。今も、毎日欠かさず、1日に必ず1回は本屋を覗いてる。
さて、次に楽しみにしてることは何?
ああ、オリンピックとか?(笑) 来年を生き延びるとか? 今は、オリンピック予選で世界中をまわるせいで、生活が寸断されてる状態。スケートボード界の全員にとっての最優先事項だし、新しい出発みたいな気がしてる。確かに前より忙しくなったしね。それから、グラフィック ノベルにとりかかってるんだ。これまでより長いアニメーションも制作中だし、楽譜も勉強して、渾身の作にするつもりよ。ミュージシャンを名乗る気はないけど、すごくワクワクするストーリーなんだ。その他には、彫刻。今度は肉体じゃなくて、着られる彫刻。やっぱり、肉体が絡んでる。
その他に尋ねてほしいことか、僕に尋ねたいことはある?
今度は、どの映画を一緒に観に行く?
Maxwell Neely-Cohenはニューヨーク在住の作家。著書に『Echo of the Boom』がある
- インタビュー: Maxwell Neely-Cohen
- 写真: Lucka Ngo
- スタイリング: Mark Jen Hsu
- ヘア&メイクアップ: Ayaka Nihei
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: November 22, 2019