ファッションが語る2020年
SSENSEエディトリアル チームが読み解く、「当たり前」がひっくり返った1年

新しさだけを追い求めるファッションというものがある。それは、少し先の「未来」を今に引き寄せ、見せるファッションだ。一方で、過去に目を向け、経験と実績に基づいた「トラディショナル」なファッションがある。このふたつの相反するスタイルに接し、あることにハッと気づくという経験はそんなに珍しいものではないだろう。つまり、「どちらも似たようなファッションじゃないか」と。トレンドや未来志向も、結局のところ、過去を振りかえることで成り立つ。「未来志向」も「トラディショナル」も、「今現在」を深く見つめることから私たちを遠ざけるのだ。
SSENSEエディトリアル チームで2020年のファッションについて話し合った際も、この分類を頑なに拒むような1年をまとめるなど、考えただけで心が折そうだった。そして、振り返ること自体が辛い1年であったことを再認識し、打ちのめされる思いだった。2020年を思い出すことは、ありとあらゆる苦痛をリストアップする作業だ。私たちは社会全体として、個人として、悲しみに暮れた。ときに声を大にして、ときに人知れず嘆いた。ゆっくりと進むように感じる時間を、「早く終われ」と願いながら過ごしたり、数週間、数か月を数時間のように感じたりした。まるで時が失われたかのように感じる瞬間もあった2020年。いや、失ったというよりは、奪われた1年であった。
この感情をどこにぶつければいいのだろうか。悲惨な出来事の中で人々が差し伸べた手は、どのように反映すれば? 昨夏の騒動の中でとらえられた抗議活動の瞬間には、さまざまな形で表れた人々のおもいやりが垣間見られる。世界中の何百万人という人々が練り歩いて正義を叫び、ハンドサニタイザーを手渡した。それだけではない。これらの画像や統計には浮かび上がってこない多くの人々がいる。おもてへ出て声をあげた人たちの影には、投獄された人々を電話でサポートできるよう、家でスタンバイしていた人々、デモに参加する人のかわりに家を守った人たち、仕事をした人たちがいた。危害を加えられないよう家でじっとしていなければならない人々もいた。
こんな1年について、ほかに何を語れるだろう。この1年を振り返り、未来に臨む時、何を覚えておきたいだろう。何を記憶に残し、何を忘れ去ろうか。タイムカプセルはまだ未完のままだ。あえて、そうしているとも言える。綴られた日記の行間からは、声にならない叫びが溢れ出す。ワードローブは、昨年着られなかった服でいっぱいだ。今回、記事やアイテムではなく、瞬間や意味そのものをピックアップしてみた。防護服や「VOTE(投票)」と書かれたマスク、ヨガ用レギンス、Zoom映えするピアス––。どれも全体像をとらえるには文脈がなさすぎる。じゃあ、次にどんな流れが来るのか、どう考えればいいのか。「とりあえず様子を見よう」と放置するほど呑気ではいられない。だが、一度立ち止まってじっくりと考える用意はある、とは言えるだろう。
「愛とは、永遠に湧き出る泉であると信じますか?」
「服を自由にしてあげたい」。ZOOMを介した「GucciFest」の発表記者会見で、アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)はそう話した。新型コロナ感染症が拡大するなか、このバーチャルな映画祭を使って、ミケーレは2021年春夏コレクションを発表した。ブティックやファッション ショーに足を運ぶのも危険をともなう今シーズンの状況を考えれば、「ファッションを店舗の中に留めておきたくない」と言う彼の考えも、自然に聞こえる。2020年は、近代史上はじめて、ファッション業界が財政的な意味でも文字どおりの意味でも、生き残れるかの瀬戸際に立たされた年であった。
実際のショーやイベントに替わって登場したのは、バーチャルなファッション ウィークであった。ライブ配信やZoomを使ったインタビュー、ショート フィルム、ミュージック ビデオであった。Loeweは、「show in a box」と題し、ショーのコンセプトを含めたさまざまな要素を詰め込んだ小箱を関係各位に送付した。これらの暫定的なやり方の中には話題になったものもあったが、政治や健康への不安が広がる中、多くは人々の視線を集めることに失敗した。『GQ』のライター レイチェル・タシジャン(Rachel Tashijan)は、この逆風にあった今シーズンが 腕が試された最高のファッション ウィークであったかもしれないと問いかけたのに対し、評論家のロビン・ギバン(Robin Givhan)は、「ここ数週間は、このパンデミックの最中、季節を絡めてファッションが何を語れるかを試される期間であった。それだけではなく、深く傷ついた世界にファッションがどう関わっていけるかを問われたシーズンでもあった」と、タシジャンより懐疑的なコメントを残している。
お宅拝見
2020年の年初には、人とやりとりするたびに、不本意ながらも家の中をチラ見せせざるを得なくなるなど思いもよらなかった。それが今や、Zoom映えを意識して、自分で切った髪は新しいソファ クッションとマッチするかを考えるまでになっている。最近ではもはや「グラマラスに決める」というコンセプトが非現実的なものにすら思える。画面に映らないスウェットパンツはシミだらけでもよしとされ、大きな襟や発色のいい口紅、人目を引くダイヤモンドのステートメント イヤリングなど、胸から上の見栄えを重視する。社会全体としても個々人としてもできず仕舞いが多かった2020年。それでも私たちは工夫しながら楽しみを見つけ、自分自身と限られた住空間を飾り立てていったのだ。
ステイ セーフ
2019年、社会不安は急激に深刻化した気候変動の危機に集中した。あの夏、環境保全活動家のグレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)が、ニューヨークで開催される国連気候サミットに出席するために太陽電池式のヨットで大西洋を横断した。次いで、カナダやアメリカの各地で展開された地球温暖化対策を求めるデモ活動に参加。数か月後にはオーストラリアで森林火災が発生し、気候変動危機に対する早急な措置の必要性を決定づけた。約19万平方キロメートルが焼失し、絶滅の危機に瀕した種も少なくない。被害総額は1030億ドルに及び、もはや気候変動は疑う余地がなく、みずからに降りかかる不可避な問題と感じられた。ちょうどその頃、もうひとつの危機が忍び寄っていた。新型コロナ感染症だ。数年後の未来を漠然と心配していた私たちは、ほんの数時間先を危惧しなければならない事態に陥った。
感染するかもしれない、知らぬ間に人にうつしてしまうかもしれない––。空気感染も疑われるウイルスの恐怖と闘いながら、使い捨て手袋やマスク、プラスチックのフォークやスプーン、ゴミ袋で作った手術着など、使えるものはなんでも使うメンタリティを持ち続けた。使い捨てのプラスチックを嫌厭していた私たちは、1か月もしないうちに、命を守るためにプラスチック製品に頼らざるを得なくなった。個々人の安全のために、ひっ迫する自然界を差し置くという究極のジレンマだ。
2020年初頭、防護服に身を包んで移動するスーパーモデル、ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)がメディアを賑わせた。誰を優先的に新型コロナウイルスから守るべきかという議論がすでに囁かれていたこともあり、ナオミの行動は物議を醸した。彼女は、Amazon定期おトク便で防護服を購入していると認めた。「まとめ買いもしたし、定期購買も申し込んだ。だからどんどん送られてくるわ」と『ウォール ストリート ジャーナル』誌で語った。「一度、品不足で防護服が家に届かないことがあって、パニックに陥ったの。特に出かける予定はなかったけど」と。防護服に身を包んだ彼女の写真とそこに添えられたコメントは、私たちが抱える倫理的ジレンマを白日のもとに晒す。ナオミの防護服は、私たちにとって今やなくてはならないものとなった使い捨てゴム手袋もいずれ欠品になるという事実を突きつける。どちらも2020年を象徴する存在だ。使えるものはなんでも使おうとする人間臭さを浮き彫りにする。

助け合い精神
新型コロナウイルス感染症が蔓延しはじめた頃、「Black Lives Matter(黒人の命は大事だ)」を掲げた人種差別反対運動がヒートアップした。人々は世界各地で一致団結し、助け合い、経済的援助の手を差し伸べた。それは最低限の食事や住居の確保から、保釈金の寄付、回復基金、最前線で活躍する人々や活動家へのサポートまで多岐にわたった。
前代未聞の状況に直面し、世界中のデザイナーやアーティスト、ブランドが思いついたのが、グッズを介した助け合いだった。Tシャツやキャップ、トートバッグ、バッジやステッカーが、ファッションに敏感な人が持つべきアイテムとして、にわかにInstagramのストーリーやまとめ記事で取り上げられるようになった。無償の施しという発想はないのかとの批判もあり、支援を本当に必要としている人々を無視する社会支援ネットワークの二の舞を見るようで、私たちはもどかしい思いを一層深めた。
オリジナル Tシャツなど、助け合い精神を掲げたグッズは、それ自体が寄付に対するレシートのようなものであり、よりよい世界を築き上げる運動に参加していることを証明するツールとなった。COME TEESが手がけた、バーニー・サンダース(Bernie Sanders)の顔入り「Rage Against The Machine」Tシャツの売上金は、2020年1月のアメリカ大統領民主党予備選挙のキャンペーンに充てられ、大きな成功を収めた。このTシャツの売上金はその後もさまざまな互助活動団体へも寄付されている。「Rage Against The Machine」Tシャツは、2020年、何が悪で何が善なのか、変化を起こすために自分には何ができるのか、これらのもやもやとした感情を解消するために服を使った究極の例だろう。

投票? それとも…
限定エディションのキャンペーン グッズ? いえいえ、単なるジョー・バイデンの選挙Tシャツです。
11月6日の選挙では、バイデンに軍配が上がった。この結果に至るまでの数か月間は、控えめながらも、各方面で「狂乱の」とか「大混乱の」などと表現された。有権者は、投票所で支持政党をほんの少しでも匂わすようなものを身に着けることを禁じられたが、候補者やデザイナーはマニフェストやスローガンを謳うTシャツやソックス、帽子をオンラインで販売した。Stuart Weitzmanの「VOTE」ニーハイ ブーツは、セレブの間で人気を博した。「VOTE」マスクも同様で、マスクの文字は「投票に行こう」だが、実際には応援している候補者への投票を呼びかけているようなものであった。
だが、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が、バーニー・サンダースのロゴを模倣してBalenciagaの新しいロゴを作ってからというもの、皮肉なオマージュとまじめな演出の間に溝が生じ始めた。その服を着る人は候補者を支持しているのか、それともコンセプトを支持しているのか。大した助けにならないと分かっていながら、その瞬間に必要とされているものを要求して叫んでいる場合、実際には何を求めているのか。もちろん、「当選者が責任を果たすコミュニティや職場を組織しよう」を1枚の服に落とし込むのは、はるかに難しいことだと誰もがわかっている。言うまでもないが、時代遅れの複雑な選挙制度のせいで、出来の良いオリジナル グッズのT シャツに飛びつくのと同じように、政治家を支持するのは難しい。一方で、偶然の出会いがほとんど期待できないような年に、街で同じスローガンを掲げたTシャツや同じ候補者を推すロゴが入ったTシャツを着た人とすれ違ったときに、目を合わせて頷きあう瞬間の喜びは否定できない。こういった服やアクセサリーは、スローガンどおりの熱いメッセージを訴えるツールというよりは、周囲への「お友達になって」というアピールと考えたほうがいいのだろう。

アートワーク:Tobin Reid
万人のためのニッチな世界
「最新のTik Tokドラマ見た?」横並びの分割画面に映し出される文字。ひとつの画面には毛布を被った人物。フードを深々と被った人。その目は、もうひとつの分割画面のほうに映し出される映像を凝視する。一般的のようでいて、裕福さがにじみ出る家庭の映像。何色と何色を混ぜたペンキなのか必死に考える男。ブランケットで寿司のように巻かれたハムスター。ロシアのシリアルのCMソングをカバーした曲に乗って踊るラマ。「#おすすめ乗りたい」や「#運営さん大好き」にあたる「My #fyp」は、ユーザーの「まだ見てないし、見たくもない」というメッセージだ。
アルゴリズムによってユーザーを容赦なくトレースし、追いかけ回す唯一のソーシャル メディア ネットワークとして、TikTokは表彰モノだ。TikTokでは、ニッチがサブカルチャーを制し、フィードがユーザーのパーソナリティを表す。このアプリに存在する有害なものといえば、人種差別や怒り、暴力や削除を匂わせる脅しなど、ほかの多くのアプリにも見られるものと大差ない。そして、たとえば、ワクチン忌避派の独白や「トランプ支持者のための10の質問」のような類の投稿ひとつを長く視聴しすぎると、あなたのアルゴリズムはその後数週間メチャクチャになる。このアプリが、あなたが好きではないものや興味のないものからどんどん遠ざけるのを目撃すること自体が、このアプリならではの体験だ。どのサウンド、タグ、場所、画像の時にスワイプする手を止めるかをチェックし記録することにより、「リコメンド」ページが形づくられていく。
まるでゲームのように感じられるこのアプリを使えば、このメディアを最大限に活かすユニークな人々や流行に敏感な人々の一味になれる。Kポップのファンは、トランプ大統領の集会を妨害し、ニューヨーク大学の学生は自宅待機中の「まともな食事」について投稿した。バレリーナはN95マスクをつけてリハーサルを行い、家族全員そろって人気ソングの振り付けを覚えた。ユダヤ教の成人式にあたるバル ミツワーを、人間ではなく愛犬のために行う様子や、極端に行儀のよい幼児が果物を食べるシーンも配信された。ティーンエイジャーは、なぜ自分たちは誘拐され、偽物の親に育てられていると信じているのか、その根拠を事細かに紹介する。クチュールのファッションショーの再現は子供時代の工作のようだ。段ボールで作られたハリボテのロード(Lorde)はロサンゼルスで人々を付けまわす。「カルテルTikTok」、数字に基づく冷静な調査、稀有な美的世界観––。瞬きより速いスピードでミームが生まれ、そして消えていく。
人に見られるということは、好むと好まざるとにかかわらず、人に知られるということだ。ある人は、ひとつのアプリ上のコントロールは完全に諦め、もうひとつ別のアプリを正反対の目的のためにダウンロードする。Signalを導入し、半年以上使っている人は、2020年の夏は矛盾に満ちた通知をたくさん受け取ったはずだ。プライバシーを100%守るという謳い文句を掲げたこのメッセージ サービスは、たとえば過去のルームメイトやダメ男、Tinderで知り合ってデートした相手や、ダメ上司や元カレ元カノもSignalをダウンロードしていることを通知する。Signalのグループ チャットは、その他のアプリとは毛色が違う。それは、夏の間、抗議活動の待ち合わせをする際に使われた。いわば、希望を持てるクリーンなデジタル プラットフォームであった。消えていくメッセージは「気をつけて」と告げた。その電話を持つ手の中に収まるほど小さな安全しか私たちにはないとわかっていたけれども。

アートワーク:Sierra Datri
ナイス シュート
警察による暴行に対し、世界各地で行われた抗議活動91日目。ひとりのジャーナリストがトロント ラプターズのポイント ガードを務めるフレッド・バンブリート(Fred VanVleet)へのインタビューで、セルティックスとの試合を控え、どんな気持ちか聞いた。バンブリートは正直にこう答えた。「試合のことは考えていない。ジェイコブ・ブレイク(Jacob Blake)のことを考えている」と。29歳のジェイコブ・ブレイクは、ウィスコンシン州ケノーシャで、後部座席で3人の息子が見ている目の前で、警官が発した7発の銃弾を背中にくらった。「目の前にマイクを差し出される立場の僕らこそ、声を上げていかなくてはならない」とバンブリートは続ける。「いつになったらこのことについて議論しなくて済むようになるんだ。自己責任か、それとも黒人の人たち、黒人アスリート、黒人アーティストをつかまえて、『何をもたもたしているんだ? 自分のコミュニティに貢献しているか? 何か犠牲にしているか?』とどやすのか」と。
「たとえば、今回のことはケノーシャで起きたことだけど」とバンブリートは付け足す。「もしも完璧な世界があって、全員一致で今日は試合をしないと言い、ミルウォーキー バックスのオーナーが歩みでて地方検事事務所に圧力をかけ、検事や知事、政治家に、世の中を変えて正義を守ろうと提言したら、どんなに素晴らしいことだろう。事態はそんなに単純ではないことはわかっている。でも、もしも僕たちがここへ座って、改革について話し合ったら、いつか僕たちは自分自身の命をかけないといけないことになる。失うものは金や名声だけではない」
その翌日、ミルウォーキー バックスはオーランド マジックと予定されていた第1ラウンドのプレイオフの試合を、抗議活動の一環として放棄した。これについて、ヴィンソン・カニンガム(Vinson Cunningham)は、「無観客・無選手の会場––これは間違いなく、すでに違和感のあった今年のNBAシーズンの中でもダントツで不気味な光景だった」と綴った。そもそもは世界的パンデミックから選手を守り、収益を守るという名目で、バスケットボール バブルは形づくられた。しかし、次から次へと起こる惨事とそれにともなう悲しみは、なんとかやり過ごせるレベルを越えていた。2020年1月にコービー・ブライアント(Kobe Bryant)とそのティーンエイジャーの娘を含む9名の搭乗客が飛行機事故に巻き込まれて命を落としたことは、バスケットボール関係者にとって、それに続く多くの悲しい出来事の序章であった。
全米女子バスケットボール協会WNBAには、何か月も、いや、何年にもわたり、良心をもち、強い信念を持ち続けている選手が大勢いる。シアトル ストームのポイント ガードで、オールスターにも選出されたスー・バード(Sue Bird)は、仲間に声をかけ、ジョージア州の上院議員選挙において、民主党候補のラファエル・ワーノック(Dr. Raphael G. Warnock)を支持することをおおやけに表明した。ワーノック候補は、共和党の現職上院議員でアトランタ ドリームの共同オーナー、ケリー・レフラー(Kelly Loeffler)の対抗馬として出馬していた。それにさきがけ、レフラーは、BLM(黒人の命は大事だ)運動に「断固として」反対する言及していた。選手たちは全国ネットで放映される試合で「ワーノックに1票を」と書かれたTシャツを着る計画を立てたのだ。WNBA選手会会長で、ロサンゼルス スパークスのパワー フォワードを務めるネカ・オグウマイク(Nneka Ogwumike)は、ライターのルイーサ・トマス(Louisa Thomas)に対し、どの選手が同じバブルの中にいないかは、つねに把握していたと語った。試合が終わるごとに、オグウマイクのチームは、試合を振り返る内容のメモを回す際に、ブリオナ・テイラーが自宅のアパートで銃殺されてから何日経ったかの記録を添えていた。
「BLM運動を讃える試合をすることで社会的正義に明らかに貢献」したシーズンにおいて、選手たちは「Say Her Name(彼女の名を呼ぼう)」と書かれたユニフォームを着ることを許された。試合が開催される各都市でも同じ言葉が叫ばれた。試合中止は3日間続き、プレイオフが再開された。人々の記憶から消えない出来事が多かった夏、この突風のように吹き荒れたストライキは、勝ち取ることができるものとできないものを教えてくれた。
擁護するヨーガ
コンピューター画面から離れる時間を作ることが、2020年のもっとも大切なエクササイズだった。しかし、「コロナ禍のヨガ クイーン」の異名を取るエイドリアン・ミシュラー(Adriene Mishler)と彼女の熱狂的なファンにとって、コンピューター画面こそ、活路でもあった。エイドリアンが主宰するYouTubeチャンネル「Yoga With Adriene(エイドリアンのヨガの部屋)」は、登録者数800万人を誇り、新型コロナウィルス感染症の拡大が本格化した最初の数か月には、1日の視聴者数は100万人にのぼった。Goop委託の「The Class」のような自宅でのエクササイズが流行し、ダンベルなどの筋力トレーニング用具が品薄になる中、ミシュラーの提唱するエキササイズでは、特別な器具を買う必要も、ライフスタイルを根本から変える必要もなかった。先日アップロードされた「ブランケット ヨガ」と題された映像では、愛犬ベンジーをフィーチャーしながら、40分間にわたり、呼吸法、ストレッチやセルフハグを紹介。映像の最初と最後は、ほとんど寝ているようにしか見えないポーズでまとめられていた。ミシュラーは、参加者に対して、手元にあるものを使うよう勧める。そして、できるかぎり動きやすい服を着るようにと。彼女は、Zoomミーティングから来る疲労感やブルーライトのせいで感じる倦怠感からの、心と体の解放へと導くのだ。

アートワーク:Megan Tatem
あなたなら、歴史に残る名ゲストになると思う
暗くねじれた皮肉な新ジャンルとして、ボヘミアン スタイルに身を包み、音楽性のまるでない複数のセレブがジョン・レノンの「イマジン」をカバーした映像は、「この難局をともに乗り越えよう」というメッセージを伝えようとしたが、人々の心にまったく響かなかった。2020年のカオスは、「セレブだって同じ人間」という昔から言われているキャッチフレーズを疑わしいものにした。トーク ショーの司会者や大物ゲストたちは、行動は何も起こさず、履きちがえた見せかけの「絆」を声高に叫ぶことばかりしていたように思える。このパンデミックは、金持ちや有名人のライフスタイルに特有の問題を起こした。つまり、セレブ文化を持たないセレブたちはもがき、この世界的危機にも危機感を覚えず、ただ脚光を浴びつづけようという試みが野放し状態となった。
幸いにも、私たちには、ブルックリンを拠点とするコメディアンで、Instagramのライブ配信『Baited』シリーズのクリエーターでもあるジーエ・フムドゥ(Ziwe Fumudoh)がいた。彼女は、人種差別発言で話題になったアリソン・ローマン(Alison Roman)から劇作家で俳優もこなすジェレミー・O・ハリス(Jeremy O. Harris)まで、たくさんのインタビューを敢行し、政治、人種、賠償金など、さまざまなテーマに触れた。彼女自身のオリジナル ヒット シングル曲「Make It Clap for Democracy」や「Universal Healthcare」は、私たちがそれをもっとも必要としている時にリリースされた—フムドゥのアルバムはiTunesで発売中だ。
まだ視聴中ですか?
「怒りは効き目の強いスパイスだ。ひとつまみ入れれば目を覚まさせてくれるが、入れすぎると感覚が鈍る」。これは、ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』に出てくる地味な登場人物ハリー・ベルティックの名セリフだ。この連続ドラマは、6400万世帯を越えるNetflixファンの注目を集め、ストーリーの中心であるチェスに対する人々の関心も再燃した。しかし、これはどの程度、エンターテインメントとしての完成度によるものなのか。そして、どの程度、私たちが「感覚の麻痺した」状態で世界を見ていることに関係しているのか。悲嘆の段階において、怒りは否認の次にやってくる。さらに、そこから取引、抑うつの段階へと進み、(場合によっては) 受容へと至る。アップダウンの激しい曲線やチャートもおなじみとなった、激しく変動する時代において、これらの段階もまた、予測不能な見えない力によって延々と続く、見慣れたサイクルのようになってしまった。たまに気晴らしがあっても、再び憂鬱の段階を巡り、繰り返す。
かつては罪深い耽溺とされたドラマのイッキ観も、一時的な苦痛緩和には効果的だと広く知られるようになった気がする。今や、現実逃避する時間は不可欠だ。ロックダウンの最初のうちは、『タイガーキング:ブリーダーは虎より強者?!』や『マイケル・ジョーダン:ラストダンス』、『ふつうの人々』、それに(喧嘩を売っているような)『エミリー、パリへ行く』もあった。どの作品もそれぞれに、最初に見た時の憂鬱が思い出される。それは、私たちの記憶を、または少なくとも私たちの無関心度を試している。「まだ視聴中ですか?」ふと目を覚まし、このメッセージが画面に表示されているのを見るかもしれない。電灯がつけっぱなしの午前4時のソファで。または妙にリアルな夢から覚めて。飲み過ぎた翌朝に、その日最初のビデオ会議に向けてコーヒーを淹れながら。エビのように丸まったベッドの中で。またはうたた寝せず最後まで見ていたにも関わらず。そこであなたはピッタリの言葉を探すかもしれない。私、まだ視聴中だっけ? そして、さらに重要な問いを自問する。「誰か、私を観ているの?」悲嘆のせいで、私たちの時間感覚はますます麻痺し、感性もだんだん鈍くなった。ベルティック風に言えば、2021年、スパイスは「ひとつまみ」にして、目を覚ましたいものだ。
- 翻訳: Yuko Kojima
- Date: December 30, 2020