記念碑に刻まれた歴史
2020年、銅像が倒れるとき
- 文: Whitney Mallett
- アートワーク: Sierra Datri

2017年、ヴァージニア州シャーロッツヴィル。南北戦争で活躍した南軍軍人ロバート・E・リー(Robert E. Lee)像の撤去に反対して、松明を掲げたポロシャツ姿のネオナチ集団が結集した。以来、ろくでもないことをしでかした今は亡き白人男たちの銅像に、世界の目が向けられるようになった。これらの記念像は、搾取と略奪を働いた歴史上の人物へ誠心を示す、物理的な象徴に他ならない。論争は続いたが、ついに全世界で、撤去への動きが本格化しつつある。テネシー州メンフィスでは、馬にまたがったネイサン・ベッドフォード・フォレスト(Nathan Bedford Forrest)の像が引き倒された。フォレストは、南北戦争後に白人至上主義団体のクー クラックス クラン、略称KKKを結成した人物だ。麻酔なしで黒人奴隷の女性たちに残酷な医学実験を行なった婦人科医J・マリオン・シムズ(J. Marion Sims)の像は、セントラル・パークの台座から外された。2020年6月に入って、人種差別を象徴するさらに多くの記念碑は、文字通り覆される運命のときを迎えた。お役所仕事の折衝が遅々として進まないところでは、暴力が介入した。ボストンにあるクリストファー・コロンブス(Christopher Columbus)の像は頭がはねられ、ノースカロライナ州ローリーでは、南部連合兵士の銅像が信号から吊るされた。奴隷商人エドワード・コルストン(Edward Colston)の彫像は、ボストン港に投げ込まれた。
銅を鋳造したり石を刻んで作られた彫像や記念碑や記念物は、永遠に残ろうとする性質を備えている。ヴィレンドルフのヴィーナスは、高さ約11センチという点では大きな存在ではないものの、すでに3万年の月日を生き延びている。もし実物より大きいレプリカが公共の場に展示されていたらどうだろう。これらの人工物は、台座から引き摺り下ろそうと、海に沈めようと、土中に埋めようと、残存するように作られているのだ。アーティストのニコラス・ガラニン(Nicholas Galanin)は、シドニーで嫌悪の的になっているキャプテン・クック(Captain Cook)像の墓を掘りながら、いつの日か、未来の考古学者たちに発掘される可能性も考えていた。シドニー ビエンナーレ2020で展示されたガラニンの「Shadow on the land, an excavation and bush burial」は、今なお健在な高さ3.6メートルの記念碑の形通りに地面を掘ったインスタレーション作品だ。これは、過去と現在の殖民植民地主義が埋もれた遺物となる未来を想定しつつも、地中と人間の集団記憶から歴史は消えず、いつまでもつきまとうという認識に基づいている。
これらの物体が絶対に残存するとは限らない。破壊という選択肢もある。1994〜95年にはヨーロッパで虐殺されたユダヤ人の記念碑を設計するコンペが行なわれ、アーティストのホルスト・ホハイゼル(Horst Hoheisel)は、ベルリンのブランデンブルク門を爆破し、砕かれた石材を細かくすり潰すアイデアを提案したが、採用されなかった。2017年には、アーカンソー州議事堂の外に十戒の記念碑が設置されたが、短命に終わった。24時間と経たないうちに、「自由」と叫んだひとりの男が、聖書の言葉を刻んだ花崗岩にトラックをぶつけてバラバラにしたからだ。その後、民間資金で代わりの記念碑が作られて同じ場所に設置されると、今度は悪魔教会が、宗教的複数性の象徴として、クラウド ファンディングによって製作されたバフォメットの銅像をアーカンソー州政府に寄贈しようとした。バフォメットは山羊の頭をした翼のある神で、銅像にはペンタグラムと微笑みながらバフォメットを見上げるふたりの子供も揃っている。だが州議員たちは、近代魔術復興の祖エリファス・レヴィ(Éliphas Lévi)を連想させる彫像の受け入れを端から考慮しなかったため、悪魔教会の信者たちは州都リトルロックの議事堂前に駐車したトラックの荷台に彫像を展示し、政府の敷地にキリスト教の記念碑を設置することは政教一致であると抗議した。

リトルロックでバフォメットが姿を見せたのはたったの1日、それも午後の時間だけだったが、ここ以外にも、「記念碑の対比」というコンセプトを恒久的に実現したインスタレーションがある。16世紀にスペインがフィリピンへ到来したとき、マクタン族の首長だったダトゥ・ラプ=ラプは侵略を拒絶し、マクタンの戦士たちはスペイン人の開拓者フェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan)を殺害した。それから300年以上の後に、スペイン女王イサベル2世は、4本の石柱と1本のオベリスクから成るマゼラン記念碑を建立した。その75年後、フィリピンがアメリカによる植民地支配から独立を勝ちとる少し前の1941年に、別の記念像がマゼラン記念碑から数メートルの場所に設置された。高さが18メートルを超すラプ=ラプ像だ。建立当時の姿をそのままに残すマゼラン記念碑にラプ=ラプは背を向け、「ヨーロッパ人の侵略に抵抗した最初のフィリピン人」と刻まれた銘板と共に、植民地時代の過去を回想させる。
もうひとつの例として、2011年にアメリカの首都ワシントンの国立公園ナショナル モールに建設されたマーチン・ルーサー・キング(Martin Luther King Jr.)牧師記念碑がある。記念碑の建設までにかくも長い年月を要したのは、驚きでもあり、あるいはさほど驚くことではないのかもしれない。公民権運動の偉大な指導者に捧げられた社会派リアリズムの記念碑は、タイダル ベイスンと呼ばれる調整池を挟んで、トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)記念堂と相対している。当初の案では、800メートルの距離にあるリンカーン記念堂でキング牧師が1963年に行った名演説「私には夢がある」から、以下の引用が記念碑に刻まれる予定だった。
われわれの共和国を建設した人々が崇高な言葉で合衆国憲法と独立宣言を書き記したとき、彼らはあらゆる米国民が継承する約束手形に署名したのである。この手形は、すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証されるという約束だった。
最終的には「out of a mountain of despair, a stone of hope(絶望の山から、希望の石を)」が使われて、ジェファーソン記念堂との相関性は薄まったが、花崗岩に彫られたキング牧師の目は水上を横切って対岸を見据えている。ジェファーソンは、キング牧師が言及した平等を保証する約束手形の起草に参与したひとりだが、一方で700人の奴隷主であり、現実の行為は崇高な言葉に一致するものではなかった。美術史家サラ・ルイス(Sarah Lewis)は、空間と歴史を隔てて向かい合うふたつの記念碑は、現実に起こりうる仮定的未来を考えさせると言う。「これらふたつの記念碑が相対して配置されるに至るには」と、ルイスは問いかける。「この地で、この国で、何が起こらなくてはならなかったか?」
ラプ=ラプとマゼラン、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアとジェファーソンを例に挙げたが、ふたつの記念碑を対置する詩的な意味合いと政治的な含意をねじ曲げて、人種差別を象徴する彫像の保存論にすりかえてはならない。たとえ脚注代わりに別の記念碑を付け足すにせよ、台座に据えられた奴隷商人や南部連合の将軍を保存して歴史を学ぶ必要はない。苦痛に満ちた歴史は、すでに私たちの現在の一部なのだ。記念物が「過去の真実を具象化した人工物」なら、わざわざそんなものに頼らなくても、「過去の真実の生き証人」が大勢いると詩人のキャロライン・ランドール・ウィリアムズ(Caroline Randall Williams)は主張する。「白人家庭の召使だった黒人女性たちと彼女たちを強姦した白人男性たちの子孫として」、そんな過去を印された彼女自身の肉体が「南部とその過去を刻んだ形ある真実」だと示唆する。

一方で、栄誉に値する活動を遺した人々の像もある。ハリエット・タブマン(Harriet Tubman)やフレデリック・ダグラス(Frederick Douglass) など、著名な人種差別廃止論者の記念像が増えつつあるし、公共記念物の分野ではもっと斬新な表現も見られる。馬上の軍人を象った彫像は遠くイタリアのルネサンス期に遡り、南部連合の人物を記念する像も同じ様式を踏襲しているが、ケヒンデ・ワイリー(Kehinde Wiley)の「Rumors of War」(2019年)はそのような伝統を利用しつつ、ドレッドロックスのヘアにフーディ、そしてNikeのスニーカーを履いた黒人を馬に乗せた。カラ・ウォーカー(Kara Walker)は大西洋奴隷貿易がテーマの噴水「Fons Americanus」(2019年)を制作したが、南北戦争以前を風刺する戯画的な表現が物議を醸した。サトウキビ農園で働かされた人々に捧げた巨大彫刻「A Subtlety」(2014年)の、母性的な黒人女性のスフィンクスも思い出させる。アーティストのグレン・カンタベ(Glenn Cantave)とイドリス・ブルースター(Idris Brewster)は拡張現実テクノロジーを利用して、オードリー・ロード(Audre Lorde)やジャッキー・ロビンソン(Jackie Robinson)など、黒人アイコンを記念するインスタレーションを設置した。アーティストのモーゼス・サムニー(Moses Sumney)は、先頃、Thom Browne 2021年春夏コレクションのために彼自身が監督し、出演したビデオに合わせて、ひとつの問いを投げかける。「国内でも世界でも実際の銅像が覆されているとき、白人至上主義の遺物が荒々しく破壊され、抗議され、撤去され、引きずり下ろされているとき、彫像のポーズをとった黒人の肉体を台座に据えることは何を意味するか? これは何を象徴しているのか?」。だが、人物像だけが歴史を記憶する方法ではない。
ミニマリズムやランドアートといった20世紀アートの運動に触発された反-モニュメントの潮流は、「歴史を刻むことが倫理上重要な務めであることは確信しているものの、それが従来の記念碑という形態で実現しうるという前提に、美的観点から疑問を抱いている」と、文化評論家ジェイムズ・E・ヤング(James E. Young)は分析する。「巨大な台座の上に何かを設置することで、大衆の思考を指図できる」と考えたファシストの意図が厳然と存在するなかで、ヨッヘン・ゲルツ(Jochen Gerz)をはじめとするドイツ人アーティストは、反ファシズム記念碑の考案に苦慮している。1986年、ヨッヘン・ゲルツとエスター・シャレヴ=ゲルツ(Esther Shalev-Gerz)は、1メートル四方、高さ12メートルという直方体の「反ファシズム警告碑」をデザインした。表面は鉛で覆われ、徐々に地中に沈下する設計だ。ハンブルクの近郊で労働者階級が住民の大多数を占めるハールブルクに設置され、ファシズムへの「警戒を怠らない」誓いとして、自分の名前を刻むことが大衆に求められた。参加者の数が増えるほど地面に呑み込まれる速度も速まる仕組みで、「いつか、完全に姿を消す日が来るだろう。そして、ファシズムに反対するハーブルク記念碑の場所には何も無くなる。つまるところ、不正に対抗して立ち上がれるのは、私たち自身だけになる」とふたりのアーティストはコンセプトを説明した。その前年には、もうひとつの反記念碑が、同じくドイツのカッセルに設置された。ブランデンブルク門の爆破を提案したホハイゼルの「アシュロットの泉」だ。ひとりのユダヤ人市民が建築し、後にナチスによって破壊された噴水があった場所を記念して、ホハイゼルはかつて存在した噴水の上下を逆さにして地中に埋め込んだ。12メートルの高さの噴水が立っていた場所に穿たれた12メートルの深さの穴には、「ひとつの傷痕、未決の問題として、この場所の歴史を奪回する」意図が託されている。
慰めではなく挑発を意図する反-モニュメントは、常に歓迎されるとは限らない。ゲルツが制作したような公共作品は、醜悪で不可解と受けとられることもある。ハーブルクの住民には「反ファシズム警告碑」の爆破を示唆した人もいたし、煙突になぞらえた人もいた。だが、一般大衆の受けとり方は、常に、アートの専門家や学者に指示されなくてはならないのか? 南北戦争前の婦人科医シムズの像がニューヨークのセントラル パークから撤去された後、ニューヨーク市は、代りに設置する新たな彫刻作品の案を公募した。専門家で構成された委員会は、一流アーティストとして受賞歴もあるシモーネ・レイ(Simone Leigh)のデザインを選んだが、レイは丁重に辞退し、知名度の低いヴィニー・バグウェル(Vinnie Bagwell)に座を譲った。シムズ像を撤去するために戦った活動家たちは、バグウェルの提案を支持したからだ。レイの案では、ヒイラギの茂みに囲まれて黒人女性が横たわり、毎年春になるとブルーベルの花が周囲を埋め尽くす。バグウェルの案は、直立した黒人の天使が一方の手に永遠の炎、もう一方の手に医術を象徴する蛇が巻きついたアスクレピオスの杖を持ち、スカートに黒人女性たちの顔が浮き彫りにされる。「Victory Over Sims − シムズに対する勝利」と題されたこの像は、2021年に完成してセントラル パークに設置される予定だ。サラ・ルイスの表現を借りるなら、この像もまた、「何が起こるべきか?」を私たちへ問いかけている。
Whitney Mallettは、ニューヨークを拠点に活動するライターであり、映像作家
- 文: Whitney Mallett
- アートワーク: Sierra Datri
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: July 13, 2020