足で繋がるRick OwensとBirkenstock
リック・オウエンスの手がける定番サンダルのグローバル ローンチを記念して
- 文: Adam Wray

僕は今、シャトー・マーモントの庭園で、BirkenstockのCEOオリヴァー・ライヒェルト(Oliver Reichert)と足のマッサージを受けるための計画を立てている。
ライヒェルトがロサンゼルスにいるのは、移動式の実験的なコラボレーション店舗、ビルケンシュトック ボックスの最新回のオープニングのためだ。昨年、Birkenstockはベルリンを拠点に活躍する建築事務所ゴンザレスハース(Gonzalez Haase AAS)に、2階建ての貨物コンテナのデザインを依頼した。このコンテナは、都市から都市へと巡回し、数日間、パートナーのリテールの横に留まる。そこでは毎回、完全に新しい内装が考案され、Birkenstockの主要なスタイルをアレンジした新しい限定アイテムが販売される。コンセプト自体は、清々しいまでに旧式だ。商品を持って旅に出る、行商スタイルである。「Birkenstockのブランド アイデンティティの良い点は、僕たちは製品そのものだという点なんだ」とライヒェルトは言う。「パン屋に行くと、そこに小さなパンが売ってるだろう。そのパンについて10時間くらい話すことはできるけど、ひと口食べさえすれば、一瞬で買うか買わないか決められる。僕たちがやっているのはそういうことなんだ」
今日、そのボックスはラブレア アベニューのRick Owens旗艦店の隣りに横づけされており、ライヒェルトは後でパーティーに駆けつける予定だ。Rick Owensからの招待状を読むと、その場にはマッサージ師のチームがいて、足へのちょっとした賛美の表現として、招待客の足をマッサージしてくれるらしい。招待客のたっぷりと保湿された足の写真撮影を任されているのが、リック・オウエンス (Rick Owens)とコラボレーションを行なっているオランダ人写真家、ポール・コイカー(Paul Kooiker)だ。彼の写真は、その絵画的でフェティッシュに溢れる独特の構図で知られている。結局、ライヒェルトと僕は、そのような場で会話を続けるのは変だろうということで落ち着いた。

画像のアイテム:サンダル(Rick Owens)
ビルケンのサンダルは、ファッションに限らず、それを取り巻くすべての中に存在するようなアイテムのひとつだ。フィービー・ファイロ(Phoebe Philo)はCélineのランウェイにビルケンを採用したが、Birkenstockは、このようにトレンドの循環から利益を得ることはあっても、トレンドに依存はしていない。その日、少し前に『The Cut』の編集長ステラ・バグビー(Stella Bugbee)に遭遇したのだが、彼女は、自分が最初に足の甲にタトゥーを入れたとき、ビルケンのストラップでちょうどタトゥーが隠れるような場所をあえて選んだものだと言っていた。ビルケンはカルチャーに深く組み込まれており、愛用者にとってはユニフォームの一部のようなものだ。

驚きなのが、今回のRick Owensとのプロジェクトが、Birkenstockにとって初めてのハイファッションのブランドとの公式なコラボレーションだ。ライヒェルトは、このコラボレーションがとても自然なものだと言う。両者ともに独立した企業であり、ブランドの基礎をなすフォームを厳格に反復することに重きを置いてきた。「僕たちの製品は、有名なストリート スタイルのブランドがよくやるように、あれこれと表面にブランドのロゴをつけたものではないんだ」とライヒェルトは言う。「Rick Owensというのは、その意味では僕たちと同じ類のブランドだよ。彼は何もかも自分でやっているしね。彼は自分の製造会社をイタリアに持ってる。彼のプロジェクトは、モノを定義するプロセスであり、何かにどんどん近づいていくプロセスなんだ。彼は何かを探している。本物の何かを探し求めてるんだよ」
ライヒェルトはさらに、オウエンスは、Birkenstockというブランドの核となる関心事を即座に理解したと説明する。「クオリティと機能性に関しては、一切妥協しないこと。インソールには変更を加えないこと。だけど、リック・オウエンスみたいな人と話す場合は、こういうことを説明する必要がない。彼らは最初からわかっている。それは言わば…君は子どもはいる?」僕に子どもはいない。「子どもができたら、信頼できる人が周りにできるだろう。その人になら、『じゃ、お願い』と言って子どもを2時間くらい預けられる。自分でも、それで大丈夫だとわかるんだ」


つまり、リック・オウエンスは子守をしているわけだ。その後、僕はリックにメールを送り、Birkenstockとのコラボレーションから、お互いに何を学んだと思うかを尋ねた。彼は、いつもの通りすべて大文字で、次のような返事をくれた。
「お互いから何を学んだのかはわからない。でもそのプロセスは、温かくて優しい人々と会って、一緒に働く際に特有の感じがあった。彼らは、情熱と自分たちの資産の両方を惜しみなく提供してくれた。似たような価値観を持っていても、それが異なる方向からもたらされると、良いことが起きる場合がある」
そして案の定、良いことは起きた。愛用者にとって、リック版のビルケンは、かなり素晴らしい仕上がりになっている。彼は、ブランドのクラシックなスタイルに、わずかに捻りを加えた。あるものは長く伸ばしたストラップがついており、あるものは長いファーを用いた牛革でできている。また、ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)の作品を参考にして取り入れられた、軍用毛布でできたものもある。あらゆるビルケンがそうであるように、これらはどれも快適で、機能性に優れている。僕はリックに、ボイスを選んだ点について質問した。ボイスの作品には、特に彼が今日重要だと感じるような、学ぶべき点があるのだろうか。
「僕は常にボイスのシャーマンのような人道主義的な雰囲気が好きだった。とはいえ、彼の作品の説教くささについては、いささか懐疑的だと言わざるをえない…でも、原始的な衝動や異教徒の儀式に対する彼のセンスには興奮するよ」
そのファッション イベントは、それ自体が、現代における異教徒の儀式のようだった。僕がライヒェルトの直後に会場に到着すると、すでに店舗の中庭は招待客で溢れかえっていた。ミシェル・ラミー(Michèle Lamy)はいつも通り高揚していて、絶え間なく動き回っては、写真を求められて優雅にポーズを取り、ある時点では、デッキに飛び乗っていた。ステファノ・トンキ(Stefano Tonchi)やトレメーヌ・エモリー(Tremaine Emory)など、ファッション業界の常連の古株や新米が、頭からつま先まで彼のブランドで身を固めた、見ず知らずのリックのファンに入り混じっている。中には灰色と赤茶色と明るい青色のLANケーブルを編んだネックレスをぶら下げている人もいる。僕はデヴィッド・バーン(David Byrne)を見かけたような気がした。結局、それは彼ではないことが判明したのだが、ここに彼が来ていても僕は驚かない。この場所にはそういう魅力がある。

画像のアイテム:Rick Owens

画像のアイテム:Rick Owens
リック・オウエンス本人がここにいないのは、はっきりしている。彼は15年前にロサンゼルスを去って以来、いちども戻ってきていないのだ。ロサンゼルスが恋しくないか尋ねると、彼はこう答えた。
「まあ、あのスケールは懐かしいね。ある地点から別の地点まで長く伸びた空虚。それとあの気候も…でも戻るのはためらってしまう。理由はわからないけど…」
特に感じの良いBirkenstockの社員に、コイカーに僕も足の写真を撮ってもらいたいと伝えると、彼女は「私に任せて」と言ってくれた。僕の考えは、パーティーについてリポートするなら、そこでの楽しみをすべて試してみるのがジャーナリストとしての正しい実践である、というものだ。とはいえ、自分の体の一部が正式にオウエンス ワールドに所属することになるという考えにワクワクしているのも事実だ。店の奥の試着室が、間に合わせの撮影スタジオになっている。コイカーとアシスタントは、試着室にマットグレーの紙を垂らし、小さな照明を設置していた。コイカーは僕に、靴下を脱いでビルケンを履くように言い、一連のポーズを取るよう促した。そして僕の手を握って、僕を「トップモデル」と呼んだ。彼が本心で言っているとは思わないが、それでも彼の気持ちは嬉しい。

画像のアイテム:サンダル(Rick Owens)
ブティックを出る途中のフットマッサージ ステーションで、Twitterの創設者兼CEOで、リックの熱烈なファンとして知られるジャック・ドーシー(Jack Dorsey)を見かける。数年前、彼はテック企業のCEOに典型的なフーディにジーンズ姿という格好をやめて、ファッション評論家にとっては喜ばしいことに、Rick Owensのレザー ジャケットとスニーカーを履き始めた。僕はドーシーに、Rick Owensの仕事のどういうところが素晴らしいと思うか尋ねてみる。「彼は建築家だから」とドーシーは言う。「それに彼の時代の先端を行くビジョンがすごく好きだ。彼は本当に個性的でワクワクさせてくれるようなことをやってる数少ない人のひとりだと思う。でも、そのすべてが建築へと立ち返るんだ。彼からは多大なインスピレーションを受けてるよ。彼のインタビューはすべて読んでるしね。彼の頭の中は素晴らしいよ」

僕も完全にドーシーと同意見だ。だから、最後にリックに送る質問は、自由回答で答えてもらえるものにした。僕の質問はこうだ。「あなたは時間に対して非常に寛大で、いつも記者と話し、インタビューに答えていますが、聞いてもらいたいと思っているのに、これまで聞かれたことのない質問が何かありますか。あるいは、このインタビューを読む人にぜひとも考えてもらいたい質問はありますか。
「寛大? それとも耐え難いぎりぎりのラインということかな…? 僕はこの業界にそこそこ長くいるから、もし僕に興味があるなら、すでに同じことを何度も繰り返し言ってるのを読んでいるはずだ。僕の関心は極めて狭いからね。だけどその一方で、誰もが僕の話をすべて読んでいると考えるのは傲慢だろう。それに、僕が余計なことまで説明したくないと思っていることについては、誤解される…。例えば、アート界にいる友人のひとりは、僕があるイタリアの未来派の頭部のイメージを使ったことで、僕に腹を立てている」
— タヤート(Thayaht)の作品「Portrait of His Excellency Marinetti (Italian Loudspeaker)」のことだ —
「彼はそこからファシズム時代のイタリアを連想し、それを僕が美化するのに反対なんだと思う。確かに、僕にとってこの頭部は、僕たちが誤った理想の規範に心を奪われたときに、誰もがなりうる怪物を象徴するものだ。1930年代の未来派の頭部が今日の世界を象徴しうるという点に、辛辣さがあると僕は思っている。もちろん、僕に他人を説教するような資格はない。ただ、僕はサンタヤーナの有名な一節、『過去を思い出さない者は、同じことを繰り返す宿命にある』というのは本当に正しいと思っている。
僕は、ショーで寛容と団結を促す目的で、そういうことを考えていたんだ。そして、僕の意図は明確に伝わると思っていた。でも、僕が誤った理想の規範に従っているだけなのかもしれないな。僕に言わせれば、あの未来派の頭部は、僕なりの骸骨なんだよ。すべて虚しいんだ」
Adam WrayはSSENSEのシニア エディターであり、過去には『Vogue』、『T Magazine』、『The Fader』他多数で執筆を行っている.
- 文: Adam Wray
- 画像提供: Birkenstock