色の物語:レギュレーション レッド

アヌーパ・ミストリーが、監視、母国からの離散、肝っ玉叔母さんの染色体を考察する

    私と話すときは、テレビでやってる『ハンドメイズ テイル / 侍女の物語』シリーズなんか、話題にしないでほしい。それより、トロント ラプターズのことを話そうよ。「レッドのユニフォームのチーム」が、NBAで首位を争うまでに復活した経緯。2006年にシグネチャだったロイヤル パープルのジャージをレッドに一新して、再起を期したラプターズ。そしてついに今年、カナダでくすぶり続けるホッケー熱を国旗に描かれたメープル リーフの鮮やかなレッドが打ち負かし、男社会的かつ愛国的な精神が浸透した全米スポーツと互角になった。

    赤信号のレッド ライト、退場のレッド カード、非常警報のレッド アラート、充血したレッド アイ、効率の悪いお役所仕事のレッド テープ…レッドという言葉の意味合いが私たちの生活に織り込まれているとすれば、ファッションの世界、特にウィメンズウェアのレッドは無法状態を表す。あるいは、川久保玲(Rei Kawakubo)の1998年の言葉を借りるなら、「レッドはブラック」だ。

    川久保が創造する衣服は、常に、規範に挑む。彼女が使うレッドは注視を要求する。決して、目を和ませはしない。1997年のショーでは、拒否反応が起きることも恐れず、レッドの大きな瘤が突き出たスタイルをランウェイに登場させたことで有名だ。2004年にモデルの体を包み込んだ彫刻的ともいえるスタイルは、そのスカーレットの色が内臓を連想させた。また、レギュレーション レッドは、状況次第では、反逆的あるいはクィア的になる。純白の鳩のような式服を着た法王の足もとから顔を覗かせてる、あとの伝統的な赤い革のローファーを思い浮かべてほしい。あるいは、豊かな前髪をはらりと額に垂らしたボリウッドのバック ダンサーが、Ashishのシークインに覆われたジョガーを履き、汗に光っているところを想像してみよう。レースのオーバーレイヤーを配したLouis Vuittonのブラウスは、遠目に見ると、血に覆われた鎧のように見える。『ゲーム・オブ・スローンズ』に出てくる女剣士、タースのブライエニーが戦場から姿を現したみたいだ。Balenciagaプレフォール ルックブックで、背景にレギュレーション レッドが選ばれた理由は、いまだによくわからない。パッド入が入った明確なラインのレモン イエローやグラス グリーンのスタイルを着たモデルが、スマートフォンで話したり、画面をタップしたりしている。エイミー・ヴェルナー(Amy Verner)によると、ファッショナブルな人々の日常生活を「外的な条件に作用されない静穏な無菌室と同じ状態」で見せたものだ。静穏と無菌に、もうひとつ付け加えるなら、監視といったところだろう。

    シモーネ・ロシャ(Simone Rocha)が使うレッドは、時として、邪悪な印象を与える。例えば、アルミ コーティング加工のダブル ブレストのドレスには、悪魔の気配が漂う。あるいは Monclerパファーと同じように、腸を連想させる。ロシャは、「人間の生の感覚をドレスで表現するために」、先住民の伝統に見られるレッドの使い方を研究したそうだ。2010年2月に発表したコレクションはアイルランドの喪服から着想したもので、「誰かが亡くなると、アイルランドの女性たちは自分のペチコートを赤く染めたの。だけど、それを頭に着けた。ベールには、そういう背景があったのよ」と説明している

    ラシュミ・ヴァルマ(Rashmi Varma)が、インドの伝統的なクルタとチュリダールを マットなシルクの羽二重で作ったキャンディ レッドのスタイルは、インドとインドを離れて暮らす民族が守り続ける愛国主義のカルチャーや、宗教で規定された色使いを逆転していると私は思う。花嫁衣装に使われるレッドを多少男性的かつ日常的なシーンへ置き換えることで、純潔との関連は反転する。ヒンドゥー教の寺院では、清めや守護として、司祭が額の第三の眼の位置に赤いチョークのペーストで印をつける。この文章をタイプしている今も、私の右の手首の赤いヒモが目に入る。両親が通った寺院の司祭が、邪悪な目を逸らす目的で巻いたものだが、未婚女性であることを示す便利な印でもある。レギュレーション レッドは、宗教の権威にも通用するようだ。

    もっとも原始的な形態で使われたレッドは、人類の歴史や神話と同じ軌道を辿った。世界中のほぼすべての文化で、レッドには意味が与えられている。中国とインドでは、純潔、幸福、そして金銭面から健康、果ては子孫に至るまでのあらゆる物質的幸運と結びついている。古代エジプトでは生命力を象徴したが、高熱による破壊の威力も表した。古代ローマでは、戦いの色だった。その後、さまざまなキリスト教団の権威が頂点を極めるにつれ、原罪の元凶であった林檎のレッド – エデンの園に生えていた林檎の樹はグラニースミス種ではなかった – は、完璧に不吉を象徴した。やがて殉教者の犠牲を意味するようになり、もっと後には、異端者、魔女、裏切者、売春婦など、あらゆる類の罪人の血の色になった。

    世界が管理という考えに憑りつかれると、レギュレーション レッドは秘密裏に規制が行われる社会の色になった。旧世界の君主国が掲げたバロック様式の紋章から、 現代においては、トランプの支持者がかぶる「MAGA – アメリカ合衆国を再び偉大な国に」のベースボール キャップやインドのナレンドラ・モディ首相がポーズをとる色褪せたサフラン色のローブまで、ファシストが好んで使うビジュアルだ。レッドは街も分断する。通りの片側ではストリート ギャングの色、もう一方では小粋なアクセサリー。意識するとしないに関わらず、レッドは私たちの服従モードのスイッチを入れる。

    少なくとも、2011年に発表されたオスのアカゲザルの研究結果では、そのことが示唆されている。オリンピック選手を対象に行った2004年の研究でもレッドは優越感を発散すると結論付けられたことから、ダートマス大学の神経科学者は「ヒトでも同様の結果が得られたことは、赤い色を避けたり、赤を見ると従属的に振る舞う行動は、遺伝として受け継ぐ心理的な傾向に由来する可能性がある」と述べている。

    2019年公開のホラー映画『アス』では、ジャンプスーツを着たルピタ・ニョンゴ(Lupita Nyong’o)が狂ったように画面を歩き回った。衣装スタイリストのキム・バレット(Kym Barrett)は、そのジャンプスーツを「半分は濡れた血の色、半分は乾いた血の色」と表現している。ニョンゴが演じた主人公レッドは、私たちの中に潜む血に飢えた欲望そのもの、ありふれた日常に潜む抑制された分身だ。もし彼女が靴箱を漁ることができたら、イエス キリストが履いていたようなサンダルを、もっと遊び心のある靴に履き替えたかもしれない。例えば、殺人の凶器になりそうなヒールのついたGucciのバレリーナ フラット。イギリスのスパイ スリラー シリーズ『キリング イヴ』に登場する無慈悲な暗殺者ヴィラネルなら、間違いなくそれを選ぶだろう。『クルーレス』でアリシア・シルバーストーンが演じた無邪気なシェール・ホロヴィッツがサイコパスの大人になったようなヴィラネルだが、シーズン2の最終回でスタイリストはちょっと衣装の趣向を変えて、何にも屈しない彼女にイタリアン レッドのパンツセットを着せた。その服は、ヴィラネルの標的である支配欲の強い大物実業家が選んだものだったが、彼女はこの後、彼の首を掻き切って始末する。まるで、誰も彼女が何を着るかを決める権利はない、とでも言わんばかりに。

    今年のグラストンベリー フェスティバルに出演したストームジー(Stormzy)は、バンクシー(Banksy)がデザインしたという防刃ベストで、大いに盛り上がった。ブラックとホワイトを塗りたくったユニオン ジャックからは、従来のレッドがほとんど姿を消している。度肝を抜くパフォーマンスで知られるストームジーの本当の意図はもっと深いところにあるのかもしれないが、あのベストは勝利のメッセージだと私は理解したい。ストームジーと彼のクルーは、宗主国の血を絞り出す止血帯だ。

    ナイジェリア系イギリス人のデザイナー、モワローラ・オグンレシは、最新コレクションで、 袖と襟のある前ボタンのボディスーツをモデルに着せた。ボトムは超ハイレッグで、筋肉質の腿が露わだ。上半身はビジネス仕様、下半身は戦闘仕様。「コレクションのテーマは露出、危険、攻撃性」とオグンレシは語っている。「私はいつも、そういう感覚、そういうエネルギーなの。怒っても、怒りで自分が燃え尽きることはないわ」。どのモデルの手も、偽物の血にまみれていた。

    大胆な原色のレッドを語るとき、どうしても大袈裟になる傾向は避けられないのだろうか? エッセー集『Before I was an art critic, I was a human being – 批評家になる前、私は人間だった』の著者であり、さまざまなイベントのオーガナイザーでもあるエイミー・ファン(Amy Fung)はこう書いている。「レッドが常に抵抗する必要はない。レッドはいつもストップを意味するわけじゃない。レッドは、500年にわたる植民地化で流された血を象徴しなくてもいい。初期の開拓者が先住民と結び付け、今では無視することも過去をやり直すことも出来なくなった肌の色を、レッドは示す必要はない」。パラダイムを変革する同様の精神は、クリー族のアーティスト、ケント・モンクマン(Kent Monkman)の映像作品 『Dance To Miss Chief』にも表現されている。このミュージック ビデオでは、モンクマンの分身であるドラァグのミス・チーフ・テスティックル – ちなみに、テスティクルは「睾丸」、ティックルは「くすぐる」の意味 – が、ぐるぐるに巻いたルビー色のビーズと同じ色のふんわりとしたシフォンを身に着け、灼熱の太陽の色のストリッパー ヒールでよろめきながら歩く。

    鮮やかなレッドの意味するものが、服従からセンシュアルへ変わればいいのに、と思う。特に、濃い褐色の肌と強烈なコントラストを作るレギュレーション レッドの組み合わせ。若き日のエディ・マーフィー(Eddie Murphy)が『エディ・マーフィー / ライブ!ライブ!ライブ!』で着ていた、お尻にぴったり吸いつくようなレッドのレザーのジャンプスーツ、あるいは私の友人ディアドラ(Deidre)のマットなレッドの唇。こういう場合、レッドはレギュラーからエロティックに変化する。

    グジャラート系の私の親族の中で、S叔母さんは肌の色が濃い系列だ。その叔母さんは、体のあちこちに赤外線みたいなレッドを散りばめていたのを思い出す。グロスをつけた口紅、長い爪のマニキュア、ココナッツ オイルをつけた髪の真ん中の分け目に塗りつけたシンドゥール。それらと、ゴールドで唯一身に着ける価値がある「インディアン ゴールド」のおびただしいジュエリーが、見事にバランスをとっていた。夫に殴られても叔母さんは決してそういうスタイルを捨てなかったから、子供時代の私にとって、レッドとゴールドの組み合わせは慣習への挑戦に感じられたものだ。肝っ玉叔母さんと呼んだっていい。服従のレギュレーション レッドは、褐色の肌の上で反逆のレボリューション レッドに変質し、見えざるものを顕現する。そんな変質が絶対確実だからこそ、エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)みたいな男たちは、どうすればいいものか、戸惑うのだ。

    Anupa Mistry はトロント在住のライターであり、プロデューサー。創造的サステナビリティをテーマにしたポッドキャスト「Burn Out」のホストも務める

    • 文: Anupa Mistry
    • Date: August 20, 2019