クレイグ・グリーンが出現させるストレンジャー シングス
adidasとコラボしたイギリスの鬼才デザイナーが、制服、亡霊、制約を語る
- インタビュー: Max Lakin
- 写真: Jack Davison / ポートレート、Amy Gwatkin / バックステージ、Dan Tobin Smith / キャンペーン

2013年のデビュー コレクション以来、クレイグ・グリーン(Craig Green)は一貫して感性豊かに触感を表現してきた。今やロンドンの新進ファッションを象徴する彫刻的なデザインは、邪気を吸い込み、代謝し、共感に変えて吐き出す超自然的な甲冑とも見える。メンズウェア ブランドと思われがちなCraig Greenだが、作品はジェンダー不明だ。ジェンダーどころかさらに進んで、肉体という文脈そのものを見つめ直す作業は不定形なシルエットとして立ち現れ、空間を占める肉体の追究は不安定な世界を進む新たな方向を暗示する。
グリーンはノース ロンドン育ちの33歳。パワフルな作品を作るくせに、語り口は柔らかい。防水布とカシミアを切り替え、プラスチックでライニングしたワークウェア ジャケットを見てもわかるとおり、多数のストラップが陰影をつけて一種の哀感を漂わせる作品には、実用と装飾が共存し、均衡している。そのフォルムは、何も寄せ付けない守りと傷つきやすい弱さの両方を感じさせて、驚くほどに心を打つ。禁欲的なモノクロの作品ばかりが登場したメランコリーなデビュー コレクションでは、観客が涙したほどだ。また、旧弊で生真面目な要素が前面に出ることはないのに、グリーンは「伝統」という言葉をよく口にする。規則を打ち壊すには先ず規則に精通する必要がある、ということだろう。既定の型を拒絶した作品は、知性的な品揃えのDover Street Marketでもストリートウェアの世界でも、人々の心を掴む。
グリーンは今年、adidasとのコラボレーション第一陣として、新作を次々と発表した。Craig Greenブランドとしては、過去にない最大規模の市場進出だ。先陣を切ったKontuur IとKontuur IIは、adidasでお馴染みのシルエットがさらに進化を遂げ、まるでオリジナルのネガフィルムを押し進めた感がある。次に登場したPolta Akh IIは重層的な展開。adidasのクラシックな形状にクリア素材のオーバーレイヤーをほどこして、従来のスニーカーにはない夢幻を感じさせる理想形が誕生した。「過去の亡霊」との交わりだと、グリーンは説明する。

マックス・レイキン(Max Lakin)
クレイグ・グリーン(Craig Green)
マックス・レイキン:コラボレーションがadidas Originals by Craig Greenとしてスタートした経緯は?
クレイグ・グリーン:コラボの話が出たのは1年くらい前。adidasと組むことについては、最初からとても胸が躍ったね。何と言っても、僕が子供の時からずっと履いてきたブランドだし、非常に尊敬するブランドでもあるから。
スポーツ シューズでこれほど注目を浴びるプロジェクトは、以前から視野に入れてたの? 市場での露出度という点でも、デザインの点でも、初めての体験だよね。
どんなブランドにとっても、フットウェアは非常に重要じゃないかな。僕のブランドにはまだフットウェアがないから、adidasのようなパートナーと組んで、パートナーがこれまでに蓄積した能力や知識を利用できるのはとてもエキサイティングだった。フットウェアやスポーツシューズを手掛けると、アパレルのコレクションともその他のコラボレーションとも違う、別の集団への道が開ける。

Kontuur IとKontuur IIはadidasのKamandaとOzweegoのリメイクだけど、このふたつのモデルのシルエットは、どこが好きだった?
僕はテキスタイルを勉強したから、僕自身のブランドもテキスタイルが基盤だし、常にテキスタイルから出発する。特にKamandaは、ベースからサイドへ持ち上がって、全方位360度にテクスチャのあるソールが特色だ。第2弾として発表したシューズでは、ソールのテクスチャをもっと広げて、全体を覆った。全体がソールというか、一種の鎧を纏ったKamandaだな。Ozweegoでも同じことを考えて、Kontuur IIをデザインした。あのシューズはスエードをモールド加工してあって、全体がひとつのピースなんだ。パッドを入れたようなフォルムは、Ozweegoのソールをそのまま反映している。現在のスポーツシューズ市場はコラボが全盛で、多種多様な細工やソールが出回ってるからかなり難しい分野だけど、僕たちのアプローチには意味があったと思うよ。
以前にも何人かのデザイナーが同じモデルをリメイクしているし、コラボのデザイナー スニーカーには事欠かないよね。だけど君の場合、ブランド提携という以外に、デザインは影響されていない。今回のadidasとのコラボも、まさにクレイグ・グリーンのシューズだ。
テキスタイルを中心に据えたコンセプトだったからね。Polta Akh IIは、adidasのクラシックなふたつのモデルをひとつにしたデザインだ。ひとつのシグネチャ モデルに亡霊が憑りついたみたいに、もうひとつのシグネチャ モデルが重なってる。これは、フォーム素材とプリントしたLycraを重ねて、その上にやはりモールド加工の透明で光沢のあるオーバーレイヤーをのせる方法で実現した。アッパーの部分だけで、4つの工程を踏んでるんだ。クラシックなスタイルの要素が過去の亡霊みたいで、おもしろいと思ったんだよね。トップまでKamandaのテクスチャで覆ったモデルには、ファブリックにプリントして、そのファブリックの上にKamandaのテクスチャをモールド加工する方法を開発した。そうすることで、テクスチャを通して下のプリントが透けて見える。あのテクスチャは鱗みたいだろ。
制約の範囲内でデザインする点についてはどう? やはり最終的に、靴は靴に見えなきゃダメだよね。
そうだね、人間の足がそれほど変わることはないだろうし、人間の歩き方も変わらないだろうから(笑)。そういう意味で、何か新しいことをやるのはエキサイティングな挑戦だ。それに、スニーカーというただひとつのスタイルに限定したかなり特殊な作業という点も、僕は好きだな。そういう制約の中で仕事をするのはおもしろいよ。アパレルには使えない処理加工や技術もあるし。フットウェアは小型の彫刻作品みたいなものだ。厳然とした存在感がある。

Kontourは、グレー、ブラック、ダーク ネイビーという抑えた色使いで、反対にPolta Akh IIは鮮やかで色の種類も多い。
あれが亡霊コンセプトの始まりだ。BostonとSambaという2種類のモデルを使って、両方の要素を組み合わせて、両方を見せたらどうだろうと思ったのがスタート。adidasが今だに色々なモデルに3本のストライプを使うのもいいよね。Polta Akh IIは、見方によって、ストライプの角度やプロポーションが違って見えるんだ。BostonかSambaのどちらかが見える。最初のドロップは、シューズに見えないシューズを作るような作業だった。シームが1本後に走ってるから、鋳型で成型したみたいに見えてね。2020年春夏シーズンの次に発売するものは、やはり成型を使ってアッパーに3Dの要素を加えてるけど、透明なオーバーレイヤーで遊んでみた。
リメイクは、どういう点が楽しい?
adidasとのコラボが毎シーズン楽しいのは、違うベース、違うソールの形状に新しい表現を与えるところだよ。僕は問題解決のプロセスが好きだし、adidasのチームと一緒に仕事をするのも好きだ。彼らはあの分野で多大な知識をと技能を蓄積してるから、できないことなんてない気がするよ。最初のシーズンとつい最近発表した2020年秋冬シーズンは、両方とも、adidasの象徴に新しい形を与えることが主眼だった。長い歴史のある象徴への視点を変える、クラシックにひねりを加える、というかね。今は、既存モデルのアッパー部分に注目して、新しい形や新しい解釈を色々と試してるところなんだ。先例はおそらくないと思う。もう少し進化させて、もっと抽象的に作り変えるよ。
そういう着想はどこから来るの?
Craig Greenは、常に、制服のコンセプトと実用性を追究してきたブランドだ。非常に極端になることもあるし馴染みやすい場合もあるけど、いつもそのふたつから出発する。僕は、制服というコンセプトに興味をひかれる。制服は何らかの行動を暗示するところが、好きなんだ。実際に行動するかどうかは別問題だけど。例えば、Craig Greenのシグネチャになったキルティングのワーカー ジャケット。太さの違うストリングがあって、そのうちのいくつかは機能的だし、他のは純粋にデザイン上の要素だけど、何かの目的のために使えそうに見える。僕たちは常に、そういうアイデアやデザイン言語を試みる。

制服というコンセプトには自由もあるところが、おもしろいよね。それが確実に君のブランドに表現されているけど、adidasとのコラボにも表れている。adidasは世界でもっとも多くのユーザーを持つブランドのひとつだから、確立されている意味で一種の制服だ。君も、制服を一種の自由と考える?
制服というのは、平等で、包摂的で、民主的な作用を及ぼす場合がある。着てるものが同じなら、目が向くのは中味の人間だから。僕たちが最初に制服を体験するのは学校だろうな。1年に1日、私服で登校できる日が来ると、みんないちばんカッコいいと思う服で意気揚々と登校してくる。そこで、恵まれた生徒と貧しい生徒の序列が生まれるんだ。その結果、それまでとは違う視点で判断されるようになる。僕の学校には、それまでずっと反抗して制服以外のものを着ようとしてたくせに、私服を着られるチャンスには学校の制服で通した生徒がいたよ。自分が持ってる服より、制服を着てるほうが良かったんだ。みんなが一緒というのは自己防衛にもなりえる。
そういう固定されてないところが好き? つまり、曖昧な作用があって、そこから緊張関係が生じる。そしてそれが大切なんだ。
とても大切だと思う。新しいものをデザインしてエネルギーを作り出すことができるのは、そのおかげだ。adidasにも同じことが言えるよ。例えば最初は、徹底的にラディカルなものを考えるかもしれない。だけどブランドを象徴するアイコンにしたければ、アイデアを後退させる。すると今度は「これじゃシンプルすぎる」と感じて、さらにもっと抽象的な表現に変える。そうやって常に前進と後退を繰り返しながら、作っていくんだ。
君のデザインには、全体を通じて、容積と空間の発想が流れていると思うんだ。具体的に言うと、空間のなかに存在する肉体と空間を占める肉体。容積が厳然とあって、だけどそれは肉体を内側へ閉じるため、遮蔽するために機能するんだから、逆説的だけどね。自らを宣言する、自らを隠そうとする。このふたつの発想が同時に含まれている。
常にふたつの側面があって、互いに争ってるんだ。だから、とっつきやすいコレクションになったり、もっと純粋に空想に近いコレクションになったりする。君が言うように、制約と自由とか、対立するふたつの要素を行きつ戻りつする手法が僕らは好きだね。パッド入りであれ、単に全身を覆っているだけであれ、容積に包まれていることは守られることだ。だが同時に、制約でもある。同じものを見ても、人によって感じ方が違うし、そこがおもしろいんだよ。明確に説明してしまったのでは、視点は広がれない。例えばMonclerとのコラボレーションは、宇宙人みたいだという人もいれば、大人のオモチャに見えるという人もいた。人次第なんだよ(笑)。だから、常に対立する両極のアイデアがあって、僕たちはその中間のどこかへ着陸するわけだ。
Max Lakinは、ニューヨーク シティで活動するジャーナリスト。『T: The New York Times Style Magazine』、『GARAGE』、『The New Yorker』、その他多数に記事を執筆している
- インタビュー: Max Lakin
- 写真: Jack Davison / ポートレート、Amy Gwatkin / バックステージ、Dan Tobin Smith / キャンペーン
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: July 2, 2020