西海岸から渋谷を経てDiorへ:世界を駆けるユン・アン
アクセサリーとストリートウェアで世界を席巻するDior Hommeのジュエリー デザイナーが、成功への軌跡を語る
- インタビュー: Romany Williams
- 写真: Motoyuki Daifu

私がユン・アン(Yoon Ahn)になんとか会えたのは、パリのファッションウィークで、彼女が、Dior Hommeの2019年春夏コレクションのために初めてジュエリー コレクションを発表した、ちょうど1週間後のことだった。彼女は、ほんの8日間だけ本拠地の東京に戻ってきており、またすぐにロンドンに発ち、その翌日から次シーズンのコレクションの準備を始めることになっていた。うだるように暑い6月最終日、私たちは、ジュエリー ブランドから既製服ブランドとなったAMBUSHの、渋谷にあるアトリエで会った。

最近は正式なデザイン教育を受けていないデザイナーが増えてきたが、この41歳のデザイナーの場合も独学だ。2005年に人気が出た日本のラップ グループ、テリヤキ・ボーイズ(TERIYAKI BOYZ)のメンバーの夫、バーバル(VERBAL)のため、彼女は趣味でジュエリーを作っていた。当時、ラップはまだ次世代のロックンロールにはなっておらず、日本のストリートウェアといえば、90年代のヒップホップ スタイルと、BAPEのフルジップ パーカー、 スタジャン、バギーデニム、LA Gearのハイトップなどが混ざったものだった。彼らのスタイルは、巨大なゴールド チェーンやスリック・リック(Slick Rick)がつけていたような指輪など、ラップの黄金時代に通じるものがあった。ベートーベンの胸像の形に太いチェーンがついたメダリオンに、ダイアモンドをちりばめたサングラス、そしてスタッド付きのレザージャケットを着た姿を想像してほしい。カニエとファレルの2人は、このシーンを評価した最初のアメリカ人ラッパーで、彼らは長い時間を日本で過ごし、テリヤキ・ボーイズとコラボレーションを行って、ユンとバーバルのデザインを身につけた。ノスタルジックな派手さが流行っていたことに加え、完璧なタイミングと有名なアーティストの後ろ盾があったことも相まって、彼らのジュエリーは一気に注目を浴びるようになった。
AMBUSHのジュエリーが誕生して8年、今度はAMBUSHの既製服コレクションが登場し、2017年にはLVMH プライズにもノミネートされた。2018年には東京のファッションウィークに参加、この春には、長年の友人で最近クリエイティブ・ディレクターに就任したキム・ジョーンズ(Kim Jones)に招かれ、ユンはDior Hommeのジュエリー・デザイナーに任命された。
渋谷にあるAMBUSHのアトリエは2階からなり、1階が店舗で、2階は事務所を兼ねている。店舗スペースにふらっと入ると、少なくとも10人の買い物客がいた。うちふたりは、AMBUSHのジュエリー コレクションの写真がたくさん収まったバインダーを念入りに見ている。別のひとりは、「Euphoric Oblivion」や「Traces to Nowhere」と書かれ、ユニコーンや狼のイラストが入ったグラフィックTシャツのラックにへばりついている。ユンのデザインは柔らかさとハードさのハイブリッドだ。彼女は手に取った空き缶をクラッシュし、ショルダーバッグに作り変える。あるいは、ノーブランドのスポーツ用キャップを取りあげ、それに大仰なほどにエレガントなつばをつけて、サンハットを作ってしまう。ライフ ジャケットはパファー ジャケットになり、揃いのフリースのスウェットの上下は体にフィットするよう仕立てられ、よそ行きでも十分いけるスタイルになる。彼女の仕事には、繊細さというより、大胆な表現による詩的な美しさがある。

AMBUSH風というよりむしろ会社員という感じの服装をした、とても感じが良く、控えめなアシスタントから2階に案内され、狭いが明るいロビーに通される。テーブルがひとつと並べられた椅子しかないミニマルなインテリアで、部屋の角には、小さな回るラックにAMBUSHの服がかかっている。すぐに、白いドアから、落ち着いた表情でスターバックスのアイスティーを飲みながらユンが姿を現す。それを見て、私は彼女に触れたい衝動をぐっと我慢する。気温40度にもなろうかという東京の暑さの中、ひどい時差ボケに耐えながら、私が汗だくになっている一方、彼女の方はジュエリーの輝きを滴らせている。指輪のクリスタルのせいで、彼女はまるで4Kテレビの画面から飛び出してきたかのように、超高解像度に見える。それぞれの手には、ゴールドとシルバーに嵌め込まれた巨大な水色と紫の四角のクリスタル。それだけではない。ほとんどすべての指とその関節に、少なくとも10個のダイアモンドのチェーンをして、そのうちの2つは、雫が涙のように垂れ下がっている。そして、それにぴったりの長いポイント ネイルが、シャンパン シルバーに輝いている。

ユンは、「オシャレな街になる前の」シアトルで育ったと言う。グランジ時代を生み出した、スターバックス以前、Amazon以前のシアトルだ。シアトルは、曇った空のせいで何かと憂鬱な場所で、そういうものに関わりたいと思わなかったとユンは言う。1977年韓国生まれ。長女。父親はアメリカ軍で働いていており、母親は主婦だった。父親の仕事の関係で、80年代にシアトル郊外で落ち着くまでは、ハワイやカリフォルニアでも暮らした。ユンは「エディ・ヴェダーのファンだった」と、西海岸で過ごした青春時代を思い出す。これを聞いて、彼女の作るものに、しばしばグランジを思わせるディテールが見られる理由に納得がいく。「今ではシアトルがいいところだと思えるけど、昔はすごく嫌いだった」。ユンは、ニューヨークやロンドンといった『i-D』や『Vogue』、『The Face』などの雑誌に出てくる都市に憧れて大人になった。
だが高校卒業後、彼女はニューヨークやロンドンに行くのではなく、ボストン大学でグラフィック デザインを学ぶことになる。これが彼女の人生における重要な転機となった。1990年後半、そこの教会で彼女は夫のバーバルに出会ったのだ。「キリスト教と教会に行くことは韓国の文化では重要なことなの。それに私はキリスト教徒の家で育ったから」とユンは言う。「だから、ボストンに行ったとき私は教会を探していて、そこで彼に会った」。このような偶然の出会い、神の導きとも、引き寄せの法則とも言えるものが、彼女の人生ではいつも起きていた。2003年、彼女は東京に飛ぶ。そこから色々なことがとんとん拍子に進んでいった。カニエが、ダイアモンドで古典的な漫画の吹き出しをデザインした、巨大なAMBUSHの「POW!」ペンダントをつけた。すると突然、世界中のファッション バイヤーからガンガン電話がかかってきた。彼女はまた、カニエを通してヴァージルにも出会った。当時、ふたりはFendiでインターンをしていた。カニエは、その頃、テリヤキ・ボーイズのライブの舞台裏で、彼女をキム・ジョーンズにも紹介した。これが10年前のことだ。YEEZY以前、ヴァージル フィーバー以前、Louis Vuittonのキム・ジョーンズ以前である。


ファッションがポップカルチャーとなった今、デザイナーは第一線に立つ曲芸師でなければならない
2018年パリ メンズ ファッションウィークの春夏コレクションは、前述の面々にとっては歴史的なコレクションとなった。キム・ジョーンズは、ユンとともにDior Hommeでデビュー コレクションを発表し、ヴァージル・アブロー(Virgil Abloh)は、Louis Vuittonのために、この1年で最も注目を浴びたショーを行い、カニエ・ウェスト(Kanye West)もそれをサポートするため参戦した。10年来の友人たちが皆、同じタイミングで、頂点に立った。さながらインスタ時代のアントワープ・シックスである。そして、彼らは共にデザイナーとはどういう存在でありうるのかを再定義し、同時に、文化的な大論争を巻き起こしている。これは単なる友情なのか、それともデザインにおける共依存関係なのか。この新しいタイプのファッション デザイナー兼クリエティブ ディレクターたちは、背後で彼らを支える熱狂的なクルーの存在なしに成功しえたのか。「今日デザイナーとしてやっていくには、トップクラスのマーケターかつ広報担当者でなければならない。何もかもやる必要があるの」とユンは言う。「デザイナーの仕事は、もはやデザインすることではなくなってる。デザイナーにはかつてないほど大きな期待がかかってるから。ファッションがポップ カルチャーとなった今、デザイナーは第一線に立つ曲芸師でなければならない」
Dior Hommeのジュエリー デザイナーに任命され、ユンはふたつの職でバランスをとっているが、これは2倍の量のアウトプットに対して責任があるということだ。彼女は、この現実に有頂天になってはおらず、むしろ心配していると認める。だが、キム・ジョーンズとの仕事上の関係は、長年の友情のおかげで、特別に有意義なものになっている。「彼がコレクションのトーンや自分のやりたいことを定めて、彼が目指す方向性を補完するようなアイデアを出すのが、私の仕事」
ハイファッションにおいて現在起きている勢力図の変化については、既に色々なところで言及されているが、このラグジュアリーの新体制において、ユンが重要なプレーヤーのひとりであることは疑いない。だが、驚いたことに、会話のしょっぱなから、彼女は自分に確信が持てないと言う。「自分がキー プレーヤーなのかどうかはわからない。キーパーソンになろうともしてないし。ただ、ある意味、自分の哲学を実現するためのこのプラットフォームを与えられた今、自分には責任があるとは感じてる」

その日、彼女は「Euphoric Oblivion」と書かれたAMBUSHのTシャツを着ていたが、プリーツ スカートの中にTシャツをタックインしているせいで、「Euphoric」しか見えていなかった。彼女が自分のデザインをスタイリングする方法には流れるような滑らかさがあり、デザインの持つ意味を際立たせる。ファンはそんな彼女の後ろを追いかける。憧れのユンというわけだ。彼女がユン・アンではなく、ユン・アンブッシュとブランド名で呼ばれる理由が、今ならはっきりとわかる。彼女のセルフィーもまた、非常に魅力的だ。キラキラ加工をするためのアプリ、KiraKiraのエフェクトですら、彼女が使うと違って見える。瞳の輝きが違うのだ。ベラ・ハディッド(Bella Hadid)にジジ・ハディッド(Gigi Hadid)、シミ & ヘイズ(Simi and Haze)、カーダシアン家、ジェンナー家の皆が彼女の服を着たがっている。そして彼女と友達にもなりたがっている。ユンが6月に投稿した、彼女と愛猫が宇宙の女神のように輝いているように撮ったセルフィーには、ベラが「あなたのことが大好き」とコメントしている。
東京のクラブ界隈を闊歩し始めた当初から、ユンは業界の現実については学んでいた。「自分のことを知らない人からは、何を投稿しているかや、どんな見た目かで判断されることがある。だから、外見は外見として理解することも必要なの。その蓋がひとたび開けられれば、人は深みを見てくれるようになる。ソーシャルメディア上では、私のイメージは出来上がってるんだろうけど、言っても、私も女の子だから、長いウェーブの髪型にして口紅をつけてみたいと思うこともある。それでも、私は身を粉にして働くことをやめないし、結果だって出す。人生のあらゆることはバランスよ。特にクリエーターとしては、先頭に立って結果を出す必要があるわ」
今年の3月、AMBUSHが東京ファッションウィークで始めて発表を行ったが、そのときの観客は、ユンには、考えの似た人々を自分の世界に引き込む天賦の才能があることを示していた。東京のような都市では特に、ファッション界のエリートたちは、注目の新人のために時間を割いたりしない。「様々な業界からいろんな人が皆集まったわ。Sacaiの千登勢さんや、Undercoverの盾さん、藤原ヒロシさん、Jポップのアイドルたち、水原希子さんまで。これほど異なるジャンルの人たち全員が一箇所に集まったイベントは、これまで見たことなかったし、そのことに多くの人は驚いたと思う。このことが、私たちはどういうブランドかを反映してる。私たちはある特定のシーンに向けたブランドじゃない」。伝統的なデザインの経歴を持たないことは、とりわけ保守的な舞台に参加する際ですら、もはや障壁にはならないということを、ユンは証明している。

インタビューの1週間前、ユンはComme des Garçons Homme Plusのピンクのスパンコールを散りばめたショートパンツを穿き、キム・ジョーンズと手を取り合って、パリのDiorのステージを駆けていた。自分が歴代の大物ラグジュアリー デザイナーたちの仲間入りすることには、まだ確信が持てずにいるのかもしれないが、彼女は新たに手にした責任としっかりと向き合っている。「奇妙よね。私が『i-D』や『Vogue』、『The Face』で読んでいた人たち全員と、今は一緒に仕事をしてるんだから。こんなこと想像もしてなかった。ちょっと年もとって、賢くもなった今、本当に引き寄せの法則みたいなのを信じ始めてる。それを本当に手に入れたくて、そのために頑張っていれば、それは自分の元にやってくるのよ」
Romany WilliamsはSSENSEのスタイリスト兼エディターである
- インタビュー: Romany Williams
- 写真: Motoyuki Daifu