Jacquemusとホーム アローン
デザイナーが、ユニフォームその他への偏愛をパリの新スタジオで語る
- 文: Jina Khayyer
- 写真: Simon Porte Jacquemus

シモン・ポルト・ジャックム(Simon Porte Jacquemus)が立ち上げたブランドJacquemusの新スタジオは、サンマルタン運河に面している。3階建てのビルには、塗りたての白ペンキの匂いと新鮮な切花の香りが濃く漂っている。窓からの眺めもいいが、ジャックムにとっては、室内を案内して親しい関係を作るほうが大切らしい。一連のセルフ ポートレイトと静物の写真は、ソフト フォーカス。彼自身の足とチューリップを撮影した作品が多い。ほんの少しだけ開けてくれたドアの隙間から見えるのは、新しい2017年春夏コレクション「Les Santons de Provence」。南仏の民族衣装に現代的なタッチを加えた作品群だが、スタジオでデザイナーをインスパイアしているのは、元素材のキルトワークだ。額に入れた写真が、壁に立てかけて床に置いてある。「アパルトメント」マガジンも何気なく置かれている。絵画と汚れたソックスが一緒くたになっている。手許には黄色のチックタック。Jacquemusは、さらに大きくなりつつある成功の高みからではなく、床面から彼の空間を描写する。デザイナーとしてのJacquemusの熟練は、規模ではなく、平凡の中から想像を呼び出し、過去の一瞬と現在の一瞬を繋ぐ僅かな類似性を構築することから生まれる。
花に溢れた新しい創造空間で、ジナ・カイヤー(Jina Khayyer)がジャックムと語った。

すべての始まり
僕はマルセイユとアビニヨンのあいだにある小さな町マルモールで生まれて、家族のりんご畑を裸足で駆け回りながら大きくなった。マルモールは、住民が100人程度の小さな共同体だ。僕の両親はいとこ同士で、農業をやってた。母は人参が専門で、父はほうれん草。僕は1990年の1月16日生まれ。そう、90年代。テクノとテクノロジーの時代。でも僕は世間知らずだった。当時の生活のハイライトは、週末に、祖父母といっしょに道路沿いで果物や野菜を売ることだった。僕は車のナンバープレートを暗記して、パリからやって来た車を見分けていたんだ。パリからの観光客を待っては、ラベンダーを売った。これで僕のことがかなり分かっただろ。
僕がいちばん夢中になったもの
僕はパリに夢中だった。それから、ファッションの世界で仕事をするってアイデアにも夢中だった。でも必ずしも洋服をやるって考えてたわけじゃない。昔も今も、いちばん興味があるのは映画なんだ。僕はストーリーを語りたい。女性についてのストーリー。シャルロット・ゲンズブール(Charlotte Gainsbourg)みたいな女性のストーリー。僕は女性が好きだ。クリシェだけど、ほんとに女性が大好きなんだ。パリに憧れたもうひとつの理由は、子供の頃、「パリで有名になったら、世界中で有名になれるんだよ」って誰かが言ったから。それが僕の夢になった。だから18歳になって学校を卒業すると、夢を叶えるためにパリに引っ越した。大変だったよ。家族の元を離れ、村を出た男は、僕の家系では僕が初めてだったんだ。とにかく、僕はそうした。
僕が2番目に夢中になったもの
とても小さい頃からユニフォームが大好きだった。僕の両親は教会に通ってなかったけど、僕は聖体拝領を受けたいと言い張った。神父になりたかったんだ。熱心に神を信じていたわけじゃなくて、神父の服が好きだったから。毎週日曜日、家族にせがんで教会へ連れて行ってもらうほどね。神父の後は、軍隊に入りたかったし、その後は弁護士。全部、ユニフォームのせいだ。僕はユニフォームを着るのが好きなんだ。



誤解
農家出身だったら、ファッションも美しさも分からないはずだって、みんな、そう思ってる。でも農民って、最高に詩的で、美にこだわる人たちなんだよ。僕の父はバンドをやってて、夜になるとドレスアップして演奏に出かけた。素晴らしい大きなブーツを履いて、ロックを歌ってたんだ。母はデコレーションに凝ってて、手作りに熱中してた。カーテンから家具まで、家にあるものは全部、母のお手製だった。
僕の初めての失望
パリに引っ越して、僕はすごくショックを受けた。僕の授業料を払うために、母は自分の車を売ろうとするほどだった。それほど、パリに来るのは金がかかったんだ。アパートの家賃はすごく高かった!祖父母にも泣きつかざるを得なかったし、みんなを脅したりすかしたりした。そうやって、ようやくパリへ辿り着いて学校へ行ってみたら、情熱のあるやつなんてひとりもいなかった。今でも覚えてるよ。授業があった最初の日、教室に入って、先生に挨拶しにいったんだ。まったくここで何をしてるんだろう?って気にさせられたね。誰ひとり情熱がない。先生は「シモン、落ち着きなさい。あなた、大げさ過ぎるわ」だって。だから僕は言ったんだ。「いえ、大げさなわけじゃありません。これは僕が9歳の頃からの夢なんです。マルモールじゃあ、郵便配達の人まで、僕がファッションをやるって知ってるんです」。すごく失望したよ。パリへ行ったら、みんなカラフルで、詩的で、才気があって、通りで飛び跳ねたり踊ったりして、パリにいることを謳歌してるんだろうと思ってた。クリエイトすることを謳歌してるんだろうってね。ところが、みんな無気力なのに驚いてしまった。パリに引っ越して1ヶ月後、どういうわけか母が急死した。母の死がきっかけで、僕の生き方は根本的に変わった。人生は今にも終わってしまうかもしれない、それが分かった。人生に2度目のチャンスはないんだ。時間を浪費したくなかったから、Jacquemusを始めようと決意した。自分のブランドを立ち上げたんだ。19歳だった。2ヶ月後に学校を辞めた。どうせ何も学んでなかったから。
偶然
僕は開き直った。パリに来たときは、Maison Margiela のことも Jil Sander のことも知らなかったし、学校に通った2ヶ月でも教わらなかった。僕はただ、あのミニマルなスタイルに惹かれたんだ。僕が子供の頃に目にしたものは、はるかにドラマティックで映画風のスタイルだった。読む雑誌は「Vogue Italia」だけだったからね。スティーブン・マイゼル(Steven Meisel)の作品が大好きだったな。自分のブランドを始めたとき、ミニマリズムは考え抜いたコンセプトというより、必要に迫られただけ。あまり金がなかったから。でも、持ってるものでベストを尽くすしかない。生地屋が集まっているマルシェ・サンピエールへ行って、欲しいものを見付けた後、たまたまカーテンを作る店の前を通りかかったんだ。中に入って「こんにちは。スカートを作ってもらったら、いくらかかりますか?」って聞いたら、店主女性は「え、何?」。だから説明したんだ。「生地を持って来て、作って欲しいものを言ったら、いくらでやってくれますか?」。そしたら「う〜ん、そうね、スカートなら100ユーロでやってあげるわ」。僕はすごくうぶだったからね。うぶなのは素晴らしいことだよ。とにかく、ボタンのない、横にジッパーが付いたハイウェストのスカートを頼んだ。ポケットもいらないって言った。ポケットもボタンもすごく高くつくから。だから、ミニマリズムは選択の問題じゃなかったわけ。ただ金がなかっただけ。



僕が最初に作った服
最初の服のときから、僕の頭の中にはストーリーができてた。僕はいつもストーリーから始める。服はストーリーの飾りに過ぎない。僕は13歳、14歳、15歳と、ブログをやってたんだ。フランスではすごく有名だったんだよ。今やってるインスタグラムみたいなもの。毎週ひとつずつ、ストーリーを書いてアップしてた。全部、僕が主人公のストーリー。野原のシモン。海辺のシモン。農場で家族と一緒のシモン。ブログもインスタグラムもすごく好きだよ。自然体でやってるし、恥ずかしいなんて思わない。僕にとっては、シェアすることだから。ビジョンをシェアしたいんだ。最初に作った服も写真に撮って、ストーリーを作って、フェイスブックでシェアした。そしたら次の日、フランスの有名な音楽雑誌「Les Inrockuptibles」から「あなたのコレクションを見ました。インタビューさせてください」ってメッセージがきたんだ。「もちろん、喜んで!」って返信したよ。素晴らしかった。
僕のブレイク
最初のコレクションは良かったけど、細部がまだ完成してなかった。2番目のコレクションは、最初のより良かった。白だけのコレクションで、パワフルなステートメントだったし、パワフルなストーリーを語れた。けど、僕の技術や作品自体、まだ完璧じゃなかった。3番目のコレクションはウールだけのコレクションで、すごくパワフルなコレクションになった。川久保玲が目を留めたのも、このコレクション。彼女と彼女のパートナーのエイドリアン・ジョフィー(Adrian Joffe)に会ったことで、僕の人生は変わったよ。川久保玲は、東京のショールームで僕のコレクションを見たんだ。僕は金がなくて東京まで行けなかったけど、ショールームの人が彼女のコメントを僕に伝えてくれた。とても良いコメントだったから、彼女のことをグーグルで検索したんだ。実は、川久保玲が誰なのか、知らなかったんだ。Comme Des Garconsのことは知っていたけど、誰のブランドなのかまでは知らなかった。「21歳でここまで精密なコレクションを作れるなんて、ものすごく力のあるデザイナーに違いない」って言うコメントは、僕も同意見だったね。あれはとても力強いコレクションだった。ボイルド ウールだけを使ったんだ。短い丈のトップス、ディテールは一切なし、シンプルなスカート、容赦ないくらいミニマルな色調。
エイドリアン・ジョフィーに会ったとき、僕は金がなくてブランドを続けられないから、仕事が要るって言ったんだ。でもジョフィーはダメだと言った。「君はアーティストだ。私たちの店に置くわけにはいかない」。でも僕は引き下がらなかった。「僕を雇ったら、今までに雇った誰よりもやる気のあるセールス アシスタントになります。金が必要だし、稼ぐつもりだから」って、粘ったんだ。それで、雇われた。そして、ジョフィーは僕を試してた。僕が本気かどうか、知りたかったんだ。僕は、2年間、毎日ショップで働いた。自分のコレクションは、夜に作った。2シーズンが過ぎた後、ジョフィーはロンドンのDover Street Marketのために僕のコレクションをオーダーしてくれるようになった。良く売れたよ。あれが最初のブレイクだね。ショップで働くのは、とても素晴らしくて奇妙な経験だった。ファッション業界の人が店に来ると、僕のことがわかって、ショップで販売員をしてるのに驚くんだ。「あれ、君はシモンでしょ。テレビで叫んでたハイプなデザイナーだよね」って。「そう。それ僕だよ」って感じ。



僕の戦略
注目させること。自分の仕事のために。僕はJacquemus En Greve(En Greveはストライキ中、の意味)というコレクションを作ったんだ。フランス人はストライキが好きだから、ファッション ストライキをやったわけだ。ストライキのユニフォームは、超セクシーだよ!テレビやソーシャルメディアのビッグネームも、必ず現場へ来るように手配した。ストライキの参加者になったのは、ほとんど友達ばっかり。DJのクララ3000(Clara 3000)やジャンヌ・ダマ(Jeanne Damas)みたいな美しい女性。みんな出世したよ。クララは今やDJのスーパースターだし、ジャンヌはモデルのスーパースターになったし。
Jacquemusの女性像
クララはとてもJacquemus的だ。荒々しいところもあるし、思慮深いところもある。それが僕にとってJacquemus的女性なんだ。シャルロット・ゲンズブールが好きなのも、同じ理由。残酷さと思慮深さの両極端に心が動くんだ。


Jacquemusのコレクション コンセプト
コレクションには、必ずタイトルを付ける。ゴダール(Godard)の映画とそのタイトルが大好きだから、僕も全部のコレクションにタイトルを付けるんだ。いつも「L’」か「La」か「Le」で始まるタイトル。僕のショーの舞台デザイナーは伝説的なアレクサンドル・ドゥ・ベタク(Alexandre de Betak)だけど、そのシーズンの自分の映画がどんな風になるか、僕には分かってるんだ。服をデザインする前から、舞台も音楽も、あらゆるパフォーマンスの細部までちゃんと分かってる。映画を作るみたいに、いつもストーリーから始めるんだ。きちんとした映画の本書きみたいに、ストーリーを書き留めて、そこから洋服を作っていく。全くコンピュータは使わないよ。トルソーやフィッティング モデルに生地をあてて、形を決めていくんだ。スタジオには、僕以外のデザイナーはいない。僕だけ。例えシンプルなTシャツでも、デザインするのは僕。
僕のリファレンス
ジャン・ポール・ベルモンド(Jean Paul Belmondo)やジェラール・ドパルデュー(Gerard Depardieu)が出てた80年代のフランス映画。イザベル・アジャーニ(Isabelle Adjani)も、彼女が出てる映画も大好き。僕の頭にはフランス文化しかないんだ。フランスを愛してる。セルジュ・ゲンズブール(Serge Gainsbourg)にシャルロット・ゲンズブール、バルバラ(Barbara)も大好きだ。僕がインスピレーションを感じるのは、全部フランスのものだね。ピカソ(Picasso)も好きだよ。彼も大切なリファレンスだ。僕の叔父は有名な闘牛士だったんだけど、ピカソと知り合いだった。友達だったんだ。僕の新しいコレクションには、ピカソの影響が見つかると思うよ。


僕の日課
毎日、7時半に起きて、ジョギングをして朝ごはんを食べる。9時頃、オフィスに来る。みんな9時から10時のあいだに仕事を始めるんだ。ほとんど毎日、ミーティングで1日が始まる。僕はデザインだけじゃなくて、ビジネスの面も見てるからね。30人位のチームだから、毎日確認することがたくさんある。ランチの後は、フィッティングをして、服作りを始める。遅くまで働き過ぎない、というのが毎日の課題だ。そして、初心を忘れないように心がけてる。それがいちばん難しい仕事だね。
1年に4つのコレクションを制作してる。商業的なコレクションはやってない。ショーで見せるコレクションがコマーシャル コレクションなんだ。販売しない服は見せたくはない。ランウェイで見たものが、ショップで買える。僕にとっては、それがすごく大切だ。実際に着ることができて、売れるものを作る。それが大切なんだ。僕の中のYves Saint Laurentだよ。
僕の次の目標
僕の目標はけっして変わらない。大金を稼いで、沢山ショップを持てたとしても、人生には何の意味もない。いつも幸せで、自分自身に耳を傾けること。僕には怖いものは何もないんだ。明日Jacquemusを辞めて、農業を始めることだってできる。大地を耕すことは気高い行為だよ。ユニフォームを着ていられる限り、僕は幸せだ。大切なことは、いつも幸せでいることなんだ。
- 文: Jina Khayyer
- 写真: Simon Porte Jacquemus