燃えよシャツ
ガイ・フィエリからPradaのランウェイへ、炎が走る
- 文: Mayukh Sen

ガイ・フィエリ(Guy Fieri)といえば、まるでミニカー メーカー「ホット ウィール」のクリエイティブ ディレクターがスタイリングしたような、脱色したツンツン頭でおなじみのシェフだが、聞くところによると、ある1枚の写真を添付したファン メールがしょっちゅう送られてくるらしい。フィエリは辟易している。件の 写真は僕の角膜にも焼き付いている。写真のフィエリは腰をかがめているような姿勢で、片手の指でピストルの形を作り、もう一方の手をカメラの方向へ伸ばしている。コンピュータのスクリーンを突き破って、首でも締めてきそうな感じだ。ジェルで固めたプラチナ ブロンドの髪は天を衝き、鉛筆のように細くトリムした顎ヒゲを、幅のせまい山羊ヒゲが二分している。そして、ボーリング シャツを埋め尽くした漫画タッチの炎が、逞しい肩へ向けて燃え上がっている。
「どこであのシャツを手に入れたんだか、どうしてあれを着たんだか、そんなことは覚えてないさ」。フード ネットワーク番組のホストであるフィエリは、2017年10月、フード ポッドキャスト『ザ スポークフル』のホストであるダン・パシュマン(Dan Pashman)に語っている。「ったく、くそ忌々しいシャツだぜ」
あのイメージの牢獄に永遠に閉じ込められる運命となったフィエリは、気の毒としか言いようがない。フィエリは「燃える」シャツを世に広めるのもっとも有名な文化使節となり、「燃える」シャツを謙虚とはまるきり無縁な放埓の象徴、いわばアメリカが真剣にスマッシュ マウスを聴いていた時代を懐古させるアイテムに変えた。たった1枚の画像によって、「燃える」シャツを着ることは、ファッション的テロ行為になったのだ。
「思うに、みんながやたらあのシャツを好きなのは…」と、フィエリはパッシュマンに愚痴る。「俺があのシャツが心底嫌ってるからじゃないのか?」

モデル着用アイテム:シャツ(Prada)


今年1月の『ヴォーグ』の記事によると、フィエリのスタイルは、図らずも秋シーズンのメンズウェアに明らかな影響を及ぼした。炎は多様な形をとって燃えさかっている。Kolorでは「UNEVEN」の文字が燃えている。Dior HommeのTシャツでは、胸の中央が燃えている。SSS World Corpのシーフォーム ブルーのシャツでは、スカルが炎に包まれている。Pradaの場合は、半袖のシャツの半分を炎が覆いつくしている。これは、「Hot rod」という名で2012年春夏コレクションに登場するやいなや熱狂的に支持されたデザインのリバイバルだ。つまり、わずか6年前にも、Pradaのペール カラーのドレスやプリーツ スカートには、ブラックやベビー ブルーの炎が燃えたぎっていたのだ。また、翼のように炎を後方へたなびかせたデザインのヒール サンダルもあった。最近では、Supreme x Nikeのコラボレーションに登場した、炎がスニーカー全体にあしらわれたデザインが記憶に新しい。

本物であれ想像の産物であれ、洗練であれ悪趣味であれ、炎は反逆を連想させる視覚イメージだ。そして、反逆精神こそ炎の最大の魅力だ。僕は炎をみるとヘルズ エンジェルスを連想するし、異議と不服従に突き動かされ、礼儀作法に中指を立てながら、あてもなくオートバイを走らせる一群のアメリカの反逆者たちを思い出す。炎は破壊を暗示する。炎のデザインを身に着ければ、壊滅をもたらし荒廃を求める存在であることが示される。異議や批判など、痛くも痒くもない。炎は警告、要注意の標識だ。破壊されたくなければ、触れることなかれ。


90年代中頃、オートバイの有名ブランドHarley Davidsonのアパレル ラインとして誕生したHarley Davidson Motorclothesはカタログ販売をするまでに大きく成長した。その翌年には、ファッション デザイナー協議会が、ファッションに対するオートバイ アパレルの貢献を公式に評価するに至った。時を同じくして、南カリフォルニアのスケーター集団が着ていた炎シャツは、当時アメリカ全土で爆発的に展開しつつあったLip ServiceやHot Topicといったアパレル ブランドに、じりじりと延焼し始めた。『スラッシャー マガジン』が創刊されたのは1981年だが、炎のデザインのロゴを使い始めたのは2002年だという。

2016年7月の『ニュー ヨーカー』ウェブ版記事の表現によれば「偶発的な」、あるいは2016年9月の『エスクワイア』の記事によれば「特定しがたい」、と形容される天与の才がフィエリには備わっている。ライターのあいだでは、「フィエリ ウォッチング」がもたらす倒錯した快感を自己検証し、その性質を分析することが流行になりつつある。まるでフィエリの見た目が粗野だから彼の人となりもそうに違いないと言わんばかりに、彼に注目する行為自体を恥じているかのようだ。同じような衝動は、近年、ファストフードに関して高尚な記事が書かれる傾向にも表れている。文化のトレンド セッターたちは、これまで「取るに足らない」と見下してきた様々なものに注目し、言葉巧みに悪徳を威信で美しく包装し、快感を感じることを正当化する。たとえそれが、過去に自分たちが低俗だとレッテルを貼ったものに対する価値を認める行為であったとしても。フィエリは、気取りによって規定されたアメリカ流の趣味の良さを拒絶する。ベーコン マカロニ チーズ バーガーに「ドンキー ソース」と名付けた例のオフホワイトのアイオリ ソースを盛大にぶちまける時も、大衆食堂で堂々と食事をする時も、フィエリはがさつな快楽主義者だ。その特質が、食べるもの、立ち居振る舞い、服装を含むあらゆることに反映されている。

画像のアイテム:スニーカー(Vans)
炎のプリントのリバイバル自体は、とりわけ目新しいことではない。炎モチーフの復活を告げる火花は、さほど苦労しなくても目に入る。例えば、 Vansから2017年に再登場した、炎が流れているOld Skool。1990年代の一時期だけアメリカで販売され、2015年に短期間日本で生産された以外は、天文学的な価格を付けられてひっそりとeBayで取引されてきた。あるいは、日本のアングラフ ァッション ブランドSub Ageの2017年春夏コレクションには、ジェイドやサフランの炎が踊るアロハ シャツがある。また、2016年3月には、Vetementsのデムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)が、真紅の炎がブーツの底から燃えたぎっているようなデザインを蘇らせている。Priscaveraのスリップ ドレスも燃えている。そして、言うまでもなくPradaも。

フィエリがどこであのシャツを買ったのか、過去に遡って真相を究明しようとしてみたが、成功しなかった。この質問について何度もコメントを求めたが、フィエリから返信はなかった。だが、あの写真はフード ネットワークでデビューした2006年よりはるか以前に撮影されたと、パッシュマンに語っている。「バーベキュー レストラン」をオープンしたすぐ後で、シャツはそのレストランにあった。写真のシャツについているロゴからわかるように、店名は「Johnny Garlic’s」。フィエリとビジネス パートナーのスティーブ・グルーバー(Steve Gruber)が、1996年にカリフォルニア州サンタ ローザでオープンしたが、2016年にはパートナーシップを解消し、現在はグルーバーが「Johnny Garlic’s」の単独オーナーになっている。フィエリのシャツの出所について、グルーバーからもコメントはなかった。
結局、僕が絶対の自信を持っていえることは、ただひとつ。フィエリは炎のシャツの生みの父ではない。フィエリは炎のシャツから生まれた、たくさんの子供たちのひとりに過ぎない。あのシャツとは一切関わりたくないというフィエリに、僕たちは耳を傾けるべきだろう。2012年3月の『デイズド』誌のインタビューで、過去何十年も使ってきたスケーター アイテムが現在そこら中に溢れているのを見てどう思うかと尋ねられ、『スラッシャー』のエディターのジェイク・フェルプス(Jake Phelps)自身が答えたと同じように、フィエリ自身が進んで距離をとろうとしているトレンドを、あえてフィエリの貢献にしたがるのは、僕たちの「どうしようもない懐古趣味」に違いない。
Mayukh Senは、ニューヨークを拠点に活動するフード&カルチャー ライター。 料理界のアカデミー賞と言われるジェームズ・ビアードジェームズ・ビアード賞を受賞した経歴がある
- 文: Mayukh Sen