タトゥーが、いかにファッション界において美を作り出す原動力になったか

雑誌「Sang Bleu」の創設者Maxime Buchiが、サブカルチャーの共通言語としてのタトゥーの役割りについて話す

  • インタビュー: Ben Perdue
  • 画像提供: Maxime Büchi
  • 撮影: Ollie Adegboye

Maxime Buchi(マキシム・ブチ)は、現代におけるタトゥーの意味を解明する男なのだ。2000年半ば、ファッションと出版を愛するグラフィックデザイナーとしてイースト・ロンドンにたどり着き、そこで多様なサブカルチャーとクリエイティブな分野が、密着しながら重なり合う世界を目の当たりにした。そこでは、タトゥーがラディカルなグループを束ねる共通要素だった。つまりタトゥーは、デザインのラフな側面を駆動する地下の秘密結社であり、何でも使い捨ててしまうファスト・ファッション文化への対抗手段だった。タトゥーは、深い思考を要求する、恐ろしくてリアルなものだったのだ。そうしたタトゥーが持つ制御不能な性質やDIY的姿勢は、現在のパワフルで想像性豊かな影響となりつつあった。

スイスに生まれたブチは、2004年に、それまで誰も試みたことのなかったアート、ファッション、音楽、タトゥーをひとつに集めて表現する雑誌「Sang Bleu」を立ち上げた。そこから10年以上の歳月が経った今、タトゥーが持つ視覚言語と文化的アイデンティティを効果的に再文脈化してみせた37歳の手によって、印刷物だった「Sang Bleu」は、今やブランドとムーブメントの中間的存在になった。

腕時計のHublot(ウブロ)とのコラボレーションから、FKA Twigs(FKAツイッグス)がメットガラで纏ったテンポラリータトゥーのデザイン、加えてKanye West(カニエ・ウェスト)のようなセレブリティにタトゥーを入れるなど、ブチは今、ロンドンとチューリッヒにある出版社Sang Bleuスタジオ、ファッション・ブランドSang Bleu Physical、さらにオンラインマガジンと彼のデジタルチャンネルTTTismを管理している。「メインストリームが、タトゥーが持つヴィジュアルのパワーや革新的な力に気付き始めている。シンボリックで知的な側面にもね」と彼は言う。「タトゥーに魅力はあるけど、それをどう取り込めばいいのか、誰もわかってないんだ。僕は両方の世界の往来を手助けできる、ちょうどいい場所にいるんだ。おまけに、それで生活できる」

父親として育児休暇を取る準備をしているブチと、タトゥーがデザインに与えた幅広い影響、そしてタトゥーがなぜ最後の真のサブカルチャーなのかについて話した。

ベン・パーデュー(Ben Purdue)

マキシム・ブチ(Maxime Büchi)

ベン・パーデュー(Ben Perdue): タトゥー文化に興味を持ち始めたいきさつを教えてください。

マキシム・ブチ(Maxime Büchi):タトゥーに魅了されて育って来たけど、カルチャーとしてのタトゥーには全然興味がなかったね。スケートの世界にタトゥーは殆ど存在しなかったし、ヒップホップにはまったくなかった。あくまでもロックン・ロールのヤツらのためって感じで、僕の世界にタトゥーはなかったんだ。自分の心をオープンにして、サブカルチャーにこだわり続ける必要はないんだと思えるようになったのは、アート・スクールに入ってから。そこでタトゥーをすることについてもう一度考え直し始めたんだ。僕はヒップホップが好きだけど、タトゥーにも興味を持っていいんだって。僕はアート全般に対してオープンだったから、全てをひとつのものとして捉えることができた。そこへグラフィティが入ってきた。やりたいことがあるなら、外へ出てやるだけだっていう姿勢を、グラフィティから学んだんだ。それこそ、ヒップホップのメンタリティだよね。今では、自分がやること全てに、その考えを当てはめているよ。

あなたのタトゥーは、かなりテクニカルなスタイルを持っているようですね。精確で、まるで建築を見ているような感覚を覚えます。そこには、スイスで過ごした幼少期の育ちと何か関係があるのでしょうか?

僕の叔父は建築家だったし、スイスにはモダニズムの影響が色濃く残っているけど、僕は単にテクニカルな美しさが好きなんだ。その独特の表現方法を楽しんでるよ。特に、超近代的だったり超現代的だったりするサインやコンピュータで作った形が、古くからある文化と収束するとき。結局、幾何学というのは数学のヴィジュアル表現だし、数学というのは、人間の頭脳や生命の働きを純粋な形で表す理論体系、あるいは科学もしくは領域だからね。幾何学的な物は人間の心を純粋に表現しているし、それが僕の成し遂げようとしていることなんだ。わずか数年しか意味のないものではなくて、永遠性を備えたものをね。

「自分勝手な雑誌を作ったんだ。いろんな要素がひとつになった、僕の世界を見せるためにね」

あなたは、80年代と90年代にヒップホップとスケートボードに関わっていましたね。そのように、早い段階からサブカルチャーに関わったことが、ある意味「Sang Bleu」の基盤になりました。しかし、雑誌でサブカルチャーを探求することは、あなたの出版に対する関心を刺激しましたか?

まだインターネットがない時代だったから、子供のころに熱中していたカルチャーに対する唯一の窓口は、雑誌しかなかったんだ。スケートとヒップホップの雑誌は、手に入れるのが難しかったね。父親がジャーナリストだったから、本に囲まれて育ったんだ。スイスでは、歴史的な理由から報道が重要視されていて、出版にはいつも興味を持っていた。けど、それがサブカルチャーにアクセスできる唯一の手段だってことで、個人的な関連は生まれたんだ。見た目の美しさも内容的にも、本は僕にとってなくてはならないものだった。

あなたのファッションへの愛は、ストリートで起こる様々な若者のムーブメントのスタイルに対する興味から育まれたんですか?

まさにアーバン・トライブ(80年代にフランスの社会学者ミシェル・マフェゾリにより定義された、現代社会で関心事やライフスタイルを共有して集まった小グループ)の時代だった。だから、みんながどんな格好をしているかに関心を持っていたよ。まるで、誰もが自分の所属するグループを明らかにして、それに固執しないといけないような感じだった。特定のブランドを身に着けて、ゴスになるかハードロックか、どちらかにならないといけないって感じだったね。だから、美に対する僕の興味は、社会の中で生き抜くために、そういう世界をどう渡り歩いていくかを学ぶ必要性から育ったんだ。自分が所属していたカルチャーのスタイルに夢中にはなっていたけど、それはファッションじゃなかった。ファッションに対する興味は、学校でコンテンツパブリッシングの勉強をしているときに見た、スタイルマガジンのタイポグラフィやグラフィックデザインから育まれていったんだ。

では、アート・スクールで、サブカルチャーとファッションが出版と結びついたんですね?

僕は、ポスト・ファンジンとか、ロンドンのインディペンデント雑誌とか、オランダで出版されていたマガジンに夢中になってた。そういうふうにして、グラフィックデザインとファッションが入り混じって、雑誌の仕組みがもっと理解できるようになったんだ。で、アムステルダムの郊外にあるガソリンスタンドで、雑誌「Re-Magazine」を目にしてから、実験的なフォーマットに興味を持つようになって、デザインと同時に、コンテンツも自分で作りたくなったんだ。パリの雑誌「Self Service」で働く機会があって、誰が重要人物で誰が何をしているのか、わかるようになったね。洋服も楽しかったし、ヴィジュアルに意味を持たせることも楽しかったよ。コンテンツの作り方も、どうやって雑誌を作るのかもわかるようになったけど、パリにはとても退屈してた。そこで、ロンドンの友達が僕に声をかけてくれたんだ。

他に、Vetementsと同じようなフィーリングのブランドはありますか?

ロンドンに来てすぐに、Lotta Volkova(ロッタ・ヴォルコヴァ)やAlban Adam(アルバン・アダム)っていう、ファッションの世界の連中に会ったんだ。けど、面白かったのは、出会った連中の多くがタトゥーをしていたこと。タトゥーは、ラグジュアリーなファッションなんかじゃないんだ。みんな、気軽にやってて、それで人を判断したりしなかった。まるでハッピーなごちゃ混ぜみたいに、いろんなことが同時に進んでいたね。みんなクリエイティブであることだけに集中していたよ。そういうグラフィックの表現が好きだったし、いろんな要素を楽しく、しかも整然とした方法でまとめることができるっていうことが、とても驚きだったんだ。2000年代半ばにみんなと出会うようになって、イースト・ロンドンでの生活が始まったとき、自分が持ってる様々な興味を全部繋げていくことができるんだと気付いたんだ。僕は印刷をするグラフィックデザイナーだったけど、ひとつのことだけを続けることに満足しなかった。その頃には、自分でもいくつかタトゥーを入れていたんだけど、タトゥーの世界やタトゥーを扱う雑誌の視野の狭さにはイライラさせられていた。タトゥー雑誌は、アートやファッションの世界でタトゥーを入れてる人間を取り上げなかったからね。ありきたりなバイカーやロカビリーから外れた文化の人間なんて、まったく相手にされてなかった。だから、自分勝手な雑誌を作ったんだ。いろんな要素がひとつになった、僕の世界を見せるためにね。

それは、自分の精神的な拠り所を見つけた気分だったでしょうね? サブカルチャーや自分のアイデンティティを裏切ることなく、それらの境界線を曖昧にすることができたという意味で。

インターネットやカルチャーのグローバル化のせいで、90年代のような境界はすでに消えかけていたよ。15年か20年の間、ゴス、メタル、ヒップホップとかに分けられていたものが、突然、アートやファッションやビジネスへ組み込まれていったんだ。自分が属するカルチャーを、頑張って主張する必要もなくなった。みんな、自由にオープンに、垣根を越えられる雰囲気になったんだ。インダストリアル・ミュージックにハマっているから、ラップを聴いたら堕落だなんて考えなくなった。でもタトゥーの世界はまだひどく遅れていて、他のサブカルチャーが何十年も前にやり遂げた文化、社会、そしてメインストリームとの融合がまだ進行していなかった。だから、スタートにちょうどいい時期なんだって、僕はわかっていたんだ。

最近、ロッタ・ヴォルコヴァは雑誌「032c」の中で、サブカルチャーなんてもうないし、今日では全てがリミックスだと言ってました。この考えには同意しますか? 「Sang Bleu」の考えにも当てはまるように思いますが。

ある程度はね。でも、もし最後のサブカルチャーがあるとしたら、それはタトゥーなんだ。そういう意味では、僕は彼女と違った意見を持っている。「Sang Bleu」は、まさにそこに焦点を当てているんだ。タトゥーは今、メインストリームに近付いている最中だから。皮肉なのは、「Sang Bleu」のために自分でたくさん新しいコンテンツを作っていたけど、すでに存在する素材を使っても雑誌はできただろうなと感じること。僕がやっていることはリミックスというよりも、キュレーションや再編集だな。ものすごく多くのことが、すでに作られてしまっているからね。その上に自由に使えるインターネットがあるんだから、もうこれ以上はいらないよね。今日、Gucciの店に行っただろ。で、Gucciのためのキャンペーンをやりたいとする。 そしたら、70年代のボヤけたキャンペーンを探し出して、それをただクリーニングするだけでいい。誰も気付かないよ。もし気が付いても、何の問題もないね。新しいフォトグラファーもシューティングも必要ない。これはとても面白い考えだし、とても今っぽいよね。まさに、そういう考えが「Sang Bleu」なんだ。

「もし最後のサブカルチャーがあるとしたら、それはタトゥーなんだ」

VetementsGucciのようなブランドがやっている、今、人が求める服に応えるために、昔のファッションからの表現を再利用する手法についてはどう思いますか?

Vetementsに関しては、何かを言えるほど詳しくないけど、Gucciのようなメジャーなブランドがそれをやると、5年ごとに70年代や80年代を復活させるサイクルに呼応しているだけのように感じるね。だから、正直に言ってVetementsの方が誠実で、デザイナーとその信奉者たちが好むものに忠実に反応しているし、実際のライフスタイルにより繋がりがあるように感じるね。とくに今回のGucciのコレクションは想像力に欠けるよ。綺麗に仕上がってはいるけどね。僕は、アーティスティックな表現であふれているファッションのほうに興味がある。ブランドのアイデンティティと伝統をきちんと理解して、それらに繋がっているほうが好きだ。今日見たGucciは、Gucciの伝統をまったく感じなかったよ。Lottaと知り合いだからってのもあるけど、Vetementsを見るとリアルだなって感じるし、彼らが表現しているスピリットと、本当につながっていると感じる。だから、共感できるんだよね。

他に、Vetementsと同じようなフィーリングのブランドはありますか?

Cotteweilerは面白いね。僕がまさに現代のファッションで興味のあることを、彼らが表現しているからね。カルチャーがどのように使われてコントロールされているかを、完璧にわかっているブランドだよ。彼らの服はリアルなファッションであって、単にクールなだけじゃないんだ。共感を持てるものなんだ。

「Sang Bleu」の初期には、タトゥーが様々なムーブメントやカルチャーを引き合わせてきましたが、一般的に、タトゥー文化がデザインの世界に大きな影響を与えてきたと思いますか?

確実にね。だから、「Sang Bleu」がちょうどいいタイミングにいい場所に登場したし、ある程度は役に立ったんじゃないかな。タトゥー文化は、社会に認められて、ヴィジュアル・カルチャーや芸術全般の中の優れた表現として、受け入れられる途中なんだ。面白いことに、今、タトゥー業界はまだまだ開拓時代にいるんだよ。規模は大きいけど、ほとんど管理されていない。アマチュア感満載で、みんながそれぞれやりたいようにやってる。だけど、それが面白いんだよね。誰でもタトゥーイストになれるんだからね。機械と針を手にすれば、誰でもタトゥーができるんだ。こんなにパワフルなものは、他にそうないよ。音楽はそうだけど、安全に管理され、搾取されてきたから。でも、タトゥーはまだ恐ろしいし魅力的だ。最終的に、管理されてシステムの一部になるなんて思えない。でも、わからないね。いつかはそうなるかもしれない。

タトゥーが最後のサブカルチャーであると話してましたが、状況が変化していくと、タトゥーが持つラディカリズムの要素を、どのように維持するのでしょうか?

美しさは失われないと思う。タトゥー自体はとても奇妙なものだ。肌に浸透して、ずっと残る。そんな奇妙なものが、完全にメインストリームになったり、商業的になるなんてことはないよ。だから心配していない。タトゥーの本質自体がエッジを保証するってことだ。タトゥーは、世の中の大勢がみなすタブーや異常の観念に、かなり逆らっているんだ。僕の考えでは、近い将来、タトゥーが気軽に手を出せるものになる危険性はないと思う。タトゥーは、まだまだ恐ろしくて魅力的だ。

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  • 撮影: Ollie Adegboye