ペトラ・コリンズのアイムソーリー
フェティシズム、ボディ ホラー、下品に惹かれる写真家が、SSENSEとのコラボレーションで服をデザインし、映画の脚本を書く
- インタビュー: Natasha Stagg
- 写真: Petra Collins

ベジタリアンのランチと日本のチョコレートが並ぶビュッフェを通り越し、ヘア スプレーで曇ったメイクアップ用の鏡の向こう側へまわり、何十個ものビンテージな80年代のランプ、1967年のマーク・ロブソン(Mark Robson)映画『哀愁の花びら』、スパイシー フレーバーのチーズ スナック1袋といった小道具を詰め込んだ棚、そしてパステル カラーかネオン カラー、どちらかのウェアがぶら下がる何列ものラックの間を縫っていくと、ペトラ・コリンズ(Petra Collins)がいた。ミニチュアの家具を配置した特注の木製ステージの前で、床に膝をついている。
ローリー・シモンズ(Laurie Simmons)が撮影した人形の家のセットとは違うし、『不思議の国のアリス』をテーマにしたティム・ウォーカー(Tim Walker)のオマージュ作品『Alice and Wonderland』とも違う。ブラッツ ドール風にメイクされてウィッグをかぶったふたりのモデルは、部屋に入るとき、ほんのちょっと身を屈めなくてはならない。だが部屋の内装は、どうということもない平凡なアパートと同じだ。モデルが着ている服も一見馴染みはあるのだが、ちょっとズレている。レースのランジェリーはどぎつい色合いだし、サテンのローブにはアニメのキャラクターがプリントされ、縮んだTシャツには「I’m Sorry」と書かれている。
カーペット敷きの床を這いまわるモデルのうち、ひとりはネオン グリーンのロープでSMプレイ式に緊縛されている。アシスタントが当てるスポットライトがベネチアン ブラインドで拡散されて室内を照らし、別のアシスタントが小さな入口からスプレーした缶入りの空気が、ちょっとした霧を作り出す。誰かが落ち葉を吹き飛ばすリーフブロワーを向けると、小っぽけな窓枠で白いカーテンがはためく。コリンズは、片方のモデルの顔にミニ スポットライトの焦点を合わせている。子供サイズのヒョウ柄のベッドの上にいるもう一方のモデルは、世界でいちばん小さいiPhoneで自撮り中。小さすぎるドレッサーの上で、ティッシュの箱サイズのテレビが光りを放ち、ぼやけた画像を映し出す。
ここは、SSENSEとのコラボレーションとして、コリンズが初めてデザインを手掛けたウィメンズウェア コレクションの撮影現場だ。ブランド名の「I’m Sorry」は、コリンズが「もっとも頻繁に口にする」言葉だという。コリンズの写真は気まずい記憶やホラー映画、性的なフェチ趣味を反映することが多いが、それらを示すものが散在した様子は非常に私的であると同時に、ユーモラスな距離感がある。下品で子供っぽい。
1992年に生まれ、10代で映像作家リチャード・カーン(Richard Kern)のアシスタントや写真家ライアン・マッギンレー(Ryan McGinley)のモデルを体験したコリンズは、リアリズム写真が切り取る歪んだセクシュアリティの世界で大人になった。彼女自身の作品は、途絶えることなく視線を向けるレンズの後と前で過ごした成長期の、さまざまな様相を見つめ直す。リアリズムに揺れ動く主体のシュールな要素が混じり合っているのは、オンライン世界でのアイデンティティが及ぼす影響だ。醜形恐怖と歪んだ認識、その一方で現実の生活の不快なリアリティ…、それらすべてがコリンズの撮影に現われる。
コリンズの社会観は、デジタル スクリーンが放つ温かなオーラのように素朴でのどかに表現される場合もあるが、セレーナ・ゴメス(Selena Gomez)が出演した短編フィルム「A Love Story」のように、不気味な表現をとることもある。「A Love Story」には、ポップ スターのゴメスがゴムで作った器官を皮膚から剥ぎ取る場面もある。いちばん新しい写真集『Miért vagy te, ha lehetsz én is? (私になれるのに、どうしてあなたのままでいるの?)』では、真実の自分と想像の自分の分離というテーマを中心に、自分の体と自分のものではない体の器官を型にとって、初めて自分自身の内面に踏み込んだ。この本が昨年に出版されて以来いくらか勇気が出たというコリンズは、今回の撮影でもっと自分を見せる準備ができている。

Severine 着用アイテム:トラックスーツ(I'm Sorry by Petra Collins) 冒頭の画像 Petra 着用アイテム:トラックスーツ(I'm Sorry by Petra Collins)

Petra 着用アイテム:タイツ(I'm Sorry by Petra Collins)

Ama 着用アイテム:Tシャツ&アンダーウェア(I'm Sorry by Petra Collins) Severine 着用アイテム:ボディスーツ(I'm Sorry by Petra Collins)
以前はカメラの前に立つことが大きな苦痛だったコリンズにとって、写真を撮られることは今でも大変なことだ。Gucciのランウェイを歩き、ジル・ソロウェイ(Jill Soloway)監督のドラマ シリーズ『トランスペアレント』にゲスト出演し、無数の記事で「イット ガール」として引き合いに出され、他のイメージ クリエイターたちにミューズ扱いされるようになった現在も、それは変わらない。露出によって、コリンズがこれまで抱えてきた自己像にまつわる問題は、複雑にもなったし、シンプルにもなった。高く評価されたアーティストと気乗りしないモデルの狭間という現在の奇妙な立ち位置を、以前よりは受け容れつつあるとコリンズは言う。だが、身がすくむような自信喪失は、今でも彼女を苦しめる呪縛だ。売れっ子であるがゆえに、それらすべてと十分に向き合う時間もそれほどない。今日だって、韓国版『Vogue』の表紙撮影を終えて帰ってきたばかりだ。「睡眠時間は4時間程度」で、2日後には、ファッション ウィークに先駆けてミランへ飛ぶ。
「ここのを使うわ」と、小さなiPhoneで撮った写真をスクロールしながら、コリンズが言う。撮影したセヴェリン(Severine)は、14歳のときからコリンズが撮り続けているモデルだ。セヴェリンは、撮影の合間にも笑い、踊り、シークインのミニ スカートとシアなブラックのタイツから今はサテンのプリント柄のアンダーウェアに着替えている。プリントされているのは、アブラムシ、縫いぐるみの犬、キャンディの包み紙、ニキビ用クリーム。コリンズの子供時代を代表するシンボルばかりだ。グラフィック デザインも手掛ける韓国人アーティストのミゴ(Migo)がスケッチを描いた。コレクションには、ナイトガウンを着て、スニーカーを履き、手首に結び目のあるロープを巻いてY2K風のスーパーヒーローに変身したコリンズも登場するが、このアニメ キャラクターもミゴが描いた。
コリンズは自分の携帯を取り出して、参考にした1枚の画像を私に見せようとするが、見つけられないでいる。「私、メッセージでものすごくたくさんスクリーンショットを送るの。ほとんどサイコ」。友達でライターのメリッサ・ブローダー(Melissa Broder)とやり取りしたメッセージの画像をスクロールしながら、コリンズは笑う。コリンズがコラボレーションのタイトルに「I’m Sorry」を選んだように、ブローダーもエッセイ集に『So Sad Today』や『Last Sext』といったタイトルを選び、自分を把握していて、誘惑的で、かつ自分を卑下する言葉を操る。多分、彼女たちの世代には、それがお決まりのやり方なのかもしれない。つまり、先ず謝っておいてから、傷つきやすい自分をむき出しにして魅了する。
だが、混乱した内面を抱えているにせよ、コリンズの表現は徹底的に抑制されている。露出趣味を肯定して恥ずかしさを誘発する視覚イメージ、そして満足感を得るためにひたすらリスクを増大せざるを得ない依存は、どちらも、彼女と同世代の美学を特徴づける要素であり、コリンズの作品はそれらに応えることができる。かくしてトロント出身のティーンエージャーの写真はInstagramで多数の「いいね!」を獲得し、ギャラリーで個展が開催され、次にファッション誌の表紙を飾り、Nordstromやadidasの広告を依頼され、セレーナ・ゴメス、リル・ヨッティ(Lil Yachty)、カーディ・B(Cardi B)など、ミレニアル世代代表のミュージック ビデオへと発展した。
セヴェリンが着ているホワイトのTシャツは、70年代のポルノを彷彿とさせるフォントで「I’m Sorry」とプリントされ、フロントにはコーヒーをこぼした痕がある。「あらかじめ汚してあるの」と、コリンズは説明する。「そしたら、汚しちゃいけないって気を使う必要がないから」。床の上でくるくる回りながら、セヴェリンはTシャツを引っ張る。ストラップのヒールが絡まり、危なっかしく離れる。セヴェリンが「アイムソーリー」とジョークににすると、コリンズにアイデアが閃き、ビデオの録音が始まる。セヴェリンはミ二携帯を耳に当て、芝居気たっぷりに「アイムソーリー。ごめんなさい。だって悪かったと思ってるんだもの。もうごめんなさいって謝ったでしょ」と哀れな声で訴える。録音が終わってスタッフが拍手喝采すると、セヴェリンは「いつもやってることだから」と笑う。
アパートの部屋のセットが取り壊され、新しいセットが組み立てられる。今度は、渦を巻くブルーの敷物と、その上に浮かぶ実物大の棺桶だ。ブルーの敷物は、染色したバラの花で作った巨大な目から流れ出た涙だ。コリンズはヘアとメイクアップのために坐りながら、このプロジェクトを思いついたインスピレーション、現在までしばらく写真から離れていた理由、この次の長編映画について、とても楽しそうに話してくれた。

Kiko 着用アイテム:ボディスーツ(I'm Sorry by Petra Collins)
ナターシャ・スタッグ(Natasha Stagg)
ペトラ・コリンズ(Petra Collins)
ナターシャ・スタッグ:ブランド名の「アイムソーリー」って、どういう意味なの?
ペトラ・コリンズ:カナダ人は、しょっちゅう「アイムソーリー」って口にするのよ。それもあるし、いちばん面白くて他愛ない名前にしたいと思ったの。私にとって、ファッションはすごく楽しいもので、100%シリアスじゃないから。それにブランドで見せるものについて謝りたい気もするし。
写真のこと、それともデザインのこと?
両方。
どうして謝りたいの?
生まれつき、罪悪感があるの。恥ずかしい気持ちもある。
なるほど。色々と探ってみることがありそうね。服のデザインは、前からやりたいと思ってた?
小さい頃からずっと、頭の中は服のことでいっぱいだったわ。服は私のアイデンティティの大きな部分を占めてるの。私を隠して守る方法でもあるし、私の何かをさらけ出す方法でもある。
デザインしているときは、写真に撮ったらどう見えるかも考えてたんでしょうね?
ええ。それと、私自身が着て最高にいい気分になれるものを考えたわ。スウェット、アンダーウェア、Tシャツ…。写真を撮るときも、撮られるときも、私自身が着たいものよ。
デザインの過程は、写真撮影のためにムードボードを作るときと似てた?
実際に着られるモノになるんだから、もっと楽しかった。基本的に、グラフィックからスタートしたの。子供の頃に持ってたぬいぐるみの動物とか、Lysolのスプレー缶とか。他に何があったかな? 私は白いクライスラーのバンに乗ってたけど、これはブルーのドッジ。今、妹が乗ってるバンがモデルよ。
若い頃は、かなり重度の醜形恐怖症だった。そういうことや他のこと全部を含めて、どうにかやり過ごす手段が写真を撮ることだった
あなたの子供時代からのシンボルがたくさんあるけど、セックスのシンボルもあるわね。両方を、どうやってひとつにまとめるの?
性的な関心や指向は子供時代に生まれるんじゃないか、って思う。私はいつも、子供時代とセクシュアリティを結びつけて考えるわ。強く惹かれるものは、全部、子供時代から来てるもの。そのふたつが手を繋いでる感じ。私はずっと、自分のセクシュアリティと性的なトラウマを問い続けてるの。良くも悪くも、そうしてるときがいちばん気持ちが落ち着く。撮影現場を見ればわかると思うわ。すごくエロなんだけど、同時にすごくグロ。
ちょっと下品だったりするから?
ミニチュアのセットで撮影したってこともあるわ。大きさが釣り合わないのが神経を逆撫でする感じで、あのサイズがとっても気に入ってるの。同じようにセクシーでエロチックなものを撮影しても、普通サイズだったら面白くない。ユーモアがあることも、私にはすごく大事なの。ユーモアのない人と面白くないものだけは、どうしようもないわね。ありとあらゆるものがバカっぽいのに。
アニメっぽいキャラクターはあなたがモデル?
あれは私の夢、私のアニメの夢。私はいつも非現実の世界で暮らしてるから、それを形にしてみたの。
あなたが写真家として有名になったのもすごく若いときだったし、もちろん今では、あなた自身のファッションもすごい人気になってるでしょ。ただ美しい写真を撮ろうとしてるだけなのにそういう状況になると、きっと自意識に影響が出るんじゃないかと思う。このキャラクターは、みんながあなたに対して持ってるイメージの延長?
若い頃の私は、かなり重度の醜形恐怖症だったの。自分の体は醜いと思って、常にすごい自己嫌悪だった。そういうことや他のこと全部を含めて、どうにかやり過ごす手段が写真を撮ることだった。
だけど、それ以外に、自画像写真を操作する理由があると思う?
みんながフィルターを通して自分を見ること、基本的にフィルターをかけた自分だけを見せることに、ものすごく興味があるわ。Snapchatから始まったんじゃないかな。普通のことを喋ってるだけなのに、犬のフィルターがかけてあるとか。今じゃ、そういうのを見ても何とも思わないけど。そういうスクリーン ショットを、私、すごくたくさん保存してるのよ。ほとんどはカイリー(Kylie)のだけど、普通に5分くらい喋ってる動画で、口から犬のベロが出てるのとか。だから、メークアップ アーティストのマルセロ・グティエレス(Marcelo Gutierrez)と、本物の人間のフィルターを考えてみたの。今やってることも、写真集の『OMG, I'm Being Killed』でやったことも、それ。そういうことをやると、人はすごく腹を立てるけど。
どうして?
ものすごく真剣にとるか、そうでなかったらジョークととるか、どちらかなんだと思う。その両方だったら、ちょっと落ち着かない気持ちになる。
そういうあり方に対して、あなたの考えを表明してるわけ?
そういう部分もあるけど、私自身もそれに参加してる。自分の顔の写真にフィルターを使うし、結果として、魅力的になる場合もあるもの。
フィルターに魅力を感じなかったら、人間じゃないわ。肝心なのはそこよ。
私が最初に自撮りする人たちを写真に撮り始めたのは、ワクワクしたからなの。だって、それまで記録に残されることもなかった人たちが、デバイスを使って、初めて、自分で自分の画像を作れるようになったわけだもの。撮影した人が自分の画像を修正するなんて、必ずしも考えてなかった。だけど、みんなが自分自身をどう見ているか、どこに手を加えて自分を変えているかを目にするようになったし、FaceTuneがスタートしてからは、インターネットは私が考えていたようなユートピアじゃないんだって驚いた。そして、みんながそのことに影響される。さっき説明したのもそれなの。自分で自分の画像を作るという新しい世界が開けたけど、忘れてたのは…
どんなもので、しばらくすると台無しになる?
「しばらく」より、もっと早くにね。

Kiko 着用アイテム:ドレス(I'm Sorry by Petra Collins)

Kiko 着用アイテム:ボディスーツ(I'm Sorry by Petra Collins)
あなたが悩んでいた醜形恐怖症だけど、オンライン上での活動が理由の一部だったと思う?
100%そうよ。でもほんのちょっとの間だったけど、みんな、「本当」の自分を見せようとした時期があったと思う。「本当」の自分が売り物になる前にね。その後、さっき言ったようなフィルターが作られ始めてからの私は、完全に呑み込まれて、自分に戻って、また呑み込まれるの繰り返し。その他大勢とまったく同じ。すごく面白い体験でもあるし、誰か、教育界かインターネット コミュニティの人が、これについてきちんと書いてくれないかって期待してるの。インターネットは、まだ必ずしも心理療法で扱われない。私のセラピストだって、インターネットを取り上げることはほとんどない。現実だと認識していないのよ。
そういう渦に呑みこまれたときは、どうやって自分を取り戻すの? 対処方法みたいなものがあるの?
あればいいんだけどね。多分、アートを作ることだけじゃないかな。友達のメリッサ・ブローダーは@sosadtodayっていうアカウントでTwitterをやってるんだけど、彼女と一緒に本を書いた後、この1年半は写真から遠ざかってる。私、彼女の大ファンだったから、何らかの方法でコラボレーションしたいとずっと思ってたの。それで、最悪に落ち込んだとき、「それなら、いっそのこと、この状態を書こう」と決心して、メリッサと共同で脚本を書いたらホラー映画になっちゃった。
刺激を受けたボディ ホラー映画は?
当然、デヴィッド・クローネンバーグ(David Cronenberg)。私と同じカナダ人よ。それから『エクソシスト』。色んな男たちが周りで大騒ぎするのは、基本的に、思春期の体験そのものだわ。『ポゼッション』にも忘れられないシーンがある。イザベル・アジャーニ(Isabelle Adjani)が本格的に正気を失うところ。あとは『スクリーム』のシリーズ。私たちが作ってるのも、実際、最後はほとんど本格的なコメディになったもの。
あなたや、あなたみたいな人は、どんなことで落ち込むの?
本当に大きな部分を占めるのは、あらゆることが大量に消費されること。メリッサは薬物依存から立ち直って、もう長い間クスリを断ってる人だから、私の状態も簡単にドラッグ依存と置き換えて考えることができるの。同じことよ。 使う量が増えるほど効果が弱まる。2年前だったら、ちょっと「いいね!」がついただけで1週間は満足してたのに、今は2秒しか満足しない。2秒後にはまた自己嫌悪になって、薬も変えなきゃ効かないし、セラビーも再開しなきゃいけない。「落ち込み」には精神の健康も関わるから。
そこで「アイムソーリー」って言葉が出てくる。
だから私にとって、「アイムソーリー」は本当に楽しくなきゃダメだった。それが語り口の一部だし、全体のコンセプトの一部だし、イメージの一部なの。私はファッションが大好きよ。ファッションの全部が大好き。それ以上でもそれ以外でもないわ。
あなたのデザインを見たとき、最初は、「セクシーでごめんなさい」なのかしらって思ったわ。
それもあるわ。
あなたの写真も、そんなふうに感じる。誰かの最大の望みにちょっと合わせてみながら、「これが本当にあなたの欲しいもの?」って尋ねてる感じ。
そう、その感じをうまく言葉にして、私のボーイフレンドに説明しようとしてたところなの。フェミニンなものを着て女性の役割を演じるのは、ちょっと特別なところがある。私の半分はそれをとても楽しんで、残りの半分はすごく罪悪感を感じて、とても不愉快な気分になる。注目されたいんだけど、いざ注目されると気持ちが悪くてうんざりする。こんな私でごめんなさい、って感じ。
どっちにしても出口はないわね。女性らしさという考えそのものが、もう意味をなさない。
この自分の体の中に存在すること自体が奇妙だわ。私は、外見もやることも、すごく若く見える。自分のセクシュアリティや、人からどう見えるかもわかってる。撮影のときだって、私が監督だってわかってもらえないことが、すごく多い。制作スタッフが面と向かって「君じゃなくて、監督の指示を受ける必要があるんだ」って言うのよ。「いや、私がその監督なんですけど」ってなる。現在の私の立場はとてもラッキーだと思うけど、奇妙な感じでもあるわ。絶えず敬意を求める方法を探さなきゃいけないから。
モデルをしてた頃はどうだったの?
ライアン・マッギンレーの撮影旅行に参加したのが、自分に対する見方を大きく変える契機のひとつだったわ。18か19の頃で、とても虐待的な恋愛関係にあったから、自分の体との繋がりを完全に失ってた。文字通り、自分の姿を見ることに耐えられなかったの。だから、裸になって、なおかつ性の対象にならないのが、ものすごく大きな解放感だったのを覚えてるわ。初日なんか、それまで怖かったことを全部やったのよ。面接のとき、「高所恐怖症? アレルギーは?」って尋ねられて、本当は外に出るだけで肌が痒くなるくせに「いえ、全然。大丈夫です」って。ずっとライアンのファンだったから、どうしても一緒に行きたかったの。それで最初にやったのが、丘を転げ落ちるのと木登り。あの時ほど、自分の体と一体感を感じたことはなかった。ニューヨークへ越したのはその後。「私は、ロクでもない状況を抜け出せる強さがあるし、自力でいろんなことをやることも、自分の体を使うこともできる」と思えたから。そのことは感謝しても感謝し尽くせないわ。
Natasha Staggは、『Surveys』(2016年)および『Sleeveless: Fashion, Image, Media, New York 2011–2019』(2019年)の著者。いずれもSemiotext(e)社から出版された
- インタビュー: Natasha Stagg
- 写真: Petra Collins
- スタイリング: Dean Dicriscio
- スタイリング アシスタント: Alexander Picon
- 照明技師: Siggy Bodolai
- 照明アシスタント: Cal Christie
- メイクアップ: Marcelo Gutierrez / Stre(MAC Cosmetics使用)
- メイクアップ アシスタント: Sena Murahashi、Mia Varrone
- ヘア: Evanie Frausto / Streeters(Redken使用)
- ヘア アシスタント: Nate Juergensen、Geraldine Legaspi
- セット デザイン: Nicholas Des Jardins / Streeters
- セット アシスタント: Gautam Sati、Andy Bothwell
- モデル: Kiko Mizuhara、Ama Elsesser、Severine Santos / Kollektiv Mgmt
- 制作: Serie Yoon / Night Water Creative、Jezebel Leblanc-Thouin
- 制作アシスタント: Richard Nwaoko、Tom Hennes
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: September 9, 2020