プリーツスカートで車の窓を叩き割る

ビヨンセ、Sacai、グランジ、オルセン姉妹、バーナード カレッジ、Issey Miyakeと孤児について

    南部出身でマンハッタン在住の作家のエリザベス・ハードウィック(Elizabeth Hardwick)は、冬を最大限に満喫する秘訣は、「2ダース」ほどプリーツの入ったチェックのスカートにあると考えていた。同じように、ダイアナ・ヴリーランド(Diana Vreeland)も、自分の読者は長くてしっかりとプリーツの入ったスカートを穿いており、修道院のような冷たい空気があかぎれの足首に当たっている様を想像していた。映画『ヴァージン・スーサイズ』の従順な姉妹にとっては、カトリックの学校の制服はそれぞれの季節の記憶を呼び覚ますものだった。「スカートを吹き抜ける冬の風の冷たさを私たちは知っている」。そう言いながらボニーはコーデュロイのスカートのポケットに入れたロザリオを指で触れる。へその下から始まり、床を引きずりそうなほど丈の長い高級なプリーツ スカートは、カトリック系の女学生のヘムスカートとは似ても似つかない。

    スタイリストたちがゼイディー・スミス(Zadie Smith)にロングのプリーツ スカートを着せたとき、彼らは白紙の状態で臨んだわけではなく、彼女のくつろいで堂々とした雰囲気を手っ取り早く際立たせようとしたことは明白だった。とはいえ、彼女はいつでも「ちょうど良い感じ」に見え、あからさまなスタイリッシュさを彼女に負わせるなど不可能なのだ。The Rowは、不規則にひだを寄せた柔らかなプリーツが腰周りのアクセントになったドレスをノグチ美術館に送り出したが、これはまさに「秋のシルエット」と言えるものだった。オルセン姉妹はRalph Laurenよりもはるかにうまく10月の季節感を表現している。

    ハロウィンまでには、痣のような黄色や、おぼろげな青色の冬の光の気配を感じ始めるようになる。そして寒風のせいで、分厚い生地やたっぷりと布を使った服が着たくなり、徐々に服に対して無頓着になっていく。タートルネックに、ブーツ丈のチャコールグレー、サンドカラー、ヘザーグレー、ねずみ色、濃紺のスカートやパンツ。ロング丈のプリーツ スカートには、味気ないワークウェアの雰囲気があり、おそらくそれが図書館の司書や考古学者を連想させる。修士号を持つ女性が脚立に上るイメージだ。勉強好きな彼女たちは、自分たちのプリーツスカートがベルボトムのように明確に歴史上のシーンと結びついている強烈なスタイルであって欲しいと考えつつ、なおも「美大生」風のProenzaMarniの方を好み、Chloéのヒッピー的な雰囲気を敬遠しているのではないだろうか。さらに言えば、スカートの後部を膨らませるためのバッスルを身につけること以上にガリ勉的なものはないだろう。Y3の山本耀司は、スカートの後ろ側でプリーツをたゆたわせ、重さを増した生地が正面で膝まで垂れ下がるのを好む。Sacaiも同じく、デコルテの周りにできた吹き出物や臀部の目につかないホクロのように、プリーツを少しだけ露出させるのが好きだ。阿部千登勢に特徴的な色は、私がいつも祖母のサウスダコタにある1世紀以上続く農場を連想する、ハンター グリーンやパンプキン オレンジといった色だ。

    プリーツの入った生地のレイヤーは、どれほど軽やかでも、狼が出そうな閑散期の夜にこそふさわしい。色としては、黄昏時の濃い紫に至るまでの色のグラデーションを想像してほしい。あるいは、Kei Ninomiyaの「影のようなプリーツの入ったチュール」でもいい。2000年にカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)がランウェイで発表したプリーツのチュールの生地は、先端が擦り切れ、真夜中になれば解けてしまいそうに見えた。何かと堅苦しいものだと誤解されがちなチュールとプリーツの精神を、これほど完全に理解したデザイナーがいただろうか。これはちょうど、映画『センターステージ』で、ゾーイ・サルダナ(Zoe Saldana)が禁煙したり努力したりすることを拒む「天才肌」のバレリーナを演じた年のことだ。

    オルセン姉妹はRalph Laurenよりもはるかにうまく10月の季節感を表現している

    10年後、さらにあからさまに破壊的なBalenciagaは、プリーツを棘に絡ませた。アメリカのファッション批評家たちはこういったものにインスピレーションを得て、「リラックス」や「無頓着」といった言葉を書き立てた。

    私がよく考えるのは、どうして写真家は、ロングのプリーツ スカートを見ると、モデルにコウノトリのような片足を上げたポーズをさせたくなるのかということだ。当然、アーヴィング・ペン(Irving Penn)以上にプリーツを撮った写真家は他にいない。彼は自分がIssey Miyakeのために撮った写真は、旅行中もドレスを着るという考えを女性に受け入れさせたことで有名なデザイナーとの、アーティスティックなコラボレーションだと考えていた。ペンの写真のアーカイブを見れば、この考えはしっくりくる。彼が撮った女性たちは、酸いも甘いも知った人生経験方法な人ばかりに見えるからだ。

    ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)は、ロングのプリーツ スカートを穿くときのサッサッという音が好きだと読んだことがある。これを読んで、なぜデザイナーはこの「サッサッ」に「ドシン」を組み合わせることが多いのか、わかった気がした。プリーツの持つ少女っぽさをボンデージ ブーツで和らげられるのだ。スニーカーが Dr. Martensのハードな両性具有生にとって代わったとはいえ、これで昨今のストリートウェアにおいて、ロングのプリーツ スカートが人気である説明がつく。思うに、この元祖は80年代の東京でブレイクした「女子大生」ファッションだろう。私はだらしない感じの女子大生がSalomonを履いて、市内を横断するバスに乗っているという考えが好きだ。エリザベス・ペイトン(Elizabeth Peyton)のようなピクシーカットと『ザ・ニューヨーカー』誌に以前載っていた彼女の読書リストを合わせるのはどうだろうか。ヴィンセント・クローニン(Vincent Cronin)のナポレオンの伝記や、シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)の『マリー・アントワネット』だ。

    残念なことに、水玉模様と同様、プリーツを着るのは、コスプレイヤーか、とても若い人か、日曜日の教会で隣の席にいるような足元のおぼつかないおばあさんばかりになっている。おそらくこれは、プリーツは万能なスタイルであり、何かに縛り付けてしまうのが難しいせいだ。レザーのような柔らかなものからウールのような素朴なものまで何でもプリーツをつけられる。私は、罪を隠すためと言われるプリーツが、罪を示唆するように見えるから、と考えるのが好きだ。ちなみに、こういう時に念頭にあるのは、ケイト・モス(Kate Moss)のような高校の落ちこぼれで、自分で安全ピンで留めたキルト スカートを穿いてタバコを吸っているような女の子だ。大人の女性がロングのプリーツ スカートを穿く場合、ややもすれば保守的になるシルエットを「爆発させる」という選択肢を手に入れる。そして、本人同様に、その衣服もまた予想のつかないものとして再定義される。これは実際には性欲のようなエネルギーと誤解されることが多い。だが考えてみると、白のプリーツ ドレスに身を包み、地下鉄の鉄格子の上に立って驚いたふりをするマリリンは、どう見ても自分の役目を心得た仕事のできる女性である。

    アーティストのピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist)は、そのビデオ作品「Ever is Over All」の中で、ゆるいプリーツの入ったスカイブルーのクレープ ドレスを着て、オズの魔法使いのドロシーのような赤い靴を履き、歩きながら道路沿いの車の窓を叩き割って行く。サウンドトラックは、高い草の生えた野原を、花粉を飛ばしながら歩いているときに歌いたくなる鼻歌のような音楽だ。ここにあるのは賢いエネルギーだ。ビヨンセ(Beyoncé)はこのアイデアを借用したが、プリーツの衣装については、さらに踏み込んだ。「Hold Up」のミュージック ビデオで、ビヨンセが着る、ちぎれたような生地で作られたロマンチックなドレスは、何層にも重なって垂れ下がっており、それが彼女の気分に合わせてふんわりと広がる。私は、こうしたスタイルの選択は誠実なもので、ただ奔放なのではないと思う。プリーツ スカートの象徴的意味を取り入れない手はない。プリーツとは、考えを隠す生地でありながら、彼氏の車を叩き潰したいときなど、気分に任せて本性を晒すこともできる慎み深い手段でもあるのだ。これはむしろ、フェミニスト向けの、論理的なタイプの「ラジカル シック」な装いなのだ。

    プリーツ スカートが秘密に満ちているのなら(私はあなたのプリーツ スカートはそうであって欲しいと思うのだが)、孤児たちに人気なのもうなずけるというものだ。上流階級に身を置く前のイライザ・ドゥーリトルは、丈の長い汚れたプリーツ スカートにコンバットブーツ風の靴をという格好だ。イサドラ・ダンカン(Isadora Duncan)の6人中3人の養女たちの有名な写真を思い出してほしい。Fortunyに特徴的なプリーツのシルエットに、ギリシャ彫刻のような堂々たる佇まいだが、明らかに素足だ。ふと、ダンカンはきちんと養子縁組の書類手続きを終えたのだろうかという疑問が頭をよぎる。あとは、童話に出てくるプラザ・ホテルのエロイーズも。ホテルで暴れまわる彼女はサスペンダーで吊ったプリーツ スカートを穿いている。ルーシー・モード・モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery)の赤毛のアンことアン・シャーリーの、レース編みフリルの襟がついた長袖のドレスという清教徒風ファッションのルーツもここにある。孤児たちはやみくもに純粋さや上品さに憧れるが、幼すぎて人の衣服は摩耗するものだということが理解できない。あるいは、多くの場合、孤児が受け継いだものの中で唯一価値があるのは、その人柄だということが、理解できないのだ。

    ひとつ逸話がある。高校3年生の冬、私が初めてバーナード カレッジを訪れたとき、地下鉄から出ると、私の父は、長い黒髪の女の子の後について行こうと言い張った。彼女はしかめっ面で、バッグは持たずに小脇に本を抱えていた。小学校時代なら、彼女は人付きがいが苦手なせいで皆から仲間はずれにされていたはずだ。「ナポレオンは、余暇の時間は腕組みをしてうつむいたまま学校中を歩き回って過ごしていた」と、ある伝記作家が書いていた。彼女のタータンチェックのプリーツ スカートは地面すれすれに長い。私たちは彼女がコロンビア大学の門に向かっているのではないことを確認して、ついて行くのを思いとどまったのだった。

    時が来て、実際には、晩秋の数ある締切日のうちの前夜だったのだが、私は郵便ポストまで歩いて行き、1通の手紙を出した。バーナード カレッジへの早期専願の申請だ。私はあの頃、大抵ミニのプリーツ スカートを穿いていた。それが寄宿学校での流行りで、当時の私たちはフェミニストたちがその制服を廃止してしまったことに腹を立てていたものだ。もしあの時、私たちにロングのプリーツ スカートを取り入れるようにロビー活動をするだけの賢さがあれば、教育委員会を説得することができたかもしれない。

    Kaitlin Phillipsはニューヨーク在住のライターである

    • 文: Kaitlin Phillips