Willy Vanderperreの「裸のハートランド」

ファッションフォトグラファーの最初の映画は、性的な緊張や地方の孤立を描く

  • インタビュー: Jina Khayyer
  • 動画: Willy Vanderperre

ベルギー出身のフォトグラファーでありRaf Simonsと長きに渡りコラボレーションしてきたWilly Vanderperreは、若者のエネルギーの賢人。彼のキャンペーンのあらゆる作品、そしてAnOther、i-D、そしてWといった雑誌のエディトリアルを通じて、彼は若者のファッションの見方を形成してきた。

Vanderperreの作品は成人のはかない気持ちを艶かしく堂々と表現する。彼の写真の世界は、性的な緊張、デスメタル、そして地方の孤立を反響する。彼のキャリア20年以上に渡り、Vanderperreにとって「若さ」は年齢ではないということは明らかであったきた。それは感情の状態なのだ。それはセクシュアリティなのだ。それは、クリエイティブの流儀なのだ。スタイリストのOlivier Rizzoとともに、Vanderperreは若さをネット世代もそれより上の世代をも共感させる審美眼の勢力として形成してきた

彼の処女作の映画「Naked Heartland(裸の中心地) 」において、Vanderperreは3人の若者がベルギーのBible Beltで育ち、年齢への疑問や問題に葛藤するというストーリーを描いている。Jina Khayyerとの会話で、Vanderperreは存在を表し、どうして彼の映画のテーマ- アイデンティティ、セクシュアリティ、孤独―はいつまでも無くなることがないのか、について語った。

ジナ・カイヤー(Jina Khayyer)

ウィリー・ヴァンダピエール(Willy Vanderperre)

ジナ・カイヤー:「Naked Heartland (裸の中心地)」は若さのダークな視点ですね。どうしてご自身の処女作に悲しく心をかき乱すようなテーマを選んだのでしょうか?

僕にとって、これはただ悲しいという訳ではないんだ。これは、受け入れそして失うということ。幼少期に別れを告げ、純粋さを失うということ。だけど、そうだね。それは心をかき乱すこと。成長する、ということは、心をかき乱すことなんだよね。僕はベルギーの南の、フランスとの国境の近くにある地域の出身なんだ。そこはどんよりとしていて暗く、けれども詩的なところだった。僕の町Meneは、変わった場所だった。肉屋(僕の父はそのうちの一人だった)や、ベーカリー、花屋といった個人経営の店の通りがあった。ギャングがお店に車で乗り付けて襲撃していた。金曜日や土曜日の夜に町に繰り出すことなんてなかった。夜8時以降は、施錠して自宅にいたし、店はどれも窓をバリケードで塞いでいた。そんな場所で育つのは、かなり強烈なことだった。それに、宗教的なエリアもあった。僕はカトリックとして育てられ、毎週日曜日は教会に行かなければならなかった。けれど、皮肉なことにとても幼いときに自分のセクシュアリティを受け入れたんだ。12、13歳のときのことで、それに対して何の疑問もなかった。だけど自分らしさを表現することは難しかった。孤独だったんだ。弱かったというわけではなく、孤独だった。この映画は、同じような環境の同じような若者を描いているんだ。

それ以来、若さを記録してきたんですか?

10代の頃から、だから1980年代からだね。最初にカメラを手にとったのは17歳のときだった。

若さの何が、あなたの心を捉えるのですか?

僕にとって、心捉われることは若さではなく、成人、思春期、青春時代との境目なんだ。それは探求を始めるとき。それは、それまで学んできたことに疑問を抱きはじめるとき。初めての性的な経験をするとき。それは、喜ばしいことかもしれないけれど、とても憂鬱なことでもある。成人というのは、乱暴な時期なんだ。処女と純粋さを失うことは、暴力的な状態だよ。

過去20~30年で若者の価値観やモラルは変わってきましたか?

いいや。それなんだけど、まったく変わらないんだ。基本的なことは決して変わらないんだよ。誰もが愛されたく、何かに属していたい。誰もが自分の世界の中にいる臆病な一匹狼だということ、それが僕の映画のベースなんだ。卒業するときや絆を失うときに着目した。学生のときは、何年も毎日同じ人間に会う。それは特別なつながりであり関係なんだ。そして卒業すると、その絆を失う---その多くが最初のアイデンティティクライシスに伴う残酷な決裂なんだ。

あたなの映画のテーマは、賞味期限が無い、ということでした。私の著作「Älter als Jesus(キリストより古い)において、成人と中年(大人になること)を比較し、特にアイデンティティにおいてどれだけ葛藤し続けるかを提示しています。

誰もが1つ以上アイデンティティを持っていると思うんだ。アイデンティティは成長し、変化する。

今日のあなたは?

僕はあなたと同じように1人の人間であり、人生のどこか真ん中にいて、自分と向かい合ったり、探求したりしている。僕は寡黙で繊細な性質なんだ。けれども、合理的で実用主義的(プラグマティック)にもなれる。常に感情に突き動かされている。とても頑固だし、シャイなんだ。

あなたはハッピーですか?

うん。

幸せ、とはどういうことでしょうか?

自分自身に満足している、ということ。自分の体を心地よく感じていること。幸せは朝起きて後悔しすぎないことにあるんだ。

あなたにとってもっとも大切なことは何ですか?

内観。この映画は自分の内観の結果なんだ。今は自分の個人的な願望と世の中の期待の間のバランスを見つけようとしているんだ。

今、自分がいたいところにいますか?

そうだね、良い場所にいるよ。アントワープはとても良いところなんだ。ファッション業界では、すべてがより良く、より大きく見える。アントワープは静かな町で、自分が地に足をつけたままでいられる。

恐怖や不安と対峙していますか?

それも受け入れないとね。ただ受け入れること。そして、時に恐怖を探求してみるのも良いことだったりするから。

逃げたいと思うこともあったりしますか?

毎日だよ。誰だってそうじゃない?

逃げるとしたら、どんな風に?

社会に対して背いたらどんな風に感じるだろうね。それは今ままでにそんなに辿ってない道。もし背くと、のけ者にされる。だけど、もし新しい社会をつくりだすために既存の社会に背いたとしたら?並列システムだ。

あなたは「おとな」ですか?

いつも、イエスと言わないようにしてるんだけど、たぶんそうだね。だけど、それは一体何を意味する?誰もおとなになるということがそういうことか教えてくれなかった。

「Naked Heartland」は「忍耐強くならなければ、ということは分かってる。待たなければ。」という台詞から始まります。何を待つ、ということですか?

そういうことだよね。僕らは誰もが待っている、そして何を待っているのかということ自体はよくわからないでいるんだ。映画をインターカットするあの台詞を、映画を見る側に宣言しているんだ。それがユニバーサルな感情を揺さぶる。

そして第二のドラマチックな要求がくる。「自分自身を理解したいだけなんだ。」これは誰に向けての発言ですか?恋人、母親、父親、それとも、森羅万象へ?

森羅万象。結局誰もが自分自身に語りかけているんだと思う。例えば僕の映画に出てくる少女は、日記のような感覚で自分自身をビデオで録画している。だけど、それは鏡みたいなものなんだ。10代の頃は、すぐに誤解されていると感じる。自分らしくいるということがとても難しくなり得る時期なんだ。

「ただどこかに属していたいだけ」

それがたいていの人間が求めること。誰もが何かや誰かに属すことを求めている。

アナーキーなポスターのシーンがありました。あなたは無政府主義者ですか?

いや。

神の存在を信じますか?

もちろん、神を信じてる。

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