ジェニー・ツィアカルスより感謝を込めて

Off-White、Stüssy、Bodeとコラボレーションするアーティスト兼ヴィンテージ ディーラーの素顔

  • インタビュー: Elaine YJ Lee
  • 画像提供: Jenny Tsiakals

エディ・スリマン(Hedi Slimane)やキム・ジョーンズ(Kim Jones)にはじまり、有名スタイリスト、コスチューム デザイナー、ヴィンテージ コレクターなど、多彩な組み合わせの友人たちがPlease and Thank You Storeを訪れる。ジェニー・ツィアカルス(Jenny Tsiakals)が作ったこの店は、ロサンジェルスにある巨大なヴィンテージ ショールームであり、「インスピレーションの図書館」だ。運営は完全予約制で、どんなときも一般には公開されていない。

あなたもツィアカルスの仕事がもたらした影響を見ているはずだ。Please and Thank Youを始めてから7年間で、彼女はOff-WhiteからStüssy、GAP、さらにはTargetまで、ありとあらゆるブランドとコラボレーションしてきた。クライアントたちは口コミだけを通じてアポをとり、貴重な衣服を見、手に取って、今取り組んでいるプロジェクトのヒントを過去の資料から得ようと訪れる。あるいは、今や垂涎の的である、ツィアカルスによるカスタムメイドの1着を手に入れるために。カニエ・ウェスト(Kanye West)、エイサップ・ロッキー(A$AP Rocky)、レブロン・ジェームズ(Lebron James)、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)、ファレル・ウィリアムス(Pharrell Williams)、マイケル・B・ジョーダン(Michael B. Jordan)など、数多くのセレブリティが、ツィアカルスが掘り出してきた、あるいは特別にリメイクした服を着ている姿を目撃されている。

「『Please and Thank You』って名前にしたのは、私にとって親切と感謝が何より大切な価値観だから」と彼女は説明する。ツィアカルスの使命は、捨てられたモノたちのストーリーを語り、新しいオーナーにつなげることで、それに命を吹き込むこと。彼女はその行為を「里子に出す」と表現する。それは彼女にとって、クリエイティブな慰めとなるだけでなく、心の安寧を見出すプロセスでもある。仕入れからリメイク、次の持ち主への販売まで、仕事の大部分はコミュニティや人とのつながりがなくては始まらない。そのためツィアカルスの仕事や人生への向き合い方は、新型コロナウィルスのパンデミックによって劇的に影響を受けている。ツィアカルスも、彼女のネットワークも、そしてそれ以外の世界も、自主隔離に追い込まれてしまったからだ。

ツィアカルスはここずっと、人生とビジネスのさまざまな面について再考している。地域の看護師たちのためにマスクを手作りし、韓国ドラマを鑑賞し、間に合わせに作った裏庭のテントで服をリメイクする。そんななか、Please and Thank You Storeの過去と現在、そしてそれがファッションの未来にとって、必然的に意味することについて、語ってくれた。

エレイン・YJ・リー(Elaine YJ Lee)

ジェニー・ツィアカルス(Jenny Tsiakals)

エレイン・YJ・リー:どんな経緯で、Please and Thank You Storeを開いたのでしょうか?

ジェニー・ツィアカルス:ずっとMarc Jacobsで働いてたの。私にとっては家族みたいなものだった。でも2011年に白血病の一種だと診断されて、それから人生と仕事に対する見方ががらりと変わった。医師たちに、生存できる可能性は34%だと言われたわ。余命は4年から6年だろう、とも。その予言をひっくり返すために死に物狂いで闘った。だから、自分に個人的な喜びや意味をもたらさないことは、どうしてもやりたくないの。Marc Jacobsではいい報酬をもらっていたけど、お金は幸福や人生の目的と等価ではないわ。それでこのビジネスを始めたの。

2013年に、フェアファクス フリーマーケットでコレクションを売りはじめた。Marc Jacobsを離れて、ロサンジェルスから引っ越す準備のつもりでね。私、これまでの人生ずっとコレクターだったの。初めて古着を買った10歳の頃から。フリーマーケットでお店を出してるうちに、面白い人や変わった人にいろいろ出会って、そういうすべてに夢中になった。エディに初めて出会ったのも、今もコラボしてるような大勢のクライアントに会ったのもそこよ。そうやって売るのは、長年、レスキューしてきた捨て子のアイテムたちを、それぞれにふさわしい家に送り込むみたいな感じだったわ。

ヴィンテージの仕入れはどんなやり方で?

普段は、月に15日は車で国中を回って商品を探してる。駐車場に停めたバンの中で寝泊まりして、15日間で約6400km以上も走ることもあるわ。それと、全国に転売してくれる業者がいるの。たいがいは、仲良くなった古物商。私、14のときにイリノイ アンティーク センターで働き出したんだけど、今でもそこで会った人たちの大半と付き合いがあるのよ。みんな中西部の人だから、彼らが「これは」と思うのは毛皮のコートとか、プロムのドレスとかなのよね。だから教育しなくちゃならなかった。私にとって一番特別なのは、人々が着ていた、日常の普段着。そういう服こそ本物の物語を持っているの。それが私のお気に入り。

古着は美的センスや文化に基づく選択ですが、それだけでなく、持続可能な環境のための選択でもあります。あなたにとってヴィンテージの重要性は何ですか? そしてPlease and Thank Youの、サステナビリティを推し進める上での役割は?

新しいモノを作る必要はないのよ。もう何もかもあるんだから。Denim TearsやElection Reform、Echhaus Lattaみたいなブランドのために、何百枚も古いTシャツやスウェットシャツを探してるわ。リユース用にね。私たちは、それこそ「ハイプビースト」みたいに、いちばん話題になってる商品を我先に手に入れようと血眼になるけど、手に入れたものを楽しむ暇もなく、すぐ次が出てきちゃうでしょ。限定品が欲しければ、ヴィンテージを買うべきよ。本当に特別な一点物はヴィンテージだから。

ブランドを相手にする、仕入れやコンサルティングの仕事について教えてください。

150以上のブランドと仕事をしてる。超有名レーベルから極小のプロジェクトまでね。私の店は彼らにとって、いわばインスピレーションの図書館になってるの。自主隔離を始める前の最後のアポは、TAKAHIROMIYASHITA TheSoloist.Off-Whiteのメンズ部門だったわ。普通はデザイン チームがリファレンスとか指示書を見せてくれる。私が提案すると、ブランド側はアーカイブを見てアイデアのヒントになりそうな服を探して持ち帰ったり、そこからパターンを起こしたりする。GAPやLevi’s、UNIQLOのデニム チームみたいなクライアントは、ダメージ加工やウォッシュ、カスタムリペアの技法なんかを求めて、着古したジーンズを探しに来る。あとはBodeのためにヴィンテージのファブリックを仕入れたりもしているわ。私が毎日、今日も起きようと思うのは、誰かにひらめきを与えられるモノが見つかるかも、という期待感のおかげ。過去と未来をつなぐものを創造するためのね。

Awake NYのためにタイダイ柄を染めたり、最近ではBrain Deadのためにイラストを描いたりしていますね。ビジネスのための手芸と趣味は区別していますか?

売り物にならない染みだらけのTシャツがいっぱいあって、なんとなくその上に絵を描きはじめたの。皆、すごく気に入ってくれて、そういうシャツはあっという間に売り切れたものよ。Brain Deadは、打ち合わせのとき、メモを取る代わりに紙に絵を描いてたのがきっかけ。なんか生き物をいろいろ描いたら、彼ら、「それもらえます?」って。

私の仕事は私の趣味でもある。それはアートのプロジェクトでも同じ。服を染めはじめたのは、どうなるか見てみたかったから。主に偶然の産物としてね。ブリーチを使った染色がこんなふうにヒットするとは思わなかったけど、今はそこらじゅうで見かけるわね。Targetのデザイン チームと働いたことは、すごく妙な感じがするの。染めた服が、はるばるTargetにまでたどり着くなんてびっくりよ。嘘みたい。

インターネットで買い物をする人がどんどん増えています。ソーシャル ディスタンシング(社会的距離を保つ措置)が長引いた場合、ヴィンテージはオンラインでどのように生き残っていくと思いますか?

今のソーシャル ディスタンシングの時間を使って、自分のビジネスと私自身とのかかわり方や、人々と服とのつながりについて理解しようとしているの。自主隔離が始まったとき、オンラインで販売を始めたほうがいいか自問してみたけれど、出た答えはノーだった。私のビジネスは人とのつながりがすべてだから。それに、今はそうするのは無責任に感じるし。今の時期に私から買いたいという人もいるけど、この騒ぎが収まるまで待ってほしいとお願いしたわ。

自主隔離しているのはどこで、誰と一緒に?

ハイランド パークの自宅にいるわ。飼い犬のジーンと一緒に。裏庭に仕事場を作ったの。倉庫に何百枚もデッドストックのコットン製ミリタリー ライナーがあったから、持って帰ってきたのよ。玉ネギの皮とかターメリックなんかのありあわせの材料を使って染料を作ってる。家にあるものでいろんな染料が作れるの。土だって使えるのよ!こういう状況の中で、日常のリズムを見つけようとしているところ。これは私にとって、創造のエネルギーを充電して、慰めを見つける時間ね―だって私、怖いんだもの

ただ、人と距離をとることや孤独は、実を言うと、それほど苦ではないの。私、イリノイ州のなんにもない田舎育ちだから。中西部の小さな町で育った半分韓国人で半分ギリシャ人の子どもにとっては、孤立も孤独もお馴染みよ。先が見えない中を生き抜くことには、そこそこ自信がある。

お友達や家族とはどうやって連絡を取り続けていますか? クライアントとは?

私のビジネスは私の一部だから、ビジネスと命、その両方の脆さや弱さを受け入れるように、挑戦してるところ。今この状況で、弱さや無防備さをさらけ出すのとイコールなのは、ビジネスの健康を心配することじゃなくて、隣人や友人たちの健康を心配すること。私の傾向として、ソーシャルメディアには、服の写真とその服に関する説明しか投稿してこなかったんだけど、この頃では、自分の個人的な生活のいろんな面を共有するようになった。20年も話すことがなかった人たちに突然、電話をかけたりしてる。文字通りのコールド コールよね。もっといい友人になって、相手の話に耳を傾けることを学ぼうとしているの。(どうやって) 勇気を出すかをね。それってつまり弱さを見せることなのよ。助けを求めて、手を差し伸べて。これは、本当の変化とはどんなものかを思い描き、想像し直すチャンスなの。でも自分の内面が変わらなければ、何も変わらない。

Elaine YJ Leeはニューヨークとソウルを拠点とするライター。オンライン メディア『HYPERBEAST』と『Highsnobiety』でマネジング エディターを務めた。『i-D』『VICE』『Complex』『Refinery29』『office Magazine』に寄稿している

  • インタビュー: Elaine YJ Lee
  • 画像提供: Jenny Tsiakals
  • 翻訳: Atsuko Saisho
  • Date: May 14, 2020