現代性を追い求めるマルセロ・バーロン

デザイナーをミラノのスタジオに訪ねる

  • インタビュー: Jack Self
  • 写真: Lukas Gansterer

マルセロ・バーロン(Marcelo Burlon)のCounty of Milan は、急成長を遂げ、イタリアのファッション界でもっとも活力溢れる現代ブランドのひとつとなった。南米の部族に伝わるシンボリズムとラップトップ美学が混合したトレードマークは、神秘主義とレイブ文化の境界を横断する。

それは、過去にはクラブ キッドであり、現在はクリエイティブにマルチタスクをこなすバーロン自身に共通した、異種の配合でもある。彼のブランドが世界的に支持されている事実は、とりもなおさず、現代サブカルチャーの不定形な性質を証明している。建築評論家ジャック・セルフ(Jack Self)が、ミラノのスタジオにバーロンを訪ね、奇妙で素晴らしいオブジェに取り囲まれながら、バーロンの出自と興味を聞いた。

ジャック・セルフ(Jack Self)

マルセロ・バーロン(Marcelo Burlon)

ジャック・セルフ:アルゼンチン生まれのあなたが、どうしてミラノで仕事をするようになったのですか?

マルセロ・バーロン:僕の父親はイタリア人なんだ。ちなみに母親はレバノン出身。アルゼンチンで財政危機が起きた1990年に、両親はイタリアに引っ越すことに決めたんだ。それで、一からやり直すためにアルゼンチンを出て、家族でアドリア海の沿岸で靴の工場を始めて、家族はみんなそこで働いた。僕は、10代の後半には、日曜日の午後にクラブ通いをするようになってた。クラブ キッドの出来上がり。実際、すぐに、それが僕の本職になったんだ。それから何年かクラブで働いてたんだけど、1998年に、イタリアを旅行してたクラブキッドの一団が、連れ立って僕の村までやって来たんだ。「ここで何やってるの? ミラノに来いよ」って。全員、モデルとか、プラダみたいな大きな会社でデザイナーをやっているヤツらで、僕と同じように若かった。みんなスゴい仕事をしていて、「そうだ、僕もやってみよう」って思ったんだ。

あなたの経歴は、パーティのオーガナイザー、プロモーター、DJでしたね。現在は、クリエイティブ ダイレクター、写真家、ファッション デザイナー。いったいどうやって、すべての仕事を把握しているのでしょうか? 色々な仕事を、どう関連付けているのですか?

僕は大学に行ってない。だから、これまでやってきたことも、今やっていることも、全部、独学なんだ。僕の仕事は、人生への情熱とか、自分の好きなことを追求することから生まれてくる。イベントのプロモーターを長くやってたから、ミラノのパーティ シーンにどっぷりとハマってね。Versaceのためにプリンス(Prince)を呼んだり、グレイス・ジョーンズ(Grace Jones)のコンサートを主催したり。そういう流れで、ファッション ショーの音楽をやるようになったんだ。そこから、音楽のクリエイティブ ダイレクションとデザインが混ざって、どういうわけか自然と、インディペンデント マガジンのスタイリストとして働くようになった。「GQ」とか「Style」とか「Germany」なんかの雑誌で、スタイリングをしたよ。そして、これは自分をクリエイティブに表現できる大切な方法だ、って気付いたんだ。

そこから、どうやって、実際にコレクションを作るようになったんでしょうか?

ソーシャル メディア革命が起きる直前の頃だったけど、それまでの仕事で、僕にはミュージシャン、デザイナー、スタイリスト、DJのエキサイティングで国際的なネットワークができてた。どこか他の国や都市に行くと、いつでも、みんなが僕に会いに来てくれた。1 度だけじゃなかった。それで、気付いたんだ。みんな、僕の音楽とその場限りの関係にする気はないんだ、僕の人生の一部になりたいんだって。僕たちは同じ趣味や信念を共有していた。それなら、自分のブランドを始めるべきだって思ったんだ。僕のアイデアは、グラフィックを通して自分を語ることだった。Tシャツはいちばん簡単なコミュニケーションの方法だったからね。誰だって、1ヶ月に1枚はTシャツを買うから、Tシャツは、僕がやりたかったことを展開していく媒体になった。 僕はデザイナーじゃない。まあ、ファッション デザイナーじゃない。どのインタビューでも言っていることだけど、僕はファッション デザイナーじゃないよ。

ソーシャルメディアに関して私がスゴいなと思うのは、目に見えないコミュニティを、ひとつの具体的なグループとして浮かび上がらせることです。ソーシャルメディア以前だと、何か文化的な動きがあっても、なんとなく感じたり、なんとなく気配に気付くことはあっても、はっきり把握できませんでした。それは自分で何かを仕掛けようとする人にとっても同じで、自分たちのサポーターを目にすることは不可能でした。雑誌や印刷物に関わっている場合も、読者は見えません。だから、自分のサポーターから即レスポンスが返ってくるということは、あなたの仕事や世界での立ち位置に関する見方を、完全に変えてしまったのではないですか?

そうだね。たしかにそうだ。でも、ユニークだったのは、以前の僕の仕事は、多くの人と物理的に近いことが必要だった点だね。クラブの仕事が多かったから、客とは直接触れ合っていたけど、新しい動きなんてのは、あまり感じなかった。今は全員と直接会うなんて無理だから、少し存在を感じなくなっている。今の方が、もっと人と関わっているのにね。

私はあなたの「隠喩的に液体である…」という自分自身の描写に、とても興味をそそられます。

液体は、どこにでも存在して、何にでも浸透する、っていう意味。液体はどんな小さい亀裂の中にも入って行けるから。いろいろな文化領域の全てに共通して流れている生命体だよ。僕がやってきてるのは、それなんだ。自分がやっていることをミラノで理解してもらうのに、当初はとても苦労した。いろんなことをたくさん同時にやっている人に、誰もまだ慣れていなかったから。「New York Times」から僕を紹介するビデオが公開されたときに、まだブランドも始めてなかったけど、初めてミラノ人たちは僕がマルチタスクしてるって理解したんだ。ほんと、大変だったよ。

あなたが使うシンボルやシンボルを使った表現の起源は、どこにあるんでしょうか? とてもユニークで、自然や動物のビジュアルがたくさん登場するし、古代の神秘主義とも関わりがあるみたいですが。

パタゴニアの先住民のシンボルをベースにしているんだ。シンボルひとつひとつが、言葉のように、とても具体的なものを表している。死、生、空、地球、自然、パチャママ(母なる大地)。僕は、こういうシンボルを色々な方法で使うのが好きだし、クラブの精神やレイブのエネルギーを表現するのに、自分たちのシンボルも考案してるよ。

非常にシンプルで古典的なストリートウェアに、シンボリズムをプリントすることが多いですね。あなたにとって、ストリートウェアの影響は重要ですか?

僕はアドリア海のクラブ シーンの中で育ったし、ミラノに移った時には、当時物凄く影響力のあったグラフィティ グループのメンバーになったんだ。グラフィティのアーティストは、ストリートカルチャーとものすごく強く結びついてた。まだアルゼンチンいた子供の時は、テレビがなかったから、レアな雑誌とか映画館で上映されている映画からの寄せ集めの情報に影響を受けいていたよ。そうしたものが、徐々に、ストリートで発展していったんだ。

僕がいちばん好きなのはエレクトロ ミュージックだけど、ヒップホップのDJをしてた時期には、ラッパーたちと付き合っていたんだ。今は彼らとコラボレーションしてるんだから、面白いよね。そういうことで、ストリートカルチャーは、僕には超重要だ。今じゃ、ファッションとストリートウェアを分けて考えるのは奇妙な感じがするね。ファッションとストリートウェアは、どちらも同じものになってるんだから。僕らは今、ビッグネームのブランドのすぐ横に立っているん。僕らの競争相手は、僕がかつて仕事をもらっていた、頂上にいる人たちなんだ。

でも、ある意味で、その裏の面もありますね。ストリートカルチャーは、以前は、他とははっきりと異なるサブカルチャーでした。全くメインストリームではありませんでした。だから、「オルタナティブな選択肢」という可能性を提示していました。現在の利点は、サブカルチャーがハイカルチャーやハイファッションと全く同じものを売るということ。でも欠点として、本当に異なる文化になるのがとても難しいことです。

そうだね。でも、今はインターネットがあって、何もかも、どんどんグローバル化されている。アンダーグラウンドはもう存在しないと言う人もいる。まあ正しいと言えば正しいよ。世界でアンダーグラウンドが唯一まだ存在するのはベルリンだ、って時々耳にするけどね。でも、それも本当じゃない。グローバリゼーションで、もう無くなっちゃったよ。

でも、それはまだ、比較的最近の現象なのではありませんか? ここ5年でも、多くのことが変わってきました。とくにインスタグラム(Instagram)、エアビーアンドビー(Airbnb)、ウバー(Uber)以降は、何もかも変わりました。

うん、見ていてとても興味深いよ。大学で講義をして、学生の論文を指導をしてるんだけど、素晴らしい経験だ。何度か見かけたんだけど、僕のことを書いている人がいるんだ。僕の仕事を掻き集めた、カタログみたいな本なんだ。3年前にインスタグラムでブランドを始めたばかりなのに。

それは知りませんでした。どうやってインスタグラムで始めたんですか?

初めて写真を公開したのはマイアミで、僕のTシャツの写真だった。プッシャー・T(Pusha T)が、僕の翼のTシャツを着た写真をポストしたから、僕がリポストしたんだ。そこからすべてが始まった。よく覚えてないけど、5,000人ぐらいのフォロワーが何十万人に増えた。これはグローバリゼーションのなせる技だよね。グローバリゼーションには、いいことも最悪なこともある。ハイプの中で自分を見失わないように気を付けないとね。そこが、質がすごく低下する瞬間だからね。

ハイプの中心には、ほとんどの場合、とてもわずかな人しかいません。そういう超有名人は、自分が語りかけている相手のことをきちんと考えているのか、時々気になることがあります。

影響力を持つことは、大きな責任なんだ。僕は毎日、多くのファンからメッセージをもらう。彼らは僕のことを、人間として、企業家として、手本として見ている。だから、僕は、サポートしてくれる人たちに義務があるんだ。彼らとの関係を育てて、発展させることが、ほんとに大切だよ。僕は、量より質が好きなんだ。僕はずっとインディペンデント マガジン、インディペンデント デザイナー、インディペンデント アーティストたちと仕事をしてきた。商業目的のブランドがアプローチしてきて、彼らのビジョンに合わせて欲しいと言われても、僕は自分の音楽やスタイルを貫くって答えるよ。そうじゃないと、意味がないから。

ちょっと単純な質問に聞こえるかもしれませんが、今を生きる意味とは何でしょうか?

実は、3日前に40歳になったんだ。

それはおめでとうございます。

ありがとう。ますます、僕は生活に質を求めるようになってきた。何事においても、ベストな質。人間関係も、人も、経験も。美しい人生を送ることを中心にしてるんだ。今までずっと、欲しいものは闘って手に入れてきた。与えてくれる人なんて、誰もいなかったからね。でも、僕にとって、今を生きる意味は共有だな。僕が所有するものすべてを、自分のまわりにいる人たちとシェアしてる。ラッパーたちがクルーを引き連れてるようなもんだ。アルゼンチンに自宅と農場を建設中なんだけど、友達をみんな連れて行けるように、ベッドルームが10室の設計だよ。誕生日のパーティは、友達への愛を宣言する場になった。僕にとっては、これが今を生きることだよ。身近な人と抱き合って、良いものを作り上げていく。

あなたは自分のブランドにおいても、きちんとポジティブに目を向けていると思います。ブランドの見せ方にとっても、核心的な部分ですよね。

キャスティングでも、世界中から友達を集めて、キャットウォークに参加してもらってる。前回のショーには、ミッキー・ブランコ(Mykki Blanco。トランスジェンダーのアメリカ人ラッパー)が来たんだ。彼は僕らの理念を完璧に表してるから。でも、人生で偶然に出会った人たちも招いたんだ。僕たちは今、とても特別な時期に生きていると思う。このままの状態が長く続けばいいね。とてもポジティブな時期だから。

では最後の質問です。自分の仕事を一言で表現すると?

現代。

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