マリーン・セールの野望

LVMH優勝者が、カウンターカルチャーからファッション震源地への移行を語る

  • インタビュー: Jina Khayyer
  • 写真: Maria Ziegelböck

パリはいつも浪漫に満ちた街だった。目標に向けて情熱を燃やし、質素な生活に耐えるクリエイターたちが、いつの時代も溢れていた。若き日の詩人ランボー(Rimbaud)には寝る場所さえなかったが、パリを彷徨いながらもっとも美しい散文を書いた。20代始めのピカソ(Picasso)は、アーティストたちがねぐらにしていたモンマルトルの暗い汚い部屋に居座って、「アビニヨンの娘たち」を描いた。グレタ・ガルボ(Greta Garbo)からステファニー・シーモア(Stephanie Seymour)まで、時代を代表する美女を飾り続けたアズディン・アライア(Azzedine Alaïa)は、20年間ちっぽけなアトリエで働き続けた。1965年、フランス系アメリカ人ソングライターのシャルル・アズナブール(Charles Aznavour)は、「ラ ボエーム」でセーヌ川右岸18区の揺るがぬ信念を抱く若者たちを歌った。自らの野望だけを見つめた若者たち…。2017年の秋のある日、地下鉄4号線の終点、ポルト ド クリニャンクールから2ブロックのパリ18区で、「ラ ボエーム」の歌詞が蘇る。

マリーン・セール(Marine Serre)と彼女のボーイフレンドでありビジネス パートナーであるペペイン・ファン・エーデン(Pepijn van Eeden)が暮らすちっぽけなアパート兼アトリエの建物へ着いたとき、決まり文句とロマンチックに理想化されたパリ、そして駆け出しのクリエイティブな若者たちが私の頭に浮かんだ。エレベーターで真っ直ぐ彼らの階へ上る。狭い玄関に部屋がふたつと小さなキッチン。出迎えてくれたマリーンとペペインは、シャワーから出てきたばかりらしく、髪も濡れたままだ。とても小柄なマリーンは、ブラウンの瞳にショートカット。弱冠25歳のこのフランス生まれのデザイナーは、ブリュッセルでファッションを勉強しているとき、政治学の博士号を目指していた長身でハンサムなオランダ人ペペインと出会った。

午前9時。朝食のテーブルに、クロワッサン、パン オ ショコラ、コーヒー、オレンジジュースが並べられる。部屋は服を吊るすレールで囲まれている。ミシンが載ったテーブルがふたつ、一鉢の観葉植物、おびただしい量の服、生地、型紙、靴がある。「散らかっててごめんなさい。それに朝早くから申し訳ないわね」。マリーンが謝る。「でもスタッフがもうすぐ来るの。2番目のコレクションの発表までにあまり日数がないから、やることがいっぱいあって」

この慎ましいアパートも、前のアパートよりは出世した。マリーンが LVMHプライズで優勝した後、つい最近ここへ引っ越してきたばかりなのだ。ファッション界の若きデザイナーに与えられるもっとも権威ある賞のひとつ LVMHは、優勝者に指導と賞金 30万ユーロを授与する。アートとデザインで有名なベルギーの国立学校「ラ コンブル モード」で学んだマリーンは、卒業制作の「Radical Call for Love」で LVMHプライズを受賞した。

ブリュッセルでの学生生活からパリ ファッション震源地への思いがけない道のりを、マリーンとペペインが初めて語った。

マリーン・セール(Marine Serre)

ペペイン・ファン・エーデン(Pepijn van Eeden)

マリーン・セール:私はフランス中部の小さな村の出身なの。コレーズの近くよ。ファッションを勉強したいって自覚したとき、パリには行きたくなかった。当たり前すぎるから。大都会の首都で暮らしたいとも思わなかったし。だからマルセイユへ行ったわ。それから2年経って、新しい場所へ移る時期が来たと思った。ファッション業界にはまったく無知だったから、もう少し現場を知る方がいいなとも思ったの。洋服と洋服の作り方はすごく勉強してたけど、そのほかのことはてんでさっぱりだったのよ。良い学校を探したんだけど、セントラル・セント・マーチンズは高すぎて駄目。結局、ベルギーの国立のラ カンブルに決めたわ。私にはぴったりの学校だった。

ペペイン・ファン・エーデン:僕はアムステルダムで政治学を勉強したんだ。卒業後、博士号をとるためにブリュッセルへ移って、マリーンと会ったときは欧州緑の党の仕事をしてた。

ブリュッセルの2年目に彼に出会ったのよ。私はまだ学生。住む世界がまったく違ってて、それがすごく刺激だったわ。

僕は、マリーンのおかげでファッションに興味を持つようになったんだ。

だけどペペイン、あなたにはスタイルがあったし、ファッションに対する情熱もあったじゃないの。いつもエキセントリックな格好をして…。

アムステルダム時代の僕は、急進的な活動に参加していたから。ファッションは主張を表すひとつの形態だし、それに、あらゆるものは政治的側面をもってるんだ。

モデル着用アイテム:ブーツ(Marine Serre)ドレス(Marine Serre)

私は卒業までに5年かけたの。だから、自分の立場とやりたいことが十分に分かってた。学生時代にずいぶん見習いもやったのよ。Alexander McQueen、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)、それからラフ・シモンズ(Raf Simons)時代のDiorも。パリのファッション界にコネはなかったけど、一生懸命働けば必ず得られるものがあることが分かったの。ブランドへ応募するのも平気だったし、恥ずかしくもなかった。最初の頃、唯一問題だったのは英語がすごく下手だったこと。でもペペインが助けてくれて、どんどん上達したわ。

マリーンの卒業ショーは圧倒的な突破口だったね。あの場に立ち会えたのは素晴らしい経験だった。僕は何もしないで、全部マリーンがやったことだけど。

モデル着用アイテム:ブーツ(Marine Serre)スカート(Marine Serre)

「Radical Call For Love」の準備に取り掛かったのは、パリとブリュッセルのテロの後。「現代のデザイナーとして、私は何をすべきなのか」って自問してた。ああいう出来事の後で、平然とスカートを作ってるわけにはいかなかったもの。とにかく私は昔の服、特に19世紀の洋服が大好きだったから、ブリュッセルの公立図書館でリサーチしてみたら、19世紀の服とモロッコと街で見かける人たちのつながりが見えたの。その視点から体系的に発展させていった。「Radical Call For Love」 のテーマは情熱と価値よ。

どのカップルもそうだろうけど、僕たちもマリーンの仕事についてよく話すんだ。マリーンの仕事の仕方は僕に影響を与えるし、僕もマリーンに影響を与えてる。

ファッションだけを作るんじゃないと思うの。例えば、「Radical Call For Love」の画像を制作してくれたフォトグラファーたちは私の親友よ。一緒に出かけてビールを飲みながら、イメージの構想を練ったわ。「Radical Call For Love」を作ったときは、ブランドを立ち上げるなんて考えてなかった。ただ服を作ってた。シルエットの展開に関心があったし、現代という時代を反映させたかった。私が使うカットは、スポーツウェアとかクチュールにも関連付けられるものが多いの。 ハイブリッドな洋服とかハイブリッドなスタイルが好きよ。だけど、いちばん大切なのは、日常生活で着られること。現実と繋がっていることが、私には重要なの。毎日の生活との関係はすごく大切。理由もなく複雑な服を作る気はしないわ。

マリーンの卒業ショーには、ファッション界のそうそうたる顔ぶれが並んだんだよ。The Broken Armや 『i-D』マガジン、グレン・マーティン(Glenn Martens)、デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)…。

その後、Balenciagaからの申し出があったの。だから私はパリにいる。

マリーンの決断には、僕は一瞬たりとも疑問をはさまなかった。何年も勉強したんだから、仕事にして、実践に移すべきだよね。

次に、The Broken Armと出会って、ファッション ウィーク期間中の彼らのショー ウィンドウのインスタレーションを頼まれた。それと、The Broken Arm限定の小規模なカプセル コレクションの制作。それ以来、私たちは一緒に少しずつブランドを育ててきたのよ。

まったく圧倒されたよ。みんながコレクションを買いたがってるのに、僕たちは値段のつけ方さえ知らなかったんだから。SSENSE、Dover Street MarketやOpening Ceremony、中国のショップからも引き合いがあった。とにかくクレージーだった。

私は影響の大きさが分かってなかったの。「素敵。みんな私の服を買って着たがってる」という程度に考えてた。「目の前にチャンスがあるんだから、掴んでみよう」って気持ち。だから取引を全部引き受けて、作り始めた。強烈な集中期間だったわ。なんせ、チームは私たちふたりだもの。私はBalenciagaの仕事も続けてたから、自分たちのブランドの仕事は基本的に夜しかできなかった。

そしてLVMHに応募した。

あれは、The Broken Armのショー ウィンドウのせいだったのか、卒業ショーが目に留まったのか、今でも分からない。とにかくLVMHのヘッドハンターって人から連絡が来て、賞に応募するように誘われたの。

どうやってマリーンのことを知ったのか、尋ねたけど教えてくれなかったね。

ちょっと現実離れしてたけど、応募したわ。受賞するなんて全然思ってもいなかったから、簡単にね。応募した人が1200人もいて、私が最年少。おまけにたったひとつのコレクション、それも卒業コレクションしか経歴がない。優勝どころか、入賞することも考えなかったわ。ところが優勝しちゃった。

いい話だよね、ロマンチックな感じで。だけど、ご覧のとおり、僕たちは朝早く起きてよく働くんだ。たいてい5時間くらいしか寝ないな。

私は絶対妥協しないの。シルエットを作るときも無駄は一切なし。スポーツウェアとクチュールをミックスするときは、あらゆるディテールを考え抜いてシャープに仕立てる。私がやることは全部、愛と情熱から生まれるの。誠実だってことが分かるはずよ。自分の仕事を愛してるし、そのために一所懸命働く。それがみんなの心に触れるんだと思うわ。

マリーンはタフなんだ。

モデル(左):ショーツ(Marine Serre)

自制心はすごくあるわね。テニスをやってたからよ。3歳のときから16歳になるまで、放課後毎日プレーしてたの。日曜日も。スポーツの規律にも一種の反復があるし、ファッションの規律にも一種の反復がある。スポーツは、それを取り巻くカルチャーも含めて、私にはとても大切よ。私の服にも関連性が現れてるわ。

テニスからは、とっても重要なことをひとつ学んだ。「1度に1つのボール」。テニスを始めたばかりの小さい頃は、負けるとすごく腹が立った。「目の前に来たボールをひとつずつ拾っていけばいいんだよ」っていうパパの言葉をようやく理解したとき、テニスも上達したわ。試合に勝つことを考えないわけじゃないけど、2年後に来るボールのことは考えない。今目の前に来てるボールの代わりにそっちのボールを見てたら、試合に負ける。焦点を絞って冷静を保つ方法よ。そうすれば上手く動ける。どんどん物事が変化していくんだもの。去年はブリュッセルの学生だったのに、今はパリのファッション デザイナー。

まさにその通り。僕も今じゃビジネスマンだ。

モデル着用アイテム:ブーツ(Marine Serre)

LVMHの審査員の前で、自分と自分のやりたいことを説明しなきゃいけなかったときのこと、覚えてるわ。ファッション界でいちばん有名な人たちばかりの前で、どう始めたらいいか分からなかったら、笑顔にしたの。あれはいいスタートだったわ。その後、フィービー(ファイロ / Phoebe Philo)もカール(ラガーフェルド / Karl Lagerfeld)もニコラ(ジェスキエール / Nicolas Ghesquiere)も、ビジネスと生産についてたくさん質問した。私だけで生産を処理できるか、期限どおりに納品できるか、知りたがったの。「オーケー。作品は素晴らしい。だけどビジネスというハードの面にどう対処できるのかな」って誰かに言われて、「ええ、難しいですけど実現させます」って答えたわよ。面接が終わったときは、みんな笑顔だった。

一気に期待が高まったのは分かってるけど、僕たちはオーガニックに進みたいんだ。

2番目のコレクションのタイトルは「CORNERSTONES」。まったく新しいコレクションではなくて、 これまでの創作を進化させた内容よ。

エキサイティングなプロジェクトが山積みなんだ。ちゃんとしたアトリエが必要だから、もうすぐ引っ越すつもりだよ。

そうね。先ず目の前のボール。それから、次。

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  • インタビュー: Jina Khayyer
  • 写真: Maria Ziegelböck
  • スタイリング: Rike Hemedinger
  • モデル: Catharina, Gina / Wiener Models
  • 写真アシスタント: Lisa Edi
  • 制作アシスタント: Martina Lajczak