体験レポート:Loeweのスリッポン ローファー
映画と言葉遊び、有言実行の靴に
ソーラ・シームセンが迫る
- 文: Thora Siemsen
- アートワーク: Camille Leblanc-Murray

作家のローリー・ムーア(Lorrie Moore)はその処女小説『Anagrams(邦題:あなたといた場所)』の中で、ヘテロセクシャルな友人同士、ベンナ・カーペンターとジェラード・メインズの運命を追う。ふたりの初めてのセックスは、「衝動的で、溺れるような、失敗する運命」に感じられた。ここで見られる、新たな言葉を作り出すためのアナグラムのような登場人物の配置は、著者の解釈では「新たな世界を作り出すため」なのだと、ムーアは1986年の『Times』紙で語っている。これは、男と確信のもてない関係をだらだら続けているときに読むのに、もってこいの本だ。登場人物の過去のエピソードに絡めた服の描写もいい。その中に、ひとりの人物が 青く照らされたダンス フロアにはまっていくにつれ、スニーカーから遠ざかるエピソードがある。「今や彼は、弟のルイスが『硬い靴』と呼んでいたもの、革靴を履いているのだ」

Lorrie Mooreの小説『Anagrams』、冒頭の画像:階段を上るThora Siemsen、写真:Kenta Murakami
新品の革のローファーが入ったシューズ ボックスが私のもとに届いたのは、4月の初頭だった。ボックスのロゴ マークは、ブランド初代のロゴではなく、ドイツ人カリグラファーで書体デザイナーのバートホールド・ウォルプ(Berthold Wolpe)に捧げるオマージュとして、新たにデザインされたものだ。「Loewe」と綴る。ドイツ風だ。読み方は「ロエベ」で、1846年にスペインの数人の皮革業者によって設立されるが、この名前になったのは、1876年、ドイツ生まれの職人エンリケ・ロエベ・ロスバーグ(Enrique Loewe Roessberg)がメンバーになってからだ。2013年からクリエイティブ ディレクションを行なっているジョナサン・アンダーソン(Jonathan Anderson)の下、デザイン事務所M/M (Paris)が、ドイツからやってきた、このふたりのレガシーを結びつける書体を選んだ。スカーフからポンポンのついたセーターまで、一連の衣類にあしらわれたこのロゴが「アナグラム」だ。4つの「L」の記号は、牛やレザーに焼印を押すために使用されていた鉄から着想を得ている。
素材はバフ レザーで、同系色のステッチをあしらったモックトゥに、グレイン レザーのかかとが踏めるようになったこの靴は、Loeweが出しているローファーにしてはシンプルな方だ。かかとが踏めるようになったデザインは、アンダーソンのちょっとしたお気に入りらしく、そうしたスタイルの靴がいくつか、2019年秋コレクションのパリのランウェイにも登場している。ちなみに、このコレクションに出ていた服を見た『ヴォーグ』誌のサラ・モワー(Sarah Mower)は、「本筋から離れて自由に連想」したくなり、「近くで見たくなる」と考察していた。アンダーソンは器用にも、このローファーの変化バージョンとして、カーフスキンのアンクル ブーツ、そしてクロコ型押しのレザーにクリスタルカットのアクセントをあしらった造形的なヒールもデザインしている。よりドレッシーなスモーキング シューズである。おまけに、届いたLoeweのパッケージの色が、スペイン語で煙を意味する「ウーモ」という名前のオフホワイトで、この会社が革製のタバコ ケースを作る職人を起源に持つことを思い出させてくれる。手元のLVMHの説明を見ると、ブランド側はこれを「Loeweの新たな言語」と呼んでおり、この色は「図書館にある美しい研究書のページを参考にしている」ともある。そこで、私はこの「ウーモ」カラーの靴箱を寝室の本棚に立てかけた。
私の革靴には、Loeweの「アナグラム」のマークは入っていないどころか、見えるところには、ブランドがわかるような印が一切入っていない。バンプには、確かに硬貨も入りそうな、切れ込みの入ったレザーのストリップがついているが、デザインはペニー ローファーに近い。この名前の由来は、1930年代に緊急電話にかかる電話代が、靴のダイアモンド型のスリットにぴったり収まることで定着したという 説が有力だ。なにしろ、大学生の定番アイテムの元祖、ウィージャン ローファー (ノルウェーのという意味のノルウェージャンを縮めた呼び方) をアメリカのG.H. Bass & Co. が本格的に販売を始めたのは、1936年のことだったのだから。『T マガジン』の記事の中で、ファッション ジャーナリストのナンシー・マクドネル(Nancy MacDonnell)が、「あまりに多くの女性が、男用サイズの靴を購入して履いていたので、[創設者の] ジョージ・ヘンリー・バスは、2年後には、オリジナルのデザインとそっくりの女性用バージョンの販売を始めた」と書いている。
私のローファーも男用サイズで売られているが、それはこの話とはあまり関係ない。4月半ばのある晩、本屋で開かれるアイルランド人の作家、サリー・ ルーニー(Sally Rooney)のイベントに行くため、Levi’sのハイライズの黒のスキニーとMarni のチャコール グレーのオープンバックのセーターに合わせて、私はこのローファーをおろした。会場で観客席の後ろの方に立つ。このトークは、ルーニーのいちばん最近の小説『Normal People』に焦点を当てたものだ。司会が主人公についてコメントする。「マリアンはフラット シューズを履いてますよね。彼女はブサイクだと思われています」。小説でブサイクだと思われているのは、むしろマリアンの靴の方だ。私が架空のマリアンと自分を重ねるのは初めてではない。とはいえ、この場合、私が頭に浮かべるのは、もっと衝動的なくせに、永遠に愛に溺れ続ける人物、ジェーン・オースティン(Jane Austen)の小説に出てくる、ダッシュウッド家のマリアンの方だ。彼女はローファーなど履きはしなかっただろう。

Sally Rooneyの小説『Normal People』
ローファーをいかにも履きそうで、現に履いていたのは、小説よりも奇妙な事件を起こした男であり、その名をバーニー・マドフ(Bernie Madoff)という。ポンジ スキームの詐欺師のお気に入りは、ベルジャン シューズと呼ばれるローファーだった。この靴は、前面についているリボンで、私の持っているタイプのローファーと区別されることが多い。2009年、中程度の警備のノースカロライナの連邦刑務所における150年間の服役が始まる前、マドフは、オーストリッチ スキンでできたものから、クロコダイルでできたものまで、300足以上のローファーを所有していたと言われている。偶然にも、このベルジャン スタイルのローファーが、今、ストリート スタイルとして復活を見せている。これを履いたクロエ・セヴィニー(Chloë Sevigny)はとても素敵だし、同じように、ファッション デザイナーのアイザック・ミズラヒ(Isaac Mizrahi)も、Supremeの元クリエイティブ ディレクターでNoah NYCの創設者、ブレンドン・バベンジン(Brendon Babenzien)も素敵だ。ちなみに報道によれば、マドフは現在、販売部での仕事に就き、そこで「シャワー室で履くためのスニーカーやスリッパ」を売っているそうだ。
犯罪者を間近に観察することは、小説の生き生きとした登場人物を作り上げるために必要な細心の注意を払うことと、似たようなものなのかもしれない。私が最近本棚に加えたオーストラリアの作家、ヘレン・ガーナー(Helen Garner)にとってはそうで、彼女はその両方を実践している。この作家の判断は個人のスタイルにまで及び、去年のあるインタビューで、ガーナーは次のように話している。「私には履いている靴のために軽蔑している人たちがいるの。彼らのことを好ましくない人物と判断している。しかも、それはセンスに対する判断ではないの。むしろ…ある種、倫理的判断というか。靴の好みによって立ち現れる、その人たちの道徳的資質を問うているのよ」
レザーのローファーは、靴のどんな目的にも適う。アイビーリーグやウォール街といったエリートの世界だけではなく、ショー ビジネスの世界のイメージもある。ビヨンセ・ノウルズ=カーター(Beyoncé Knowles-Carter)は、2012年、『ピープル』誌が発表している「世界で最も美しい女性」で表紙を飾った際に、「ヒールを履かなくなる日が来るなんて、思ってもみなかった」と話している。さらに、当時は振り付けの練習もヒールを履いて行い、バック ダンサーにも同じことを要求することで知られていた彼女だが、30歳で初めて母親になって「子どもができた今、この私がローファーを買っている」と話した。そんな現役の最も偉大なエンターテナーが活動休止中に選んだのは、Nicholas KirkwoodやAlexander McQueenのローファーだった。
ローファーは数々の映画にも登場する。少なくとも、映画の中でローファーを履いていると、金持ちの人物も良く見える
ローファーのサヴォアフェールというのは、その地域と深い関連性がある場合が多い。1984年以来、ローファーがメトロポリタン美術館の永久収蔵品になっているGucciは、2017年に、ダッパー・ダン(Dapper Dan)のストリート スタイルを逆に盗用してみせ、これが大きな話題になった。このハーレムのデザイナーの花柄ローファーは、ファッション業界のはるか先を行っていた。イタリアのファッション ブランドの方が自らの非を認めた結果、ハーレムに住むクチュリエのアトリエは、Gucciから素材を提供されて、再開することになった。昨年、このパートナーシップを記念した『GQ』のインタビューでダッパー・ダンは、ずっとアイビーリーグ スタイルの「優等生ぶった奴ら」に恐れを抱かせてきたと話しており、ついに「詐欺師のスタイルが勝った」ことを指摘している。
セントラル パークの反対側で、革靴をお供に、私はフィクションの世界に出かけた。映画に履いていったのだ。ローファーは数々の映画にも登場する。少なくとも、映画の中でローファーを履いていると、金持ちの人物も良く見える。スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)は、ホイット・スティルマン(Whit Stillman)監督の映画を高く評価しており、中でも『バルセロナの恋人たち』を「語りで物語を進展させる新たな手法」と評した。スティルマンの映画の登場人物たちの多くは、話す通りに行動し、ローファーを履いている。『ラスト・デイズ・オブ・ディスコ』、『メトロポリタン』、『バルセロナの恋人たち』からなる、ゆるいタッチの彼の風俗喜劇3部作は、「恋愛ものとして描かれた、運のつきたブルジョワ」の映画と考えられている。1994年の『バルセロナの恋人たち』で、彼は、ブルージーンズに、黒の皮のローファーを履き、午後になると友人たちとテラスに出てフラメンコを踊るような、ブラブラしている女性を完璧に描き出している。ジョナサン・アンダーソンによる、スペイン産のライムストーンで作られたコンセプチュアルな旗艦店、マドリードの「カサ ロエベ」の写真は、まるでスティルマンの映画のセットみたいだ。そして私のLoeweのローファーは、映画の効果音にでも使われそうな、コツコツという音を響かせる。まるで音響効果マンが考えた理想の靴音のように。
大抵、私はこのローファーを仕事に履いていく。この靴は、チェルシーのギャラリー受付嬢の服装規定にも適っている。つまり、黒だからだ。ある意味、この靴は私のスタイルとしては完璧だ。実用的で、中でも外でも履きやすい。4月の終わり頃、夕食の帰り、友人のデイヴィッドが家まで歩いて送ってくれているときのこと。ひとりの男が大声で話しかけてくる。「その靴いいね」。彼が声をかけたのは、ラフ・シモンズ(Raf Simon)がCalvin Kleinで手がけた最後のコレクションの、つま先にメタルのトゥ キャップのついたティール ブルーのレザー ブーツを履いたデイヴィッドの方だ。不意に、このローファーをありがたいものに感じた。これは他人の視線を反らしてくれる。今夜、この赤の他人である彼は、どんなに気の優しい人であったとしても、私に向かって何も大声で話しかけてはこなかったのだから。
Thora Siemsenは、インタビュアーおよびライターとして、ニューヨーク シティで活動している
- 文: Thora Siemsen
- 翻訳: Kanako Noda
- アートワーク: Camille Leblanc-Murray