体験レポート:Pradaのキトン ヒールと初恋から情事まで
ケイトリン・フィリップスが実用的な靴を履いて考察する括弧つきの市場調査

1953年6月、シルヴィア・プラス(Sylvia Plath)が電車に乗ってニューヨークへ赴いたとき、彼女は「Revlonのチェリーズ イン ザ スノウの口紅に、黒のエナメル レザーのキトン ヒールで身を固めていた」と、ある伝記作家は書く。これらは、グローバルな都市で24時間欠かせないアイテムだ。鮮やかな赤の口紅に実用的なヒールなら、照明によって、慎み深さも純情さも演出し分けることができる。(デリを照らす蛍光灯の明るさは、カクテル ラウンジでそっとベールをかけられたスコーンとは相いれない。) 同様に、ミュールやクロッグも、庶民的で不快感を与えないアイテムだ。だがこれらの靴には、キトン ヒールに備わっている、オフィスでも使え、夜の情事にもゴールデンタイムのテレビにも使えるような、多様に変化する機能性が欠けている。
キトン ヒールなら、ヒールが10cm以上のLouboutinに合わせるには個性的すぎるような格好だってお手のもの。例えば、ケープ (おばあちゃんのブローチで前を止める)、素足にプラスチックのレインコート (傘は持たずに)、ガリアーノの新聞プリントのドレス (思わせぶりに小脇に新聞を抱えて)、フリルのついたエプロン ドレス(ストーブには雑誌がいっぱい)、モフモフした動物のキーチェーンの重ね付け、フワフワに盛った髪型も問題ない。気取った服を着ていると、キャリアだって短絡的に考えやすくなるものだ。Lucienでのビジネスランチも、会員限定『アフター・アワーズ』の昼間の上映会も準備万端、次から次へと華麗にこなせる。つまり、キトン ヒールを履くと、頭で考える以上に、ずうずうしいことがしたくなってくるのだ。車を運転しない全世代にとって、キトン ヒールは「運転用のヒール」でもある。(ちなみに、私の知る限り、グレース妃が車の運転中に崖から転落して亡くなったときに履いていた靴が何だったかは報告されていない。だが、私はキトン ヒールではなかったかと思っている)
数ミリ高くなったヒールとゴム引きしたPradaのロゴは、溌剌と自信に溢れた態度でいることを私に要求する。試合中のような感じではなくて、試合後の、ラケットを肩に担いで膝には草がついているようなあの感じだ。(あなたは、何気ない仕草でラクロスのラケットを振り回している男の子にキュンとしてしまったことはないだろうか)
キトン ヒールを履くと、頭で考える以上に、ずうずうしいことがしたくなってくる。なぜなら、キトン ヒールは車の運転をしない全世代のための「ドライビング ヒール」だから
私は、黒のBalenciagaのレギンスに、元彼のお父さんからくすねたXLサイズの白のボタンアップシャツを合わせて、しょっちゅうこのPradaを履いていた。念頭にあったのは、エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)のスラックス姿、そしてベランダで過ごされた時間だ。参考にするデザインとしては、黒と白のサドルシューズを心に刻んでいる。1920年代のゴルファー向けのスポーツ シューズだ。気品のある女性 (Manolo Blahnikのバックベルトのパンプスを履いているような) が、午前中に アップタウンの美術館に出かける姿を想像してみてほしい。同じように、私はこのPradaのキトン ヒールを履く人もこのような女性の類として思い描いている。映画『はなればなれに』の中でルーヴル美術館を駆け抜けるシーンのアンナ・カリーナ(Anna Karina)の心意気である。思うに、これらの靴には、以前ミウッチャが、偽物のPradaショーに顔を出してほしいと頼んできたグラフィック デザイナーに対して言ったジョークが詰まっている。「ファッションにおけるアイデアって何?ちょっと20年代風で、ちょっと60年代風で、ちょっと馬に乗ったロシア人女性って感じでしょ」。さすがミウッチャ!(私は、映画『メランコリア』を見て以来、乗馬する人のように見えるスタイルを目指していたものだ)
1960年代に発明されたキトン ヒールは、大人になるのが待ちきれない若い女の子たちの憧れを満たすため、作られた。当初は「プリンセス ヒール」として売り出されたのだが、今なお、恋人のネックラインや、ピーターパンの色合いや、教会の日曜学校や、ヴィクトリア朝時代を模した鍵のついた日記や、籐のバスケットに入った子猫の兄弟たちや、バレンタインや、「Prada Marfa」の作品が設置されたテキサスを思わせる。

キトン ヒールは、かつてシントラ・ウィルソン(Cintra Wilson) が、Pradaの「ホルモンの影響による精神錯乱」と呼んだものと完璧にシンクロする。この靴は、チューダー様式の家で過ごす少女時代の甘ったるいオーラに、ヒールを履いてひょこひょこと歩きたくない女性の現実的な女性らしさが合わさったものだ。最悪なデートの後で、歩いて家に帰る女性のためのヒールなのだ。夜にひとりで通りを歩く女性。これこそ、ミウッチャが最近のコレクションでインスピレーションを得たという「気分」なのだ。あなたにUberを呼んでもらわなくたって結構! という女性にぴったりだ。自転車の補助輪、スポーツブラ、歯の矯正やタータン チェック模様の中学の制服とは違い、キトン ヒールは大人の女性のための機能的な第二の生命を与えられている。
子どもの憧れるファンタジーを満たす役目を超え、キトン ヒールは、「1960年代のローヒール運動」を掲げるフェミニストたちにも取り入れられた。当時の女性たちは、機能的な靴を履くことが、「ピンヒールを政治的に拒否すること」と合致すると考えたのだ。 エレナ・フェランテ(Elena Ferrante)のナポリの物語の1ページには、ミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)自身が、1960年代のイタリアの政治的混乱の中、積極的に声を挙げていたことが記されている。政治学で博士号を取得したことで知られる彼女は、Saint Laurentを着てバリケードを張っていた。(このPradaのキトン ヒールが、あのカラフルなナポリのジェラートの名残りだと考えるだけでウキウキしてしまう。) 無頓着なカジュアルさで、センスの問題に切り込んでいくことで知られるミウッチャだが、彼女の本質的な考えはランウェイに現れている。彼女は、自分の服のインスピレーションの源として、「温かみがあり、人間のペースに沿ったポスト社会主義の美学」を挙げている。ちなみに、彼女は以前、ジャーナリストに対して「ブルジョワ女性は死んだ」とも話している。

画像のアイテム:ヒール(Prada)
実用性と考え抜かれた慎み深さこそ、キトン ヒールを決定づける特徴だと言える。ペタンコ靴 (実用的すぎる) やプラットフォーム (高級感が皆無) ではなく、キトン ヒールを履く女性は、その必要があれば、自らの個性を犠牲にすることなく、きちんとドレスアップすることを選択できる人である。『ヴォーグ』誌は、ビル・カニンガム(Bill Cunningham)の追悼式で、タヴィ・ゲヴィンソンがPradaの粋なキトン ヒールを履いていたと報じていた。結婚式、両親と会うとき、上司とのディナーはもちろんのこと、キトン ヒールなら、お使いに出かけるときだってエレガントかつ自由な気分でいたい女性の要望にも応えてくれる。これは、プラスチック バッグやカーゴ パンツと同様に、ポスト オバマ時代における決定的なトレンドのひとつになるだろう。
念頭にあったのは、エリザベス・テイラーのスラックス姿だ
2014年、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)は、ランウェイ ショーの背景にスーパーマーケットの模型を作った理由を尋ねられると、さも当然のようにこう答えた。「なぜスーパーマーケットか? それが今日のライフスタイルだからだ。Chanelを着るような人でさえ、スーパーに行く」。また『ヴォーグ』の最近の記事で、1999年生まれのあどけない瞳をした今話題のChanelのミューズ、フランス系アメリカ人のリリー=ローズ・デップ(Lily-Rose Depp)が、先日、ロサンゼルスで、キトン ヒールに気取らないカットオフ ジーンズとTシャツを合わせている姿が取り上げられていた。彼女は車を購入している最中だったのだ!
数週間前、私は古い友人を訪ねてパリへ行った。正確には、ねちっこい恋愛絡みの用事だったので、着飾って行く気にはならなかった。とはいえ、私はいくつかの自分の「過去」とディナーを共にすることになっていた。ファッション ウィークで盛り上がる街で、ふたりの元親友たちとカクテルとサーディンを嗜む夜のため、私はキャンディアップルレッドのシアリングのクロップド ジャケットを着て、ドラッグストアで買った黒タイツにPradaの靴を合わせた。翌日の昼間は、二日酔いのため、後ろめたい気持ちでベッドで過ごし、破れたVetementsのジーンズに、Lucienのスウェットシャツで書き物をした。終日の夜は、まさに傑作だったのだが、大酒飲みの男性限定の会をオーガナイズした。参加者は、拒食症のヘーゲル主義者 (この響きがたまらない)、カリフォルニア出身の軍事史家 (ヨーロッパのアクセントにかぶれている)、上品な立ち居振る舞いのフランス人アートディーラー (離婚経験ありで、レアな矢じりを収集)、その前の晩にカフェ・ド・フロールで出会ったコンセプチュアル アーティスト (彼が数年前に制作した、女性がテクロジーの荒野を彷徨うビデオ作品が好きだった)。真ん中に座った私は、ネイルはせず、ヘビ革の長袖シャツのジッパーをへその辺りまで下ろし、ベルボトムのジーンズという出で立ちで、もちろん、靴はPradaを履いた。少しレトロな未来感のあるスタイルが、この街と、私の心を映し出していた。
Kaitlin Phillipsはマンハッタン在住のライターである
- 文: Kaitlin Phillips