この地上で、
束の間美しく
Commissionが書き記すヘリテージの新たな物語
- 文: Thessaly La Force
- 写真: Ben Beagent

この記事は、年2回刊行のSSENSEマガジン第3号に掲載されています。
ウールのツーピースのスーツ。スカートは両脚の脇でフレアになっている。ジャケットは角張ってはいるが、体の線にとても馴染んでいる。頭上にはオフィスの蛍光灯。もっとある。タバコの煙が充満するバーの黄ばんだ壁を背後に、霞んでいくようなピーチ ピンクのモヘアのセーター。大きな窓から差し込む逆光の中、誰もいないアパートのタイルの床で音を立てるかかとの低い白のキトン ヒール。身に着けているものすべてに、鮮明な個性がある。台湾の映画監督エドワード・ヤン(Edward Yang)の『台北ストーリー』に描かれた世界だ。1985年に公開されたこの映画は、台北という都市を見事に捉えて、私の魂を揺さぶる。
ジン・ケイ(Jin Kay)、ディラン・カオ(Dylan Cao)、フイ・ルオン(Huy Luong)という3人のデザイナーがニューヨークで立ち上げた新生ファッションブランドCommissionのデザイン哲学は、ヤンの演出と繊細で優雅な精密さを目に見える形で表現する。「僕たちが追求するのは整った着こなしの女性だ」と、ルオンは説明する。彼らが参考にするのは、ウォン・カーウァイ(Wong Kar-wai)やペドロ・アルモドバル(Pedro Almodovar)の映画の他に、橋口譲二、鬼海弘雄、荒木経惟、東松照明、土田ヒロミ、北島敬三といった日本の写真家だ。「ある意味でセクシーだけど、肌を見せてるわけじゃない。自信を持ってる女性だ」

モデル着用アイテム:ドレス(Commission)、ブラウス(Commission)、ブレザー(Commission)、トート(Commission) 冒頭の画像のアイテム:タートルネック(Commission)
「大事なのは、微妙なバランス」とケイが補足する。「喚き立てるコスチュームでは決してない。多少現代的だけど、生地は例えば90年代の中国が参考だったりする」。3人は2017年に共通の友人の誕生日パーティーで出会い、すぐに親しくなった。美的感覚が似通っていたのは、生い立ちのせいでもあるし、あまり知られていない文化の雰囲気に親しんでいたせいでもある。3人ともニューヨークのパーソンズ美術大学を卒業し、3人ともアジアで育った。ケイは韓国、カオとルオンはベトナム出身だ。知り合った当時は、Gucci、Prabal Gurung、Phillip Limと、それぞれが大手の既成ブランドで働いていたが、自分たちのブランドを作るのが共通の夢だった。
そして2018年にCommissionを立ち上げた。仕事の依頼を意味する「Commission」をブランド名にして、がむしゃらな頑張りと自分たちのデザインを宣言したが、Commissionのデザインの根底にあるのは、彼らの母が着ていた80年代や90年代のファッションだ。出来合いの型紙や安価な生地を使って、西洋風のスタイルを模倣した東アジアや東南アジアの女性たち。例えば、フェレロ ロシェ チョコレートの箱に巻かれたリボンみたいに、鮮やかなイエローのサテンを胸元にほどこした喪服。それだけではなく、同じイエローのトリムがサイドに長く伸びている。あるいは、ちょっとディスコを思わせるカラーのブラウンのスエード ジャケット。『台北ストーリー』に登場する男が着そうなデザインなのに、下はミディ丈のスカートと艶々したロング ブーツの組み合わせ。

モデル着用アイテム:ブラウス(Commission)、スカート(Commission)
日本統治時代の台湾で生まれた私の祖母は、マッコール社の型紙を使って、よく私の服を縫ってくれたものだ。90年代のことで、私の家族の近くで暮らすために、祖母と祖父はサンフランシスコのベイ エリアへ移り住んでいた。リッチモンドにあった祖父母の家へ行くと、必ず入り口で靴を脱いだ。家の中は白檀の香りがして、居間のソファは、ちょっとけばけばしい派手なプリント地で覆われていた。日曜日にはよく、プラスチックのカバーをつけた椅子に座り、丸い食卓を囲んで餃子を食べた。祖母が亡くなって私たち家族全員で家を整理したとき、使われたことのない生花の剣山を地下室で見つけた。祖母が縫ってくれた服は、正確に採寸されていても、どこか手作りを感じさせた。あれは生地選びのせいだったのか? ミシンで縫うときのわずかな手の乱れのせいだったのか? 祖母が縫った服を着て学校へ行くと、他の生徒たちの目が気になったのを覚えている。余り布で作った、服とお揃いのヘッドバンドをしている女の子は、私だけだった。
Commissionは、昨年、アジア人の母たちの写真をクラウドソーシングで集めて投稿するInstagram アカウント「Commission 1986」を開設した。私は何度も見直した。憧憬を掻き立てられると同時に、喪失感も感じる。ウエストラインが高い位置にある、ブーツカットのジーンズ。細い肩ひもからぶら下がるレザーのショルダー バッグ。粒の不揃いなパールが三連に連なり、重い粒が鎖骨のくぼみに乗っているネックレス。指先のない白い手袋。格子柄や花柄のシャツ。「Member’s Only」のジャケット。そして、膨らませたり、切り揃えたり、編んだりした髪。しかも、パーマをかけている。とにかくパーマの髪が圧倒的に多い。どの母も美しく、偽りのない親しげな微笑みをレンズの背後の人へ向けている。彼女たちの名前はわからないけれど、知ってる人たちのような気がする。バケット ハットにペンシル スカート、スカートやズボンのウエストの内側に裾を入れたブラウス、花柄のプリントといったスタイルから、数十年前の時代が蘇る。写真を焼き付けたフィルムのように、避けがたい年月の流れが現れているものの、希望の始まりの予感がある。独立、結婚、母になることの希望だ。
それぞれの写真には、大抵、撮影された年と場所が添えられている。ソウル、台北、マニラ。順番に見ていくと、今は自分も母となった女性が、以前に投稿した彼女の母の写真をタグ付けしていたので、彼女の顔をよく見てから、過去の投稿に遡って彼女の母の顔を見てみた。そうやってふたりを見比べているうちに、母に会いたくなった。たくさんのことを尋ねるために。実家の外にある樹から収穫したメイヤー レモンの鉢を挟んで、お喋りするために。
でも、私はそうしない。したくても、できない。世界的なパンデミックの最中だし、西海岸と東海岸に分かれて暮らしているから。そのうえ、元来私は、家族とあまり行き来しない。そもそも、母について、別の国から来た人の子供であることについて、世代の断絶について書くだけでも、とりあえず今は埋もれたままにしておきたい私の一部を掘り起こすような気がして、身がすくむ。だから代わりに、ケイやカオやルオンと話した映画を観て時間を忘れる。『牯嶺街少年殺人事件』、『台北ストーリー』、『花様年華』、『アタメ/私をしばって!』。だけど、私をいちばん強く打つのは、ヤンの映画だ。ひとつには、ヤンの映画は私の母が生まれ育った台湾を見せてくれるからだし、そんな繋がりを映画で感じようとしたことは、これまで一度もなかったからだ。母は『台北ストーリー』の舞台の1985年よりかなり前にアメリカの市民権を取得していたし、ヤンの当時の妻であったツァイ・チン(Tsai Chin)が演じた主人公のアジンより若い。それなのに、そこはかとなく親しみを感じられるほどに、すべてが重なり合う。アジンは、活動的で上昇志向の若きキャリアウーマンとして、台湾の不動産開発を進める大企業で働いている。そんな彼女が手頃なアパートを見つけた。従属的な母が飲んだくれで金にだらしのない父に毎晩欠かさず食事を給仕する、そんな実家から出るチャンスだ。成功を夢見るアジンだが、家族と婚約者というふたつのしがらみが足枷になる。結婚を約束しているアリョンは、かつてリトル リーグのエースとして将来を嘱望されたが、プロの道を諦めて、今は家業の布地問屋を継いでいる。アジンの大志には興味を示さず、彼女が見つけたアパートだけでなく、彼女の友達にも、彼女が難なく着こなしているベージュのトラウザーズ、バギーなブレザー、シワひとつない白い襟、トマトみたいな赤色のファジーなセーターにも無関心だ。アジンは私の母やおばさんたちの写真で見かけるようなメガネをかけ、背景の台北の街を日本企業の「Fuji」大看板が睥睨し、水平線はスモッグで霞んでいる。
『台北ストーリー』は、驚くほど未来を予見した映画だ。近代性とアメリカの威力が台湾にもたらしたもの、台湾が喪って二度と取り戻せないものを知っている。台湾が好景気を迎えようとしている時期であっても、人々は海外での生活を願って移住していった。ヤンは、台湾に訪れたすべての変化を楽観的に捉えることはしない。会社が買収されて解雇されたアジンは、ロサンゼルスで輸入業を成功させているアリョンの義兄を頼って、アメリカへ移住しようとアリョンに持ちかける。アメリカへいけば安定した生活が手に入るだろうが、台北で過ごした生活は失われるし、義兄の家に厄介になって窮屈な生活を強いられる。アリョンは、義兄と暮らしたときの体験を話す。「あいつは銃が好きなんだ。俺を連れてくのは、いつだって、野球の試合か射撃場のどっちか。人を殺したことも1回あるんだぜ。黒人。警察が来たけど、逮捕されなかった。あっちじゃ、庭に不審な人間がいたら撃ち殺してもいいんだってよ。死体を家に引き摺り込んで、登録してない銃を持たせる。それで正当防衛、無罪放免なんだ」

モデル着用アイテム:ドレス(Commission)
詩人であり作家であるオーシャン・ヴュオン(Ocean Vuong)は、2019年に発表した美しい小説『On Earth We’re Briefly Gorgeous』で、アジア人の母を持つ重みを経験的に捉えた。ベトナム戦争時に出会ったベトナム女性とアメリカ人兵士の間に生まれ、後にアメリカへ移住したヴュオン自身の混血母に宛てた手紙の形で、彼は複雑に絡み合った醜悪な負の遺産を曝け出す。それは、民主主義と正義の名の下に、東南アジアを暴力で蹂躙した西洋植民地大国の遺物だ。アジア人の母を持つとは、後の世代が国境と言葉の壁を乗り越えていくとき、言葉にされないまま置き去りにされるものを理解することに他ならない。マキシーン・ホン・キングストン(Maxine Hong Kingston)の『チャイナタウンの女武者』、エイミ・タン(Amy Tan)の『ジョイ ラック クラブ』、ジュンパ・ラヒリ(Jhumpa Lahiri)の『その名にちなんで』、もっと最近ではウェイケー・ウォン(Weike Wang)、アレクサンダー・チー(Alexander Chee)、キャシー・パク・ホン(Cathy Park Hong)らの作品で表現されてきたことでもある。私自身の母と母が着ていたものを思い返すと、子供の足には大きすぎるハイヒールに足を入れたり、ハンガーに吊るされたチャイナドレスを見つめたりして、たおやかな女らしさにうっとりしたことを覚えている。私にとってのファッションは、確かに一種の自己表現ではあるものの、自分の立ち位置に合わせる手段のように感じることも多い。混血という出自が、歪んだ自意識を育てたからだ。言葉に置き換えられない私自身についての何かを、私のファッションが表現する。
アジアを公然と前面に押し出すCommissionのビジョンは、上品で、映画的で、キッチュで、ロマンチックで、素敵だと感じるのも、多分同じ理由だろう。Commissionのデザインは、隠れていたもの見せてくれる。空想に近いものであっても、疎外された希薄な繋がりしか持てなくても、幾分かは私のものであるはずの過去を浮かび上がらせる。昨年出版されたデイヴィッド・L・エン(David L. Eng)とシンヒー・ハン(Shinhee Han)共著の『Racial Melancholia, Racial Dissociation』を読んだ。ふたりともコロンビア大学の教授として、人気者だった韓国系アメリカ人学生の自殺を体験した。悲劇的な事件の後、講義室や面接で触れ合った主としてアジア系アメリカ人の学生たちは、常について回る「見えない存在」の感覚を語ったり、明確な言葉で訴えたりしたという。その感覚には悲哀も滲み出ていた。英語を教えるエンはさまざまなアジア系アメリカ文学、心理療法士のハンは精神分析理論、とそれぞれの専門分野を織り込みながら、ふたりは、アジア系アメリカ人のアイデンティティをめぐるより大きな政治的な対話があることを指摘した。70年代に政治的なまとまりを形成する目的で作られた「アジア系アメリカ人」という名称は、多様なニュアンスに満ちたアジア系アメリカ人の体験を平板化し、著しく異なる体験を一色に塗りつぶす。1965年以後にアメリカへやってきた韓国系アメリカ人も、先祖が1860年代のゴールドラッシュ時代にアメリカにやってきた中国系アメリカ人四世も、同じグループに投げ込まれる。ジークムント・フロイト(Sigmund Freud)の『悲哀とメランコリー』(1918年)によると、メランコリーとは確とは理由がわからないものの感じる喪失感を意味する。反対に、悲哀は理由のはっきりした喪失感だ。つまり、私は祖母に対して悲哀を感じることができるが、ヤンが描いた1980年代の台北に感じるのはメランコリーだ。私が本当に知っていた場所ではないし、1980年代にそこにいたわけでもないのだから。この定義に私は圧倒された。
この奇妙な時代に、私たちみんながスピードを落とし、身を隠し、隔絶することを余儀なくされた狂おしく悲しい年に、私は置き忘れた何かを探していることに気付いた。うっかりいつもと違う場所へ置いた鍵を探すように。だから、惰性に流されず、意識して眼を見開かなくてはならない。いつまで続くかわからない休止状態の生活を見つめなくてはならない。私がこれまで親しい関係を保ってきた人々、いつか正常な暮らしに戻るまで私が見守る人々は誰か? そのことが突如はっきりする。ひとりきりで過ごすたっぷりの時間のなかで、静けさが浮力となり、ずっと潜んでいた内側から異様に表面へ近付いた意図や思いを、私は取り戻す。そして、小説や、ヤンの映画や、Commissionのウェアの中に別の世界を求めている。谷崎潤一郎が1940年代に書いた『細雪』をようやく今年の3月になって手に取ったのは、なぜだろう。闇に立つ木に明かりを投げる街灯、椀の漆塗り、完璧に仕上げられた袖の縁。すべてはディテールと強く結びついて同じように作用するから、それらは私が目にするはるかに大きな何かを語っていることを、私はついつい忘れそうになるのだ。
Thessaly La Forceは、ライターであり、『T: The New York Styles Magazine』のフィーチャー ディレクター
- 文: Thessaly La Force
- 写真: Ben Beagent
- スタイリング: Tereza Ortiz
- ヘア: Eliot McQueen
- メイクアップ: Crystabel Riley
- キャスティング ディレクター: Lisa Dymph Megens
- モデル: Pei Pei
- 写真アシスタント: Jess Beagent
- スタイリング アシスタント: Gema Vaez
- 翻訳: Yoriko Inoue
- Date: October 16, 2020