MISBHVは体制の外側を選ぶ

ポーランドのデザイン デュオがレイブとルーツを語る

  • 文: Edward Paginton
  • 写真: Edward Paginton

完全な支配が手に入るとしたら、あなたは一体何をするだろうか? 1980年、ザ・モーテルズのマーサ・デイヴィス(Martha Davis)は、「すべてを支配できるなら、魂を売っても惜しくない」と「トータル コントロール」で歌った。成功が連れてくるパラドックスによって、あなたの本質は損なわれるのだろうか? MISBHVを誕生させたナタリア・マクゼック(Natalia Maczek)とトーマス・ウィルスキー(Thomas Wirski)は、そんな考え方に反発する。

最初にチームを組んだとき、どうやって服を売ればいいものか、独創的なデュオには見当もつかなかった。とにかく誰かの目にとまることを願って、なけなしの資金をはたき、1日200ユーロでパリのギャラリーを借りた。「若くて何も持っていないときは、リスクもない。失うものもない。若さの一番いいところね」。ブランドが大きくなり始めてからはそんな気持ちが懐かしい、とマクゼックは言う。

冒頭の画像のアイテム:シャツ(MISBHV)

繋がりというものは、不満を通じて生まれる。ポーランドばかりでなく、世界中で「多くの人が幻滅を感じている」とウィルスキーは言う。MISBHVのファブリックにはポーランドの文化的な背景が織り込まれているかもしれない。だがMISBHVは、地理に制限されることなく、幅広い若年層、最大限の自己表現を求める世代に訴えかける。

最近では、プレイボーイ・カルティ(Playboi Carti)やトリッピー・レッド(Trippie Redd)をはじめ、アーティストやミュージシャンがMISBHVを選び始めたことで、まったく新しい意味が作られた。新たな環境に足を踏み入れ、多様な解釈を与えられることは、ふたりにとってエキサイティングな局面だ。だからこそ同時に、さらにルーツに近い場所に留まって自分たちの精神を守り続ける必要がある、とふたりは固く信じて疑わない。

エド・パジントン(Ed Paginton)

ナタリア・マクゼック(Natalia Maczek) & トーマス・ウィルスキー(Thomas Wirski)

エド・パジントン:君たちは、もともとファッション畑の出身じゃないね。どうして一緒に仕事をするようになったの?

ナタリア・マクゼック:ええ、私にはファッションの経歴はないわ。私たちが10代の頃には、ファスト ファッションなんてなかったし、ラグジュアリー ファッションもなかったし、それを言うならファッションそのものがなかったもの。だから、特に初めてロンドンから帰ってきた後は、私自身を表現して私自身のアイデンティティを作れる洋服が必要だと痛感したわ。当時のポーランドにそういう服はなかった。生活の中で選べるファッションという考え方が皆無だった。私は法律を勉強してたし、両親は私が弁護士になるのをずっと望んでいたのよ。だけど、学校のかたわら、学生はパーティーを開いてたし、私はそういう友達のためにTシャツのデザインを始めた。それから4年後にトーマスが仲間になって、今まで一緒にやってきたの。

トーマス・ウィルスキー:僕は17歳からDJとプロデューサーをやってて、ファッション自体にさほど興味を持ったことはなかった。12~13歳の頃から僕の関心はひたすらバンドだったし、今だって、ファッションにそれほど興味はない。だけど僕には、バンドの視覚的なイメージが、音楽そのものと同じ程度に大切だった。今でも頭にはっきり焼き付いてるのは、ブリストルのレコード店で目にしたスクリーム(Skream)の最初のアルバム。すごい数の観客の前に、全身汗まみれのスクリームが立ってる。それまでダブステップなんて知らなかったけど、即買いだったね。僕にとってはいまだに、過去20年で最高のアルバム カバーに入るよ。そんな感じで、ファッションにはさほど興味がなかったけど、音楽と関連したスタイルと服には興味があった。

MISBHVのコレクションには、現在までずっと、音楽の影響が現れてるね。特に「Six Years in the Rave」には、MISBHVが内包するサブカルチャーの背景がはっきりと示されている。

トーマス:僕たちにとって「Six Years in the Rave」はすごく大切なコレクションだった。先ず第一に、現実逃避と自由を表現した点でね。レイブ ミュージックは、MISBHVというブランドの大きなテーマになっている音楽のジャンルだよ。僕たちを取り巻いていた暗くて厳しい現実から逃避する手段、それがレイブ ミュージックだったから。「Six Years in the Rave」コレクションでは、そういう要素を全部ひとつにまとめた。アーティストとコラボレーションする試みとしても、初めてだった。ショーン・シャマホーンは、ウクライナを6年間旅して、ロシア侵攻後のウクライナで起こったレイブ ブームをドキュメントし続けたアメリカ人の写真家なんだ。だから、クラブ カルチャーに対する僕たちの愛情や思い出とウクライナで起こっていたことが、ぴったり結びついた。若い頃の僕たちにとって「レイブ」は自由を意味したし、ウクライナにとってもそうだった。たとえウクライナ紛争みたいな悲劇が起きても、自分自身でいる自由だ。

自由の意識の共有という意味で、ウクライナの人たちとの連帯は生まれたのかな?

ナタリア:ウクライナとポーランドの国民は、歴史を共有してるから、とても通じ合うものがあるの。ロシア軍が介入してから、2~300万人のウクライナ人がポーランドにやってきた。移民の波が押し寄せたのはポーランドの歴史上初めてのことだけど、大歓迎だわ。

モデル着用アイテム:シャツ(MISBHV)

君たちのブランドが組織として成長してきた経緯には、DIY精神が一貫している。これはポーランド文化独自の姿勢?

トーマス:DIY精神は、もう何世紀も僕たちの遺伝子に組み込まれて、作用しているんだよ。ポーランドの近代史は、1989年の前と後に分けられる。1989年前のポーランド、つまり僕たちの両親の時代のポーランドは、現在のポーランドととても違っていた。毎日の生活が、共産主義、不合理なプロパガンダ、馬鹿げた体制、軍部の権力に対する闘いだった。そういう抑圧の時代に、どういうわけか、ポーランド文化が絶頂を極めたんだ。一番の例を挙げるなら、ロマン・ポランスキー(Roman Polanski)が監督として本格的にデビューした『水の中のナイフ』。サウンドトラックを担当したクシシュトフ・コメダ(Krzysztof Komeda)は、ヨーロッパ ジャズのパイオニアだよ。とても生き辛い抑圧の下で、素晴らしい文化が花開いた。僕たちの両親の世代は、『Stones』の表紙やゴダール(Godard)の映画でジーンズを目にしても、買うことができなかった。売ってる店がないから、自分たちで作るしかない。そうやって、体制だけでなく、単調な日常生活にも反抗した。僕たちのDIY精神は、体制から完全に外れた外側でブランドを育てることだ。

そういう姿勢は、現在でも以前と同じくらい強いの?

ナタリア:今は、イギリスのキッズが持ってるものは全部ポーランドにもあるから、たいした違いはないわ。もちろんルーツや物の考え方は違うけど、グローバリゼーションのせいでDIYも随分変わった。今も昔と同じように続いているのかな? どうだろう? 私たちが10代の頃には、自己表現は自分でやるしかなかったのは確かだけど。だから私は、必要に迫られて、DIY精神から服を作り始めたんだもの。

トーマス:僕たちのコレクションを見て、「あまりまとまりがない」って言われることがよくあるけど、2001年とか 2002年とか、H&MやZaraがやってくるまでは、服を買おうと思ったら古着屋しかなかったからね。ポーランドの古着屋はキュレーションとは無縁なんだ(笑)。アロハ シャツもトラックスーツもお洒落な靴もスーツも、何もかも一緒くた。

ポーランドには現在も現状改革の文化が息づいていて、そんなエネルギーが君たちの糧になっていると思う?

トーマス:メインストリームの下では、アクティビズムが活発に蠢いてる。とてもおもしろいよ。僕たちは、「Unsound」っていう、同じクラクフの超素晴らしいフェスティバルとパートナーなんだ。エレクトロニック ミュージックの世界で「Unsound」は世界最高クラスのフェスティバルだけど、最近もう使われてない鉄道の駅で一緒にやった「Six Years in The Rave」パーティーには、日曜日なのに5,000人くらい集まった。キエフから来たDJがプレイしてくれたんだ。

ナタリア:ドイツやパリからも友達がやって来たんだけど、面白いことに、ポーランドに私たちを応援してるファンはいるの?って尋かれる。ポーランドの人たちがいなかったら、私たちがここまで大きくなれたはずがないでしょ。Tシャツを作ってたそもそもの最初から地元の応援があったのはとても嬉しいし、何をするにしても力づけられる。

MISBHVは、ありふれた素材に合成繊維をぶつけてみたり、荒っぽく大胆に素材を使うね。MISBHVがアイデンティティの表現に使う素材ってある?

トーマス:今日のナタリアを見てよ。トップの色と外のビルの色がまったく同じ(笑)。

ナタリア:他の国から来たプロデューサーやデザイナーとシーズンの色使いを話すことがあるんだけど、ポーランドと私たちみたいなブランドの色使いって、すごく「褪せてる」ことを自覚するわね。強烈な色とは、ほぼ結びついたことがない。素材に関しては、ポーランドでは70年代と80年代にレザーがとても流行したの。パパとママが休日に撮った写真を見ると、どれもレザーのアイテムとジーンズの組み合わせばっかり。リッチなこととか成功とか、何のシンボルであれ、それを伝えるメッセージだったのね。私たちも、レザー、ジーンズ、ジャージをよく使うわ。

同じく、次回のコレクションでも?

ナタリア:この次のコレクションは、一番私たちのハートを込めたものになると思うわ。私たちが感じていること、そしてポーランドがテーマと言えばいいかな。ポーランド独自のポスター芸術を誕生させたパイオニアのひとりで、今85歳のロスワプ・スジィボ(Roslaw Szaybo)とコラボレーションしたの。ポーランドのポスターって、すごくユニークなアートよ。60年代から70年代、80年代にかけて、ポーランドで反抗を表現できる手段はポスター アートしかなかったから、あの時期に生まれた動きは世界的にもとても特殊だった。

モデル着用アイテム:ジーンズ(MISBHV)T シャツ(MISBHV)

現在は、オンラインやインスタグラムでMISBHVのようなブランドと初めて出会う人が多くなって、ファッション体験がますます平板になってきてる。そういう環境で、自分達らしさを失う危険はある?

トーマス:今この場所にいることで、地に足をつけていられる。この世界で生き延びようと思ったら自分たちに忠実であり続けるしかないってことが、成長するにつれてますます深く理解できるようになった。だからこそ、MISBHVの最初のショーは、パリではなく、ワルシャワでやるんだよ。2~3年前なら「パリ!」って即答してただろうけど。だって、どうして業界に呑み込まれる必要がある? ここポーランドにはとても特別なものがあるんだ。僕たちはそれを見てもらいたいし、それを誇りにしている。

ハイ ファッションとロー ファッションの区別もなくなったし、ストリートウェアがラグジュアリー ファッションに浸透しているけど、どう考える? そういう分類はもうあてはまらないんだろうか?

トーマス:概して、呼び方なんて関係ないんじゃないの。作る側の人間にとっては、呼び方はどうでもいいんだ。ラベルが必要なのは、どこにも持ち場がない人間さ。僕がこれまで数えられないくらい引用してきた、バスキア(Jean-Michel Basquiat)のとても有名な言葉を教えてあげるよ。スタイルについて尋ねられたとき、「そんな質問はマイルス・デイヴィスに『トランペットはどんな音がするんですか?』と訊くようなもんだ」ってバスキアは答えたんだ。僕たちにとってはどうでもいいことだ。

この世界で生き延びようと思ったら自分たちに忠実であり続けるしかないってことが、成長するにつれてますます深く理解できるようになった

画像のアイテム:シャツ(MISBHV)

Edward Pagintonは、ロンドンに活動の拠点を置くライターであり、ディレクター。『The Guardian』、『032c』、『Modern Weekly』、『The Travel Almanac』、『Nowness』、その他で記事を執筆している

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  • ポストプロダクション: RGBERLIN
  • モデル: Pat