Fumito Ganryu:
混沌の残り香

世界的に活躍するデザイナー、丸龍文人が自然と都市、クリエーションを語るロングインタビュー

  • インタビュー: Kanako Noda
  • 写真: Monika Mogi

SSENSEウィメンズでのFumito Ganryuローンチを記念した今回の特別エディトリアルは、モントリオールのレ グラン バレエ カナディアンのダンサー、エミリー・ヘイ(Émily He)ジュリア・ベルガ(Julia Bergua)、およびモード・サブラン(Maude Sabourin)の協力により実現しました

立ち上げからわずか1年半、Fumito Ganryuの2020年春夏コレクション発表のあと、ファッション クラスタは「こんな服を待っていた」という歓喜の声で湧いた。これからの日本のラグジュアリー を代表するブランドとして、期待は否応にも高まっている。Fumito Ganryuは、ぱりっとしていて、潔く、折り目正しく、どこか豪胆さや激しさも秘めている。日本語には、こうしたイメージにぴったりの言葉がある。「凛」だ。丸龍文人の服は、凛としている。

未来的で都会的なストリートだが、サイバーパンクではない。自然がテーマで、サステナビリティに対する意識を感じさせるが、ナチュラル志向ではない。「凛」とした佇まいでありながら、そのシルエットには、そこはかとない色気がある。こうした服は、一体どこから生まれるのか。ラグジュアリーなストリートの先を見据えるデザイナーは、それを「いかにゼロにするか」、「いかに打ち消すか」だと言う。

今年8月、私は偶然にも、数年ぶりに福岡を訪れていた。太平洋ベルトの南端に位置し、東京、大阪、名古屋に続く4大都市圏のひとつ。福岡は、東京ほどに洗練と混沌の入り混じる大都会ではなく、かといって大阪の「コテコテ」の賑やかさとも違う。食べ物が美味しくて、どこか居心地の良い、小粋でオシャレな人々が住まう都市だ。丸龍氏はこの福岡出身として知られている。彼に会うため、私は新幹線に乗り、北九州から東京へと向かった。

アトリエに丸龍氏が現れ、その第一声を聞いてはっとする。東京に来て20年という彼のニュートラルな標準語の端に、かすかに残った九州弁のイントネーション。ここ数週間を私が九州で過ごしていなければ聞き逃したかもしれないほどうっすらと、だが確かに、彼の言葉の端々には福岡の残り香が漂っていた。

野田香奈子

丸龍文人

野田香奈子:21世紀にふさわしいコンセプチュアルな服というコンセプトのFumito Ganryuですが、令和時代も始まった今、その21世紀を、丸龍さんはどのように見ておられるのでしょうか。

丸龍文人:大きく自分の予想と反するところはあまりないんですけど、やはり、もっとこういうところが進んでたのかな、と思っていたところがイマイチ進んでなかったり。自分自身が席を置くファッション界では、それをすごく感じます。

というと?

ハイテクも、もう少し進歩してたのかなと想像していましたし、もっとマインド的な部分で、自分が感じていたより進歩していなかったり。あとやはり、いまだにカルチャーやシルエット的な部分で既視感のあるリバイバルが続いていたり。

最近は、ラグジュアリーの文脈でのストリートがトレンドですが、丸龍さんは、10年以上前からラグジュアリーのストリートを提案しておられました。当時はニッチだったのが、今やメインストリームですが、これは当初から予想していたことなのでしょうか。

当時から、ブランドを「クリエイティブなストリート」という方向で進めるべきだと思っていました。ただ今はもう、そこではないところに目を向けています。まさに今現在、自分がやっていることも、現状ではまだニッチですが、この先に広大なフロンティアがあると確信を持っているので、そこをしぶとくやり続けることが大事だと思ってます。あとは、それをさらに進化させていくのも大事だと、日々考えていますね。

そのクリエイティブなストリートの次にあるものとは、どういうものでしょうか?

それを言葉で言ってしまうと、今の時代いくらでも引用されてしまうので…。今はコレクションという形でひとつずつ点を穿っていき、それが線になり、面になっていったときに、伝わるようになるのかな、と思っています。

では、丸龍さんにとってのストリートとは?

今の海外ラグジュアリー ブランドのストリート、と言うのは、どちらかというとストリート テイストだと僕は思っています。何かそれを材料として使っているな、という印象です。本当のストリートは、どちらかというと、マインドやスピリット的な部分だと思うので…。

それはどんなマインドでしょうか?

やっぱり根底にあるのは、どこまでいってもレベル(rebel)なのかなと思ってます。レベル スピリット、いわゆる反骨のスピリットと言いますか。あくまで個人的な感想ですけど、正直、今の海外ラグジュアリーストリートからは、あまり感じられないですね。なので、ストリート「テイスト」を材料として使っているように、僕には見受けられます。

画像のアイテム:パンツ(Fumito Ganryu)

反骨精神を何十年も続けていくのって、すごく難しくないですか?

それは、生まれ持っての性格もあるのかな、と思います。もちろん育った環境もあるでしょうが、物心がつく以前に培われるものが本質なのかと。生まれもったものが核となり、あとは多感な時期に経験した環境が、反骨のスピリットを育むのかなと思います。

多感な時期を九州で過ごされたわけですが、それはどんな影響を与えていると思いますか。

僕が過ごした福岡県というのは非常に良い街で、都会と自然が調和していて、日本の中でも主要都市のひとつで…。

遊びに行くのは、やはり天神の辺り?

いわゆる天神エリアが多かったです。当時は、すごく都会的で先進的な街である一方、非常に治安がよろしくないというか、皆、元気に溢れていて(笑)。そういう人たちとつるんで、培われた反骨精神もありますね。今は世界的に見て、いわゆる不良が減ってきてると思うんですよ。自分自身、青春時代がそういう感じだったんで、寂しさも覚えるんですが、それはもう時代の流れとして受け止めるしかないと思ってるんですね。生活の上では治安が良いに越したことはないですし。なんですけど、僕が懸念してるのは、この表現が伝わるかはわからないんですけど、アカデミックすぎるものって、どこかそこにセクシーさがないと言うか、オシャレに見えなかったりする。

アカデミックすぎるものとは、理論で考えるファッションのような?

賢すぎるものというか。オシャレだなと思うブランドはどこも、少しだけ残り香で不良の雰囲気がして、不良にしか纏えない色気がある。だから、このまま進んでいくと、みんなが良い子になってしまって、そういったものがなくなっていくのかなって。どうすれば残り香だけは残せるのか、今後の自分自身の課題だと思っています。

今、ストリートとは別に、サステナビリティというトレンドもありますが、Fumito Ganryuとしてやっていることは、いわゆるサステナビリティとは、また違うアプローチですよね。今回のコレクションではランドスケープがテーマでしたが…。

環境問題だけでなく、地球全体のことを考えていくような、そういうマインドで僕はサステナビリティを捉えています。こうした思いは、昔から心の中にどこかしらあったので、それが今後ものづくりに、反映されていくのかな、と思っています。

アウトドアはされますか?

本気のアウトドアをやっている人に比べれば、全然、素人みたいなもんですけど、自然の中に身を投じるのは、すごく好きです。

この表現が伝わるかはわからないんですけど、アカデミックすぎるものって、どこかそこにセクシーさがないと言うか、オシャレに見えなかったりする

Fumito Ganryuの服は、やはりそれを着て自然に身を投じることが前提なのでしょうか。

そうですね。洋服というのは、車に例えるならいわゆるSUVのように、都会にも自然にも両方行けた方がいいと僕は思っているので。ひとつの服でその双方にフィットする。モードでもあるし、自然の中にも行ける。シーズンのテーマによって行ける場所も変わるかもしれないですけど、そこのハイブリッド感が、自分自身、着ていてしっくりくるので。

自然をどうにかしようというのではなく、自然とうまく付き合っていく、みたいな…。

都市も、自然も同じ地球上ですから。

日本には昔から、季節や自然とうまく付き合っていくあり方、生き方がありますが、そういう根底にある日本的な考えが、Fumito Ganryuが他の海外のブランドとは違うところかなと。

そういうアプローチは日本独特だと思います。自分は、精神的な部分でサステナビリティを感じさせるのが非常に日本的なのかなと。「凛」みたいな。「納涼」にしても、真夏に涼しさを感じるには、エアコンを使えば一発ですけど、日本には風鈴のように、音で涼しさを感じる文化がある。実際、今回発表したSSのコレクションの客入れのとき、空調のついていないショーの会場で、BGMに風鈴の音を流す演出をしたんです。こういう日本的感性を届けるのも、僕の役割なのかな、とは思ってます。

Julia Bergua 着用アイテム:コート(Fumito Ganryu)

そういう日本的感覚をファッションで表現したときに、「伝わっている」という手応えはありますか?

伝わっていると感じるところと、そう感じないところ。両方ですかね…。

受け取られ方が、思っていたのとちょっと違う?

表面的な部分だけだと、今は一瞬で見た目だけ模倣されてしまう時代だからこそ、本質的な部分、もっと深いところで表現してるつもりでも、割と表面的な部分だけで見られたり。まあその軽さもファッションだったりするんですが。それでもやっぱり、作り手としては本質的な部分まで見てほしい。その為には、より伝わるような工夫や努力をしていかないといけない。もっとわかりやすく、でもより深く…っていう感じですかね。

例えば、西洋との違いはどういうところにあるのでしょうか?

どうなんですかね。あまりにも多岐にわたって、そこは一言では言えないですね。仕事で海外に行く機会が多いんですが、いろんな国に行ったときに、街を見ても実はあまり意味がないと思っていて。都会になればなるほど、どこも似たり寄ったりで…。どこ行ってもニューヨークと同じだな、みたいな印象を受けるんです。それよりも、もうちょっと田舎に行くことを心がけていて。なぜかというと、そういう所にこそ、その国らしさが残っていて、木や、空、雲が、国によって違ったり、田舎に建っている家って、すごく独特だったりするんですね。そういったことに思いを馳せるのが、今後のラグジュアリーな生き方なのかな、とも思っているんです。

今回のテーマの「ランドスケープ」が、まさにそれですよね。

そうですね。

深いものを作り、いろんな人に伝えていくという話に関連して、SSENSEも含め、ネット販売をするのは、特に考えがあってのことなのでしょうか。

そういうわけではないですが、SSENSEさんなどは、僕の中で違った意味合いを持っていて…。単純にすごく美しいカタログのように見せてくれるので、心配なく商品をお渡しできると思っています。そう感じている作り手の方は、多いんじゃないでしょうか。ネットでは、直接お店の方とお客様がフィッティングしながらやり取りするわけではないので、作り手としては怖さもあるんです。でも、あそこまでパーフェクトにやっていると、そういう怖さがなくて安心できます。

ということは、やはり店舗は重視されてますか?

そうですね、その良さはやはりあるので…。なんですけど、僕はある時からほぼネットでしか服を買わなくなりました。というのが、実際、買った時に自分ならこのサイズだな、というのが、経験上わかるんで。勿論、良いお店もたくさんあるので、今でも実店舗で買う事はありますが、完璧なサイトであれば、そこで買うっていうのがほとんどです。

エスクァイア』で、「ユニセックス」というより「性別のない服」という話をされていましたが、この考えはどういうところから?

今から十数年前、社内においてブランドをスタートした当初は、ユニセックス的ブランドはほとんどなかったのが、今は掃いて捨てるほどあります。これだけ増えた中で、ユニセックスというものが、当時思っていたのとは違う捉えられ方をしていて…。

そこで「性別のない服」という言葉がでてきた。

性別自体を認めるというより、はなから性別自体を持たせない服作りこそ、当時やりたかったことなので、ユニセックスという言葉を捨て、性別のない服として、僕が本来考えていたユニセックスにトライしようと。自分自身、元はレディースのパターンナーで、学生時代もレディースのデザインをしてたので、今はメンズと、両方経験してるんですね。今のユニセックスって、レディースとメンズそれぞれの良さを高めあって、ひとつにすることでユニセックス、という感じなんですが、僕は、両方知っているがゆえに、それらの要素をいかに打ち消すか、みたいなこともできると思っていて。だから今、時代が向かっているユニセックスとは真逆の考え方なんですよね。

Émily He 着用アイテム:コート(Fumito Ganryu)

そっちが足し算だったら、こっちは引き算みたいな。

いかにゼロを表現するか。だからブランドの美学として、ニュートラルな佇まいを非常に意識しています。ニュートラルであれば、オケージョンを選ばない服にもなると思うので。

ブランドのアイテムにパルクールのリファレンスがありますが、あの大きなシルエットもそこに通じるのでしょうか。

そうですね。股上が深いけどエレガントみたいな。自分自身がスケート カルチャーからファッションに入って、当時のスケーターもすごく太いパンツを履いていて。多分、単純に太いパンツが好きなのも(笑)、あります。あと、布がなびくビジュアルに美を感じたり。男性が着ても女性が着てもシルエット自体はほとんど変わらないという意味で、ニュートラルですし。

服を作るときは、どういうプロセスで?

毎回違います。僕はネットサーフィンして、そこで何かを見て、直結して閃くことがないんです。全部頭の中に蓄積させて、化学反応させて、パンって閃く。言葉遊びも結構します。ありえない言葉同士を頭の中でいっぱい組み合わせると、それが閃きにつながることがあります。

Maude Sabourin、Émily He 着用アイテムシャツ(Fumito Ganryu)

言葉から服になっていく感じですか。

はい。なので、本当にいろんなやり方があるんです。あとは生地屋さんや縫製工場さんなどを見て、それを頭の中に蓄積させる。考えながら見ることもあります。そこで、「こういうことってできます?」って聞いてみて、それがものづくりにつながることもあります。ただ、大事なのは、どんなアプローチであっても、ブランドらしいアウトプットになっているかですね。

これがFumito Ganryuだ、みたいな判断基準はありますか?

最終的にニュートラルな物となっているか。あとは、コンセプチュアルだけどカジュアルに普段着として着れる物になっているか。コンセプチュアルというのは、モード的な要素や知性など、色々あるんですが、それがカジュアルに着れるかどうか。モードがモードのままのプロダクトは、ブランドの美学としては失敗で、同時にただ着やすいだけの服や、かっこいいだけの服も、他のブランドがやればいいと思っています。確かなソリューションが感じられて、クリーンなビジュアルかどうかも、ブランドとしては、非常に大事にしたいポイントです。

クリーンとは、すっきりしたシルエットということですか?

そうではなくて、印象として清潔感があるか、ですね。僕は清潔感のないビジュアルがあまり好きではないので。そういうアウトプットになるかは重視してます。仮に、カオスなビジュアルを表現する事があったとしても。

このエディトリアルはLes Grands Ballets Canadiens de Montréalのダンサー、Émily He、Julia Bergua、およびMaude Sabourinの協力により実現しました

Kanako Nodaは、SSENSE日本語コンテンツのリード エディター。ライター兼翻訳者、ビジュアル アーティストである

  • インタビュー: Kanako Noda
  • 写真: Monika Mogi
  • モデル: Émily He、Julia Bergua、Maude Sabourin (Les Grands Ballets Canadiens de Montréal)
  • スタイリング: Samuel Fournier / Teamm Management
  • ヘア&メイクアップ: Carole Methot
  • 制作: Jordan R. Bruneau
  • 写真アシスタント: Raymond Adriano
  • スタイリング アシスタント: Keegan Lathe-Leblanc
  • ヘア&メイクアップ アシスタント: Juliette Morgane
  • 制作アシスタント: Yza Nouiga
  • Date: September 30, 2019