ファック ウィズ ニューヨーク
Aimé Leon Doreデザイナー、テディ・サンティスの人生と時代
- インタビュー: Thom Bettridge
- 写真: Jay Gullion

テディ・サンティス(Teddy Santis)は、非情でありながらどこか郷愁を誘う文化製造工場ニューヨークで生まれた。彼が運営するブランドもまた然り。家族が89丁目で経営していたダイナーが、地下鉄新線セカンド アベニュー ラインの建設計画によって閉店の危機にさらされたとき、サンティスは次の一歩を考え始めた。その結果誕生したのがAimé Leon Dore(ALD)、90年代ラップの空気に浸された気取りのない洗練されたメンズウェア ブランドである。
ALDは先頃ピックアップ ゲーム(ストリート バスケットボールの1種)の大会を主催し、それを記念するポップアップ ショップをノリータで開いた。私はそこで、ファンに囲まれているサンティスに会うことができた。ショップの目印は、ドアの上にぶら下がった色褪せたJordan 4だけ。店内に入って、サンティスと一緒に壁に並んだ写真を見ていく。子供の頃に影響を受けた物が、まるで考古学のようにばらばらに撮影されている。使い古された革のバスケットボール、Sonyのウォークマン、2つの黒いポケット ベル、積み重ねたカセット テープ、ずらりと並ぶKrylon塗料のスプレー缶。私には、それらが現在「ストリートウェア」と呼ばれるものの起源を指し示す洞窟壁画のように見えた。サンティスによれば、「ストリートウェア」現象は彼と同じくニューヨークで生まれた。

Thom Bettridge
Teddy Santis
トム・ベットリッジ:先日、この近所のヤッピーが集まるバーで飲んでいたんですが、かけるのはモブ・ディープ(Mobb Deep)、ナズ(Nas)、昔のジェイ・ジー( Jay Z)、ア・トライブ・コールド・クエスト( A Tribe Called Quest)ばっかり。そこで思ったんです。「90年代のニューヨーク ラップは、当たり障りのないバックグラウンド ミュージックになってしまったのか?」って。ニューヨーク スタイルをブランドのルーツにしているブランドのオーナーとして、そういうありきたりな展開をどう思いますか?
テディ・サンティス:オレたちにとって一番大切なのは、正直であること。オレは正真正銘のクイーンズ出身者だし、本当にモブ・ディープやナズを聴いて育ったんだ。ヤツらの音楽は今でもオレの中で鳴り響いているし、オレがやることにも共鳴してる。実際に体験してなかったら、あの時代の音楽や街を理解するのはとても難しい。あの時代のニューヨークを表現しようとしてる連中は多いけど、本当に表現できなきゃ、すぐバレるんだ。オレたちは、自分たちが作るものを通して、ビジュアルや映像を使って、あの時代を表現している。でも、あの時代を作り直そうとはしていない。例えば、植木鉢に水をやりながらトゥーパック(Tupac)を聴いたっていいじゃないか。どうして一緒にやっちゃいけないんだ? オレたちのストーリーは全部、リアルで本物だったあの時代に根差している。本当に関わってるか、関わっていないか、どっちかだ。ちょっとの間の流行なんかじゃない。ストリートウェアはニューヨークそのものだ、ってオレは強く信じているよ。ストリートウェアはここで生まれたんだ。
なぜストリートウェアがニューヨークから始まったと思うんですか? この場所には何があるんですか?
ストリートウェアは、最初、高い物を買えなかったキッズから始まったと思うんだ。金がないから、自分たちの空気感を自分たちで作らざるをえなかった。そのためには、クリエイティブになって、カルチャーと繋がってなくちゃいけなかった。贅沢品や高級品じゃなくて、何がウケて何がまだクールなのか、ストリートにアンテナを巡らしてる必要があったんだ。オレなんか、50ドルもってソーホーに来ればそれができたものさ。本当の意味でストリートウェアが生まれたのは、オレの時代より20年位前だと思うけどね。ラン・ディー・エム・シー(Run DMC)が出てきて、シェルトゥのスーパースターを履いて、ラップした。当時の変化を見てれば分かるけど、あの時にキッズが言い始めたんだ。「おい、オレは紐なしでスニーカーを履いてやるぜ。ついでに、パーカーとボンバー ジャケットとフェルトのフェドラを一緒に着てやる。そんなことしたヤツは今までいないだろ」。世界の他の場所でも素晴らしいストリートウェアが生まれたところはあるさ。例えば東京。東京生まれのアメリカン スタイルは、本場アメリカより進んでるんだ。だけど、本当に本物のストリートウェアはニューヨークで生まれた、ってオレは信じてる。ニューヨークで生まれて、そこから大きく変わることはないだろう。自分がすごいスタイルを作ってることさえ気が付いてないヤツもいるけれど、実際すごく格好良いんだ。バスケット コートでもそうさ。オレはずっとバスケットボールをプレーしてきた。オレのブランドの大きな要素でもあるし、オレのスタイルの全部がそうだし。ニューヨークのピックアップ ボールは、世界中の他のどの場所とも違う。それ自体でひとつの社会なんだ。ひどいと思うかもしれないけど、クイーンズでバスケットをしようとしても、ダサいヤツはプレーはできないよ。バスケが上手下手は関係ない。
仲間に入れてもらえないんですか。まるでコート全体が巨大なランウェイですね。
ちょうどThank you Mikeというバスケットボール大会をやったところなんだ。目的は、冬のニューヨークのピックアップ ゲームを見せること。冬のピックアップは最高のスタイルだからな。サーマル タイツにショーツ、フーディー、カットオフ、ビーニー。スタイリングに関して言えば、オレのブランドが表現しているのはまさにこれだ。インスピレーションの源泉さ。

虫眼鏡を通して太陽の光を何かの上に集中させていると、そのうち火がついて燃えるんだ



ロッカー ルームがないから、プレーした後、そのまま着替えずに友達と遊びに行ったり、場合によってはパーティーに行ったりできないとダメですね。
ウェスト・フォースなんかの公園に行けばわかるけど、集まるヤツらは滅茶苦茶いいスタイル作ってるんだ。でも、自分でそのことに気がついてない。すごいぜ。
興味深いのは、ラップ、スポーツウェア、ストリートウェアを生み出した地域との繋がりです。以前は極めて限定されたローカルの現象だったのが、今や完全にネットワークで結ばれています。以前の若者は電車に乗ってソーホーへ行ったり、バスケット コートで友達に会っていたけど、今は携帯で現代アートや建築について学んでいますね。
そういうキッズこそ、オレがアプローチしたいターゲットなんだ。学ぶ意欲があって、ファッションのブランド以上のものを知りたいと思っているキッズ。そういうキッズこそ、将来、顧客になってくれると信じているんだ。カニエ・ウェスト(Kanye West)を着て走り回っているようなヤツらじゃなくてね。オレにとって、Ralph Laurenは完璧な存在なんだ。Ralphを知ったのが15歳のときで、今30歳だけど、気持ちは全く変わらない。それどころか、もっと親近感を感じるようになった。Ralphは教育し続けるから。ポロやオックスフォードは着心地がいい、っていう以上のことを見せてくれるんだ。
90年代には、Ralph LaurenやTommy Hilfigerのようなブランドが思いがけずストリートウェアで重要な役割を果たしましたね。
本当のところは、ストリートの連中がずっと金を払ってやってたのに、ブランドが全くそれを認めなかったってことさ。
alph Laurenのようなブランドが特別なのは、完全にトータルな世界だということですね。Ralph Laurenのポロシャツがあり、Ralph Laurenの壁紙があり、ハンドタオルがある。農場や車のコレクションまである。そういう世界や雰囲気を築くことも、あなたのブランドに含まれていますか?
オレのブランドは、あらゆる面で美や現実の生活との接点を失わないブランドとして知ってほしい。そういう経験を通してストーリーを伝えるブランド。今のオレの最大の目標は、価値観を守りながら進化し続けたいと思ってる若者のために、空気感や基盤を作り上げることなんだ。Ralphがやったようにある種のライフスタイルを作るとしたら、それは自分たちが表現しているものに対して嘘偽りなくあり続けることだな。つまり、オレたちがニューヨーク出身だということさ。



でも、ニューヨークとは何なのでしょうか? ニューヨークは常に変わり続けています。みんなジェントリフィケーション(高級街化)について不平を言うけど、しかし一方で、ニューヨークという街が構想された時点から、ニューヨークがジェントリフィケーションそのものです。
ニューヨークは絶えず変化を経験している。何年か前は、アメリカーナ全盛の5年だった。馬鹿なヤツらがRed Wingのブーツを履いて、メッシュ キャップをかぶって、チェックのシャツを着て歩き回ってた。壁に鹿の頭を飾るようなヤツらさ。そういうのに全く無関係なヤツらもいた。ほとんどはオレの近所の出身で、「ありゃ、一体何だ?」って感じだったな。それからストリートウェアが盛り返して、アメリカーナをぶち壊したんだ。そのまま今も進行中。ニューヨークが「再高級街化」されてるかとかなんとか、そういう話はもう何度もしてきた。でも今のところ、クールであることがもうクールじゃなくなったってことだ。
メンズファッションは、特に、そういう悲惨なトレンドが起こりがちな気がします。完全なるベーシックなスタイルか完全なるファッションの犠牲者。その中間がほとんどないんですよね。
この5年で、メンズウェアの市場が本当に混乱して、過飽和になった気がするんだ。1000ドルもするスニーカーが出回るところまで来てる。だけど、そんなのはすぐに廃れるはずだ。毎回1000ドルのスニーカーを買う人間なんて、どこにいるんだ? オレたちのところは、キッズがフィリー・ブラント(Philly Blunt)の葉巻がプリントされたホワイト Tシャツを買いに来ることもあるし、もう少し年が上の客が1000ドルのコートを買っていくこともある。キッズに対しては、教育して、文化に還元する。年が上の客には、「格好良く見せる方法があるよ。オレたちはすごく良い商品を作ってるんだ」ってね。オレたちのスタイリングを見れば分かると思うけど、すごく自然なんだ。だけど、パワフルだ。例えば、フリースのジャンプスーツ、Timberlandのブーツ、ビーニー、Canada Gooseのジャケットでコーディネートもできるし、メリノ ウールのタートルネックに、ワンボタンのコート、クールなスニーカーを合わせることもできる。オレにとっては、どちらのスタイルでも、同じ人間なんだ。
あなた世代のデザイナーは完全に独学した人が多いですね。あなた自身、ファッションの学校に行ったわけでもないし、パリの大きなブランドで働いた経験もない。デザインを始めたときは、どんなものを参考にしていたんですか?
オレはそれまでずっと、コツコツ自分でブランドのアーカイブを作ってたんだ。Ralph LaurenからNom de Guerreまで。Nom de Guerreは、オレのブランドにとって最大のインスピレーションのひとつだ。Nom de Guerreのおかげで、Nikeのダンク、トラウザーズ、ニット、ウールのジップアップを合わせられるようになった。そのうえ、それがすごく格好良かった。オレは、本当、プロダクト オタクなんだ。とにかく、売られてる商品が好きで好きでたまらなくて大人になったんだ。他にはSupremeもあるな。ストリートウェアという文化を生み出してくれたブランド。ニューヨークに対するSupremeの貢献は計り知れないよ。オレのようにここで生まれ育った人間は、あのブランドにはリスペクトしきれないくらい本当に世話になっている。
オレは旅が大好きで、パリや東京やコペンハーゲンやミラノのような都市には敬意を払うし、そういう場所からスタイリングやデザインの着想を得たりするんだけど、結局のところ、オレたちが表現しているものの核にある価値観は、やはりニューヨーク出身だってことなんだ。虫眼鏡を通して太陽の光を何かの上に集中させていると、そのうち火がついて燃えるんだ。火がつくまでずっと虫眼鏡を持ってるのはひと苦労だ。だけど、実行できたら、予想もしてなかったビジョンが生まれるんだ。
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