SSENSE 2017年秋冬 メンズウェア レポート
次シーズンと未来のスタイル ガイド
- 文: SSENSE
- 写真: SSENSE Buying Team
メッシュトップス
出会い系サイトで、みんなが自己紹介欄に嘘偽りのない真実を書いたとしたら 年齢 : 32歳。職業普段は仕事についているけど、いつまで続くか分からない。興味 : 「グランド・セフト・オート」ゲーム、使うけどアップロードしたことがないSnapchatのフィルター、マリファナの大量消費。この世でいちばん捉えどころのないもの、すなわち「真実」で、恋人を見付けられるとしたら Calvin Kleinの新たな進路を探るラフ・シモンズ(Raf Simons)は、シンプルなカラー ブロックのメッシュ トップスを中心に据えた。目の細かいメッシュを透かして見せる肉体は、無言のうちにすべてを曝け出す。それはフィルターを掛けないあなた自身だ。

Calvin Klein 205W39NYC
個人としての法人
周知の通り、「市民連合 vs 連邦選挙委員会」裁判で、アメリカ合衆国最高裁判所は、選挙運動資金の調達に関して法人を個人と同等に扱うべきだという判断を下した。法人に対する選挙資金献金の制限を違憲とした判決は、汚職の氾濫を招く呼び水となり、それに対する抗議がバーニー・サンダースを大統領に推そうとする人々の中心的なスローガンだった。サンダースの大統領選キャンペーンに使われたロゴは、今シーズンのBalenciagaコレクションにも幾度となくが登場した。個人としての法人という考えは、ロゴの転用やイニシャルへの愛着を特徴とするファッション界では、全く別の様相を帯びる。ファッションの世界では、今や、ことあるごとに手を加えられるブランド アイデンティティの集合体が、個人による自己認識の一形態だから。もしかしたら、個人が法人になる日も近いのだろうか...。
低温拡散
かつて、コラボレーションはニュース速報に値した。だが現在、絶大な影響力を誇るラグジュアリー ブランドの多くで、コラボレーションは予測しうる戦略に過ぎない。一方で、大手のアウターウェア ブランドは方程式に新たな要素を加え、ハイファッション界の右脳寄り環境に、何十年間も工学で培われた経験を持ち込んでいる。Junya Watanabe x North Face、Vetements x Canada Goose、Martine Rose x Napapijri、 Off-Whitex Moncler。コラボレーションが進行している環境は、えてして「エンジン」や「魔法の秘薬を煮る大釜」のように想像しがちだが、未来の実験場所は極寒が適温なのかもしれない。
週末的悟り
おそらくキム・カーダシアンだったと思うが、賢明な預言者がかつて言うには「たくさんあればあるほどいいけど、でもまだ足りない」。ハイパー リアリティ番組の世界では、過剰と複数プラットフォームを利用したブランディングが真実と同じ意味を持つ。大量であることに意味があり、情報過多が当然とされる。ならばいっそのこと、その方向へ身を任せようではないか。来たるシーズンに向け、デザイナーたちは裕福な有名人が放散する啓蒙的バイブレーションの前にひれ伏し、豊富を崇拝する祭壇を目指して巡礼する。炎、羽毛、スカル、世界の終末を表すイメージなど、強烈な記号が登場する。適切な画像処理アプリと「最多」「最大」をめざす人々が支配する、新たな世界秩序が到来する。
平服の威力
1973年に発表されたシドニー・ルメット(Sidney Lumet)監督の代表作「セルピコ」は、汚職にまみれるニューヨーク市警を相手に、警官のアル・パチーノ(Al Pacino)が覆面捜査に乗り出す。制服を脱ぎ捨て、普段着を着ると、それまでになかった強みが手に入った。外見は、人を欺くこともできれば、真実を明らかにすることもできる。そんな矛盾した外見の威力が語られる。法の遵守を示す制服を着た人間たちが、実際には、倫理的に破綻した人間であり、普段着を再構築することで、異なる視点が開けるかもしれない。2017秋冬コレクションでは、一般市民的スタイルに軍配を上げよう

Prada
鏡像段階論
生後ほぼ6ヶ月を迎えた頃、ハイハイを始めた赤ん坊は遅かれ早かれ鏡に遭遇し、初めて外面性を意識する。私たちは主体であると同時に、客体となる。フランスの精神科医であったラカン(Lacan)によれば、この鏡像段階こそ、すべての人の中でファッションに対する興味が芽吹く時期だ。光の反射が作り出す自分の肖像を見て初めて、人間は自分を把握できる。自分は見られる存在であるだけでなく、自分自身を目にせざるを得ない存在でもある。それを理解したときから、私たちは衣服によるアイデンティティを築き始める。あなたが所有する衣服は、すべて、それを着たあなた自身を見たいと望む衣服ではないだろうか。
信号
控えめ過ぎる、ということもある。人目に付かないのは、良くて無関心、最悪の場合は全速力の破滅を招き寄せる。君子危うきに近寄らず。鮮やかな色彩で光沢のある服で身を飾ったとしても、光るガラクタを収集する癖のある人間カササギに見えるわけではない。むしろ賢く見えるだろう。少し反抗的に、安全な方法でセクシーに、暗闇の通りを徘徊しよう。今や、あなた自身が停止信号だ。

ダウンでタウン
エディー・バウアー (Eddie Bauer)が最初のダウンジャケットを普及させたのは、釣り旅行が一転、死に瀕するような体験になったことがきっかけだった。将来着てもらう人々の暖かさを考慮して、バウアーはひたすら機能に注目したパファーをデザインした。だが今日、ダウンは快楽を求める企てである。ダウンを着るのは、何処へでも、贅沢な羽毛布団の抱擁を携帯する企てだ。今年のメトロポリタン美術館主催ガラ パーティーで、レッドカーペットにキルティングのパファーが登場したのも、驚くにはあたらない。今シーズン、ダウンは快楽を満たすチケットだ。

Cheng Peng
「ブラジル」
男性にとって、スーツは常にギャンブルだ。完璧に仕立てたスーツは、物静かな洗練と威厳を表現する。だが、完璧にフィットしないスーツは、たちまち喜劇へと堕落する。1985年に発表されたテリー・ギリアム(Terry Gilliam)監督作「未来世紀ブラジル」は、官僚主義に支配されたディストピアでなんとか生き延びようとする下級役人が主人公だ。表向きの時代設定は未来だが、衣装は完全な時代錯誤である。ジョナサン・プライス(Jonathan Pryce)演じる主人公が着ているのは、グレーの冴えないスリー ピース。体格に対して数サイズ大き過ぎるジャケットを着た様子は、さながらヘリンボーン柄の甲羅に入った亀である。それが、荒涼として悲喜劇的なディストピアの世界と見事にマッチする。誇張されたプロポーションのスーツが復活したのは、果たして、映画と同じジョークの再現なのかと思案せざるを得ない。
準都市
ファッションを考えるとき、大抵私たちは都市生活を連想する。だが、都市の境界は、仕立ての良い服というよりもほころびだ。郊外が終わって他の何かが始まる場所は、しばしば、明確に規定できない。人口統計学では、そのような空間を「準郊外」と定義する。ジェントリフィケーションが進み、市民の波が都市の見えざる境界へ押しやられるにつれ、「準郊外」はより今日的な意味を持つようになった。市街地からいったいいくつ離れた駅まで行けば、都市の外へ出るのだろうか 大都市が私たちを遠くへ押しやるのなら、私たちの 「準」を作ってもいいではないか 今シーズン、私たちはフリンジを受容する。
ミレニアル世代の消費者
広告が過剰にあふれる時代に成人したミレニアル世代は、独自の突然変異的な消費美学を生み出した。その美学は、大きく分けて、ふたつの全く異なる潮流へ枝分かれした。ひとつは、ロゴへの病的な執着による厚顔な反逆、もうひとつはブランドを無視したミニマルの満足である。ポスト ミレニアル世代が構成されつつある現在、これらふたつのアプローチが中道で出会うことはあるのか本質的な問題はそこだ。

https://www.ssense.com/en-ca/men/designers/balenciaga
一番深い部分
サブカルチャーは今も生きているか、それとも死んでしまったのか。延々と続く議論は、役に立つ衣服(従って、望ましい衣服)とは何かという、より興味深い考察を覆い隠してしまう。我々がサブカルチャーと結び付けるユニフォームは、その象徴的な意味合いの必要性と同等の、機能的な必要性から生まれたものだ。デムナ・ヴァザリア(Demna Gvasalia)は言った。「最大のイノベーションは、方法論、すなわちコレクションを作る過程、それから自分が何を作るか、という点において実現しなくてはならない。そういうレベルでファッションを分析することに、僕は興味がある。(略)もちろん、見る人に鳥肌が立つような新しいシルエットを、半年毎に発表したいさ。けどそれと同じくらい大切なのは、どうやって、なぜ、作るのかを自問することだ」

男のハンドバッグ
Thom Browneの2018年春メンズウェア コレクションでは、マキシ丈のドレス、膝丈やミディ丈のスカート、ハイヒール オックスフォードの男性モデルが颯爽とランウェイを歩いた。筋骨逞しい女性らしさに乗っ取られつつあるメンズウェアを、私たちは支持する。ようやくやって来た性別超越トレンドの目玉は、一番トライしやすい「男のハンドバッグ」。卑屈に「男のハンドバッグ」と断りを入れる必要は、もうない。今や「やぁ、こんにちは。僕にも持ち物があるし、後ろのポケットがパンパンに膨らんでるのはみっともないからね」と明確に主張するアイテムなのだから。
アイコン
装いは一種の暗号だ。量的には控えめであることが良しとされるかもしれないが、質的には、アイコンを着こなせる者が勝者だ。親しみやすいシンプルなラインで描かれ、美に関するうんちくがあまり必要のないアイコンは、数十年もの長きにわたって存在してきた視覚的表現法を活用する。その点においては、ふたつの目より親しみ深いものがあるだろうか その偏在性はあらゆる人に歓迎されるが、趣味よく使える人は滅多にいない。虎になれないなら、虎を着ることだ。
希望的観測
私たちが着る服は、願望を叶えるひとつの形態である。見た目を良くすれば、仕事、コーヒー ブレイク、果てしないツイッターのフィードなど、何の変哲もない日常の出来事がもっと良く感じられる。そんな控えめな楽観主義で、私たちは手持ちの服を組み合わせる。従来、ピース サインは平和的な希望を象徴した。分割された円は、汚れた長髪に編み込んだ花、座り込みで日に焼けた破れジーンズ、マリファナをふかしながら公園でたむろすることと同義だった。そんなマークを、秋冬シーズンのランウェイで目にするのは衝撃だ。その楽観主義は、いったいどこから来るのか ピース サインの再浮上は、何かを予兆するように感じられる。つまり、願いとしての装いへの原点回帰。幸運を祈ろう。固唾を飲んで見守ろう。希望はウールの中に染み込んでいる。
話題の種
友情は、オンライン上の無数の短命な繋がりに成り果てた。ダイレクトメッセージへの信頼を強め、ミームを使った返答を火の手のように拡散するにつれ、現実世界はおざなりになる。ネット世界で取り残される不安に苛まれる内面を処理したいなら、瞑想(あるいは投薬)の代わりに、服飾アイテムの選択を考えてみよう。思いがけないディテールは、堅苦しい雰囲気をほぐし、話の種が尽きたときに会話の糸口となること、必至。さらには、あなたの服の特色を世間話のネタに使おうと、みんなが群がってくるだろう。飛んで火に入る夏の虫。あなたは、ただそこにいれば良い。

Prada
4次元チェス
元を正せばスケーター シューズに登場したチェッカー柄を昇華させながら、Lanvinは長い対局を続けている。それは、単に正方形の重なりではなく、チェッカー ゲームとチェスの違いに等しい。敵方が次に繰り出すデザインのパターンを予測し、可能なカットを思い巡らし、来るべきシルエットの戦略を練る。そうやって、2色のプリントは洗練の度を増していく。オレンジとブラックのチェック シューズを履いて歩くことは、4次元チェスボードに足を踏み入れること。君の犬は歩兵、母親からの電話は故意の妨害、恋人は横目遣いの女王だ。キャスリングするもアンパッサンするも、君はプレイヤーであり、ゲームそのものだ。
ディープ ステート
もっとも強大な力は、往々にして目に見えない。政府や公的機関に属する身分でありながら秘密裏に己の利益のために活動するディープ ステートは、歴史の因果から邪悪な存在とされるが、トランプ政権はこの概念を覆す。トランプ支持者は、サリー・イエイツ(Sally Yates)やジェームス・コミー(James Comey)などの「悪党」がディープ ステートを支配していると考える。それが本当なら、水面下の活動に付随する隠された強みを、悪党たちに享受させよう。ディープ ステートの一番の好例は政治かもしれないが、秘密の力はアンダーウェアの選択にも存在する。さりげなさには強い力がある。つまり、1分間のワードローブ分析が、さざ波と高潮の違いを招くことだってある。どこにいるか知らないが、スパイ小説で有名なジョン・ル・カレ(John Le Carré)も、Calvin Kleinの205W39 NYCコレクションを履いて尻込みをしているはずだ。
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