さらば午睡と怠惰の日々:
ベロアのトラックスーツ
2000年代を席巻した余暇の定番アイテムの軌跡を追う
- 文: Gabby Noone

『ル・ポールのドラァグ・レース 』で有名になったサーシャ・ベロア(Sasha Velour)がこの名前に決めたのは、「ベルベッドのイミテーション」という言葉がドラァグのメタファーにぴったりだったからだと言われている。ベロアは、つまるところ、テイクアウト用ベルベット。ベルベットをスターバックスのカップに詰め込んで、プラスチックのストローでズズーっと音を立てて飲む感じだ。ベロアは、シルクではなく、コットンや最近ではポリエステルで作られることが増えており、毛足が長く、伸縮性がある。ベロアは空港のリアーナ(Rihanna)であり、歯医者に行くリアーナだ。
多くの人にとってベロアとは、スポンサード コンテンツ以前の時代や「TMZ」全盛期の時代、Juicy Coutureが当時世間を賑わせていたセレブたちに巧みにベロアのトラックスーツを着せていた、あの時代を思い起こさせるものだ。だが、FILAやadidas、Nikeは今なおベロアのトラックスーツを作り続けている。これらより新しいスポーツ系ブランドのPhippsや、Martine Roseなども、意外にも、2000年代のカットに手を加え、スポーツ風のさりげないディティールにベロアをアクセントとして使い、今風に作り変えたアイテムを発表している。また、GucciやBalenciaga、Y/Projectなどのブランドは、2019年春夏コレクションのランウェイで見られたように、ノスタルジックなスポーツ スタイルに贅沢感を加え、ブランドがそれぞれ繰り返し発表してきた高級志向のラウンジウェアと掛け合わせることで、新たなスタイルを作り出している。
1970年代以前は、ベロアは主に、ベルベットの安価な代替品としてカーテンやソファー カバーなど、室内装飾に使われていた。そしてトラックスーツといえば、文字通りの意味で、陸上選手がレース前にトラック上で体を冷やさないために着るウェアのことだった。スポーツのテレビ放送と有名選手、不朽の人気を誇る趣味のジョギング、目もくらむほどに多様な化学繊維といった諸条件が相まって、ベロアのトラックスーツは1980年代頃には、少なくとも男性の間では、世界中で着られるようになっていた。ジェームズ・ボンドでさえ、1985年の『007 美しき獲物たち』で、普段のスーツにネクタイ姿ではなくネイビーのベロアでできたFILAのトラックスーツを着ていたほどだ。

『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』に出てくる青年たちも、頻繁にFILAのベロアのスウェット スーツを着ていた。それもそのはず、FILAは1900年代初頭にイタリアで設立されたブランドなのだ。10代のインフルエンサーに人気の、ボリューム感のあるスニーカーやクロスボディ バッグばかり作るようになるより、はるか昔の話だ。トニー・ソプラノが3時に誰かをぶちのめし、4時に愛人と会い、でも6時までには家に戻ってパスタを食べるには、ベロアのスウェットスーツは、朝から晩まで使える完璧な服となる。これが、現代のギャングたちが昼間に着る非公式のユニフォームであることは、ドラマでも現実でも変わらない。例えばジョン・ゴッティ・ジュニア(John Gotti Jr.)は、 2009年の出所時の記者会見でブラウンのベロアを着ていた。ベロアのトラックスーツは、運動競技とは似ても似つかない意味を持つようになった。ほとんど実際に体を動かすことなく、とてつもない額のお金を稼ぐ人を象徴する服になったのだ。この感じこそ、のちにJuicy Coutureがそのブランド イメージ全体を築く土台となるものだった。
アルバム『Stillmatic』のカバーで明るいオレンジ色のベロアのトラックスーツを着ていたナズ(Nas)もFILAのファンで、2008年には、ブランドと共同でトラックスーツのラインを立ち上げている。当時の彼は、この服が自分にとって非常に重要なものだったので、親友が亡くなったときに黒のFILAのトラックスーツを一緒に埋葬したと話していた。その上、1990年代になる頃には、そして2000年代に入ってからも、ヒップホップ界の大物が太鼓判を押すことで、ブランド名を刺繍したベロアのスウェットスーツは売り上げを伸ばし続けた。またジェイ・Z(Jay-Z)のRocawear、 ディディ(Diddy)のSean John、ラッセル・シモンズ(Russell Simmons)のPhat Farmなどが各地のデパートの売り場を席巻した。ただ定評のあるアスレチック ブランドを宣伝し、ブランドをカッコよく見せるという役割を果たすのではなく、彼らは自らこの市場の一角を切り開くことを選んだのだ。1999年、ラッセル・シモンズの当時の妻で、モデルのキモラ・リー・シモンズ(Kimora Lee Simmons)が、Phat Farmのウィメンズ ブランドとしてBaby Phatを立ち上げた。ちなみに『カーダシアン家のお騒がせセレブライフ』の放送が開始される2ヶ月前に、彼女を取り上げたリアリティー番組『Life in the Fab Lane』の放送が開始している。

Baby Phatは、ブランドのシグネチャ アイテムのひとつとして、ベビーピンクのベロアのトラックスーツをラインストーンで装飾するなど、これまで男性向けだったこの服を、女性向けに作り変えた。「私は男性向けのサッカー用ジャージなんて着たくない。彼氏の服というか、彼氏のジャージを借りたみたいな服は、私が求めているものではない」と、シモンズは2016年に『The Fader』で語っている。「私たちは女性に向けて作っている。当時、[私たちの顧客は]若い女性で、彼女はセクシーになりたいと思っていた。私たちは既成の枠を越え、より女性らしく、体にぴったりフィットした、センシュアルなものを作るの」。私は、Juicy Coutureがキモラ・リー・シモンズのアイデアを盗んだといって非難したいわけではないし、この2つのブランドはほぼ同じ時期に有名になったのだが、それでもBaby Phatがあったからこそ、Juicy Coutureはあそこまで大きくなったと思っている。
2001年にJuicy Coutureがトラックスーツの販売を開始したとき、まだ物欲が旺盛だった経済不況前という時代背景と、セレブリティの日常にさりげなく紛れ込ませるという巧妙な宣伝効果が合わさって、女性向けのベロアのトラックスーツは本物の流行現象になった。Juicyはトラックスーツから始まったブランドのように思えるが、実は、それより10年ほど前から存在していた。当初はマタニティ ジーンズのブランドとしてスタートし、その後、1970年代のカリフォルニアのカジュアルなスタイルにインスピレーションを受けたT シャツを、「ジューシーな」カラーバリエーションで提供するブランドとして売り出していた。創業者のパメラ・スカイスト=レビー(Pamela Skaist-Levy)とジェラ・ナッシュ=テイラー(Gela Nash-Taylor)は、その回想録『The Glitter Plan: How We Started Juicy Couture for $200 and Turned It Into A Global Brand』(2018年3月時点で、この本を翻案としたパイロット番組をチャンネルE!が手がけていた)の中で、自分たちのロールモデルは他のファッション デザイナーや洋服のブランドではなく、懐かしのロックンロールをテーマにした旅行者向けのチェーンとして世界展開する、ハードロックカフェを作った起業家ピーター・モートンだと述べている。「彼がハードロックカフェでやったように、まさにJuicy王国を作りたかったの」と説明する。
パメラとジェラは、セレブリティのスタイリストたちと良好な関係を築くことと、授賞式の放送で常にセレブリティたちがブランドの商品を持って出演してもらうことを優先していた。そして彼女たちは、通常のランウェイ ショーで商品を発表するのではなく、スターバックスの駐車場の待合ロビーを自分たちのランウェイだと考え、さらにパパラッチたちを自分たちのブランドのPRチームのように考えていた。Juicyのトラックスーツは、ピラティスのお稽古から、色落ちしたハイライトのお直し、ミスター チョウでのランチに至るまで、実際のランニングよりもっと負担の少ないエクササイズで着るための、公式のウォームアップ用ウェアになった。今なおこの時代に対するノスタルジーは強く、Juicy Coutureに対するノスタルジーもまた強いのだが、このブランドはあまりに皮肉な文脈で語られすぎるきらいがあり、実際にリバイバルを実現するのは難しそうだ。
Juicyのオフィスでは、継続的に「名誉のウォール」と「恥のウォール」を掲示して、自分たちの人気の高まりを記録していた。毎週、従業員のひとりが大量のタブロイド紙を買い込んできて、トラックスーツを着て写真に写っているセレブリティを一人ずつ切り抜いていたのだ。このような方法は、今日のInstagramの基準で考えると、ほとんど古風な趣すら感じられる。「名誉のウォール」で紹介されるのは、人々のあこがれるとなるようなイメージで、子どもを公園に連れて行くマドンナ(Madonna)や、コーヒーを持ったグウィネス・パルトロー(Gwyneth Paltrow)、ジムに向かう途中のジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez) の写真などが取り上げられた。一方、「恥のウォール」では、マライア・キャリー(Mariah Carey)の「ノイローゼ」 が大々的に公表されたときや、元夫のマウリツィオ・グッチ(Maurizio Gucci)殺害を企てた罪で有罪判決を受けたGucciの女殺人者、パトリツィア・レッジアーニ(Patrizia Reggiani)が、夫の葬儀のときに着ていた写真が取り上げられている。ともかくも、多忙なセレブリティが着るJuicyのトラックスーツを継続して記録していった結果、たとえ彼女らがホテルに帰ってベッドで泣くために移動中であったとしても、Juicyのトラックスーツであれば、通常のスウェットよりもだらしなくないように見え、単に一時的な活動の最中に見える気がするようになった。「私たちは、そういう着方をされるのがすごく好き」とJuicyの創業者2人は言う。「私たちは人がどこに行く途中だろうか気にしなかった。どこかに行く途中に着てもらえれば、それだけで満足だった」
Juicyのトラックスーツのベビーピンクの配色は、今でも特に象徴的だが、同時に最も笑えるものでもあり、生意気な信託ファンドの後継者や、自己中心的な3人目の妻のシンボルとして、ブランドを嘲る際にネタにされやすい。キム・カーダシアン(Kim Kardashian)が、ピンクのトラックスーツ姿で白のレンジローバーに寝そべっている写真がまさにそうだ。ニコール・リッチー(Nicole Richie)が、番組『シンプル・ライフ』のあるエピソードの中で「Dude, Where’s My Couture?」と書かれたTシャツにパンツを合わせていたし、ソフィア・コッポラ(Sofia Coppola)の『ブリングリング』では、エマ・ワトソン(Emma Watson)扮する10代の強盗アレクシス・ネイエーズ(Alexis Neiers)は、キャップスリーブのトラックスーツを着ており、当然ながら靴にはUggのブーツを合わせていた。オテッサ・モシュファ(Otessa Moshfegh)の小説で、2001年を舞台にした『My Year of Rest and Relaxation』では、1年間におよぶ「冬眠」という独自のやり方で、自分で治療をしている鬱状態の相続人である主人公が、目を覚ますことすらなく、古着のピンクのJuicyのトラックスーツの購入に成功している。

カルチャーとして食傷気味に受け取られ始めたことと、ブランドが創業期のオーナーからアパレルの巨大複合企業グループへの売却の組み合わせのせいで、かつては憧れの対象だったアイテムが、今ではKohl'sで50ドル未満で買えるようになってしまった。だが、ベロア全盛期を蘇らせようというブランドの努力は今も続いている。中でも顕著なのが、幾度となく平凡なアメリカのシンボルの昇華を試みてきたVetementsで、昨年、柄にもなくハイ ウエストの、数千ドルもするJuicyとのコラボレーション アイテムをいくつか発表した。だがこれは、いくつかの「Juicy復活!」を謳う記事と、カイリー・ジェンナー(Kylie Jenner)がお尻の部分に「Juicy」と書いたパンツを穿いた写真をInstagramに投稿した程度の効果しかもたらさなかった。リアーナ(Rihanna)が、赤のベロアのジャンプスーツで歯医者に向かうところが目撃されたが、ラインストーンで飾られたJuicyのロゴはすべて、オーバーサイズのレザー ジャケットで念入りに隠されていた。
民間セクターの産業の多くと同様、ベロアのトラックスーツに新たに息を吹き込むことに関して、おそらく、唯一の希望となるのはリアーナだ。リアーナの手がけるPumaのFentyシリーズは、手頃な値段で手に入る、セレブリティ カルチャーから生まれた憧れの商品という意味で、2000年代初頭のJuicy Coutureの魅力に最も近いものといえるだろう。リアーナはベロアに対するいくつかの画期的な解釈を取り入れており、そのひとつが、彼女本人も着ていたピッタリとしたラベンダーのトラックスーツだ。彼女は、真のセレブリティの流儀に則り、それを着て、Diorのロゴが入ったバッグを持ち、ロサンゼルス国際空港から飛行機に乗っていた。またUggsではなく先の尖った白のレザー ブーツを履くことで、未来感のあるスタイルに仕上げている。クリエイティブ ディレクターのアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が率いるGucciは、近頃、トラックスーツをブランドの中心に据え、ロゴで覆われたカジュアルなベロアのバージョンから、刺繍が施され、宝石が飾られ、ファーで覆われた、エルヴィスのジャンプスーツかと見まごうばかりの超フォーマルなバージョンまで、幅広いスタイルを発表している。2018年の秋冬コレクションでのダッパー・ダン(Dapper Dan)とのコラボレーションでも、2019年の春夏コレクションのランウェイ ショーでも、発表されたのは、ブラウンやベージュ、イエロー、グリーンといった70年代を思わせる色合いのベロアで、キモノ風の袖のついたものや、宝石で飾られた小物がついたものは、まぎれもなく豪華なアイテムといえた。だが、これらはラグジュアリーすぎて手が届かない。ベロアのトラックスーツは、根本的に、あらゆる人のための服であるべきだ。所詮、ベルベットではないのである。機能的で、手頃で、快適。華やかで手触りのよい繭のよう。こうでなければならない。
2000年代初頭のファッションのリバイバルによって、ベロアのトラックスーツの起死回生は、理論上は自然の成り行きに思われるが、世界はもはや当時と同じではない。実際にエクササイズで使う服をジムの外で着るのも、今となっては受け入れられているし、高貴なものとさえ考えられるようになった。だから、例えば、ムーン ジュースではなく、スターバックスの駐車場で写真を撮られるのは恥ずかしいことだ。カフェインを補給している場合ではなく、向上していなければならないのだから。気ままなスタイルは、セルフケアとしてリブランディングされてしまった。信託ファンドも、もはや自慢の種ではなく、隠すべきものになった。今や、アピールすべきことは、#hustleや#doingthingsといったハッシュタグをつけながら、どれほど自分が頑張っているかだ。たとえ、家賃は親に払ってもらっているのだとしても。常にメールをチェックして、自分ブランドの構築に勤しみ、誰もが働きづめのこの時代、本当の余暇など、有閑階級にとってすら既に存在しなくなっているような気がする。ベロアのトラックスーツにノスタルジーを感じるとすれば、それはこの服が、完全に何もしないという夢のような時間を体現するものだったからに他ならないだろう。
Gabby Nooneはブルックリンを拠点とするライター。現在、初のヤングアダルト向け小説を執筆中である
- 文: Gabby Noone