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Calvin Klein
205W39NYC

Calvin Kleinとスターリング・ルビーの融合

  • 文: Jack Self
  • 画像提供: Calvin Klein 205W39NYC & Jack Self

資本主義は、泳ぎ続けなければ死んでしまうサメに似ている。だから、永久に成長し続けることは不可能にもかかわらず、常に前へ前へと進んでいく。まさしく他の産業と同じように、ファッションも同じ原則に従わざるを得ない。すなわち、際限なく新たなインスピレーションを求めつつ、さらにスピードを上げて、さらに大量に生産するのだ。

ファッションに新しい何かをもたらすもっとも重要な源は、アートの世界だ。デザイナーは、いくつかの方法で、自分たちの仕事にアートをとりいれることができる。例えば、ムード ボードに入れる、または全体的なインスピレーションの源として参考にする。文字通りアート作品を流用して、プリントなどに仕立てることもできる。アーティストと直接コラボレーションして、最終的に服へ転換する方法もある。あるいは、自分たちの製品を含めた特別なインスタレーションの制作を、アーティストに依頼する。ラフ・シモンズ(Raf Simons)とアーティストのスターリング・ルビー(Sterling Ruby)は20年近い知り合いだ。そして、彼らはこうしたやり方を全部、一緒に試してきた。

Diorのクリエイティブ ディレクターをしていた2012年、シモンズはルビーのキャンバスをコピぺして、クチュール コレクションを誕生させた。シモンズ自身の2014年秋冬ショーでは、一時的にブランド名を「Raf Simons x Sterling Ruby」に変えて、連名のコレクションを発表した。シモンズのデザインにも、ルビーのアートにも似ていない、まったく違う作品群だった。そして現在、Calvin Kleinのクリエイティブ ディレクションを任されているシモンズは、マンハッタンのミッドタウンにあるCalvin Klein旗艦店のデザインを、長年の友人に依頼した。このコラボレーションの性質は、今後の実践という点で、ファッションとアートの両方に重大な意味を持つ。

Calvin Klein旗艦店のためにルビーが制作したデザインは、カナリア イエローに塗られた面と足場の不協和音と表現できるだろう。色分けされた陳列ユニットの周囲と上方に、製品を始め、色々なものを吊るすシステムが組まれている。アシッド ウォッシュ加工したアメリカーナ風、民族調の工芸品が、ふんだんに配置されている。色使いはルビーの大半のアート作品ほど強烈ではないが、その他の点では、かなりルビーらしい典型的なインスタレーションだ。ちなみに、足場は少なくとも過去3千年にわたって建築に使われてきたが、現在のようなシステムは、ダニエル・パーマー・ジョーンズ(Daniel Palmer Jones)という名のイギリス人建設業者によって編み出された。ジョーンズは1900年代の初頭に連結モジュールを発明し、「Scaffixe」と「Universal Coupler」と名付けて特許を取得した。これが現在も使用されている。ジョーンズの革新的な発明が生まれる以前は鉄のパイプをロープで縛っていたから、どうしてもだんだん緩んで、死を招くこともあった。ジョーンズが考案した継ぎ手のおかげで、より高く、より安全で、より頑丈な足場が作れるようになった。ひいては、より大きく、より野心的な建築が可能になった。現在の資本主義都市は、足場によって象徴される。足場は成長の基本をなす構成要素であり、投機、開発、破壊、変化による終わりなき拡張の視覚症状である。

ニューヨークでは、特に、建物の正面に足場が組まれることが珍しくない。パイプが網目のような模様を作り、通りに沿って即席の柱列が立ち並び、店舗のウィンドウに深い影を落とす。そんな都市景観は、19世紀に思い描かれた層状のメトロポリスを連想させる。進歩という凶暴なパワーにさらされて孤絶した住人たちが、産業の単なる思い付き的に作られた空間で暮らす都市だ。ルビーが立てたスチール パイプの足場では、プラスチックのヌードのマネキンたちが孤立している。床から6メートルの高さにあって、その多くはCalvin Kleinの商品さえ着ていない。空中高く座っているのに、ガードレールもない。アントニー・ゴームリー(Antony Gormley)の作品の自殺版のごとく、赤と黒の孤独なマネキンたちは客の頭上で、危なっかしく座っている。だが、空中マネキンたちは、わざとそんなアティチュードを見せているようにも思える。薄れつつあるベビー ブーム時代のロックンローラーの記憶から呼び起こしたように、過剰に向こう見ずをアピールしている。象徴的な反抗の身振りを崩さないが、その実、 下には安全ネットがあることを十分承知している。

現在の資本主義都市は、足場によって象徴される

安全ネットが存在するという条件から、19世紀の伝統と 21世紀を隔てる主要な属性のひとつへと、思いは飛ぶ。経済的にも物理的にも、現在我々が日常生活でさらされる危険の種類と数は、圧倒的に減少した。リスクが大きすぎるとみなされる人々に、信用は供与されない。彼らは都市域と経済システムから切り捨てられる。カネの流れは流動的で滑らかになったが、無慈悲で非人間的にもなった。また、そのような残忍な資本の動きは、健康と安全の領域で、奇妙で過度の補償を作り出した。都市にはかつてなく標識が溢れている。扉に寄りかかるな、禁煙、高電圧注意…。信号や路面標識など、群集を分離するシステムは高度に進歩した。車椅子用のスロープから公衆衛生と大気環境に関する法律まで、都市生活におけるアクセスと楽しみを増大すべく、多数の手段が考案され、広範囲に実施されている。だが、これらの進歩は常に、都市空間の高級住宅地化、強制立ち退き、非政治化、社会的浄化を推進する富裕層の取り組みといった、アクセスを制限する動きと裏表の形で同時進行した。

屋内に使われた足場には、わずかに違う効果がある。ロフト形式のアパートの自由な雰囲気、DIYの「アドリブ」的なエネルギー、産業後空間のアート的な占拠を連想させる。居住空間内の足場は、恒久性と虚飾を拒絶し、機能を志向する精神を表す。ニューヨークの店舗内に登場した足場には、何か、とても郷愁をそそるものがある。ヴィレッジの不動産がほとんど無価値で、月100ドルの家賃で褐色砂岩の建物を借りられた1970年代の栄光の日々を蘇らせる試みのように...。 同様に、店舗内の空間はすべて家庭にインスパイアされている。先ずロビーを抜けて、階段を上がると居間とアトリエがあり、いちばん上に寝室と着替えの部屋がある。ルビーが作りだしたインテリアは、さながら白日夢のロフトだ。幻想的で、現実にはありえない。理想化し、抽象化したミッドタウンの家庭。寝室の1本のレールにはCalvin Kleinアンダーウェアがぶら下がっているが、セクシーとは無縁だ。その光景は皮肉を迂回して、父親世代のY型フロントの下着へと記憶を向かわせ、物悲しい感情を引き起こす。

だが結局のところ、すべてはいかにもスターリング・ルビーらしいインテリアだという点に還元される。この新しい旗艦店はアート作品であると度々言及されているが、それはとりもなおさず、ルビーの作品が旗艦店に形を変えたということに他ならない。

画像のアイテム:ボクサー(Calvin Klein 205W39NYC)

ルビーはイギリスの建築家ジョン・ポーソンが手がけた店舗の骨組みを取り入れ、完全にリメイクし、その過程で空想的な輝かしい世界を生み出した

現代以前のアーティストは、ほとんどの場合、パトロンに依存していた。貴族や教会が給料を払ったり制作を委託したりして、アーティストを養った。だが20世紀のアーティストは、もっと自立を目指した。アンディ・ウォーホール(Andy Warhol)のように、エリート階級からの施しに頼ることなく、自分が欲求するアートを制作し、販売しようとした。独立を求め続けた結果、そのひとつの明確な帰結として、アートを他の商品と同じように考える方向性がどんどん進行した。もはやアートは、神聖で千金の値打ちを備えたものではありえなかった。値段がつき、金銭的な価値がなくてはならなかった。教会の天井に描いた絵画のように、ひとつしかない、固定されたものではありえなかった。限定版の小型彫刻のように、シリアル番号付きでいくつもあって、持ち運びできなくてはならなかった。

結果的に、アート作品は、贅沢な車や高価な時計や金持ちだけに許されるペントハウスとさして変わらなくなった。すべては同じ市場の論理に従う。今回の場合、スターリング・ルビーは、ラフ・シモンズとCalvin Kleinにインスタレーションを委託されたアーティストだった。だが、あくまでクリエイティブ ディレクターの監督下で…。野心的な試みが目指したのは、ファッションとアートという異分野の文化的なコラボレーションだ。アーティストは独自のスタイルとスキルを使い、アート作品としてブランドを振興した。だが、ブランドとアート作品は、同じものではない。

ことを複雑にしているのは、コラボレーションの結果がなかなかいいことだ。ルビーはイギリスの建築家ジョン・ポーソン(John Pawson)が手がけた店舗の骨組みを取り入れ、完全にリメイクし、その過程で空想的な輝かしい世界を生み出した。しかし、アートはもはや大いなる創造の自由を謳歌できない。それが底を流れるメッセージだ。Calvin Klein旗艦点は、一般化した文化現象を象徴した、もっとも明確な好例といえるだろう。ルビーは非常に忠実に自らのユニークなスタイルを商業的背景へ応用した結果、遡及的にこれまでの作品が再定義されることになった。それが悲しい。たとえ非常に美しい成果が得られたにせよ、我々が共有する文化にとって、アートと商業的装飾の融合は何を意味するのか。そのことを問う必要があるだろう。

Jack Selfは、ロンドンを拠点とする建築家でありライターである。REAL foundationのディレクターとReal Reviewの編集長も兼任。2016年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展では、英国パビリオンのキュレーションを担当した

  • 文: Jack Self
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