ユーザー体験:Moncler メキシコシティ
アウトドア老舗ブランドがその歴史と乖離するとき
- 文: Rebecca Storm
- 写真: Rebecca Storm

80年代初頭、ミラノで「パニナリ」と呼ばれるファッションのサブカルチャーが登場した。この流れの中心には、パニナリの若者が訪れるサンドイッチ屋と、彼らによって一躍人気となったMonclerのダウンがあった。サンドイッチは、彼らパニナリにぴったりのシンボルだ。彼らは大量消費社会の代表であり、じっくり腰をすえて物事を行う慣習とは一線を画し、高速で消費することを好む。そんなパニナリの服装の主流となったMonclerは、ややもすればLevi’sの501や、カウボーイ ブーツといったアメリカーナの象徴的要素を強調した、FiorucciやArmani、Supergaなどのイタリアの老舗ブランドに忠誠を誓っているように見えるワードローブに、フレンチ テイストを加えている。


従来、その実用性で知られていたMonclerのダウン ジャケットが、パニナリによって、純粋にその見栄えを理由に、ファッション アイテムの中に組み込まれたのだ。クロップ丈で、光沢のある素材、鮮やかなカラー。Monclerの原型ともいえるこのシルエットは、今日でも非常に人気が高い。国際的なブランドに溶け込みつつ、ファッション分野に限っては、自分たちのカルチャーの支持者を集められるほどに際立った存在となったパニナリたちは、グローバルなファッション アイデンティティを形成する小さな一歩を踏み出していたと言える。今日、ひとつのことを得意とすることは特化ではなく、限界を意味するようになってしまったファッション界において、このパニナリの理想は、さらなる高みを目指すブランドのゴールのひとつになっている。
メキシコシティのMonclerのショップに到着したとき、私は入り口の両側に緑樹やサボテンがないことに気づいた。これらの植物は、ダウンタウンの中心や、その周辺のローマノルテ、ラコンデーサ、イポドロモなどの地区では至るところにうっそうと生えている。2019年にMonclerで買い物をするような人たちが、メキシコシティでの「オーセンティックな体験」を望むなら、これらの地区こそ選ばれそうなものだ。だが、実際のMonclerのショップは、裕福な地区として知られるハルディネス デル ペドレガルの郊外の、高級なアウトドア用品を売るモールの中にあった。もし運良く有名なラッシュアワーの渋滞を避けられれば、ダウンタウンから車で40分ほどだ。そのアルツ・ペドレガルというモールには、念入りに手入れした芝生にローズマリーやホウライショウの茂る庭園があり、全3階にわたるラグジュアリー ショップをひとつのエレベーターが繋いでいる。周囲の都市風景に溶け込むのではなく、快適さを追求するために、何もかもがここに運びこまれている。アップグレードというよりは、すでに裕福な地区に装備されたアドオンといったところだ。

2019年におけるモールのコンセプトというのは、不条理に近いものがある。一見すると作られたユートピアのような場所だが、実際の土地にほとんど根づいていない。現代的な商業施設の中にいると、とりわけ場所と場所の中間にある場所にいるような気がする。それは空港や駅のプラットフォームのような場所に近い。それがどこであれ、長時間そこにいたいと思う人などいない。店舗の亡霊のような場所だ。何もかもがここにあるけれど、私はここにいる必要があるだろうか。ブランドは、売るために特別な場所になる必要はない。特にそのブランドが没入体験のようなものを提供しているのでないのなら、なおさらだ。この点、Monclerもそうした体験は提供してはいない。店舗に足を踏み入れて、そこで初めて、サンダルにソックスを履くという自分の決断に疑問を抱き始めた。これは私なりの、慣れない気候の街で「何があっても慌てない」ための工夫だったのだが。Monclerの商品には、この私の汎用性のための工夫に通じるものがあった。フットウェア、アイウェア、そしてダウン コートのセレクションの隙間を埋める洋服など、私はブランドがこれらのアイテムを作っていることをまったく知らなかった。ひとつの優れた商品、つまりはダウン ジャケットの販売がすべてというブランドのレガシーのせいか、あふれんばかりの他の選択肢は、ただのオマケのように思えた。老舗ブランドが実験しようとすると、これ見よがしにひけらかしたがる、いい歳したオジさんを見ているかのように感じてしまうのは、どうしたことだろうか。
老舗ブランドが実験しようとすると、これ見よがしにひけらかしたがる、いい歳したオジさんを見ているかのように感じてしまうのは、どうしたことだろうか
Monclerは、Monestier-de-Clermont(モネスティエ=ド=クレルモン)というグルノーブル近郊の山あいの村の名前から作った混成語で、1952年、レネ・ラミヨン(René Ramillon)によって設立された。2003年、Monclerは、現会長兼クリエイティブ ディレクターのイタリア人実業家レモ・ルッフィーニ(Remo Ruffini)によって買収された。ルッフィーニは、ブランドの大改革と、昨今のGeniusプロジェクトに力を注いでいる。Monclerはそれを「饗宴」と呼び、近寄りがたい孤高のクリエイティブ ディレクターは脇に追いやって、数多くのデザイナーと手を組んだ。今年取り上げたデザイナーには、シモーネ・ロシャ(Simone Rocha)、藤原ヒロシ、1017 Alyx 9SMのマシュー・ウィリアムズ(Matthew Williams)、Valentinoのピエールパオロ・ピッチョーリ(Pierpaolo Piccioli)、そしてクレイグ・グリーン(Craig Green)などがいた。「Geniusの全体構想は、多くの異なる表現をひとつのブランドの下に集め、異なる世代、集団に語りかけ、包摂的なブランドとなることです」と、「ひとつのブランド、多様な表現」と題したプレス リリースには書いてある。この場合の「包摂(インクルーシブ)」というのは概念レベルの話であり、ブランドが売り込む対象である人々に対して包摂的であるというよりは、むしろ商品をデザインするクリエイターを指しているようだ。ここには、その包摂性によって限定品が生まれるという矛盾がある。これと同じことが、アウトドア用品のラグジュアリーなモールにも言えた。広々とした空間の誰にとっても使いやすいユニーバーサル デザインをもって包摂的であると言うのは容易だろう。だが、そこは日差しを遮るほどに高い壁に囲まれていた。

エディー・バウアー(Eddie Bauer)は、釣り旅行中に低体温に陥り、危うく死にかけた体験から、1940年にキルティングのダウン ジャケットの特許を取得した。こうして、従来は普段着のアイテムなどではなかったダウン ジャケットが、温暖な地域に住む人でも着るような、定番アイテムとなった。Monclerは、もともと、寝袋を専門に製造する会社だった。だが1950年代初頭、この山間の工場で働く人々は、寒さから身を守る、着用可能な寝袋に近いこのアイテムを初めて採用することを決めた。そして、これが登山家のリオネル・テレイ(Lionel Terray)の目を引いた。彼こそダウン ジャケットの普及に貢献した人物で、Monclerと共同でテストを重ね、1950年代の終わりに、この服を完成させた。私は、自分がプラトン主義的理想のダウン ジャケットの誕生に貢献したブランドの店舗にいることに気づき、パニナリ スタイルの深紅のジャケットを試着してみることにした。
「これはメキシコにある最後の1枚ですよ」と店員が言う。「もしかしたら、北米で最後の1枚かも」。それから「海と同じカラー」を試してみるように言うと、ターコイズ ブルーのダウンを持ってきた。それは確かにビーチに広がる海のように鮮やかだったが、ビーチにこれを着て行こうとは私には到底思えない。私はこの羽毛の袋に包まれると、すぐにくつろいだ気分になったが、肩の位置に広がったベルベット素材が、機能性を損ねているように見えるのがやや気になった。レモ・ルッフィーニについて、Monclerのウェブサイトは、「グローバルなダウンジャケットという戦略は彼の独創的な発想から生まれました」とある。どのような戦略をもってすれば、ジャケットをグローバルに展開する試みの一環として、国内でもっとも裕福な地区にあるモールに高級ブティックをオープンしようということになるのだろう。それは、厳しい気候に耐えることを目的として作られた衣服に、ベルベットのアップリケを許してしまうのと同じ戦略だ。これは単に、老舗ブランドが、頼まれてもいない没入型の店舗体験を、一生懸命作り出そうと頑張っていることに対する批判かもしれない。一見バカげたこのMonclerの店舗も、エベレストの3分の1ほどの標高に位置することを考えると、地理的には、実は筋が通っているに違いない。だが、カルチャーの観点からは、世界のどこにいても手に入るようにする必要性以外に、どんな筋が通っていると言えるのか。

パニナリにとっては、Monclerをイタリアの老舗ブランドに合成させること自体が、コスモポリタンな知見で世界中に影響力を及ぼす地域の代表者という、グローバルなファッション アイデンティティを作り上げることへの一歩だった。それはまさに、多くの部屋があり、それぞれに異なるクリエイティビティを住まわせている、Moncler Geniusという家が、自らの多用途性と拡大を優先させ、伝統を解体しているのと同じだ。そして、Monclerがより広い市場を満足させようとすればするほど、それは本来の出発点から離れていく。店舗正面の展示ケースに、小さな金属製のそりが入っていた。それは、ドイツ人アーティスト、ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)のあの原始的な彫刻に驚くほど似ていた。ボイスの彫刻作品は、折りたたまれたウールの毛布と懐中電灯、そしてラードを運ぶソリからなり、ソリには彼がサバイバルに必須と見なしたものだけが乗せられている。一方、Monclerのソリには高価なスニーカーが乗せられていた。この彫刻が示しているのは、ヘリテージ ブランドとその実用性の間のギャップだ。それは、商品がそのデザインの起源やその機能から切り離されるときに、グローバル化したビジネス モデルの中で生じる食い違いである。何もかもに共感しようとすると、自分は何者でもなくなってしまうのだ。どこでもある場所は、どこでもないのと同じように。


Rebecca StormはSSENSEのフォトグラファー兼エディター。『Editorial Magazine』のエディターも務める
- 文: Rebecca Storm
- 写真: Rebecca Storm
- 翻訳: Kanako Noda