ユーザー体験:
Rick Owens
ニューヨーク店
いかにして21世紀に
先史時代の洞窟が誕生したか
- 文: Esther Choi
- 写真: Esther Choi

先ず、認めよう。瞬く間にリック・オウエンス(Rick Owens)が名声を得たことを、私はこれまで十分に理解したことがなかった。ひとつには、世代が置かれた環境の違いがあったかもしれない。オウエンスが独立したデザイナーとして最初に登場したのは1997年。当時の私のスタイルは、Rick Owensブランドの「スポーティ ゴス」とそれほど違わなかった。オウエンスのストリートウェア ブランドDRKSHDWは、当時からの「スポーティ ゴス」スタイルが特色だ。断然スポーツマンよりはゴスに近かった私だが、実態は、まさに歩く90年代だった。陰気で、理解されず、エモやブラック メタルのレコードを聴いてふてくされている郊外の少女だったわけだ。だが、90年代の半ばから後半は、すねてポーズをとってるだけの時代でもなかった。反企業の政治活動や同人誌への寄稿、皮肉と文化理論の時代でもあった。まさに体制側に「魂を売る」ことこそが、最低の行為だった。さらに、音楽についても同じことが言えるが、共通の価値に基づいて服がサブカルチャーを形成した最後の時代だったんじゃないだろうか。
リック・オウエンスは、ちょうど、ある種の文化的な変化が起ころうとする頃、ファッション界に登場した。君臨していたハードコア パンクとメタルが、徐々に主流文化の中へと拡散し、大量消費市場に吸収された頃。占有の達人オウエンスは、上手くDIYを取り込み、体制文化に反抗した表現の精神に彼なりのアレンジを加え、1兆ドル規模の国際アパレル市場へと参入した。以来、彼のまわりには、「オウエンス族」が生まれた。正確には、60万9,000人を超えるインスタグラム フォロワーが、バイレル・ザ・グレート(Byrell the Great)やダット・オーブン(Dat Oven)のビートに合わせて、カシミアのドロップ クロッチ パンツを誇示する。今や、ブランドのあらゆる面に、オウエンスの刻印がある。ドレープ、暗い色使い、対照的なバランスから生まれるボリューム、彫刻のようなシルエットの服。そして、メディアの注目を集める壮観なキャットウォーク、女性ばかりのヒップホップ ダンサー群、滝のように流れ落ちる泡、男性モデルが裸身をさらすショー。そしてもちろん、彼はパフォーマーでもある。物議を醸し、常にショックを歓迎し、つい最近は、クリスティーン(Christeene)の「Butt Muscle」ビデオで、腰まで伸ばした黒髪をクリスティーンの肛門に押し込んで不滅の座を獲得した、オウエンスその人。
だから、昨年末、オウエンスが9番目の旗艦店をソーホーにオープンするというニュースには、大きな期待が寄せられた。前にオープンしたハドソン ストリートのストアは愛想も装飾もなかったが、自分で自分の口に放尿している合成写真を作らせたデザイナーの表象となることを考えれば、新店舗にはある程度の芝居がかった要素が予想された。 もちろん、他の店舗にも、せいぜい「突飛」と呼べる要素はあった。例えば、パリの本社では、オウエンスの裸の蝋人形が床に向けて放尿している。オウエンスは、建築の重要性も理解しているようだ。032cのインタビューでは、衣服は建築へ通じる第一歩だと語っている。


さて、オウエンスの前哨基地へ到着して目にしたのは、梯子を販売していた前の店からそのまま引き継いだ緑色のパッとしない正面、窓に書かれた控えめな店名。どちらかと言えば、おとなしくて謙虚な何かに直面している気がする。「ロード オブ ザ リング」に描かれたモルドールというよりは、ロフトに近いではないか。店内に入ると、カーニバルのような衣装で着飾ったストリートウェア ファンの若者や中年男性といった多彩な客が、陳列された商品を仔細にチェックしている。そこで、声をかけてきた快活な20代の店員と話してみた。「主な顧客層って一体どういう人たちなんですか?」 混乱した私の正直な疑問だ。「40代や50代の、クリエイティブな仕事をされている方多いですね」。少し間を置いて「それから、もちろん、ラッパーとかミュージシャンとか、パフォーマーも沢山お見えになります」。地味と壮観。この両極の顧客層に、この店舗デザインを誘発した要因が要約されてると思う。オウエンスの家具デザイナーであり、妻であり、「妖精界の魔女」であるミシェル・ラミー(Michèle Lamy) がデザインした店舗は、白い壁にコンクリートの床と、外見はかなり標準的だ。内部を両断する堂々たるコンクリートの階段を除けば、改築された様子はない。
文字通り
「歴史が存在しない」こと
以上に先史的なことはない
それでも、よりさりげない箇所から見て取れるのは、ラミーがブランドのダークでミニマルな「トライブ」ストーリーを取り入れながら、顧客が手に入れたいと願う憧れのライフスタイルを投影して、ブランドを別の視点から捉えたということだ。全体として先史時代のような雰囲気のなか、岩、地形、動物を連想させる、主としてラミーによるデザインの家具が分散して配置されている。コンクリート板には、長い年月を経たような風格がある。ブルータリズムの手法で、印象的な照明や「特殊効果」を使わず、物理的な存在そのものによって、物体が顧客に語りかける。
店内の空間で、真の焦点は、オウエンスとラミーの彫刻のような家具だ。1階に点在するフォリーとして、ハンドバッグ、シグネチャのシューズ、家庭用品と巡るプロムナードへ買い物客を案内する。多面に加工された大石は、ラクダの皮、コンクリート、大理石、合板、アラバスター、スチレン樹脂など、珍しい素材で作ったり覆われたりして、陳列用の台座と座席の両方を兼ねている。オウエンスは2007年から家具をデザインしているが、ブランドの一部として販売するようになったのはごく最近だ。また、この店舗は、現在ロサンゼルス現代美術館にも展示されている、オウエンスとラミーがデザインした家具の試作品を置いてみる実験的空間として想定されていた。過去にオウエンスのデザインにも登場したことのあるシグネチャの家具「プロング」の形に形成された発泡スチロール素材のソファは、一人掛けと二人掛けがあり、ラクダの皮のカバーがかかったバージョンは3万ユーロ台。旧石器時代のテーマは、店頭に並ぶ家庭用品にもはっきりと見て取れる。例えば、オウエンスとラミーのデザインによるオーダーメイドのテラコッタ製や銅製の皿、スターリング シルバーや骨で作ったカトラリーなど。さらにこの洞窟の奥には石の暖炉がそびえ立ち、入口近くにはガラス、スチール、クリスタルで作られた巨大な彫刻のような柱が屹立している。


オウエンスのデザインする服にも同じことが言えるが、ラミーのデザインするオブジェには、ディテールに縛られない、という矛盾した衝動が見て取れる。職人技を意識しつつも同時に無関心を装うなかで、それらのオブジェは愛らしくもあり、耐え難いほどに落ち着かない。ゴツゴツとした荒削りの継ぎ目をあえてそのままに残しているラミーの家具は、どちらかと言うと、ちょっとした欠点が魅力とみなされる先史時代の遺物のようだ。継ぎ目をずれたまま残す手法は、床、壁板、階段、天井、鏡や試着室のドア枠まで、店内のあらゆる場所で多用されている。また、天井の端から端まで埋め込まれた蛍光灯から階段のインセット型の手すりまで、店内はまるであちらこちらに掘り込みを入れたかのような形状になっている。2階のより従来型の販売スペースには、オウエンスの既製服コレクションのラックが並び、多面鏡が光の帯をレーザー模様に反射させる。その効果で、建材の重み、質感、外観が際立ち、展示品の間を歩く者の心に語りかける。
ファッションでは、ユニフォームをユニフォームではない服と同化させる手法によって、本来の意味を消すことができるのと同様、店内では、素材もコンテクストも自由に気兼ねなく扱われている。ラミーのオブジェにとって、それが本来、高級素材なのか大衆品なのかは、大して意味を成さない。店の1階を華やかに彩る、パキスタンから輸入された1.5トン(アメリカ国内に存在するものとしては最大)の磨かれた結晶スラブの板の脇には、発泡スチロールで作られた丸いオブジェが置かれている。石と見紛う外見の発泡スチロールが置かれていると思えば、貴重な石が発泡スチロールくらいの気軽さで使われていたりする。同じことが、一見遺跡のように見える店内のオブジェにも言える。古代遺跡のモチーフは、オウエンスが博物館に展示されているコレクションから選り抜いて、自分のインスタグラムでフィードに載せている陶器や装飾品にも共通するテーマだ。しかし、外見はともかく、それらは現代の職人が作ったものだ。人工的に作られた以上、そこには現代の作りの片鱗が見て取れるのだが、にもかかわらず同時に時代を超えた存在であろうとしているようにも見える。この先史時代の洞窟を彷彿とさせるパラダイスでは、人工と自然に発生したもの、過去と現在の違いは何もない。
職人技を意識しつつも
同時に無関心を
装うなかで、
それらのオブジェは
愛らしくもあり
耐え難いほどに
落ち着かない
私は二階の大理石の椅子に座り、ラミーによって緻密に計算された「都会の原始人」のライフスタイルをイメージしてみる。洞窟に並べられた、かつては高嶺の花とされたオブジェの数々は、それが故に空想を愛するファッションとも相性が良く、同時に、一筋縄ではいかない。そんな風に考えを巡らせていると、ふと鏡に映った自分の姿が目に入った。工場で働く労働者が着る何の変哲もないユニフォーム、そのじつ、デザイナーによって巧妙にデザインされたジャンプスーツを着た自分の姿。それを見ると、ファッションが文化的病理や批判を伝達するもっとも破壊的な方法であることを、つくづく認識させられる。インターネット後の時代に、狩猟採集民族は、スロー フード、工芸、オーダーメードを提唱し、コーヒー豆の焙煎からオウエンスとラミーの高級原始主義まで、多岐に渡るさりげない様式を取り入れてきた。ソーホーにあるオウエンスとラミーの店舗は、もっとも原始的かつ後期資本主義者たちが抱く本物への回帰願望をうまく利用して、原始主義のテーマに説得力を与えている。このテーマが紡ぐ太古の物語は、我々が失った自由を直感的に捉える。永久に続く現状(文字通り「歴史が存在しない」こと以上に先史的なことはない)や目新しさに対する飽くなき追求しかり。社会的規範、ルール、期待からの逸脱によって、自己創造の新しい幕開けの主人公となる夢想しかり。オウエンスのファッション ショーが彼をとりまく部族のための儀式だとすれば、ラミーが手掛けた店舗という神聖なる場所は、オウエンスの下にいる大勢のクロマニヨン都会人に住処を提供して、物語を完結させる。

- 文: Esther Choi
- 写真: Esther Choi