ウィルソン・オリエマ:大量消費に抗うMargielaのミューズ
モデル兼作家は、ランウェイでも詩の中でもサステナビリティを考える
- インタビュー: Erika Houle
- 写真: Angelo Dominic Sesto

ウィルソン・オリエマは、自らの言葉を通して、ファッション業界と、ファッションが与える環境への影響との間にある断絶の橋渡しをする。彼はそんな自分を、異色の文化人だと考えている。ロンドンを拠点に活躍する25歳の作家。この若さで自省を常とするような分別を備えていることからも、彼のこれまでのキャリアがいかに複雑で包括的なものかわかるだろう。
ドロップ文化とファスト ファッションが全盛の今の時代、私たちの活動スピードは、サステナブルな未来にとって最大の障害になっている。そんな中で、オリエマは、「行動する前に考えよう」という、シンプルでありながら忘れられがちな助言を体現したような人物だ。短い物語と詩を集めた処女作『Wait』において、現代社会の消費と、次に登場する最高のアイテムを手にしなければ気が済まない、私たちの果てしない執念に光を当て、彼は「もっとゆっくり行こう」と私たちに訴える。
黎明期のユーチューバーとして投稿したビデオゲームの実況が、ネットの深淵のどこかに今も残っているはず、と冗談ぽく話すオリエマ。彼は、興味のあったグラフィック デザインとコンピューター サイエンスの道に進むため、17歳で学校を去ると、何年にもわたり、彼だけでなく誰もが魅力を感じるような、さまざまな仕事を経験してきた。科学技術ジャーナリズムから金融、商品開発、そしてマーケティングまで、いくつかの業種を経験し、彼は会社という制約の中でスケールアップしたいという、ちょっとした願望が芽生えていることにも気づいた。だが、オリエマは自分のクリエイティビティを掘り下げる方向に進み、友人のフォトグラファー、ハーレー・ウィアー(Harley Weir)のもとでインターンを始めた。これはのちに、廃棄物ゼロのアイデアにもとづいて構成された、『Wait』と題した共同の展覧会にも繋がる。「今ちょうど僕たちは、本当に自分たちが大切だと思うことを促進すべき、歴史上でもとても面白い地点に立ってるような気がするんだ」とオリエマは言う。そして、モデルにスカウトされ、Margielaのショーで華々しいデビューを飾る。おそらく彼の履歴書の中でも最も意外なこの出来事が、彼が進むべき道を示したのだろう。そのときから、彼はより良い社会を目指して、このファッションの世界の内に身を置いている利点を活用するようになった。彼にとってファッションは、サステナブルな社会を目指す努力を推進するためのリソースであり、今年後半に公開が予定されている2作目の著書でも、消費に焦点を当てている。

エリカ・フウル(Erika Houle)
ウィルソン・ オリエマ(Wilson Oryema)
エリカ・フウル:あなたは自分のことを「歩く矛盾」と言っていましたが、こうして、ビジネス モデルの中心に「次にくるもの」を据えたeコマース サイトのインタビューを受けていることを考えると、まさにその通り、という感じですね。ファッション業界におけるあなたの役割はどういうものでしょうか。
ウィルソン・オリエマ:僕にとっては、それがマイナスであろうがなかろうが、自分の与えるインパクトを理解することが重要なんだ。もしそれがマイナスの影響なら、どうすれば埋め合わせられるかを理解すること。それは自分たちの消費に結びついているから、組織レベルでも地球レベルでも、自分が得るものよりも与えるものが確実に多いようにすること。
こうしたことを語るために、自分のポジションをプラットフォームとして活用する道を見つけたんですね。
自分に手が届くものを使っていくしかないからね。たくさんのお金やチャンスや恩恵が自分のもとに降ってくるよう、望むことも祈ることもできるけど、必要なのは、さまざまな人と会って、どうすればお互いに協力できるか探ることだ。これまでやってきたすべての仕事の中で、そういうことを学んだ。商品をデザインするにしても、ビデオを撮影するにしても、何をするにしても、予算はいつも足りないことに気づいたんだ。最新のこれもないし、最先端のあれもない。では、どうやってそれに対処すればいい? っていうこと。僕の関心の多くがファッションと消費に向いているのは本当にラッキーなことだった。僕はすでにその世界にいるから。でも、自分で考えてこうなったわけじゃないんだ。
さまざまなファッションの空間にアクセスできるようになり、舞台裏を見ることも多いでしょうが、何か本当に驚いたことはありますか。
すごく驚いたのが、実は、皆が結構気にかけてるってこと。話してみると、誰もがこの業界内だけでなく、その外でも、環境に与えるインパクトが減ってほしいと思ってた。これを知ることができたのは良かった。
それに、僕はラグジュアリーがどういうものか知らなかった。ダイアモンドのネックレスがラグジュアリーなのは誰もが理解できるだろうけど、そういう機能面を超えた、フォルムに注目したラグジュアリーの言語というものがある。ユーザーにすごく配慮しているんだ。君がお腹を空かせているときに、僕が袋からジャガイモを取り出してくるとする。それで目的には適っているけど、問題は、君はどういう風にしてそれを食べたいかだ。ポテト グラタンにしてほしいのか、フライドポテトにしてほしいのか。僕は、ラグジュアリーというのは、熟達したデザインから生まれるのだと思う。


ロンドン ファッション ウィークがちょうど終わったところですが、ワクワクするようなものは見ましたか?
Ahluwalia Studioというブランドがあるんだ。僕は[デザイナーの]プリヤ(Priya)を知ってるから、彼女のショーを見られたのはよかった。彼女の服はすばらしい。チャールズ・ジェフリー(Charles Jeffrey)のショーのレベルも、少なくとも今のロンドンでは他に並ぶものがない。
人生をかけてモデル業界で成功しようと頑張ってきた人々に囲まれているのは、奇妙なものですか?
ほとんどの人は肩書きに注目しているから、その肩書きを持つ人に対して彼らが抱く期待にもとづいて、近づいてきたり、話しかけてきたりする。そして、その肩書きに関係することについてお世辞を言う。モデルだと聞くと、彼らの考えるモデルが聞きたがっていることに合わせて、話し方を変えるんだ。その点は奇妙だったけど、それが面白いダイナミクスを生みだしていた。僕はうっかりこの世界に入ってしまったけど、その間にも、他の仕事をして、アートやデザインのようなクリエティブなことも再開していた。そんなときに、幸運にも、友人ハーレー[・ウィアー]が、アシスタントを探していた。アーカイブ整理のインターンと、ときどき撮影の手伝いをするような人だ。彼女のもとで働いたことで、僕は自信を持てるようになった。写真のことをもっと真剣に考えるようになって、自分に興味があるパターンについても理解し始めた。それが、同じく『Wait』というタイトルの、2017年に初めて開いた展覧会につながった。それからも僕は、消費と、消費がさまざまな方法で人間の行動全体に与える影響について考えていた。そしてモデル業界にいたことで、ファッション業界からも注目されるようになった。本が出版されて、昨年はずっと、ファッションの別の側面について深く考えてた。これらの服はどこからくるのか? これらを作っているのはどんな人たちなのか? その人たちは、何を提唱しているのか? この世界をもっとよく理解して、もっとよく中に入り込んで、新しい価値観を生み出そうとしてきた。
あなたの本にある詩で、たった3語でできたものがありますね。「water isn’t wet (水は濡れていない)」という詩です。もう少し説明してもらえますか。
うまくいく方法や、何が典型的で明らかな解決策なのかという点に関して、実際は、必ずしも、皆が信じる通りではないことを表している。誰に向かって話しているかは問題ではない。完全に間違っていたり、時代遅れだったりする、特定の考えのせいで間違う。でも、それは長い歴史の中でずっとそう考えられてきたり、それが真実として語られてきたりしたせいだ。政治状況で言うと、まだ人種差別的でも問題ないという考えを抱いている人々がいるけれど、今僕たちが置かれている状況を客観的に見れば、こうした考え方では次のステージには到達できないとわかる。型にはまった真実に、どうすれば抵抗できるかっていうことかな。

一旦立ち止まって、消費者としての日頃の行いを考え直すという発想は、本書全体に通じるメタファーみたいなものですね。あなたは、私たちの周りのモノが、どれほど私たち自身の一部となっているかについて書いていますが、その分岐点はどこにあるんでしょう。物語や友情、歴史など、あなたが取り上げた他の消費の形態でもそうですが、これらはどこまで私たち自身と一体となるのでしょうか?
僕たちがそれに影響を与えるようになった瞬間かな。現に、動かないものなど存在しない。あるモノを見て、僕たちはそれを個体だと考えるけれど、顕微鏡を使って実際に見てみると、原子は動いている。遺伝子の水平伝播など、物事が絶えず変動している好例のひとつだ。僕たちは、自分たちが身を置く環境と、常に情報を交換しているんだ。人もモノも植物も、この世界に存在するものなら何でも。これは、自分の食べるものはその土地で育てるのが良いという考えとも合致する。僕たちは常にお互いに情報を交換しあっていて、それは、すごいスピードで起きている。あるモノと関わりをもつとき、それが長い間続く関係であろうがなかろうが、考えや感情のやりとりがあるんだ。携帯やAirPodsやコンピューターとの関わりでいえば、もはや僕たちは、根本的にはサイボーグだよ。これらのモノは、僕たちの拡張機能として存在している。文字通りの意味で、追加の器官のように埋め込まれ、その機能のおかげで僕たちの生活は成り立っているんだから。
どうすれば、私たちはそのような物質的な側面から離れられるのでしょう?
なんらかの集団の一部となれるといいだろうな。会社でも、人類という集団の中でもいい。ただし、自分のいるその世界で、自分がそれをする理由を理解しなければならない。「スーニーカーは1足だけにしておけ、そうでないと、これだけのあれが、なんたらかんたら」みたいなことを言うのは簡単だ。でも、実際はプロセスというものがあって、問題を理解して、なぜその問題が存在するのかを問い、そこで初めて、解決策や改善方法を見つける方向へ進めるんだ。僕は人にああしろと指図するような人間にはなりたくない。何かを実行するよう強制するのでは、誰も耳を傾けてはくれないよ。
Erika Houleはモントリオール在住のSSENSEのエディターである
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